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スタンリーが十八になった頃、胸の奥にはずっと形の定まらない何かが居座っていた。
それは「好きだ」という感情だけでは説明がつかない。ゼノの背中を見ている時、声を聞いた時、研究室に漂う薬品の匂いに混じってふと感じる――ぞわりとした衝動。
(なんだ……この気持ち……)
考えないようにしても、考えてしまう。
幼馴染で、親友で、誰よりも尊敬していて……そして、好きな男。
それだけでいいはずなのに、心はいつもどこか落ち着かなかった。
その日も、ゼノの家の研究室で実験の手伝いをしていた。
床には器具や資料が散らばり、ビーカーからこぼれた食塩水がうっすら光っている。
「スタン、そっちの――」
ゼノの声が聞こえた瞬間、足元が滑った。
「っ!」
視界が傾き、身体が前に投げ出される。
気づいた時には、ゼノを押し倒す形で床に手をついていた。
距離は、ほぼゼロ。
首筋、喉の動き、微かに上がる呼吸。
ドクン、と心臓が大きく鳴る。
だがそれは、好きな人が近くにいるからだけじゃなかった。
(……あ)
頭の奥で、別のスイッチが入る。
ほんの少し口を開ければ、すぐそこにある。
血管の脈動。体温。生きている証。
――食べたい。
その言葉が、はっきりと浮かんだ。
恋心とは違う。
欲情とも違う。
もっと原始的で、抗いがたい衝動。
スタンリーは無意識に、ほんの少しだけ口を開いた。
その瞬間。
「……スタン?」
不安そうなゼノの声。
はっとして、現実に引き戻される。
スタンリーは反射的に身体を引き、距離を取った。
「わ、わりぃ……転んじまった」
平然を装って立ち上がる。
ゼノは少し首を傾げたが、それ以上は追及しなかった。
「適当に床のものをのけておいてくれ」
「あぁ、…」
軽口を返しながら、胸の内はぐちゃぐちゃだった。
(幼馴染で、親友で……好きなやつを、食いたい? ……やっぱおかしいだろ)
このままじゃ、いつかゼノを傷つける。
そう思った瞬間、背筋が冷えた。
抑えなきゃいけない。
何か、策がいる。
それから数年後。
二人は成人し、スタンリーはヘビースモーカーになっていた。
研究室の外で煙草に火をつけると、すぐにゼノが眉をひそめる。
「また毒ガスかい?もう少し喫煙量を減らしたほうがいい」
「うるせぇな」
スタンリーは鼻で笑い、煙を吐く。
ゼノは嫌そうに距離を取るが、その目には心配が滲んでいた。
俺が煙草を吸う理由を、ゼノは知らない。
衝動を誤魔化すため。
口を塞ぎ、欲を鈍らせるため。
親友が好きで、
そして今もなお、食べたいと思ってしまうこと。
それだけは、墓まで持っていくつもりだった。
(……あんたを傷つけるくらいなら、俺が壊れたほうがマシだ)
紫煙の向こうで、ゼノが何か言っている。
スタンリーはそれに適当な相槌を打ちながら、今日も衝動を飲み込んだ。
誰にも気づかれないように。
大切な人を守るために。