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あの交流会から
間も無く1週間が過ぎようとする頃
躯の傷もすっかり癒え
私は再び紅蓮の花を手に入れるべく
奔走していた。
夢に彼等が現れるのを待つのでは
余りにも運頼みだ。
ならば
私自ら今一度再生させるか
夢を渡る方法を探す方が現実的であろう。
休日を利用して
私は図書館に足を運んでいた。
しんと音が張りつめ
書物を捲る音や
ペンが紙を滑る音のみが囁く様に響く中
ふと魔力の気配を感知する。
私の机上に黒く
だが躯が透けている一羽の鴉が
舞い降りた。
嘴には一封を咥えている。
ー使い魔⋯か?ー
それを受け取ると
鴉は翔く音も立てずに消えていった。
本物の鴉の様に漆黒の便箋
封蝋のこの紋章は⋯
「何故、ナイトレイブンカレッジから⋯」
封を破り中を確認した私は
驚愕と図書館を炎に包んでしまう程の激情に
便箋を持つ手がわなわなと震えた。
ー特別聴講生としての招待⋯だと!?ー
私が何故に、悪党共の巣窟に
わざわざ赴かねばならんのだ!
急ぎ寮の自室に戻り
苛立ちに任せ乱雑に便箋を取り出すと
拒否の返事を書く為に
羽根ペンをインクに浸す。
チリッ!
机上で乱雑に動いた為
図書館から借り出した書物に挟んだ
鱗の栞に通した紐の先で
樹脂に固められたサクラの花弁が揺れた。
「⋯⋯⋯⋯。」
机上を整え
心を落ち着かせる様に一息吐くと
私は便箋に丁寧に返事をしたため始める。
それから、1週間後の休日
私は荷物を携え自室に居た。
きっかり予告通りの時間に
使用申請していた姿見の鏡面が淡く輝き
水面の様に揺蕩うのを確認すると
私は鏡の中へ足を踏み入れる。
鏡の導く先は
ナイトレイブンカレッジの鏡の間。
重厚な造りに
細部まで拘った美しい装飾の数々。
悪党の巣窟といえど
流石は名門校だなと
静かで美しい鏡の間を見渡した。
「お疲れ様です!
お迎えに上がりました!」
出迎えてくれたのは
⋯ユウであった。
危うくセイリュウと呼びそうになり
口許をハンカチで覆う。
「ノーブルベルカレッジの
ロロ・フランムだ。
短い間だが、世話になるよ⋯」
私は特別聴講生として
ナイトレイブンカレッジに来る事を
決意した。
今は未だ
紅蓮の花も再生が不可能であり
夢を渡る方法も無い。
ならば有限である時間を
敵を知る事に使おうと思ったからだ。
ーあの鏡の先が、ディアソムニア寮。
あの忌々しい男が住む⋯
なんて醜悪な門構えだ。
汚らわしい!ー
マレウスがその先に居るであろう鏡を
睨み付ける。
「⋯先輩?フランム先輩!」
ユウの声に
ハッと我に返った。
「では、オンボロ寮にご案内しますね!」
ノーブルベルカレッジに
寮分けという概念は無い。
しかしオンボロ寮とは⋯
随分と哀れな名前だな。
ユウがセイリュウと瓜二つの顔で
機嫌良さそうに、特別聴講生としての間
世話になる寮へと案内して行く道すがら
そう彼を不憫に思った。
ーもしや魔力が無いからと云う理由で
迫害でもされているのか⋯?ー
名前から察するに
覚悟はしていたものの
それ程に〝オンボロ〟等では無く
私は安堵の息を吐いた。
「失礼する」
軽く会釈をしてオンボロ寮の敷居を跨ぐと
フワリと、だがそこだけ
やけに冷やかな感覚に肩が跳ねた。
「やぁやぁ! 君がロロだね?
ようこそオンボロ寮へ!
荷物は部屋に置いといてあげよう」
ゴーストが私の荷物を
勝手に預かって2階へと上がって行く。
ー何故か我が校の忌まわしき存在を
想起させるゴーストだな⋯ー
「フランム先輩!
どうぞ、此方のゲストルームへ」
軋む廊下を抜け、部屋に入ると
暖炉前のソファーへと促された。
「今、お茶を淹れるので
寛いでてくださいね!」
朗らかな笑顔を私に向けると
部屋を出て行く。
花瓶に活けられた花
所々、歴史を感じさせる壁や家具
真新しいソファーカバー
暖炉の薪
ーいろいろな香りがするな⋯ー
だが、嫌いでは無く
寧ろ心地好い。
ふと、目前の長机の端に置いてある
一冊の冊子に気が付いた。
ー⋯スケッチブック⋯かー
パラリと捲ると
どこの国のものであろうか?
私の知らない景色が幾枚も描かれてあった。
「ほお。上手いものだな」
触発された私は
スケッチブックのあった所に転がる
1本の鉛筆を拾い上げると
真っ白なページに滑らせ始めた。
本棚の書物は
どれも知っている、と云うより
読み書きを覚えたての子供用の物や
この世界での基礎知識の類の物ばかりで
読むのが躊躇われ
手持ち無沙汰だったのもある。
何故、こんな書物ばかりなのか
その時の私には知る由もなかった。
そんなにも熟中していたであろうか?
いつの間にか、ユウが直ぐ横で
長机にお茶を差し出しながら
私の描いた物を覗き込んでいるのに気付く。
「⋯勝手に、すまないね」
スケッチブックを閉じかけた瞬間
ユウが手を出して、それを拒んだ。
「〝桜〟だ⋯」
ポツリと呟きながら
頬を一粒の涙が伝い落ちるユウに
私は多様な意味で動転してしまった。
突然の涙にもそうだが⋯
ーサクラを、知っている?ー
図書館中の書物を調べても
サクラの記述は無く
トキヤ達の世界にしか無い植物だと
知っているからだ。
「あ⋯!すみません!
目にゴミでも入ったのかな?
紅茶⋯冷めない内に良かったら!
安い茶葉で、申し訳ないのですが」
袖で涙を拭うと
セイリュウと瓜二つの顔で
何処か物悲しそうな笑顔を作り
話題を変える様に紅茶を差し出した。
気付かない素振りで
スケッチブックを机上に戻し
私は勧められるまま、カップを手に取り
一口啜る。
「⋯卿は、優しい淹れ方をするのだね。
一度カップを温めてくれたのか」
茶葉は開ききっていないし
香りも飛んでいるが
その心遣いが染み入る様な紅茶だった。
「俺、あんまり紅茶に馴染みが無くて⋯
だから、故郷のお茶の淹れ方なんです」
紅茶とスケッチブックを通して
ユウは何処か、遠くを視ている様に思えた。
「卿の故郷は
飲む相手の事を想える国なのだね。
良ければ私が、紅茶の淹れ方を教えよう」
先程、確かにユウは
〝サクラ〟と言った⋯。
敵を知る為に赴いた
ナイトレイブンカレッジだったが
もしかすると
思わぬ手掛かりを得られるやもしれない。
「うげ!
本当にロロが居やがるんだゾ⋯」
あからさまな表情で
ゲストルームを覗き込んでいたのは
猫の様な体躯と、耳に蒼い炎を灯らせた
ユウの使い魔⋯
いや、親分と言っていたな?
相棒のグリムだった。
「お邪魔しているよ。
手土産も無く、申し訳ないがね」
「にゃに!?
ここのボスはオレ様なんだから
高級ツナ缶の一つは持って来るべきだゾ!
まあ、子分が楽しみにしていたから
今日は特別に許してやる!」
それだけ早口に捲し立てると
グリムはゲストルームから
早々に去っていく。
ーふむ。
ユウ君が私に接し易くなる為にも
彼を懐柔するのも、また手か⋯?ー
「グリムが、すみません!
フランム先輩⋯」
「ロロで良い」
キョトンとした顔を向けるユウに
私は何故か
私の名を呼び難そうにする
トキヤ達を思い返していた。
ユウも所々
発音がぎこちなかった為だ。
「ロロ先輩!
では早速、紅茶の淹れ方を
ご教授いただいても?」
「良かろう。
キッチンに案内してくれたまえ」
魔法士養成学校に通う
魔力の無いユウ。
オンボロ寮を見る限り
ハウスメイドも居なければ
⋯いや、ゴーストが居るか?
所々、修復はされつつも
未だに隙間風が通る壁
監督生と呼ばれているユウ以外に
寮生はこの魔獣グリムしか居ない。
何とも哀れな扱いをされている様だ。
ティータイムの後
夕餉の支度をと
芋の皮を器用に剥いていくユウを
世話になっている上
何もしないのもどうかと
料理は不得手なりに手伝っていた。
「今日はカレーかね? 」
じゃがいも、人参、玉葱、牛肉を
鍋に煮込んでいく。
「ふっふっふー!
今夜は肉じゃがです!
俺の故郷の料理ですね」
瓶に詰められた
茶色の液体と砂糖を入れていく。
瞬間
私の知らない芳ばしい香りが
キッチンを満たす。
「この調味料はお醤油っていうんですが
どうしても食べたくって
初心者にしては上出来に作れました!
因みにこちらは
同じ麹から作ったお味噌でーす!」
「オショウユ⋯オミソ⋯?」
「本当はここにお出汁と、みりんがあれば
尚良しなんですけどね!
昆布をグリムが食べちゃって⋯」
どれも馴染みの無い調味料であった。
それらを使い分けて
ユウが手馴れた様子で料理を仕上げていく。
あっという間に食卓には
白米、ニクジャガ、ミソシル、ツケモノが
彩り良く並ぶ。
初めての品々だが
どれも食欲を誘う芳醇な香りだ。
またこの、ミソシルの香りが良い。
ほうれん草と茸が
たっぷりと入っていた。
渡されたスプーンで一口掬い含むと
あのオミソという調味料の味が奥深く拡がり
躯を通ると、そこから温めていく。
「卿が使っているそれは
カトラリー⋯なのかね?」
スプーンでニクジャガに
品性の欠片も無く貪るグリムの隣で
ユウが2本の細長い木製の棒で
器用に食事をしていたのが気になった。
「これは箸ですよー!
練習すれば、ロロ先輩もきっと使えますよ」
ハシを指で巧みに操り
食事を取るユウの所作に
異文化の気品を感じる。
「茶の淹れ方と云い、味付けも実に優しい。
卿の故郷に興味が持てたよ。
今度、私に話してはくれないかね?」
刹那、ユウの顔が侘し気に
また此処では無い
何処かを視る様な表情に変わった。
「ロロ!
子分に故郷の話をするんじゃねーんだゾ!
コイツはな⋯」
「グリム!
食べる時は楽しくね!」
ユウに制止され
グリムがまだ何か言いたげに
私を睨みながら再び食事に戻る。
「では、ロロ先輩
おやすみなさい」
明日から特別聴講が始まる。
寝支度を終えたユウとグリムと別れ
あてがわれた部屋で
日記に羽根ペンを滑らせる。
コンコン。
と、ノックの音に
振り向き応え様とした瞬間
少しだけ部屋の温度が下がった様に感じた。
暖炉の薪が爆ぜ、崩れる音と
私の歩に併せて床が軋む音だけを
室内に響かせて、ドアに向かう。
ーこれは好機やもしれないー
そう確信を伝える様に
ドアノブが回り始めた。