近くの花屋で5000円の花束を買った。
地味な仏花ではなく、真っ赤なバラの花束だ。
花言葉は「美」と「愛情」
私たちに一番ふさわしい花に思えた。
車で15分。
郊外に流れる川の傍。
桜並木の裏に秋元家の墓地はあった。
夫は秋元家の人間を嫌っていたが、それでも桜は好きだったから、おそらくなんだかんだ秋元家の小言を受け流しつつ、桜を眺めて楽しくやっていけるに違いない。
学校が終わった小学生たちが川原で石投げをしている。
私は気持ちのいい秋の風に、夫がきれいだと言ってくれた赤い髪を靡かせながら、並木の下を歩く。
ーーー気持ちいい。本当に。
まるで、この数ヶ月が嘘のようだ。
愛する男が死に、
そして自宅の地下には、その男に模した男を監禁している。
これから私たちはどこへ向かうのか。
パリスはどうなってしまうのか。
「――――」
並木を抜けて、墓地に入る。
色とりどりの墓石の間を抜け、一番奥に控えている秋元家の墓に向かう。
ここに眠る父と夫は、今頃どんな会話をしているだろうか。
『俺の育てた女だ。そんなに悪くなかっただろう?』
笑う父に、
『お嬢さんは最高の女性でしたよ。僕を殺したりしなければね』
悪びれもせずに返す夫。
容易に想像がつき、私はフフフと笑った。
コツンコツンコツンコツン。
前からヒールの音が聞こえてきて、私は視線を上げた。
「ーーーー!」
思わず腕の力が抜け、真っ赤なバラが花びらを散らしながら滑り落ちた。
そこにはあの女が立っていた。
女は視線を上げ、こちらを見つめると、すぐさま顔を逸らした。
そしてベージュのワンピースを風に靡かせながら、足早にすれ違った。
黒髪。
ショートカット。
地黒で化粧も薄く、華がなくて地味。
私と対照的な容姿。
いや、夫の好みと対照的であるはずの容姿、だ。
私は夫が眠る秋元家の墓の前に立った。
左右に設置された花立には、ピンク色のバラが刺さっていた。
「愛」と「美」を花言葉に持つバラ。
それはギリシャ神話に出てくる女神、ヴィーナスの誕生を祝った花としても有名だ。
そんな花はあの女にはおおよそ似合わない。
しかもピンクのバラだなんてーーー。
「可愛い人」と言う花言葉を持つピンクのバラだなんてーーー。
「……冗談は顔だけにしなさいよ……!!」
私はその花束を花立から掴み取ると、墓地を出て行こうとしている女を追いかけた。
迫りくるヒールの足音に驚いて振り返った女の顔に、ピンクのバラの花束を投げつける。
棘が擦ったのだろうか、頬に赤い血の線ができる。
「……二度とここには来ないで!!」
「――――」
彼女は頬を抑えながらこちらを睨んだ。
「じゃないと夫との不貞行為で損害賠償を請求するわよ……!」
「――――」
女は尚もこちらを睨み返している。
「できないと思ってるの?当然、出来るのよ。死んだ夫の罪を責めることは出来なくても、生きているあなたにならできるの」
「――――」
女は悔しそうに散らばったピンク色のバラを集め始めた。
「それが嫌なら、二度と夫に会いに来ないで。防犯カメラを付けて、あなたの姿が映ったら即、裁判所に行くことにするわ」
「―――――」
全てのバラを拾い集めると、彼女の手は、その棘で傷だらけになっていた。
ーーーいい気味。私を馬鹿にした罰よ―――!
鼻で笑うと、彼女はこちらを見上げた。
「奥様には秋元家界隈の声しか聞こえてこないでしょうけどね。須藤の人間たちの間ではなんと言われているかご存知ですか?」
「―――――」
須藤と言うのは夫の旧姓だ。
「“あんなにモテる男に、あんなに嫉妬深い女じゃ、そもそも無理があったんだ“」
「―――――!」
私は女を睨み落とした。
「“前の奥さんはそこのところはうまくやれていたが、あの女には無理だったな”」
「―――あんた……」
「“夫を殺したのも、あの女じゃないのか“」
気が付くと私は、持っていた赤いバラの花束で、彼女の頬を思い切りはたいていた。
「二度とその顔を私に見せないで!見せたらただじゃ済まさないから!」
言うと彼女はさらに頬から血を流しながら笑った。
そして再び散らばったバラを拾い集めると、それを手にフラフラと立ち上がった。
「……訴えたいならご自由にどうぞ。でも私はその頃、裕孝さんと一緒に笑ってるわ」
「――――?」
微笑むその顔に恐怖を覚え、私は眉間に皺を寄せた。
彼女は笑顔を崩さないまま踵を返すと、右へ左へよれながら墓地を後にした。
彼女が自宅の洋服ダンスに紐を通して自殺したのは、その日の夜だった。
私は遺影の前に座った。
今日はとても手を合わせる気にはなれない。
あの女が言った通り、黄泉の国で再会した二人が、寄り添ってこちらを笑っているようにしか見えない。
夫の浮気は病気のようなものだった。
容姿端麗で、性格も明るく穏やか。
気が利いて、女性を大事にする。
それに秋元グループという後ろ楯までついて。
モテないわけがなかった。
私は、彼の不貞を探偵に調べさせながらも、黙認を貫いていた。
どうせ、ただの遊びだ。
彼が私を捨てて、どこかに行くことなどないという、確固たる自信があった。
社員、取引先、飲み屋の店員、道端ですれ違った人でさえ、彼の周りに出会いは転がっていた。
そして馬鹿な女たちは、地位も金もある美しい夫にこぞって抱かれたがった。
しかしどの女も長くは続かなかった。
忙しくて構ってくれない夫に業を煮やし、早ければ2週間、長くて3ヶ月程度で去っていくのが常だった。
でも―――。
あの女だけは特別だった。
夫と会えなくても、平気で半年でも一年でも待った。
そして他の女のように豪華なディナーや、高価な部屋など求めなかった。
ただ会って、安いシティホテルで一夜を共にし、翌朝には互いの家に帰っていく。
そんな慎ましい関係が続いていた。
ーーーそして事件は起きた。
夫の前妻が、闘病の末、亡くなったのだ。
夫はショックを受け、仕事にも集中できなくなっていった。
そしてあの女と会う回数が、目に見えて増えていった。
行く当てが無くなり、秋元家に入った高校生の娘の顔を見て、私はやっと気が付いた。
あの女は、前妻に似ているのだと。
あの女は、前妻の代わりだったのだと。
夫は今でも―――前妻を忘れられずにいたのだと。
◇◇◇◇◇
ソレを見つけたのは偶然だった。
急な夫の出張の準備をしていた際に、めったに開けない箪笥の一番左上の小さな引き出しを開けた。
そこにはフランス行きのチケットが二枚、隠されるように入っていた。
日取りは来週。
フランスに出張に行く話などない。
そもそもチケットは秘書が持っているので、こんなところに入っているわけはない。
しかも二枚も―――。
私はピンときた。
このもう一枚のチケットは、きっとあの女の分だ。
2人で駆け落ちでもするつもりか?
秋元グループをぶん投げて?
美しい妻も、残された娘も捨てて?
そんなの――――。
許さない。
チケットを持つ手が震えた。
◆◆◆◆◆
遺影を改めて見つめる。
「ーーーこれで満足?」
その微笑んだ顔に聞いてみる。
「そっちの世界には元奥さんも、愛人もいて、忙しいわね?裕孝さん」
さらに問いかける。
その口元がだらしなく笑ったような気がした。
ーーーもう、うんざりだ。
死んだ男を、愛し尽くすのは。
ならばいっそ――――。
私は遺影を両手で持ち上げ、畳に叩きつけた。
バリンと派手な音がして額が割れた。
「―――ああ、スッキリした」
手を合わせることもなく私は地下室に向かった。
そこには、私の夫がいる。
誰の手も届かない、私だけの夫が―――。
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