ある天使のお話🫶🏻
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pr(人間)×ak(天使)です
リアル世界線ではないです
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クローゼットに吊るされたロープの輪に首を入れた。
テーブルの上に散らばった錠剤と空に近いペットボトル、空白ばかりの履歴書が目に映る。
案外頭の中は冷静だった。悲観的に生きてきた人生の終演は、最終的には何も残らず、楽しい記憶にも悲しい記憶にも思いを馳せることはなかった。
すごく静かだ。週末だというのに、今日は不思議と外から人の声がしなかった。24時間、365日、頭を埋め尽くす自殺願望。いつしか好きだった歌も、人の声も、ささやかな風の音も、全部煩わしくなった。
だが今は、それが嘘だったかのように穏やかである。
これで終われる。
ゆっくりと脚を滑らせ体重をかければ、ロープが首を締め付け、顔に血が上る。
息が出来ない。そう、息をしなくていい。
苦しい。やっと死ねる。苦しい。これでいい。
意識が飛ばない。
苦しい
頭が痛い
耳鳴りがする
寂しい
必死にもがき、ロープから頭を抜く。
急速に取り込んだ酸素は生暖かい。圧迫された喉は痛みと違和感がある。生きてることを嫌に実感させた。全てが腹立たしくなった。丁寧に書いた遺書を破り、放り出された睡眠薬と頭痛薬、そして精神安定剤を再び大量に飲み込む。ズキズキと頭が痛み、燃えるように喉が渇く。
生きるのも死ぬのも俺には出来ない。
あぁ、神様。
どうか、どうか俺を殺してください。
「何してるの?」
急に声がした。驚いて顔を上げるとそこには、ふわふわと白い翼を生やした可愛げな男性がいた。
なんだ、これは。
死ぬ間際で天使が見えるのだろうか。
いや、死に損なったんだ。薬で頭が狂って妄想を見ているんだろう。
それにしても…綺麗やな。こんなに現実離れした美しさを初めて見た。
俺も連れてってくれへんかなぁ。天国はどんなところなんやろ。こんな俺が行けるようなとこじゃないんやろうなぁ。
その真っ白な羽根に触れようと手を伸ばす。
すると天使は数回瞬きをした後、呆れた顔で俺の額に指を弾いた。
「痛っ!?」
「なにしてんの」
じとりと睨みを聞かせるように視線を合わせられる。
彼は独り言のようにぶつぶつ呟き、深く大きなため息を吐いた。改めて目の前の青年をよく見る。整った顔立ちは、美人という言葉が似合う。透き通った肌、透明感のある金髪。
そして、存在感のある真っ白な翼。
「………変質者?」
「はぁ!?変質者じゃないし!本物の天使!」
彼は翼をバサりと広げる。その風圧に思わず目を瞑る。
「でしょ?」
「やっば、すぎやろ、、」
翼を優雅にはためかせ、彼はドヤ顔で腕を組んだ。
天使ってほんまにおったんや。
それにしては、いきなりデコピンしてくるしだるだるのパーカー着てるから
天使って感じはせーへんけどな。
「まぁ、信じられないのも無理ないか。ほんとは人間の前にこの姿を見られるのはタブーだし。」
「え、は?」
「俺ね、君の魂を迎えに来たの」
彼は、俺の左胸を指さす。
「俺、死んだ人間の魂を天国まで連れてく役目なの。だから死のオーラ纏った君のとこ来たら、なんか馬鹿な真似してるからおもわず声掛けちゃったってワケ」
「…すんません」
「謝ったってしょうがないけどね」
彼の言葉に何も返せず俯くと、天使は俺の喉仏を指先で撫でる。反射的に彼を見上げると、意外にも彼は酷く悲しそうな顔をしていて目が離せなくなる。天使は左手で俺の輪郭をなぞるように触れる。その指の動きに、ぞわりと背筋が震えるのを感じた。彼は俺の様子を気にすることもなく話を続ける。
「苦しかったでしょ。死ぬのって全然簡単じゃないんだよ。怖くて、痛くて、寂しんだよ。」
「……」
「もうこんなことやめてね?」
彼は俺の頭を撫でた。壊れ物を扱うかのように優しい手つきだった。全身に血が巡るような感覚だった。ずっと希死念慮で塞き止められていたものが再び流れ出し、体の隅々まで酸素が伝わる。
生きているんだ、と。
じわりと視界が滲んだ。ぽろぽろと涙が頬を伝う。
「っ……ひぐ」
声を押し殺して泣く俺を抱き寄せ、赤ん坊をあやすように背をトントンと叩く。彼のその大きな瞳も涙の膜を張っていた。俺は鼻をすすりながら必死に声を出す。
「…就活が、うまくいかんくて」
「うん」
「友達の内定も喜べんくなってきて、」
「うん」
「自分だけ取り残されたような気がして……怖くて、つらかった、 ……」
高校んときのバスケが俺の全てだった。同じ志を持った仲間とバスケができればそれで良かった。常に最高の試合にしようって、それだけを目指してがむしゃらだった。必死で戦って負けてもでも嬉しかった。自分で生きる価値を見つけられて。それが生き甲斐で、それが俺の全てだった。いつかきっと、俺らならもっとデカくなれる、絶対そう信じて生きてきたのに。
青臭くて痛い奴だと、今なら客観して言える。
仲間たちは早々にバスケから離れ、皆大学に行き、当たり前のように就職して、スーツを着て、社会人になる為のレールを歩み始めた。
そして俺は、築き上げてきた思い出の中で1人取り残された。
内定が決まった友人や仲間に、裏切られたとさえ思い、自分の思考を恨んだ。
小さい頃思い描いていた未来も、バスケで見つけた自分の生き甲斐も、全てが今となっては何の意味もない。だってそれはあまりにも非現実的な夢やったから。
落とされる度に、俺には価値がないと突きつけられるような感覚やった。
天使は何も言わず俺の話に耳を傾け、時折、うん、と相槌を打つ。
堰を切ったように溢れてくる涙を袖口で拭いながら彼の肩に顔をうずめると、彼は俺の頭を抱き寄せた。
「泣き止んだ?」
「はい…なんか色々ありがとうございます。話聞いたりしてもらって」
「いいよ。それに俺だって八つ当たりみたいなことしちゃったし。お互い様ね?」
彼は、バツの悪そうな顔をした。本当に人間みたいだ。こうやって話して違和感がないのに、同じ種族じゃないなんて世の中不思議なことばかりだ。このまま友人になれたらきっと楽しい日々を過ごせただろうに。彼の役目は死者の魂を迎えに来ること。良くも悪くもその対象に俺は外れてしまったのやから、彼はもうここに用はないのだ。
「あの、俺に見られたってことはタブーを犯してしまったんですよね?あなたはどうなってしまうんですか」
「…そう、だね、、大天使に見つかったら存在を消されるんじゃないかな?」
「存在を、?そん…な… 、あなたみたいに優しい人が消されるなんて、そんなん…
俺が許さへん、、」
そんなの絶対に嫌だ。なんでこうも地上の世界も天国も勝手なんだろう。理不尽な現実に拳を固く握る。すると天使は俺の頬を両手で掴み、真っ直ぐ見つめる。
「俺を救ってくれない?」
彼の親指が唇を撫でる。ピリッとした電流が流れたような感覚に肩が跳ねる。彼は表情を変えずに続ける。
「なーんてね」
パッと手を離し、また俺の頭を優しく撫でる。
「俺のことなんか忘れて。それからもうちょい生きるの頑張ってみな。 」
そう言って彼は笑った。その笑顔に心臓が締め付けられる感覚を覚えると同時に、彼のためならなんでもしたいと思ってしまった。
立ち上がろうとする彼の腕を掴む。この人を失いたくない。初めて俺は誰かを救いたいと思った。
「俺、なんでもします。あなたのためにこの命を使わせてください」
「これはただの噂だから確証はないよ?」
「でもそれしか希望はないんよね?」
「…俺みたいな下級の天使は、言わばスポンジみないなもの。魂を吸収して天国まで運ぶ為のスポンジ。大天使はそんな俺らを監視してる。だけど、あいつらあんま目が良くないの。普段、死者の魂を吸収して死のエネルギーの形してるから俺らのことを天使って判断してるだけなの。」
つまり、と彼は続ける。
「逆転の発想で、生命力を吸収すれば、大天使からみたら俺ら下級の天使は人間のように見えるってこと。だから 、人間に触れて生命力を注がれれば、そう見せかけられるかもしれない」
「……結構、アバウトなんやな。 」
「俺も他の天使から聞いただけだし詳しいことは知らないよ。そもそもどこからそんな噂が出回ったかすら不明だからね。」
そう言って苦笑いをした。きっと彼も無謀だと感じているんだろう。それでも、限りなくゼロに近い可能性であってもそれに縋るしかなかったんや。
「大丈夫。絶対上手くいく」
「絶対って……吸収するってことは、君から生命力が減るってことなんだよ?」
「そんなん、そもそもあって無かったようなものなんやから。少なくとも、今の俺が生きてるって感じられるのは、あなたの為になることなんです」
そう言うと、いきなり彼の翼が音を立てて大きく広がる。思わず目を閉じると、頭を下に引き寄せられ、唇に柔らかいものが触れる感触があった。驚いて目を開くとそこには長い睫毛が伏せられていて、端正な顔が目の前にあった。キスされてると気付いた時にはもう唇は離れていた。
「こんなの天使っていうより悪魔だね」
そう自身を嘲笑する彼を強く抱き寄せ、その勢いで床へ向かい合って倒れ込むと、ふわりと数枚の羽根が降りかかる。
こんな禁戒に禁戒を重ねた行為。利用されるための突然のキスも何故か嫌だという感情が湧かなかった。恐らくそれは、彼の見た目も心も美しかったから。
「名前ってあるん?」
「あっきぃ」
「アッキィ、、、綺麗な名前やな」
喉の奥でもう一度彼の名前を呟く。
心がキラキラと擽ったい。風で音を鳴らす風鈴のように、クリスマスツリーのてっぺんの星が輝くように。
子どもの頃に感じたあの高揚感と似ている。
「ありがと、ぷりちゃん」
俺の目にかかる髪の毛を指先で耳に流す。
「俺の名前なんで知って……?」
「ひ・み・つ、、ね?」
そう悪戯っぽく笑う。どうしてこんなに愛しく思うのだろう。まだ彼と出会って数時間しか経っていないのに。
俺の体も心も命も全てあなたに捧げたい。
念の為に、なんて言い訳をして彼の唇を塞いだ。先ほどよりもずっと長い。彼は拒むことなく俺を受け入れた。漏れる息に、俺よりよっぽど生きてるみたいだとぼんやり思った。
あぁ、神様どうか彼を殺さないでください。
生命力という漠然とした概念に、一応定義はあるらしく、それは三大欲求を満たせば人間の生命力は蓄えられるというものだった。
しかし、鬱病を患っている俺には、それらの欲求をもうここ何ヶ月は十分に満たしていない。
お腹は空いてるのに、食べ物を口に含むと胃が受け付けない。夜になると不安が襲いかかり寝付けない。毎日、死にたい、と強く思うばかり。そんな生活を続けていたら当然気力は落ち、性欲もなくなった。
そんな俺の状態を聞いたあっきぃは、眉を落としそっかぁ…と小さく声を零した。
「しっかりご飯食べて寝ることから始めないとね。まずは胃に優しいものからだから…お粥とか?」
あっきぃはそう言って、キッチンへ向かう。狭そうに翼をキュッと縮こませ、不慣れな様子で調理器具を並べる。その後ろ姿が可愛くて後ろから抱きしめた。
「びっくりしたぁ…なに?」
「いや……あっきぃ可愛ええなぁって……」
そう言うと彼は、はぁ?と言いながらも満更でもなさそうに頬を赤くした。料理の邪魔しないで!とあしらわれ、渋々見守ることにしたのだが。どうにもこの天使、かなり料理下手だった。
え、お粥作ろうとしとるんよな?なんで包丁出てるん?てか危な!絶対落とすって!!
「ああもう!危ないからあっきぃは座って待っとって!!」
数分後、シンプルな卵がゆを完成させ、テーブルに置いた。一応2人分用意したが、天使ってそもそも食事っていう概念があるのか?と心配したのもつかの間、口をいっぱいにさせながら幸せそうに食べるもんだから笑ってしまった。
俺もひと口食べる。久しぶりに食べた温かい手料理は、とても優しい味がした。
「うっま、すぎやろ…」
「でしょ?!めっちゃ美味いっしょ!」
「自分で作ったみたいに言ってるやん」
「ちょっとは俺も作ったし、、?」
「冷ご飯レンチンしただけやん」
彼は、むぅ、と拗ねたように口を尖らせる。そんな顔を横目に見ながら、レンゲを口に運ぶ。
あっという間に平らげてしまった。胃の充足感と内臓のぽかぽかさが心地良い。彼も食べ終えると満足そうにヘラりと口元が緩み、お皿を流し台へ運ぶ。
水の流れる音とご機嫌そうな鼻歌を聞きながら俺は横になった。体の力が抜けていくのがわかる。こんなにも満たされたような気持ちになったのはいつぶりだろうか。襲いかかる眠気に微睡みの狭間に誘われる。
「ぷりちゃん、せめて歯磨いた方がいいよ?」
優しい声色が鼓膜を揺らす。いつのまにかあっきぃが食器を洗い終えていたようだ。水で冷えた指が俺の痩けた頬をつつく。
「ん……」
重たい瞼を持ち上げながら体を起こすと、彼は俺の手を引いて洗面所に行く。歯ブラシに歯磨き粉をつけ、口に咥える。鏡越しにあっきぃを見つめると目が合った。
これからこんな生活が続くんかな……と考えているうちに歯磨き粉の泡が口の端を伝い落ちる。
「もー零してるって!そんなに眠いなら
お風呂は朝に入ってね」
「……」
俺の口から歯ブラシを抜き取った彼は、水の入れたコップを渡す。
「ほら、くちゅくちゅぺーって」
言われるがまま口をゆすぐ。彼の言葉付きと睡魔で幼児に返った気分になる。
「おふろ、あしたのあさ、はいる」
「そうしな」
「きたなくてごめん」
「汚くなんかないよ。疲れたもんね?」
ベッドへ導かれ、そのまま寝転がると布団をそっと掛けられる。
寝れそう?と俺の頭を撫でて優しく問いかける彼の瞳は慈愛に満ちている。俺は小さく首を縦に振っただけだったが彼は満足したように笑い、電気を消した。
「あっきぃ。」
「ん?」
「こんなに眠くなったの久しぶりやぁ」
「よかったね」
「あっきぃ。」
「はいはい、なんですか」
「おれと出会ってくれてありがとうな」
「うん、…おやすみ、ぷりちゃん」
額に落ちるキスは、羽根のように軽くて優しかった。
翌朝、やっぱり俺の夢で目を覚ますと天使の姿は無かった…
なんてことはなく。
俺の隣で、すやすやと可愛い顔で眠るあっきぃがいた。丁寧に折りたたまれた翼をそっと撫でる。
「んん」
あっきぃは、目を擦りながら上体を起こす。その拍子に彼の前髪がサラリと流れ落ちる。
「おはよ」
「ん…おぁょ……」
「お風呂入ってくるから。あっきぃは寝ててええよ」
そう言って頭を撫でる。まだ寝惚けているのか、彼は俺の胸に顔を埋めてまた寝息を立て始めた。その温もりに名残惜しさを感じながら俺はベッドを出た。
シャワーに打たれながら、ぼんやりと思考に耽る。これから一生こうして2人で生きていくのだろうか。並んでご飯を食べて、たわいもない会話をして、触れ合って、眠りにつく。
願ったり叶ったりだ。こんなに幸せなことはない。俺はこの命が尽きるまで彼と一緒にいたい。
まだ彼と出会って1日も経っていないのに、そんなことさえ思う。抱えてきた不安や恐怖、希死念慮も、彼が隣にいれば感じない。
一分一秒でも彼と共に過ごしたい。
その感情に自分でも驚いた。誰かを愛おしいと思うなんて、いつぶりだろうか。記憶のずっと奥底で眠っていたものが殻を破って溢れ出すような感覚だった。
大雑把に髪と体を拭いて、彼の眠っていた元へ戻るも、そこにはいなかった。
なんで?
全身から血の気が引く。耳鳴りがする。
まさか、もう大天使とやらに見つかったんか?彼は存在を消された?もうこの世界にはいない?
俺が彼の存在を消してしまった。
浅く短い呼吸音しか出ない。くらくらと目眩がする。手当たり次第に薬を手繰り寄せ、次々に飲み込む。
次第に脱力感と浮遊感に襲われて、床に寝転びながら天井を仰ぐ。
俺のせいで、彼は。
涙がボロボロと溢れ、止めることができない。どうしてこんな俺が生きているんだろう。あっきぃがいないのなら俺も消えたい。
悲しみと悔しさに精神も肉体も蝕まれ、気がおかしくなりそうだ。
「ぷりちゃん、なにしてるの?」
遠のく意識の中、聞こえてきたその声に安堵し、彼の元へ這うようにして向かう。俺の涙を拭う手に縋り付くように自分の手を重ねる。
「どっか痛い?」
心配そうな顔で俺の頬を撫でる彼に抱きつくと優しく抱き返してくれた。その温もりがただ嬉しくて。彼は何も言わずに俺を抱きしめ続けた。
「消えちゃったかと思ったやん」
「心配してくれたの?」
「あっきぃがおらんと俺生きてる意味も価値もないもん」
そう言うと彼は眉を下げて困ったように笑った。
「そんなこと言わないで。君はちゃんと色んな人から大切にされてるよ」
ぼやけた視界にキラキラとした羽根が映る。やっぱり綺麗だ。
「ほら、パン買ってきたから一緒に食べよ」
「買い物、してきたんか、? 人間に見られちゃあかんって……」
「人間には天使ってバレちゃだめってだけで、翼を小さく隠して人間に擬態すればだいじょーぶ」
指を指された方へ視線を向けると、脱ぎ捨てられた俺のジャケットが目に映った。
「はぁぁあ……天界のルールむっずすぎや、 」
「腹減った!早く食べよ?」
彼は買ってきたパンを意気揚々と紹介しながらオーブンに並べる。その後ろ姿を眺めながら俺は焼けるまで膝を抱えて待った。ジリジリとオーブンの音を聞きながら、セイヤくんは隣に座り、俺の肩に頭を預ける。
「薬、飲んだでしょ。安定剤じゃないやつも」
彼の手には、捨てたはずの空になったシートが握られていた。
「…ごめん」
「不安にさせてごめん。1人にさせないように気をつけるから、もう薬たくさん飲むのやめるって約束してくれる?」
俺は頷く。彼は安堵の息を零した。それから俺と同じように座ると、指を絡めるようにして手を繋ぐ。
オーブンが鳴り、取り出すとこんがりと焼き目のついたパンは香ばしい香りをさせた。
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ネクタイきつく締め、髪を整える。
鏡に映る目の前の男は、不安で瞳が揺れている。
「絶対落とされるやろ………」
もうこれで何社目になるのだろうか。いつの間にか数えるのも辞めてしまった。
メールの文面はお祈りばかり。飽きるほど見てきたはずなのに、毎回息が詰まるほど苦しくなる。
見た目は好青年と評されるのに、こんなにも必要とされないなんて、俺は中身が無いのだと気づかされる。
もう分かったから、許してや。頑張るからさ。
「…何も変わってへんから俺はダメなんやろな」
「なんでそんなこと言っちゃうの?」
「でも、俺……」
俺は振り向いてあっきぃを抱きしめた。彼は俺が辛い時いつも言葉をくれる。
「こうやって不安になってしまうのも、ぷりちゃんがじゅーぶん頑張ってる証拠だよ」
彼は、セットした髪を崩さないように丁寧に撫でる。
その小さな気遣いが、ものすごく可愛いと思う。
「よっしゃ!一発かましてくるわ!」
「あははっ! 行ってらっしゃい!!」
あっきぃは俺の背中を勢いよく叩く。俺は大きく深呼吸してから部屋を出た。
なーんて潔く受けてきたものの、結果は清々しいほどの惨敗。
「あー、くっそ」
吐き捨てるように呟いた暴言は、静かに消えていった。
『で?結局うちで何したいわけ?君の言うことは中身がなくて、ビジョンが見えてこないんだよなぁ』
ペンの走る音、貧乏ゆすりの速さ、嘲るように笑った面接官の言葉が頭の中で反響する。
「やりたいことなんて俺が聞きたいわ、って思ったでしょ?」
「…思考読むんやめてや」
「顔に出てるの。その様子じゃあんまり上手くいかなかったでしょ?」
「はぁ惨敗よ惨敗。一発かますどころか百発殴られてきましたー」
「おー今どき珍しい体育会系のパワハラ会社だね」
「鬱持ちの就活生にはハードやわ」
あーしんどい。と口には出さずに胸の中でごちる。誰かのせいにしたいのに、考えても考えても全ては自業自得だと帰結される。
「未来無いなー…」
両手で顔を覆うと、あっきぃは隣に座り優しく俺の手を解く。彼と目を合わせると、彼は目を細めて微笑んだ。
「君の未来はちゃーんとあるよ。今しんどいのも、これからの君に必要なことだから。大丈夫。お前のこと評価して大切にしてくれる人は絶対いるから。ほら、飯食って風呂入って寝る!」
彼の笑顔に肩の力が自然と抜ける。よし、と立ち上がり、台所へ向かうと彼は子どものように後ろに着いてくる。
「今日はカレーやで!」
「めっちゃ美味しそう!手伝う!」
「あっきぃは危ないから包丁の出番終わるまであっちでお座りしててな」
あっきぃは、手に持った包丁をまな板の上に置かれ、困惑したように俺を見つめた。
このやり取り何回目やねん。ほんま懲りひんな。
「なんで働くことって必要なんかな」
「お金が必要だからでしょ?」
「だとしても働きすぎやない?朝から夜まで働いて、お金があっても自分の時間なんてなーんもないやん。そんであっきぃみたいな天使にもお仕事があって、お偉い天使に指示出されて監視されてるんやろ?あまりにも労働に縛られすぎてる」
「そんなこと言ってる君やって、結局は就活してるじゃん。生きてくために労働からは逃げられないの」
彼は呆れた表情で食後のストロベリー味のアイスを冷凍庫から取り出す。俺も釣られて抹茶味のアイスを取り出し、2つ分のスプーンを用意した。
テレビをつけ、何気なく目に止まったバラエティをそのまま流し、彼の横に並びながらアイスを掬って口に運ぶ。
彼は、スプーンを咥えたままテレビに集中していた。そんな彼の視線を追って俺も画面を見る。
くだらないな、と思いつつも自然と笑い声がこぼれた。隣の天使もケラケラと笑っていた。
「俺、こんな風にあっきぃと平凡な生活するだけでええのになぁ」
「なに、急に!さっきの話まだ続いてたの?」
「やってさぁ、これ以上の幸せってない気がするんよ。楽しいし、安心するし、」
「んぅっ」
「こうやってちゅーしてさ、大好きって思える。こんなに幸せなことって無いやんなぁ?」
「……ばかじゃないの、、」
「あっきぃがそうさせてくれたんやで」
確かめさせるように、もう一度唇を合わせる。ほのかにストロベリーの味がした。
料理と買い出しは基本的に俺、その他の掃除や洗濯はあっきぃという役割分担で生活を送っている。
精神的に不安定な日もあるが、その度にあっきぃが隣で手を握ってくれる。
それだけで楽になった。
彼と共にいる間だけ、俺は自分が生きていることを実感できる。ご飯は美味しくて、夜は温かい。
「あっきぃもうちょい翼縮こませられん?」
「はぁ?君の身体がおっきすぎるから、、このベッドが小さすぎるの!」
「文句ばっか……じゃあせめてこっち向いてもっと寄ってくれん?」
「……ん、これでいい?」
あっきぃは渋々と言った表情で、向かい合い顔を寄せる。
彼の背中に腕を回し抱きしめ、翼の付け根あたりを指先で撫でる。
「っ、くすぐったいからやめてっ……」
少し身をよじらせるあっきぃに煽られ、そのまま腰までなぞるように手を這わす。彼は抵抗するように俺の胸を押す。
紅く色付いた唇が薄く開かれ、それを掬い取るように口を付ける。彼の口内に舌を滑り込ませるとそれに応えるように熱い舌が絡みつく。
キスを重ねるたびに、生命力を注ぐ儀式は、次第に内なる欲望を掻き立てていった。
触れたい、もっと、もっと。
あっきぃを求める気持ちは日を追うごとに大きくなっていく。
「んん……ふっ……」
口付けが深くなるに連れて、俺の下半身には血が溜まっていくのが分かる。くちゅくちゅと唾液の混ざる音を聞きながら俺は彼を押し倒した。ぎしりとベッドのスプリングが軋む。
長い口付けを終えて唇を離すと、銀色の橋がかかる。それを舌で舐めとり、彼の服に手をかけたところで制止された。
「これ以上はだめ、だよ、」
「…生命力、いらんの?」
「そんな言い方しても絶対にだめ」
あっきぃは頑なに拒絶を示す。俺の腕を押し返し、顔を背けた。
彼の頬に手を寄せこちらを向かせる。
「だからさこれはダメなやつなの!いい加減わかって!」
そう叫んだ彼の声は震えていて、目には薄らと涙の膜が張っている。俺は生唾を飲み込む。
「あっきぃが欲しい、俺を受け入れて」
欲情した声が零れる。彼を組み敷き、首筋に吸い付く。ビクリと肩を揺らし、弱い力で俺の頭を押し返そうとする。
「……っあ……だめだって……ほんとに……」
あっきぃはいつも甘い匂いがする。甘くて、美味しそうで、罪深くて嫌な匂い。彼の腰を抱き寄せながら深く吸うと、嬌声を発する。
「ひぁっ…ぁ…ぷりちゃ、離して……」
「あっきぃは、俺のこと嫌い?」
そう聞くと、あっきぃは言葉を詰まらせた。困ったように眉を寄せ、小さく首を振った。
俺は彼の首筋に何度も口付けた。その度に彼はピクリと体を震わせる。
やがて痕を付けると薄く開いた唇が力なく名前を紡いだのが聞こえる。顔を上げると、放心したかのようなぼんやりした表情のあっきぃと目が合う。頰が赤く色付き、瞳の奥には熱を宿しているように見えた。その瞳に見つめられると、心臓がドクリと音を立てて早まる。
彼のパーカーの裾に手を這わせ、ゆっくり捲り上げると白磁のような肌が露わになる。薄く色付いた突起の周りを指先でなぞり、時折弾くように触れると彼の口から甘い吐息が漏れた。反対側の胸に顔を寄せ舌先でつつくようにして舐める。
時折、ビクッと腰を揺らすあっきぃは快感に耐えるようにぎゅっと目を瞑った。そのまま指先を滑らせ脇腹を撫でるようにしながらズボンに手を差し込むと太腿を閉じようとするも、間に俺の体が挟まっているためそれは叶わなかった。太腿の付け根辺りを指先でなぞり下着越しに中心に触れるとそこは既に熱を持っていた。形を確かめるように握り込み上下に動かすと、彼は手の甲で口元を押さえた。
「んっ……ふっ……」
喉奥から零れる甘い声に堪らなくなって、彼の下着を下ろすと華奢さな比例した小さなそこは、先走りで濡れており、直接触れると彼は背中をしならせた。
「は、ぁっ……」
弱々しく首を振るあっきぃはぎゅっと目を瞑って快感に耐えているように見えた。先端からは透明な液体が休みなく溢れ出し俺の手を汚す。それを塗り込むようにして擦りあげると、それに合わせて腰を揺らしながら声を押し殺す姿に、頭が沸騰したような感覚に襲われ、俺はさらに激しく手を動かす。
「……っん!……ぁ……ん、!」
俺の動きに合わせてあっきぃの呼吸も荒くなる。
「やっ……あっ……ん、だめっ……」
いやいやするように首を振る彼の額にキスを落とす。あっきぃの手が俺の手首に重ねられるが、力が入らないのか添えるだけになっている。
刺激を与え続けるうちに、あっきぃは体を震わせながら熱を放った。白い液体が自分の腹や脚に飛び散るのを見て思わず喉がなる。
白濁をすくい取り彼の後孔へ指先を添わせる。
「ぁっ……ほんとにこれ以上は……」
彼は慌てて俺の手を掴んだ。しかし、力の抜けた腕では不毛な抵抗だった。
「大丈夫、優しくするから」
「そういう、問題じゃ、、ないっ、ぅ……」
涙目になりながらも弱々しく抗議する姿が愛しい。ゆっくり指を挿入すると、中は押し返しながらも徐々に受け入れ、彼の脚が小刻みに揺れる。
内壁を撫でるようにして奥へと進めると彼の口から切なげな声が上がる。そのまま抜き差しを繰り返しながら時間をかけて解していく。
「だめ、なのに、」
彼はぐずぐずと泣き言を零す。その度にごめんね、好きやで、と言いながら額にキスを落とす。先程達したばかりのあっきぃは、再び頭をもたげ始め、次の快感を待ち望んでいるように見えた。
指を抜き、自分のものを取り出すと彼は不安げな眼差しで俺を見上げる。
「俺の全部、受け入れてや」
彼の腰を抱え何度か擦り付けた後、先端部分を埋め込むように押し当てる。そのまま体重をかけていくと、ずぷずぷと音を立てて中に飲み込まれていく。
「っ!ぁ゙ぁ…んぅ゙〜〜」
「はっ……なぁ、入ったで 、あっきぃ」
奥へ奥へと誘うような動きに逆らいながらゆっくりと出し入れを繰り返す。最初は馴染ませるように、そして徐々にスピードを上げていく。肌と肌がぶつかり合う音が響く。
ぐちゅりという音とともにあっきぃの中が絡みついてくる。その感覚に夢中で貪るうちに、彼の目からぽろぽろと涙が零れてきたので慌てて動きを止める。
「痛い?ごめん、ごめんな…」
溢れる涙を拭うと、あっきぃは弱々しく首を振る。
「ちがぅ゙……なかぁ、へんっ……」
呂律の回らない舌で必死に訴える彼に心臓がぎゅっと締め付けられるような感覚に陥りながら、安心させるように頰に触れるだけのキスをする。
初めての行為だからか、慣れない快感に驚いたらしい。シーツにしがみつき、つま先を丸めて悶える彼の姿を見ていると庇護欲と同時に嗜虐心が湧いてくる。
彼の美しい翼が、強ばるように縮こまったり、頼りなさげに伸ばされたりと忙しなく動く。
あっきぃ抱き込むように、深く挿入すると彼は背をしならせ声にならない悲鳴を上げた。中がきゅぅ、と痙攣する。
「あっきぃ、もしかして軽くイッた?」
「ないっ、してないっ」
彼は肩を震わせながらも首を左右に振る。そんな彼の様子に加虐心を煽られ、さらに激しく打ち付けるとあっきぃは泣きながら俺の手を握りしめた。
「あ゙っ…むり゙ぃ……しんじゃうぅ」
「大丈夫、天使やから死なへんよ」
「ちゃっ……そーゆーことじゃ、ない、っ、ばかぁ」
あっきぃはぼろぼろと落涙しながら必死に訴えてくる。その泣き顔すらも愛しくて、可哀想で可愛くて、あなたが天使なら俺は悪魔やなぁと、どこか冷静な頭で思う。
うわ言のように喘ぎ続けるあっきぃの口の端から垂れた唾液が勿体なくてそれを舌で舐めとる。いちごのショートケーキみたいに甘い。もっと、と舌を滑り込ませて口内を蹂躙する。俺とあっきぃの唾液が混ざり合い、どちらのものか分からなくなる。溢れて、絡まりあって、隙間からこぼれ落ちる。
ぐりぐりと押し込むように動かしながら抽挿を繰り返しているうちに、俺も限界を迎えようとしていた。
「あ゙、ぁ…いやぁ……」
「嫌やね、しんどいね、ごめんな」
「ちがぁ、、う…ちがぅ、っ、…ぷりちゃんっ、、」
「もうちょっとだけ、ごめんな」
「ひっ……!あっ……」
彼の性器を包み込むようにして握り込み、上下に動かしながら同時に律動を繰り返すと、ヒュっと喉が鳴った。それと同時に俺は熱を放った。
全てを出し切った後、ゆっくりと引き抜くと、栓を失ったそこからどろりと白濁が溢れ出した。その光景があまりにも扇情的で背徳感を覚える。
「は、あ……ごめんな、大丈夫、か?」
あっきぃは肩で息をしながらぐったりとベッドに身を預けていた。汗ばんだ肌に髪の毛が張り付いているのを丁寧に剥がしながら謝ると、弱々しく目が開けられる。
「…だいじょうぶ、じゃなぃ、」
「そうですよね…ほんまにごめん……」
罪悪感に駆られながら再び謝罪すると、彼は首を横に振った。そしてあっきぃの手が俺の手に触れる。
「あったかくて、くるしくて、死んじゃいそうなくらい、きもちよかった」
「あっきぃ…?」
「天使と人間がこんなことするのは絶対にだめ、だけど、、けど、ぷりちゃんに触れられるのがうれしくて」
「っ、」
「だめだな……おれ。ぷりちゃんがすきすぎて、もっととかおもっちゃう、もん……」
「そんなん言われたら俺、あっきぃを死んでも離してやれへんくなるわ」
体を抱き締めれば、たしかに心臓の音が伝わってくる。体温も匂いも感触も全てが愛おしく、この手で大切にしたい。
「もし俺が天使じゃなくなったら、どうする?」
「翼が無くなって、天使やなくなっても、俺はあっきぃがいい。ずっと俺と生きてほしい、。」
事後の空気を感じさせる湿ったベッドに散らばる数枚の羽根を1枚1枚丁寧に拾い集める。それを俺の手からそっと掴み取り、大事そうに腕の中に抱え込んであっきぃは丸くなった。
肩甲骨の辺りから生えている純白で穢れのないベールにキスをした。
天使としての掟。
人間との接触の一線。
それでも、温もりに触れるたび、互いの心は揺らいでいった。禁じられた感情が、静かに、しかし確実にどちらの心にも芽生えていたのだ。
「ありがとう、あっきぃ。こんな俺を守ってくれて、幸せにしてくれて。取り返しのつかない、なんて言わせてしまってごめんなさい」
「ちがう、、おれが悪いんだよ、おれが君のこと」
「それでもね、今さらもう無理やんか。」
「ぁ…ぷり、ちゃん、 」
あっきぃは俺の背に回した腕の力を強めた。ぎゅっと瞑った瞳から雫が落ちるのを見て、指でそれを拭う。それでもとめどなく溢れるそれは、頬を伝い、顎先から滴り落ちていった。
「今さら手を離すなんて、出来ない。
あっきぃ、俺と一生を誓ってください」
涙に濡れた美しい瞳を覗くようにして、告げる。その双眸が大きく見開かれたと思うと再び雫が溢れ出した。
人間を守るはずの天使が、最も守るべきものを、逆説的に求めている。
掟を捨て、たった1つの愛を。
流れ落ちるそれとともに唇を食む。天使だって、涙はしょっぱかった。
人気のない、緑に囲まれた小さな教会。神や天使が描かれた、鮮やかなステンドグラスが陽の光を受けて煌めく。
百合の花束をあっきぃに渡すと、彼は幸せそうに微笑んだ。その姿は本当に天使そのものだった。
「綺麗やな」
そう言うと、彼は恥ずかしそうに俯いた後、俺 の手を取った。
「ぷりちゃんはかっこいいよ」
「ほんま?嬉しいな」
そのまま手を引いて祭壇の前に連れていく。ゲストも神父も聖歌隊もいない、俺たちだけの結婚式。社会にも、人間にも、天使にも、誰にも邪魔されない俺たちだけの世界。
「俺、あっきぃのためなら死ねる」
「重っ… 俺のために死なないでよ?」
「わかった、100年でも200年でも生きてやるわ。病める時も健やかなる時も死にたくて仕方ない時も、あっきぃのために生きて、一生、いや、死んでも愛し続けることを誓うわ。」
「んふふ 俺も、誓います」
唇を合わせた時、ステンドグラスが一際強い光を放ち輝き出し、まるで祝福するかのように降り注いだ。
純白な翼は、淡く光と共に消えていった。
「ぷりちゃん。」
彼の瞳に映る自分は、心底幸せな顔をしているだろうと思う。
神様さえ知らない俺とあっきぃだけの小さな楽園で、俺たちは鼓動を重ね合わせた。
目が覚めた。 ここはどこだ、、?
手探りで状況を探る。
どうやら、俺はびょういんにいるよう
だった。
親がきて、俺はロープの前に倒れていたそうだ。そこで救急車にのせられ
今に至るそうだ。
あっきぃとあったことは夢だったのだろうか。
顔を思い出せない。
覚えていないのに、この手で、この体で感じた鼓動の温かさを恋しいと思うのだ。
それにしても、親不孝なことをしてしまった。あんな顔を初めて見た。身近な愛情に気が付かずに、勝手に悲観して、自分を殺そうとした。
きっと両親だけじゃない、いろんな人に心配をかけただろう。自分が本当に大切にしたいものを今やっと理解出来たような気がして、申し訳なさと同時に感謝の念が溢れる。
花瓶に飾られた、母がかつて好きだと言っていた花が、カーテンとともにゆらりと揺れ、その花びらがベッドシーツの上に舞い落ちた。
柔らかく純白な花弁は、天使の羽根のようだった。
開かれた窓の向こうを見つめる。雲が厚く重なり合う中、その隙間から差し込む光は、柔らかく、儚く輝いていた。光の柱は、天と地を繋ぐ架け橋のように、鈍く白く煌めいている。途端、入り込んだ風が部屋の空気を循環させ、俺の隣のベッドカーテンまで大きく揺らした。
その刹那、合間から見えた横顔に、息が止まった。
立ち上がり、震える指先を伸ばしカーテンに触れ、それをゆっくりと捲る。
端正な顔立ちに前髪がかかり、白い肌に影を作っている。一定のリズムで上下する胸と、伏せられた睫毛。静謐な佇まい。自分の心臓が激しく鼓動を始めるのを感じた。
ベッドネームには、 “ ○○あきら ” の文字が書かれていた。
思わず口元を押さえた。
「あっ、きぃ、、…」
溢れ出たその名前を呼ぶと同時に、視界が滲む。
翼は跡形もなく消えていたが、そこに居たのは紛れもなく俺が愛した天使だった。
声色 笑顔 優しさ 不器用なとこ
アッキィ、あっきぃ、あきら。
そうか、あっきぃは。
とめどなく流れ落ちる涙が頬を濡らす。堪らなくなってベッドの脇にしゃがみ、あっきぃの手を両手で握った。
その手は確かに温かさを持っているのに、彼の寝顔は死を彷彿とさせるほど、表情がなかった。
早く目を覚まして、またふたりで暮らそう?俺の作るご飯を喜んで食べて、たまには喧嘩もして、ごめんねって謝りあって、狭いベッドで一緒に寝よな。
笑いあって、触れ合って、そんな小さな幸せを、もう一度。必然的に出会って、共にすごした日々を。
目を閉じ、あの日々を思い出す。自殺の淵から救い出してくれた存在。鬱病に苦しむ自分を、光に導いてくれた彼。
不思議な条件で始めた彼との暮らし。
記憶に残る彩やかな唇は、少しカサつき、血色感のない色をしていた。
『お前に生きる希望や幸せを与えるはすだったのに、むしろ俺が君に救われて……、おれ、天使のくせに君とずっと一緒に生きていたい って思った』
深く刻まれたあの笑顔が脳裏を過ぎると同時に、彼の唇にそっと自分のそれを重ねた。
「ん………」
掠れた声が鼓膜を揺する。閉じられた瞼がゆっくりと開かれ、焦点の定まらない瞳がゆらゆらと俺を捕らえる。視線が交差する。互いの生命が再び共鳴するかのように。
「あっきぃ…っ」
まだ夢の狭間を彷徨う彼を抱きしめた。彼特有の甘い桃の香りは、消毒液のような匂いに消されていた。それでも、抱きしめたこの体は、鼓動は、紛れもなくセあっきぃだった。
涙でぐしゃぐしゃになった顔を無理やり笑顔に作る。
「…ばかだなぁ」
弱々しく俺の額を指で弾き、あっきぃが微笑む。病室に入り込んだ夕日が、彼の瞳に反射した。
「あの怪我で後遺症が無いなんて、奇跡としか言いようがありません。本当、人間の回復力とは到底思えない…」
医者は驚きを隠せない様子であっきぃを見つめた。交通事故による外傷性くも膜下出血で約1ヶ月ほど昏睡状態だったのにも関わらず、記憶の欠損や心機能低下も見られなかったとのこと。
「神様が見てくれたんちゃう?」
俺が意味ありげにそう言うと、あっきぃは確かにね、と眉を片方上げた。そんな俺らを医者は訝しげに顰める。その顔を見た俺らは、笑いあった。
.
.
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くだらない会話、意地になった喧嘩、並んで見 るバラエティ、一緒に食べるご飯、2人で寝るには狭いベッド、呼吸が混じり合うキス。
全てが宝物で、それらがこのワンルームに詰め込まれている。
「あっきぃって結局、天使やったん?」
真っ白いシーツに体を包ませながら、背中から抱きしめて肩甲骨をなぞる。そこにはもう翼はない。
「君だけの天使だったかもね」
そう言って振り返り、俺の手を自分の心臓の上に導くと、薄い布越しに伝わる鼓動は、確かに生きている人間の音だった。
この瞬間が現実で、あの日々が夢だったのか分からない。ただ、ふたりで過ごしてきた生活が、確かに存在したこと。そして今に繋がっていること。それだけが事実。
「もう一度、俺と結婚してくれる?」
未来なんて誰にも分からないし、明日突然死ぬかもしれない。運命には逆らえないのだとしても、俺はその日まであっきぃと一緒に生きたい。
「ん〜給料3ヶ月分の指輪頂戴?」
「えぇ…まだバスケの仕事すら決まってへんのやけど」
「早く試合で活躍する、立派な選手の姿見せてよ」
「勿論そのつもりやから、それまでこれで待っとって」
彼の腰に腕を回し引き寄せ、上を向かせてキスする。
「んぅっ!ちょっもぉ〜 …くふふ」
「ふは、 あっきぃ可愛いすぎやろ」
綻んだ頬を包み込み、瑞々しく彩やかな唇に再度重ね合わた。
この心臓を持ってあなたと共に、非現実的で奇跡だらけの人生を歩んでいく。
𝑒𝑛𝑑
コメント
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ほんと に 本当 に 。 神 作 を ありがとう ございます 🙇♂️ 途中 で 泣いてしまう くらい 感情移入 も してしまって 最後 まで 時間 も 忘れて 読み 進めて ました ♡ 1000 喜んで すぐに 押させて いただきます 次 の 作品 も 楽しみに してます 🙇♂️