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◇◇◇
「――バナ……ヒバナ!」
「うっ…………」
ヒバナは誰かの声を聞きながら全身を揺さぶられる感覚の中、冷たい地面の上で目を覚ました。
ぼんやりとした目で周りを窺っていたヒバナだったが、不意に勢いよく起き上がると忙しなく周囲を見渡し、何かを探し始める。
「シズっ! シズ!?」
狭い通路のどこを見渡しても、彼女の片割れの姿はなかった。
すると次第にヒバナの表情は歪みはじめ、呼吸が荒くなっていく。
――そんな時だ、彼女は顎を摘む誰かの手によって無理矢理振り向かされる。
淡い黄色の瞳と赤い瞳の視線が交差した。
「落ち着いてください。落ち着いて、マスターとの繋がりを感じてください」
「え、あ……」
「シズクはマスターのすぐ側にいました。マスターが無事なら、シズクも無事です」
次第にヒバナの顔色が元に戻り始める。
そのまましばらくの間は呆然としていたヒバナだが、今の状況に気付くと顔を真っ赤にした。
「い、いい、いつまで掴んでるのよ!」
「ちょっ!?」
お互いの吐息を感じられるくらい接近していた2人の距離は、ヒバナがコウカを突き飛ばしたことによって一気に離れる。
座り込んだヒバナの近くで立膝をついていたコウカも、突き飛ばされたことで尻もちをついた。
魔法による戦闘が得意とは言え、ヒバナもコウカやダンゴと同じスライム。腕力自体はそれなりにあるのだ。
「まったく……いきなりなんですか」
「いきなり何、はこっちの台詞なんだけど。い、いき、いきなりあんな……」
真っ赤になった顔を両手で隠したヒバナを見て、コウカはため息をつきながら立ち上がる。
「状況は理解していますか? わたしたちはマスターたちと分断されてしまいました」
「……っ! そうよ、どうして私たちは無事なのよ。あ、あの時……」
分断された当時の光景を思い出し、ヒバナは体を震わせる。
コウカのおかげで天井から迫ってくる壁を避けられたとはいえ、あのままでは後方から迫る大岩に押しつぶされていたはずなのだ。
だが彼女がパッと見渡す限りでは、岩などは見当たらなかった。
「ああ、それは私たちと岩の間に別の壁ができたからです。この壁の向こう側が私たちの元来た通路になっているはずですよ」
そう言って、コウカは通路の壁を叩いた。
彼女はヒバナを抱きかかえて地面を転がる最中、別の壁が地面から天井へと伸びていく瞬間を目撃していた。
そして地面から伸びていった壁のおかげで間一髪、大岩から身を守れたこともしっかりと確認していたのだ。
「はぁ……不幸中の幸いというか……なんというか……」
ヒバナは胡乱げな表情で通路の壁を眺めていた。
そんな彼女の側へとコウカが近付き、手を差し伸べる。
その手とコウカの顔を交互に見つめていたヒバナだが、その意図を理解すると彼女の手を掴んだ。
次の瞬間、ヒバナの身体が引っ張り上げられる。
「……ありがと」
「いえ」
2人の間には沈黙が訪れるが、微妙な表情のヒバナとは対照的にコウカは澄ました表情だった。
そんな姉の表情をチラチラと窺いつつ、前髪をいじっていたヒバナが問い掛ける。
「それで、どうするの」
「前へ進みます」
幸いにも、封鎖された通路の代わりに左右の壁が取り払われており、その新たにできた通路を進めるようにはなっていた。
「進むって言ったって、ノドカがいないと方向もわからないじゃない」
「だから、こうするんです」
そう言うとコウカは剣先を地面に軽く突き立て、手を離した。
――当然のように、剣はバランスを崩して地面へ倒れ落ちる。
「ふむ……こっちですね」
「いや、結局運頼みじゃない!」
倒れた剣の柄が向いた方向に歩き始めたコウカに、ヒバナが文句を飛ばす。
だが運頼み以外に何か手があるわけでもなかったので、大人しく姉の背中を追いかけていった。
前を歩くコウカとその後ろをついていくヒバナ。
そんな状況に、ヒバナはどこか居心地の悪さを感じていた。
そして遂にその空気に耐えきれなかったのか、彼女は前を歩くその背中に言葉を投げ掛けることにした。
「……コウカねぇがユウヒの側を離れてまで私を助けてくれるなんて思わなかった」
第一に主であるユウヒ、他は二の次であるコウカの取った行動がヒバナには信じられなかった。
あの時はまだ揺れも治まっておらず、下手をすれば2人とも大岩に押しつぶされていた。
そんな状況であったのに危険を顧みず、コウカはヒバナのために飛び込んでいったのだ。
「わたしもどうしてあなたを助けようとしたのか分かりません……。気付いた時には体が動いていました」
本当は見捨てるつもりだった、と言外に言われたヒバナが眉をひそめる。
だが、そんな心情と行動の矛盾がどうしても気になった。
「何よそれ、意味わかんないわ」
「でしょうね、わたしにも意味が分かりませんから」
その声にはどこか自嘲的な感情が含まれているように思えた。しかしながら、ヒバナから前を歩くコウカの表情を確認することはできない。
また微妙な雰囲気に逆戻りとなりそうだったので、ヒバナは話題を変えることにした。
「……こうして本当に2人きりになったのは初めてね。コウカねぇはいつもユウヒの側にいて、ユウヒのことだけを考えているから」
「当然です。わたしはマスターの眷属なんですから」
きっぱりとそう言い切るコウカを見て、ヒバナは目線を落とすと同時に自分の胸を抑え込んだ。
(…………また……)
彼女は今、原因不明の胸の痛みに襲われている。
「トラップです、ヒバナ。…………ヒバナ?」
そうして、視線を落としていたために彼女は立ち止まったコウカの腕にぶつかってしまった。
何事かと顔を上げたヒバナに、コウカが改めてトラップの存在を伝える。
「あ……ごめん」
「いえ…………どうしても不安なら、わたしの袖でもどこでもいいので握っていてください。ほら……大丈夫、すぐにみんなと合流できますよ」
そう言ってコウカが微笑むと、その微笑を向けられた当人であるヒバナが瞠目する。
腕を差し出したものの掴もうとはしなかったため、自分から手繰り寄せたヒバナの手を引いて足元のトラップを避けたコウカは、そのまま手を離して先に進もうとした。
ヒバナはその背中をどこか呆然としながら見つめている。
(いつものコウカねぇと今のコウカねぇ……本当のコウカねぇはどっちなの……)
言動にどこか矛盾を抱えているコウカ。
その本当の心は誰にも分からない。
「ヒバナ、どうかしましたか?」
コウカが振り返り、立ち止まっていたヒバナへと問い掛ける。
その声にハッとしたヒバナは慌てて駆け寄ろうとして――足を縺れさせた。
「きゃっ」
「ヒバナ!」
転びそうになったヒバナのことをコウカが抱きとめる。
そのまま彼女は気遣うような面持ちで、妹の顔を覗き込んでいた。
「大丈夫ですか?」
「うぇっ、離してっ!」
またもや突き飛ばされたことで、コウカは苦笑いを浮かべる。
その表情によって、再びヒバナの心はかき乱されていた。
(ほんと……調子狂う……)
◇
「何あれ?」
「……ゴーレム?」
コウカとヒバナとの合流を目指して迷宮を進み続けていた私たちは、ある部屋の入り口からその中を覗き込んでいた。
視界に映るのは部屋の中に佇む砂の巨人だ。全長3メートルほどだろうか。あからさまに動きそうな形をしていた。
部屋の中に入った途端に動き出すのが容易に想像できる。
だがこの他の道はないようなので、ここを通っていくしかないのだろうか。
「アンヤとは相性が悪そうだね。ダンゴ、シズク、お願いできるかな?」
「うん、任せてよ!」
あの砂で出来た巨体にはナイフが刺さりそうにないし、自我もないだろう。影魔法が通用するとは思えなかった。
だが力強い返事を返してくれたダンゴとは対照的に、シズクはただジッと地面を見つめて佇んだままだ。
取り乱してはいないようだが、私の声が届いているようにも見えない。
「シズク?」
「……え? あ、な、なに?」
やっぱり聞こえていなかったみたいだ。心ここにあらずといった感じか。
「シズク姉様、ボクと一緒にあれを倒すんだよ?」
「あ、う、うん。分かった……」
「じゃあ、行ってくるから。援護よろしく!」
そう言って勢いよくダンゴが部屋の中に入ると、一斉にゴーレムが動き出した。
ゴーレムたちは侵入者であるダンゴ目掛けて拳を振るうが、鈍重な動きだ。
あの子は防ぐまでもなくその小柄な体躯を活かしながら易々と避け続け、盾を鈍器のように振るうことでゴーレムたちを攻撃していく。
「あんまり~強くない~?」
鈍重な動きで殴るくらいしかできないのなら、それほど脅威ではない。早々に蹴散らして突破するのが吉だろう。
だが、いつまでたっても水の魔法が放たれる様子はない。
シズクは杖を中途半端な位置に掲げたまま、どこか遠くを見て茫然としていた。
「……シズク?」
ハッとした表情を浮かべたシズクが水魔法をゴーレムにぶつける。
シンプルでいつもよりも勢いが弱い魔法だが、相手は水が弱点だったらしい。当たったところからボロボロと身体が崩れ落ちていった。
そしてあっという間に全てのゴーレムが倒れる。
「……やっぱり、あたしはひとりじゃ駄目だよ……」
不安と寂しさが織り交ぜられた呟きだった。シズクの手から杖がサッと消える。
――これは相当、重症かもしれない。
ヒバナと合流するまで、シズクはほとんど戦えないと思った方がいいだろう。
それからは道中に現れる魔物たちをダンゴとアンヤの力で切り抜けた。
最近は突破力をコウカとヒバナに頼りがちなので、その2人がいないと苦戦することが多い。
幸いにも道中で出会うのはアンヤの攻撃が通用する相手だったので、なんとか突破することができていた。
そうして遂に私たちは最深部と思わしき空洞へと到達する。
私たちが進んできた道は入り口ではなく、ゴールへと向かっていたようだ。
この空洞には魔素が蔓延していることから、恐らくここが魔泉の中心なのだろう。
「すごい力……」
「これ、あの水晶から……?」
ここは中心部に台座に乗った大きな黒い水晶がポツンと置かれただけの広大な空間だった。
だが、あの水晶からは大きな魔力の流れを感じる。
きっとあれがこの迷宮を形成して動かしている“ラビリンス・コア”なのだろう。
「壊すの?」
「何もなければそのまま魔素鎮めまでいくんだけど、何もないとは思えないんだよね……」
あの魔力が虚仮威しなものか。
不穏な空気が充満しているのだ、あれはきっと生きている。
――そして、まさに予想通りだった。
「え~……っ!? これ~すごい反応~……!」
ノドカが驚きの声を上げた直後に何もなかった部屋の中に次々と魔物が生まれ落ちていく。
リザードマンにバシリスク、ゴーレムをはじめとするこの迷宮で戦ってきた魔物たちだ。
しかもゴーレムに至っては少し形状が違っており、素材も砂ではなく鉄になっている。
彼らはお互いに見向きもせず、まっすぐ私たちへと向かって迫ってきた。
きっとあのコアに作り出され、制御された魔物たちなのだろう。
この数は今の私たちでは相手取れない。
「いったん立て直そう! コウカとヒバナを――」
だが、それは叶わなかった。
この空間へ来るために通ってきた道が、大きな音を立てながら下りてきた壁によって封鎖されてしまったのだ。
このように逃げ道を塞ぐこともできるなんて、まさに反則だ。
「……ごめん、みんなには相当頑張ってもらわないと駄目かも」
「あっはは、逆に逃げ道が無くなってやる気が出たくらいだよ。ボクがみんなを守るからね、絶対!」
不敵な笑みを浮かべたダンゴが覚悟を決めたと言わんばかりに盾を地面に力強く打ち付ける。
アンヤは何も言わないが、ナイフを取り出していることから既にやる気満々のようだった。
「あのゴーレムを相手にするのは難しそうだね。でも動きはさっきのやつらと変わらないみたいだから、全員で逃げ回りつつあのコアを壊すよ」
今のメンバーで鉄のゴーレムを相手にできるのはダンゴくらいだが、ダンゴは前衛の要だ。
迫りくる魔物たちをアンヤと一緒に相手してもらわなければならないのに、ゴーレムだけを相手取らせるわけにはいかなかった。
そうして時を置かずして、敵の第1陣のリザードマンをはじめとする小型で機動力に優れた魔物たちと接触する。
するとすぐにアンヤが敵陣の中心に飛び込んでいった。これで敵の注意を惹きつけ、荒らしまわってくれるらしい。
あとは第2陣をできるだけ遠ざけつつ、コアに接近したい。
だが今は肝心の突破力が足りていない。
「シズク、相手を倒す必要はないけど集めたりはできるよね? それでコアまでの道を切り開いて! お願い!」
状況が甘えを許してくれないのだ。今はシズクの力を最大限発揮してもらわないとどうにもならない状況だった。
辛いかもしれないが、我慢して戦ってもらうしかない。
しかし――。
「だめ、無理なんだ……。あ、あたしはひーちゃんがいないと……。き、きっと分かんないよね、誰にも……っ」
今のシズクは極端なネガティブに陥ってしまっている。
とはいえこんな局面においても、ずっと後ろ向きな発言ばかりで流石に私も少しばかり苛立ちを覚えた。
「……そうだね、分かんないよ」
今も戦ってくれているあの子たちには悪いけど、しばらく堪えていてもらうほかない。
「分かんないけどさ、シズクはヒバナだけがいればそれでいいの? あの子じゃないとシズクと一緒にいちゃいけないの? 私たちのことなんて、本当は誰一人として信じてないの?」
「ぇ……そ、そんなこと……」
「私にはそうとしか見えないよ。信じられるのはヒバナただ一人だけ。他人なんて本当はいないほうがマシだって」
シズクはきっとヒバナ以外の誰のことも心の底から受け入れてはいない。
私たちに対しても時折、怯えの色が見えるからだ。
「私たちの誰もがヒバナの代わりになれないことなんて分かってる。分かってるけどさ、私たちは――私は……私だって、シズクとずっと一緒にいたんだよ。それなのに、シズクが頼る相手はあの子一人だけじゃないといけないの?」
今まで一緒に過ごしてきた時間は嘘なんかじゃない。
でもこの子にとっては結局のところ、私たちも赤の他人と同じ枠組みでしかないんだ。
ヒバナとそれ以外、それがこの子にとっての線引きだ。
こんな言い方をしていてもさらに怯えさせるだけかもしれないけど、一緒に過ごしてきた温かい記憶は本物だと信じているからこそ、ちゃんと私のことも見てほしいと語気を強めてしまう。
「私、前に言ったよね。頼っても、縋ってくれてもいいんだよって。あの時は頼りないって言われて……今もあんまり変わらないかもしれないけどさ」
この子には私の想いは何も届いていなかったのかもしれない。
ちゃんとこの気持ちを示すことができていなかったのかもしれない。
でもたとえそうだったとしても、独り善がりの想いだったとしても、やっぱりこの気持ちを諦めたくはない。
「私はシズクのことが好きだから、ずっと一緒にいたいと思っているからっ! だから……あなたから信じられたい、頼られたいって思っちゃうんだよ。戦う力もなくて、守ってもあげられない私だけど、シズクのそばにいて支えてあげることはできるはずだって信じているから」
「頼って……縋る……」
どこか呆然とした様子のシズクが私に手を伸ばそうとして、引っ込める。
そして、再び伸ばそうとしてくれた手を――私は強引に引き寄せた。
「ぁ……あ、あたしは……どうしようもなく臆病で……すぐ逃げ出したくなって……たくさん迷惑だって掛けちゃうかもしれないけど……それでも、どんな時でも……何があっても見捨てない? ずっと一緒にいてくれる?」
「そんなの当たり前だよ。これから先、どんなことがあっても……たとえシズクが私から逃げたいと思ったとしても、絶対に離してあげるつもりなんてないんだから」
私が宣言した途端に大きく目を見開いて瞳を揺らすシズク。
だが突然、そんな彼女の表情が一転すると――今度は柔らかな笑みを顔一面に咲かせた。
そうして少しの間、彼女の指が私の手の感触を確かめるようにその表面を撫でていたが、やがて力強く握り返してくれる。
指と指が絡み合い、手全体でシズクの温もりを感じられた。
「もっと前からこうしていればよかったな……」
今のシズクからは怯えの色が消えていた。
そんな彼女の青い瞳が揺れることなく、まっすぐ私を見ている。
だが不意に目線を外し、こちらの手を握ったまま体を反転させた。
彼女の体越しに、私とシズクが話をしている間にも戦い続けてくれていた3人の姿が見える。
上手く抑えてくれているみたいだが、奥から新たに複数のバシリスクが迫ってきていた。
それでも彼女たちは戦い続けている。きっと、自分たちの姉が助けに来てくれるからという希望を抱いて。
「みんな、ずっと信じてくれていたんだ。……だったら、あたしはそれに応えたい……みんなのことを――信じたい」
その時、不意にシズクの身体が青い光によって包まれる。
私と繋いだままの手の感触が少し大きくなっていくのを感じられる。
――まさか、これは進化?
光が治まった時には、既にシズクの姿は変化していた。
人でいう成長だ。身長が10センチほど伸びているのが分かりやすい変化だろうか。
私はそのまま《鑑定》のスキルをシズクに使う。
大きな変化としては種族名がアークスライム・アビスウィザードになっていることと眷属スキルというものが追加されていることだ。
成長した彼女が腕を前方に向かって伸ばし、杖を掲げた。
「あたしが全部押し流すよ――眷属スキル《アッチェレランド》」