テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
#いんく
華一
608
꒰ঌソラ໒꒱
1,006
むあ 🐻❄️🍀︎

109
一週間が経過し、ついに作戦実行の日が目前となった。土牢から解放された僕は簡素な武具を与えられ、少数精鋭の斥候部隊二十名を率いることになる。官兵衛の分析によれば湿地帯の獣道は想像以上に複雑で、熟練の案内役が不可欠だったのだ。
六月十九日未明、僕たちは本隊と離れて出発。空は厚い雲に覆われており、いつ降り始めてもおかしくない不穏な空模様だ。予測されたとおり、その日の午前中に激しい雷雨が始まった。
「これで我が方は見えにくいですぞ」
官兵衛は嬉しそうに言った。彼も同行している。計画では僕たち密偵部隊が敵本陣の位置と戦備を探り、本隊に報告するというものだ。しかし内心ではそれが単なる偵察以上の意味を持つことを皆が理解していた。
稲妻が走る中、僕たちは慎重に湿地帯へ進入する。霧雨が視界を遮り、湿原特有の匂いが鼻をつく。案の定経路は狭くて不安定だったが、幸いなことに仲間たちは全員俊敏かつ忍耐強い精鋭ばかりだった。
「ここからはさらに用心しろ」
僕は手振りで停止を指示する。前方に低木が密集した地点があり、そこには今川義元と少数の兵が休憩している。
俊之助の予知通り、義元は警戒心が全くない。侍女まで連れているという信じがたい慢心ぶりだ。僕たち斥候は茂みの中に身を潜め、息を殺して様子を窺った。
「こんなものか……」
官兵衛が呆れたように囁く。
「本当に油断し切っていますな」
僕は無言で頷いた。この弱点こそが歴史を動かす鍵となる。しかし同時に恐れもあった。あまりに簡単に突破口が見つかってしまうことで、別の悲劇を招くのではないか?そんな考えが頭をよぎる。
「密偵殿」
部下の一人がそっと呼んだ。
「ご主君のもとに報告に戻られますか?それとも直接攻撃を……?」
これは重大な分岐点だ。一般的な史実では信長はタイミングを見計らい、適切な距離で強襲を開始している。ここで安易に行動を起こせば、捕らえられて情報を漏らす可能性もある。
「決断してください」
官兵衛も真剣な面持ちで促した。
僕は雨に濡れた顔を拭いながら深呼吸する。俊之助の魂が囁く。『今こそ行け』と。そして勇としての理性が警告する。『早まってはならない』と。
二つの意思が交錯する中、突然稲妻が地面を照らした。その閃光の中に浮かび上がったのは……武装解除した義元の姿だ。彼は供回りを一部引き連れ、まるで安全神話に酔いしれるように休息している。
決めた。史実通りの奇襲ではない新たな道を選ぶ時だ。
「官兵衛、即刻ご主君に通報を。敵は現在完全に警戒を解いている。また、今宵満潮によって東側の湿地帯が水没する。これを考慮し、迂回路は北岸沿いの方が有利だと伝えよ」
官兵衛は目を丸くした。
「あなたは今川の動きだけでなく、潮汐までも?」
「見て分かるはずだ」
僕は淡々と言い放つ。
「湿地帯の植物分布を見れば海水の影響を受ける領域が推測できる」
これは俊之助の知識だ。彼は少年期から自然を研究し、独自のデータベースを築いていた。現代の地理学的知識と合わせれば、確かに可能だ。
官兵衛はすぐに了承し、斥候数名と共に駆け去った。残されたメンバーに対して僕は号令をかける。
「我々は予定通りに動く。目標地点まで接近したら信号弾を打ち上げ、信長本隊を誘導する」
「了解!」
僕たちは再び暗闇の中を進み始めた。しかし道半ばにして悲劇が訪れる。一人の新入り部下が足を滑らせ、深い沼地に落ちてしまったのだ。
「助けてくれ!」
溺れかけた彼が叫ぶ。水は濁っていて底が見えない。
「無理をするな!岸に這い上がれ!」
僕は焦った。ここでの失態は致命傷になりかねない。
幸い他の者が棒切れを見つけ、協力して救助することに成功した。しかし大事な時間が失われ、精神的にも疲弊してしまう。
「ご迷惑を……」
救出された若者は泣きそうな顔をしている。
「気にするな」
僕は励ました。
「次は気をつけろ」
彼の肩を叩いたとき、ふと思い出した。こんな小さな事故すら回避できる「未来のビジョン」があれば良かったのに。現実に役立つ形で力が発揮できないもどかしさを感じる。
やがて目的地近くに到達した。予定位置より少し北寄りだが、義元本陣を真正面に捉えられる絶好の展望台となっていた。雷雨はさらに激しさを増し、視界は五メートル先も不確かだ。
「これで条件は完璧だ」
僕は呟いた。
「さて……」
懐から小型の投げ矢を取り出す。信長から授かった特殊な兵器で、竹筒内部に煙玉を仕込んである。空中で炸裂すると派手な火花を散らしながら落下する仕組みだ。
「用意はいいか?」
問いかけると全員が頷いた。
心拍数が上がる。ここで成功すれば、桶狭間の戦いは史実を超えた結末を迎えるかもしれない。一方で失敗すれば、この小部隊は全滅し、信長本隊も道を見失って壊滅する危険がある。
(今こそ動くべきだ。すべては予定通りか?歴史改竄罪で罰せられるかも……)
様々な思考が渦巻く中、ついに決断の時が来た。
稲妻が空間を裂いた瞬間、僕は天空に向かって矢を射ち放った。刹那、漆黒の夜空が赤く染まり、轟音と共に青白い炎が舞い上がる。それはあたかも冥府から召喚された魔獣のごとく。
「行ったぞ!!」
誰かが叫んだ。通信成功を示す印だ。そのまま待機して数分後、遠方から喊声が聞こえ始めた。信長本隊の動きに違いない!
(さあ……来い!)
胸の鼓動が加速する。次の瞬間、暴風雨の中に忽然と現れた一群影!その先頭集団を率いる真紅の衣装こそ……。
「織田信長だ!!」
全員が息を呑んだ。なんと主君自らが先鋒となって突撃してきたのだ!これこそ意外中の意外。本来なら大将は安全圏から指揮するのが基本だが……。
「みんな立て!」
僕は命令した。
「我らも加勢する時だ!」
信長の姿を見て俄然士気が高揚した部下たちは即座に配置に就いた。前方では本隊が今川の侍女や将校たちに驚愕を与える光景が繰り広げられている。完全なる奇襲成功!
しかし安心するのは早すぎた。突然、右斜め後方から怒号が飛び交う。
「敵襲!搦め手が塞がれた!」
予測通りの今川遊撃隊の反応だ。完全勝利を収めるには、逃亡路確保と時間稼ぎが必要だ。
「二手に分けろ!」
僕は迅速に判断した。
「半数は正面援護に回れ!残りは私が指揮して後方支援を行う!」
駆け出そうとした瞬間、官兵衛が追いついて来た。
「俊之助殿!援軍要求!ご主君が単独で深入りしておられます!」
信じられない事実だった。どうやら信長は義元を目指して一直線に駆け込んでしまったらしい!
「なんだと……!?」
咄嗟に腹の底から声を張り上げた。
「全員突撃!殿をお守りせよ!」
稲妻の中で見えるは狂喜乱舞する群衆、そして孤独に突き進む真紅の旗印。それは神聖な戦場の祭典のごとく、荘厳かつ残酷な光景だった。
僕自身も刀を抜き、雨を切り裂く疾走を始めた。もはや理論などない。この手で歴史を作り変えるのだ!
コメント
1件
第3話、読み終えました…!雷雨の中の緊張感がすごく伝わってきて、息を止めるように読んでました。特に主人公が「決断の時」で迷いながらも動き出すところ、心臓がバクバクしました…。官兵衛とのやり取りも好きです。歴史改変の重みを感じつつ、次が気になりすぎます!