「⋯なんて事だ!?」
寮の自室に戻って
私は愕然とした。
それもその筈
私の正義の第一歩である
紅蓮の花の種子が
シャーレの中で弾け飛んでおり
種子のあった所に
黒く焦げた跡を残すのみの
無惨な状態だったのだ 。
ー救いの鐘の音か⋯!?ー
先の昼を報せる救いの鐘の音
もしや種子の状態では
魔力量が多いのか?
匣の中の残りは
まだ無事な事から
夢を渡った影響では無さそうだ。
「⋯発芽させる為には
場所を考えねばならんな」
全滅という最悪の事態は免れた事に
安堵の息が深く漏れる。
「鱗のプランターで魔力を遮断しつつ
自室で栽培するか?」
否、
またセイリュウに鱗を剥いてくれだ等と
世界と正義の為とはいえ言いたくない。
それに自室では
余りにも救いの鐘との距離が近過ぎる故に
魔力供給過多でまた定着する前に
枯れてしまう可能性がある。
ある程度、魔力を遮断でき
目の届き易い栽培場所が必要だ。
ーこの程度
私の務めの障礙にもならん!ー
花の街の地図を拡げると
弛み無く丁寧に壁に貼り止める。
どうせなら栽培場所は
隠れながらも
世界中に蔓延り易い方が良いだろう。
不意に匣に目を落とすと
企画書の立案の為に拝借してきた
花の街の歴史資料館のパンフレットがあった。
彼女の過去と花の街の歴史が
脳裏を過ぎる。
ー異端迫害の歴史⋯
そんな彼等の⋯平穏の地ー
「⋯⋯⋯⋯はっ!」
私は息を飲み込むと
その思惑の場所を確認する為に
地図に張り付いた。
こんなにも身近にあったではないか!
ある程度魔力を遮断しつつも
学園に近く
尚且つ〝アレ〟を利用すれば
一瞬で街に放てる最適な場所が!
「ろ⋯ろろ⋯」
振り絞る様なか細い声に
私は熟考の熱から我に返ると
セイリュウを放置してしまった事を
思い出して振り返る。
目に入った驚愕の光景に
全身から冷汗が湧き
弟が炎に包まれ悶える姿が想起された。
「どうしたのだ!?」
途切れ途切れの呼吸を粗く震わせながら
床に血塗れのセイリュウが伏していたのだ。
慌てて駆け寄ると
その小さな背中には
まるで猛獣に裂かれた様な爪痕が
痛々しく刻まれている。
「⋯ひっ⋯⋯ひっ⋯!」
傷が肺まで到達しているのか
口から溢れ出る血に呼吸を阻害され
セイリュウの顔が土色に変わっていく。
そこからは
無我夢中だった⋯。
ブランケットにセイリュウを包んで抱え
自室の窓を開けると躊躇う事も無く
夕刻時の紅に染まり始めた空に
私はその身を投げ出した。
「来いっ!」
小さな躯を抱えた反対の腕を伸ばすと
風を裂いて現れた箒が
私達の躯を宙へと舞い上がらせる。
そのまま一直線に鐘楼へと
箒を向かわせた。
鐘楼に着くと
箒を手放し着地の勢いに任せ走り
直ぐ様その口径内に潜ると
セイリュウの躯を抱いたまま
私は鐘に叫び祈る。
「救いの鐘よ!
どうかこの者を救いたまえ!!」
手の甲で三度程
鐘を打ち鳴らすと
澄んだ音色が口径内に響き魔力を放つ。
私の胸元で
溜まった血液を吐き切ると
セイリュウの荒い呼吸が
肺を充分に満たせる程に落ち着きを戻した。
私の腕を紅く染め上げていた出血も
無事に止まった様だ⋯。
「貴方に感謝いたします
救いの鐘よ⋯」
鐘の口径内から出て
まだ青い顔で瞳を伏せるセイリュウを
一旦横たわらせると
私は救いの鐘に祈りを捧げる。
「おや?
フランム君じゃないか!
鐘にお祈りとは実に篤行だね」
鐘楼の床にある隠し扉から
目だけを覗かせて声を掛けてきたのは
鐘撞き係の者だった。
いつも目深にフードを被り
誰にも素顔を見せないという。
「そろそろ鳴鐘時間だから⋯
良いかな?」
間もなく夜を報せる時間だったか。
鐘の近くならば更に魔力量は多い。
ーセイリュウの治癒の為にも⋯ー
「すまないが
しっかり目は伏せておくので
鐘の傍に居させてくれないだろうか?」
床の扉から男の困惑した声が漏れたが
それは直ぐに了承とも取れる
溜息へと変わった。
私はセイリュウの頭を膝に乗せると
祈りを組んだ手を額まで持って行き
深く頭を下げる。
「⋯⋯仕方ないなぁ」
暗闇の中
男の足音が鐘楼へと向かうのが解った。
ゴーン!ゴーン!ゴーン!
揺れた舌が鐘を撞く度に
全身に振動が響く程の音の波と
運ばれた魔力とが
躯を穿き抜け流れていく。
鳴鐘の音が余韻に変わる頃
床扉へ戻っていく
鐘撞き係の男の足音が聴こえた。
「⋯早くその魔獣の怪我
治ると良いね!」
ー魔獣⋯?ー
パタリと扉の閉まる音を確認すると
私は強く伏せていた双眸を開く。
目に映ったのは
膝で躯を丸めて眠る
黒曜石の様に黒く艶めく
小さなドラゴンであった。
今の鐘の音で
良くなったからこの状態なのか
悪化してなのか⋯
ーとりあえず苦しむ素振りは
していない様だな⋯ー
小さなドラゴンの姿になってしまった
セイリュウを抱え
血塗れの姿を人目に触れられない様
自室に戻る為に箒を呼ぶと
私は鐘楼を後にした。
自室に戻ると
バスケットに新品のブランケットを詰め
そこにセイリュウを寝かせる。
艶やかな黒い鱗に覆われた小さな躯を
ひと撫でして眠っているのを確認すると
血に塗れた部分を内側にして畳んだ
カソックを携え
シャワールームへと向かった。
ーあの傷はいったい何だったのか⋯?ー
猛獣に抉られた様に開いた傷口
何者かが侵入して奇襲を掛けたのであれば
いくら集中していたとはいえ
私が気付かない訳が無い。
シャワールームで
布を通り越して私の腕を染めている血液を
洗い流していく。
「⋯彼奴も無事であろうか」
浄められた躯を拭きあげ
替えの服に袖を通すと
闇を跳ね返す
あの濃紺の衣装の背中が
思い返される。
ー彼奴の事だ。
またヘラヘラと私の夢に現れるだろうー
洗面所でカソックに着いた血を
水に浸して丁寧に濯ぐと
張った水は一瞬にして紅く染まっていく。
揺らいだ紅い水面に
一枚の五花の花弁が何処からか
ひらりと舞落ちた。
「ロロ会長?
どうしたんですか?」
不意に呼ばれ我に返ると
血に染った水面を凝視していた私の顔を
副会長が覗き込んでおり
悪事をしでかした訳では無いのに
何と言い訳をしようかと慌ててしまう。
だが紅く染まった水に浸されている
カソックが視えているだろうに
副会長はキョトンとしているだけだ。
「⋯何か⋯用かね?」
洗面ボウルの底の栓を抜き水を流す。
その一連の様子を横で共に見ている筈だが
やはり顔色一つ変わる事は無かった。
まるでこのたった今吸い込まれ流れていく
紅い水が視えていないかの様に⋯。
「あ!
会長の企画案を纏めたものを
先生に提出して来たのですが⋯
先生が言うにはそのプランを
先般に行っていた学校があったらしくて。
はぁ〜また練り直しですよ!」
「そうか。
代替案は何策か考えてある。
私が今夜中に纏めておくから
明日また先生に提出して来てくれるかね?」
カソックの水を絞り切ると
副会長の返事を待たずに
私は洗面所を後にした。
自室に戻ると
ハンガーにカソックを掛ける。
ー血の跡とは
こんな綺麗に取れるものだろうか?ー
襟元は神への忠誠を誓う様な
いつもの純白さがそこにあった。
シワにならない様
しっかり延ばしながら干していると
トンと肩に触れる感触に気付く。
「クルルルルルッ」
爬虫類独特の硝子玉の様な山吹色の双眸
刃先の滑らかさを想わせる両翼
黒曜石の如く艷めく鱗
小さな体躯でなければ
荘厳なその躯を私の肩に預け
甘えた声で鳴くセイリュウの姿があった。
指をその鼻先に差し出すと
猫の様に擦り寄るその姿に
言葉は交わせずとも
痛みは無いのだと安堵の息が漏れる。
「これから私は
世界を正しく導く為にも忙しくなる。
お前もお前達の世界の為その大義の為にも
しっかりと今は躯を休めておくのだよ?」
椅子に腰を降ろし机に向かう
私の言葉を理解してか
セイリュウは肩から膝に飛び移ると
その黒く艶めく躯を丸めて目を伏せる。
校長に命ぜられた催しの提案は
上手く使えば
憎き悪党である魔法士共を
一掃する好機ともなり得るだろう。
「ならば思わず参加したくなる様な
催しにせねばな?」
魔法士も催しも好まぬ私だが
疑似餌で獲物を誘う蛇の様に
今は坐薪懸胆と待とうではないか⋯
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!