「篠崎マネージャー、お話があります!!」
事務所を開けるなり、由樹は叫んだ。
しかし、顔を上げたのは、眼鏡をパソコンのディスプレイで光らせた小松だけだった。
「うるさい」
簡潔でわかりやすい言葉で叱られた。
「すみません……」
軽く会釈をしながら、自分の席に戻る。
篠崎の鞄は……ある。
どこにいるんだろう。
渡辺が言う通り、駐車場で煙草でも吸っているのだろうか。
「展示場」
小松がボソッと口にした。
「え?」
「マネージャーなら展示場。さっき見たときには、主寝室で読書してた」
慌てて立ち上がる。
「ありがとうございます!」
由樹は言いながら展示場へつながるドアを開けた。
正面には洗面所の灯が煌々と照らしていて、さっぱり歩きにくくなんかなかった。
階段を上がって、子供部屋を通り過ぎた突き当りに主寝室はあった。
20畳はあろうかという広いスペースにキングベッドが一つ、書斎スペースに、ウォークインクローゼット。4人掛けのL字ソファーに大型テレビ。
その書斎スペースに篠崎は座っていた。
小松が言ったように足を組んで何やら読書をしている。
「あの、マネージャー」
意を決して話しかけると、椅子を回転させ、篠崎はこちらに向き直った。
「俺、空調を勉強してたのは、そしてダイクウに入社したのは、“家族を包む空間を、快適にしたかったから”なんです」
篠崎が表情を変えずに聞いている。
「普通の家族、普通の幸せって言うのを守っていきたいなって思って。全国の家族のために何ができるかな、って考えて。それで、選んだんです」
篠崎は視線を落とすと、先ほどまで読んでいた本をパラパラと捲った。
「だから、俺、ハウスメーカーに入りたいと思ったのも……」
「“幸せ作り”のためか?」
「……え?」
篠崎が立ち上がりながら、その本を開いた。
「それは……」
さきほど由樹が探していた、『家作りは幸せ作り』の本だった。
「すげえな。お前、この本、何十回読んだんだよ。こんなにマーカーや書き込みだらけで。受験生かよ」
篠崎が笑う。
「……まあ、やる気は認めてやらないでもない」
(っ!笑って、くれた…!)
目頭が熱くなる。
良かった。分厚いレンズの眼鏡をかけていて。
そうでなければ涙が滲んでいるのがバレるところだった。
「聞くのは最初で最後にする。だから正直に答えろよ」
篠崎が由樹に歩み寄る。
ここで誤魔化したら。
ここで嘘をついたら…。
きっと彼は自分を信用してくれない。
由樹は篠崎を見つめた。
「上司に、襲われたんです。その、無理矢理…」
「…………」
篠崎が言葉を失って、口を抑える。
「それは……なに、性的な意味で……?」
「……はい」
「……上司って何歳?」
「え……?28歳?でした。たしか」
「お、おまえ……」
篠崎が俯く。
馬鹿にされることなら慣れてる。
表面上、同情されることも慣れている。
(どんなボールが来ても、俺は別に………)
「それは、世間では棚ぼたと言うんだぞ」
デッドボール。9999のダメージ。
「28歳の女上司に襲われただと?お前、そこは両手を上げて喜ぶべきところだろ!」
「………」
笑いだす篠崎に、一歩遅れて思考が合致した。
あー、そうか。
なるほどなるほど。
ノンケの一般男性とは、こうなのか。
“上司から襲われた”と聞いて、それが、男同士って発想がないわけだ。
男が男を襲うっていうところに行き着かないわけだ。
なるほどね。はいはい。
「それで辞めたのか?アホか!ありがたくいただいとけよ!草食すぎるだろ!」
まだ笑っている。
(楽しんでいただけたならよかったっす…)
由樹は心のなかで白目を向いて泡を吹いた。
もう今更、否定できない。
というか否定するメリットが見つからない。
一頻り笑い終わったらしい篠崎がまたこちらに歩み寄る。
「な、今度からは、喜んでお相手差し上げろよ」
「ハイ、ソウシマス…」
「でもあいにく俺は男なんで」
「えっ??」
足を払われ、そのままキングサイズのベッドに押し倒される。
(ちょっ……)
組み敷かれ、体重を掛けられる。
肘を頭の横につかれ、顔がすぐ近くまで寄る。
もう片方の手で眼鏡を外される。
「これ、明日から禁止な?」
代わりにエラから耳にかけて優しくかきあげる。
(嘘、だろ……)
「ま、マネージャー……?」
見下ろす目が笑っている。
端正な顔が迫ってくる。
(やば…い、キスされる……)
久しぶりの男の体重に。
触れられる手の大きさに。
コロン混ざる雄の匂いに。
跨ぐ太股の硬さに。
見下ろす目の鋭さに。
身体中が喜ぶのがわかる。
(ダメだ。ダメだよ!!だって俺には……!)
必死で訴えると―――。
「プハッ」
唇が触れる寸前で、篠崎が吹き出した。
跨いでいた足の一つが浮いたと思うと、その膝で股の中心を潰される。
「いででででで!!!」
叫ぶと篠崎はいよいよ楽しそうに笑いながらベッドから降りた。
「じゃあ、そのかわいい彼女のためにも頑張らなきゃな」
笑いながら、由樹に手を差し出す。
(クソ。この人は……!!)
由樹はつぶされた股間を抑えながら、それでも、もう一つの手を伸ばした。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!