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遮光カーテンが重く垂れ下がる、薄暗いペントハウスの最奥。そこは、日本最大の犯罪組織『梵天』の頂点に君臨する男が、ただ息をするためだけに用意された豪奢な鳥籠だった。
キングサイズのベッドの中心で、佐野万次郎——首領(ボス)であるマイキーは、焦点の合わない虚ろな瞳で宙を見つめていた。
かつての「無敵」と謳われた面影は薄れ、頬はこけ、肌は透けるように白い。何日も食事を摂らず、言葉を発することもなく、ただ抜け殻のようにそこに存在している。
「……首領、失礼いたします」
重厚な扉を開け、静かな足音を立てて入ってきたのは、梵天のナンバー2であり、マイキーの絶対的な忠臣である三途春千夜だった。
彼の目は、ベッドに沈む主君を捉えた瞬間、狂気的なまでの熱情と、甘く歪んだ慈愛に染まる。
「また、お食事に手を付けられていませんね。」
春千夜はベッドサイドに恭しく片膝をつき、絹のように冷たいマイキーの手を両手で包み込んだ。
マイキーは微かに瞬きをしただけで、春千夜を見ることはない。だが、春千夜にとってその反応すらも愛おしいものだった。
「ひどい顔色だ……。また、あの忌まわしい亡霊たちがあなたの眠りを妨げているのですね。俺の可哀想な、愛しい首領」
春千夜は銀色のトレイを引き寄せ、そこに置かれていた細い注射器を手に取った。
シリンジの中には、透明な液体が満たされている。それは、マイキーの脳を苛む過去の残骸を溶かし、彼を甘い微睡みへと誘うための特製の『クスリ』だった。
「俺が、すぐに楽にして差し上げます。……少しだけ、チクッとしますよ」
春千夜はマイキーの細い腕を捲り上げ、透けて見える青い静脈に、迷いなく針を滑り込ませた。
チクリとした痛みに、マイキーの端正な眉がわずかに顰められる。春千夜はその表情の変化すらも見逃さず、うっとりとため息をつきながら、ゆっくりと内筒を押し込んだ。
クスリが血に混ざり、全身を巡り始めると、強張っていたマイキーの身体からふっと力が抜けた。
虚ろだった瞳はゆっくりと閉じられ、呼吸が深く、静かなものへと変わっていく。
「……はる、ちよ……」
薬効に意識が混濁する中、マイキーの唇から微かな吐息とともに名前が零れ落ちた。
その一言は、春千夜の心臓を鷲掴みにし、狂おしいほどの歓喜で満たした。
「はい、はい。俺はここにいますよ、マイキー。あなたの忠実な下僕であり、あなたを誰よりも愛する男が、ずっと傍に控えております」
春千夜は、眠りに落ちたマイキーの額に、頬に、そして注射針の跡が残る腕に、何度も何度も熱を帯びた口付けを落とした。
「あなたは何も考えず、何も見ず、ただ俺の用意したこの甘い箱庭で永遠に眠っていればいい。あなたを脅かすもの、あなたを苦しませるもの、すべて俺がこの手で殺して差し上げますから」
落ちぶれ、何もかもを失い、ただ春千夜の与えるクスリに溺れるだけの首領。
それが春千夜にとっての、至上の幸福だった。自分の手の届かない空高くで輝いていた太陽は、今や完全に地に墜ち、自分がいなければ生きていくことすらできない。
「愛していますよ、マイキー……。あなたの全ては、俺だけのものです」
薄暗い部屋に、春千夜の甘く重い囁きだけが溶けていった。