―― 数日後
給料を前借りし、新調した黒と白のコントラストが美しいメイド服をビシッと揃えて『休め』の姿勢を取ったミアは、ふぅと大きく息を吸っては吐き、吸っては吐きを繰り返した。
緊張を解しているのか、それともただただマヌケなのか。
ミアを無視したイチルは、従業員が使うのために新調した住宅用小屋の屋根をトンカン叩きながら、滑稽なその様子を上から眺めていた。
「よーし、今日からフレア様のために頑張って働きます!」
なんとも奇妙に叫ぶ珍獣のことを一旦頭から消したイチルは、ミアと鉢合わしないように反対側から屋根を降り、ふわぁとノビをして欠伸をした。
施設の予定としてはこれから初仕事となっていたが、イチルは細かなことにはタッチせず、何も聞いていなかった。どちらにしても、事前に決めた計画書を実現するため、淡々と作業をこなしていくほかないのだから……。
イチルが街へ出て朝飯でも食うかと尻を掻いた。
尻を掻くのは転生以前からの癖だったが、400年が過ぎた今でも抜けないままだった。
「あのぉ……」
何者かが背後からイチルに声を掛けた。
誰かがいることに気付かないなんてどれだけ油断してたんだと、苦笑いを浮かべ振り返ったイチルは、立っていた見知らぬ人物に返事をした。
「はぁ……。俺になんか用?」
「なんかって、こいって言ったのおっさんだろ。忘れたのかよ」
「ええと、……誰だっけ。美しい女性のお顔以外はめっきり覚えられなくてさ」
「崖で迫真の演技してやったエルフのペトラだ。覚えとけよ!」
ペトラ、ペトラと頭の中で反芻し記憶を辿ったイチルは、ポンと手のひらを叩いた。そういえば個人的に『小間使い』を雇ったんだと思い出すとすぐに、ペトラの首根っこを掴まえて耳打ちした。
「思い出した。で、過去の俺は君になんと言った?」
「仕事初めだからお前もこい。そしたら金と住むとこをやる、そう言ったのおっさんだろ?」
「そ、そうか……。ならペトラ君は、今日から裏にいる奴らと一緒に仕事をしてくれたまえ。奴らには、俺に直接雇われたと説明してくれれば構わない。だがしかし、一つだけ重要な任務がある。これは俺と君だけの秘密だ」
「んだそれ、面倒くせぇなぁ」
「これから毎日、君たちがどんな仕事をしたか、逐一俺に報告すること。どんな些細なこともだ。奴らには悟られず、直接俺に報告しろ。もちろんバレたら金も住む所も無しだ。わかるな?」
「なんだか知らねぇけどわかったわかった。その代わり、金はキッチリいただくぜ」
仕事ぶり次第だと手を振ったイチルは、欠伸をしすぎて緩んだまぶたを擦りながら、ペトラに手を振り街に出た。
ゼピアの街は日毎に人の数が減り、商売をしている者の数も明らかに減っていた。これまで賑わっていたパブや店も今や空き家となり、虚しくその姿を晒していた。
「こんなところで俺は何をしてるんだろうな。人生の浪費か、それとも落伍者の戯れか。これからずっと飲んだくれて日がな一日散歩するだけの日々が続いたら、死んだ親父やマティスたちは喜ばんだろうね」
イチル主導でフレアを全力でバックアップするのならば、恐らくAD再興も早まるに違いない。しかしそれでは意味がない。
イチル自身の成長だけが目的ならば、他に選ぶべき手段はあったに違いない。しかしイチルはその道を選ばず、フレアという存在に自分の足りない何かを求め、それに賭けた。
ただその結果が漠然と退屈な日々を過ごすだけだったなら、果たして本当に意味があったのだろうかと思わずにいられなかった。
「ま、まだ始まったばかりさ。人は人、オレはオレだ。これまで散々強制されてきたんだ、少しくらいゆっくりしたって、神様も大目に見てくれんだろ?」
イチルはどうにか手に入れた酒を呷りながら、街のシンボルとして建てられたモニュメント前の椅子にドッカリと腰掛けた。昔はひっきりなしに人が行き来していた中央通りの景色も、今や街を出ていく冒険者の姿がまばらにあるだけで酷く閑散としていた。
エターナルダンジョンから現れる超高ランクのモンスターも、対処するために集まった高ランクの冒険者も、彼らをフォローするために集まった超絶技巧の技術者も、また彼らに付随した多くの者たちも、全て消えてしまった。
悲劇の象徴でしかなかったはずのダンジョンが、多くの人々の生活を支えていたというのは皮肉でしかなかったが、目的を失った街の平和すぎる光景は、イチルにとってどこか退屈で、どこか虚しいものだった。
「緊張ってのは重要だな。あれから数十日、俺の感性は鈍りっぱなしだ。しかし……、そんな俺の感性ですら察知してしまうこの声は何事だい?」
中央通りの端に並ぶ小売の商店の前に、小さな人集りができていた。
漏れ聞こえてくる声に耳を澄ませたイチルは、人々が口々に噂する言葉の端々を摘み取った。
『新たな』『アンデッド』『ダンジョン』と、身に覚えのある言葉に眉をひそめ、イチルはたまらず人集りに近付いた。買い物に集まった住民は、久方ぶりの緊張感を額に溜めながら、恐恐と噂の真相を話した。
「聞きました? 最近、街の外れに新しいダンジョンができたって」
「聞きましたとも。なんでも、アンデッド系のモンスターが出入りしてるとか。しかも噂によると、結構面倒なダンジョンかもって」
「人を操るモンスターがいるって専らの噂ですのよ。そうなると、E……、いえDランクより上のダンジョンの可能性もあるって」
「困りましたわ。もうゼピアには昔のような護衛の戦士もいなくなってしまったのに。モンスターに襲われたら、いよいよ街はお終いよ!」
ゼピアの街外れと言えば、ラビーランドもそんな場所に存在している。
そしてアンデッドと言えば、ダンジョンの主人であるフレアは、文字通り顔色の悪いアンデッドヒューマンである。
最近では、その顔色の悪い少女が新たに人を雇い、荒野に広がるダンジョンを拡充しようと画策している。募集した冒険者の中に、落ちた腹いせで良からぬ噂を広めている輩がいてもおかしくはなかった。
「しかし噂は噂。ウチはキチンとギルドに申請しているし、彼らもその事実を知っている。心配はいらんだろう。それに……、まぁそれはそれで面白いしな」
―― そんなイチルの思惑を知ってか知らずか、住民の不安は日に日に高まり、イチルが火消しを行わなかったことにより、事態はあらぬ方向へと流れ始めていく。
数日後、いつものように街でふらふらしていたイチルの元に、今度は耳を疑うような噂が聞こえてきた。
『聞きました? 例のダンジョン、いよいよ討伐隊が組まれるそうですよ』
『聞きましたとも。なんでも、凶悪なモンスターが地下で勢力を拡大しているとか。この街もいよいよお終いだわ。せっかくウチの人が新しい仕事を見つけたっていうのに』
『ですけど奥様、これは内緒の情報なのですけど、数日内に残っている冒険者ギルドの人員を集めて、いよいよダンジョンに踏み込むらしいの。もう安心ですわよ』
聞こえてきた声に、イチルはあらあらと苦笑いを浮かべた。
仮に討伐隊が組まれたとすれば、たとえ後にADだったと判明しても、ダンジョンの解体は免れない。当然それには理由があった。
正確な情報は未だ不明確なものの、ラビーランドのギルド申請は、数十年前、確実に行われている。よって、もし仮に討伐隊が組まれたとすれば、責任はギルド側の怠慢。いわゆるポカとなる。
しかしその不都合な事実が外部へ漏れるということは、言ってしまえばギルド側の不手際である。ただでさえ人員が減り存在価値が失われかけているなか、このような問題が発覚してしまえば、組織の存続すら危うくなるのは想像に難くない。
よってギルド側は、組織の体裁を整えるため、長年に渡り活動実績をアピールしてこなかったラビーランド側へ責任を押し付け、何かしらの罰を与えるに決まっている。
そうなってしまえば、弱小ADであるラビーランドは、必然的に解体処理すべしとお達しがくるに違いない。
「こいつは困った。みすみす11億を自動回収されるのはちぃと痛いね」
何かしら手を打たない限り、多額の資金を投入したイチルの財産は無意味に没収されてしまう。かと言って、このまま簡単に手を貸してしまっては面白くない。
イチルはニヤリと微笑み、パチンを指を鳴らした。
噂話をしていた住人二人の耳元で「いい情報をありがとう」と呟くと、すぐに街の中央に建つ塔へ向けワイヤーを放ち、勢いそのままに、強烈な遠心力を使って高く飛び上がり、街を脱出した。
「面白くなってきたじゃないの。物事ってのは、やっぱりメリハリがなきゃな、やり甲斐ってもんが必要よ!」
重力に逆らい、勢いのままランドの上空へと浮き上がったイチルは、空の上から敷地全体を見下ろした。
ダンジョン討伐に訪れる冒険者たちは、どこから現れ、どこからダンジョン内へ攻め入るのか。
想像しつつ落下の浮遊感を髪に蓄えたイチルは、久々の緊張感を浴びながら予測を立てた。
外観は未だそのほとんどが荒野そのもの。施設は少しの建物と、地下ダンジョン用に掘られた空洞が数ヶ所。そしてフレアが作った円形の穴ぼこが一つあるのみ。
「街の状況を加味しても、恐らく集められた冒険者のレベルは高くてもEクラス。数は十人集まれば良しってとこか。だとすると、分散して動くにしても二手が精一杯。はてさて、お嬢様たちはどう迎え撃つ?」
ムササビ状に開いた飛行用の魔道具で垂直に落下したイチルは、荒野で作業するフレアたちの姿を発見し、気付かれぬよう事務所小屋近くに着地した。いつものように何食わぬ顔で欠伸をしながら近付いたイチルは、汗を流し作業する一行に気の抜けた声を掛けた。
「はいはい、お疲れさん。どうだ、作業は進んでる?」
緊張感なく現れたイチルと対照的に、場にはそぐわない緊張感が漂った。
ただ一人、緊張感を察知したペトラは、イチルを見ぬように機材を肩に担ぎ、そそくさとその場から逃げ出した。
「ええと、その……、アナタは?」
意を決し、イチルのことを知らない顔が声を掛けてきた。
茶髪でつり上がった切れ目。
まさに中肉中背で、顔から何から全く特徴のない男のヒューマンと、それとは似ても似つかぬ高身長で、かつ美しく整ったプロポーションと顔、そして優雅すぎるロングの黒髪をなびかせた女ヒューマンの二人が、さも迷惑そうにイチルを見つめていた。
「どーでもいいから、さっさとフレアを呼んでくれ。話がある」
「失礼ですが、どなたでしょうか。どこかでお見かけした気はしますが……」
「いいから早くしろ。さもないと……、転がしちゃうよ?」
途端に漂い始める緊張感。
自然と隠していた武器に手を伸ばす二人に向かって、「あっ!」と明後日の方を指さしたイチルは、二人が目を逸らした隙に背後へ回り込み、男から奪った短刀を首元へあてがった。
「未熟だねぇ。もし俺が討伐隊なら、キミ、もう殺されてるよ」
「と、討伐隊、だと」
イチルは並び立つ二人の肩を抱き寄せ、嫌らしく笑った。
そしてわざわざ恐怖を煽るように、声高らかに宣言した。
「数日後、ここへ討伐隊がやってくる。君ら全員を殺すためにね……」