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森を抜けて最寄りの宿にたどり着いた頃には、すっかり日が暮れていた。
古びた木造の建物だけど、中は意外に清潔そうだった。
俺とレイは同じ部屋に案内される。
部屋に入るなり、レイがドアを閉めた音がやけに響く。俺はベッドに腰を下ろしたけど、どこか居心地が悪い。
その時だった。レイが鋭い声で言った。
「なぜついてきた?」
予想してた質問だったが、いざぶつけられると返事に困る。
しばらく視線をさまよわせたあと、俺は意を決して口を開いた。
「だって、お前を放っておけないからだよ」
「……放っておけない?」
レイは低い声で繰り返しながら、俺をじっと見つめた。その視線には、怒りだけじゃなくて別の感情も混じっている気がした。
「俺だって、お前の力になりたいんだよ。何もできないなんて思われるのは嫌だ」
その言葉を聞いたレイは、短く息を吐いて壁に寄りかかった。
「お前の無鉄砲さが……俺を不安にさせるんだ」
声の調子が少しだけ弱くなっている。レイがこんなふうに本音を漏らすのは珍しい。
どう返事をすればいいのか分からずにいると、ドアが軽くノックされた。
俺がドアを開けると、アランが立っていた。いつもの飄々とした笑顔を浮かべているけど、どこか計算高い目つきが気になる。
「少し話がしたくてね、カイル君。少しだけ付き合ってくれるかな?」
「……俺?」
ちらりと後ろを見ると、レイが険しい顔をしてアランを睨んでいる。
「兄さん、そんな怖い顔をしないで。カイル君と少し話したいだけだよ」
アランが軽く手を振って見せた。レイは何も言わないけど、視線が突き刺さるみたいに俺の背中に感じる。
レイと話すにせよアランと話すにせよ気が重い。
しかし目の前のアランを無視することもできず、俺はしぶしぶアランについていくことにした。
※
あまり部屋から離れるのはレイの疑心を生みそうだ。
アランに部屋の近くでなら、と条件を付けて俺は後ろを歩く。
廊下を歩きながら、アランが口を開いた。
「君は本当に面白いね。兄さんの命令を無視してまでここに来るなんて」
「……面白い?」
俺は眉を寄せながら問い返したけど、アランは気にする様子もなく軽く笑った。
空いているラウンジに案内されると、アランが俺の正面に座った。
「兄さんが君を特別扱いしているのは分かるだろう?でも、カイル君、それが君にとって本当にいいことだと思うかい?」
突然の質問に、俺は言葉を詰まらせる。
「……どういう意味で?」
アランは真剣な顔つきで俺を見つめた。その瞳の奥には、何か底知れないものが潜んでいる。
「兄さんの執着が君を縛っているとしたら、君はそれでも幸せかい?」
俺はぐっと拳を握りしめた。
「俺は、レイが好きなんだ。レイがそばにいてくれるなら、他のことなんてどうでもいい」
アランが微かに息を吐いた。
「……その純粋さ、兄さんが大事にしたい理由がよく分かるよ」
その言葉に皮肉の気配は感じなかったけど、アランの笑顔には何か別の感情が混じっているように見えた。
※
アランとの話を終えて部屋に戻った俺を、レイが鋭い視線で出迎えた。
部屋の空気が冷たく感じるのは、気のせいじゃない。
「アランと何を話していた?」
開口一番、低い声でそう問いかけられた。俺はドアを閉めながら、言葉を選ぶ。
「ただ、少し話をしただけだよ」
「具体的に何を?」
レイは俺の答えを待たないように一歩近づいてきた。その視線の強さに、俺は無意識に視線をそらす。
「俺がお前に縛られているとか、そんな話だよ。でも……」
言いかけて、俺は口をつぐんだ。レイの眉がピクリと動く。
「でも、何だ」
「俺は、その、……そんなことレイがいればどうでもいいって答えただけだ」
それを聞いた瞬間、レイの表情が微かに揺れるのが分かった。いつもは冷静で無表情な顔が、少しだけ感情をにじませている。
「……それを信じるべきなのか、俺には分からない」
レイの言葉に、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。俺の想いが届いていないわけじゃない。それでも、彼は俺を信じきれていないんだろう。
「それで? 他には何を話していた?」
「……だから、ただの話だって。別にお前が気にするようなことじゃない」
言いながら、自分でもどこか歯切れが悪いのが分かる。レイの目は嘘を許さない。
嘘をつくつもりはなくても、余計に追い詰められた気分になる。
アランとの会話はいくつかしたが、その他はどうやって来たのかとか「今聞くようなことか?」と思うほどにくだらない話だったのだ。
「気にするようなことじゃない? あいつが俺の領地に何をしに来たのか、お前もわかっているだろう」
「それは……」
返す言葉が見つからない。アランがここにいる理由は分かっているけど、それをレイにどう説明すればいいのか、自分でも整理できていなかった。
「俺に何か隠しているのか?」
レイの声が少し低くなる。その声にこめられた感情が痛いほど伝わってくる。
「隠してなんかないよ! 俺は……」
俺は言葉を詰まらせた。レイにとって何が聞きたくて、俺が何を言えばいいのか、分からなくなってしまう。
沈黙が流れる。部屋の空気が重たくなり、胸が押しつぶされそうだ。俺は思わず視線をそらし、ベッドの端に腰掛ける。
「……俺が何をしたら、そんなに信用できないんだ?」
気づけば言葉が口をついて出ていた。レイを見上げると、彼の表情が微かに揺れるのが見えた。
突然レイが動き俺のそばまで来る。そして俺の腕を掴んだ。驚く間もなく、俺はベッドに押し倒された。
「ちょ、何して――!」
抵抗しようとする俺を、レイはその力強い腕で押さえ込む。
彼の顔がすぐ近くにあり、その目が俺を捉えている。
「お前が勝手なことをするからだ。俺の知らないところで……!」
「やめろよ、こんなの!」
俺は必死に身をよじるが、レイの力にはかなわない。彼は俺を押さえつけたまま、その瞳で俺を貫いてくる。
「話せ、カイル。アランが何を企んでいるのか、俺に隠すな」
「何も隠してない! お前が勝手に俺を疑ってるだけだ!」
必死に叫び返す俺の言葉に、レイの目がさらに険しくなる。
「俺が疑っているのは、お前じゃない。アランだ。だが……お前があいつの側にいることが、俺を不安にさせる」
その言葉がどこか弱々しい響きを持っていたからこそ、俺は思わず動きを止めた。
「……不安?」
俺がそう聞き返すと、レイは目を逸らすことなく答える。
「お前が俺のそばにいないかもしれないと思うだけで、俺は正気でいられない……!」
その言葉に、一瞬胸が詰まる。でも、だからって、こんなやり方は間違ってる。
「だからって、こんな風に俺を押さえつけるのは違うだろ!」
俺は再び力を振り絞って抵抗する。すると、レイが俺を抑えていた手を少しだけ緩めた。
「……お前が俺の命令を無視して動き回るからだ」
「俺だってお前を守りたいんだよ!」
思わず叫んだ言葉に、レイの瞳が見開かれた。
「……守りたい?」
レイは俺の顔をじっと見つめながら呟いた。
「そうだよ。お前がどれだけ強いか分かってる。でも、それでも、全部お前一人で背負わせるのは嫌なんだ」
そう言うと、レイはゆっくりと俺から離れた。その顔には複雑な感情が浮かんでいる。
「お前が……そんな風に思っていたとはな」
レイが少し距離を取ったことで、俺もようやく呼吸が楽になった。でも、レイの視線はまだ俺を捉えたままだ。険しさは薄れているけれど、その代わりに何か思い詰めたような表情をしている。
「……すまない」
低い声が静かに部屋に響く。俺は思わず目を見張った。レイがこんな風に謝るなんて、滅多にない。
「お前を責めたかったわけじゃない。俺が不安になるのは、お前が俺のそばにいなくなるかもしれないと思うからだ」
言いながら、レイがゆっくりと手を伸ばし、俺の頬に触れる。その手のひらは思っていたよりも暖かくて、さっきまでの怒りを忘れてしまいそうになる。
「……レイ?」
名前を呼んだ俺の声が少し震えたのは、自分でも分かる。レイの触れ方があまりに優しくて、胸がざわついてしょうがない。
「お前がここに来たのは愚かだった。でも……」
言葉を切って、レイが俺の目をじっと見つめてくる。俺はその視線から逃げることができなかった。
「お前が俺のために来てくれたと思うと、怒るべきなのか、嬉しいのか分からなくなる」
俺は思わず息を飲んだ。普段は冷静で厳しい彼が、こんな感情をあらわにするなんて、想像もしていなかった。
「俺だって、お前のそばにいたいんだよ」
自然と口をついて出た言葉に、自分でも驚く。でも、これが俺の本音だ。レイを守りたい、支えたい――その気持ちだけでここまで来たんだ。
レイが短く息を吐き、俺の髪を軽く撫でた。その仕草があまりに優しくて、不覚にも心臓が跳ねた。
「お前は、どうしてそんなに俺を動揺させるんだろうな」
そう呟きながら、レイが俺の顔に少しだけ近づいてきた。その目が俺の唇をちらりと見たのを、俺は見逃さなかった。
「レイ……?」
「もう勝手に危険な場所に行くな。俺の命令を守れ」
その声が低くて、どこか甘くて、俺は返事をするのを忘れてしまう。
部屋の空気がどんどん濃密になっていく気がする。
レイが俺の頬に触れている手をゆっくりと離した。
「今日はもう休め。疲れているだろう」
急に距離が戻ったことに、少しだけほっとしながらも、どこか名残惜しい気持ちが胸に残る。
俺も俺で……もう少しこういう時に積極的になるのも大事なのかもしれない。
変な意味ではないが、レイを安心させるためには……。
俺は意を決してベッドから立ち上がり、レイの隣にそっと腰を下ろした。彼がこちらを見る前に、俺はその手を取った。
「……レイ」
名前を呼ぶと、レイが少し驚いたように眉を上げた。その視線が俺に向くけれど、いつもの威圧感はなくて、どこか頼りなささえ感じる。
「お前が不安になるのは分かる。俺が勝手なことばかりしてるからだよな。でも……俺は、ただお前の力になりたくて」
ゆっくりと俺はレイの手に口付ける。
「だって、俺は……レイが好きだからさ」
意識して言葉に出すのは少し恥ずかしかったけど、それでも俺は目を逸らさずにレイを見つめた。彼がどう思うのか、不安と期待が交錯していた。
レイが一瞬目を閉じ、短く息を吐く。そして、次に俺が感じたのは、彼の唇が触れる感覚だった。ふわりと触れるだけのキス。それなのに、胸の奥が甘く締め付けられるような感覚が広がる。
「カイル」
俺の名前を呼ぶ声が近くて、瞳がまっすぐに俺を捉えていた。その瞳の中に、不安も執着も全部入り混じっている。俺は彼の手を取って、もう一度握りしめた。
「安心して、レイ。俺はお前のそばにいるから。死んでも離れない」
その言葉を聞いた彼が、少しだけ微笑んだ。それは先柔らかい、でもどこか切ない笑みだった。
「……死なれたら困るな……」
レイの手が俺の肩を引き寄せる。その力は優しくて、それでも俺が逃げられないような強さがあった。
気づけば、俺たちは絡み合うようにベッドの上へと倒れ込んでいた。
レイの腕に抱きしめられたまま、俺は彼の体温を感じている。
「カイル……お前が俺を信じてくれるなら、俺もお前を信じる」
低く呟くその声が耳元に響き、全身が熱くなる。俺は震える手で彼の背中に触れた。その瞬間、レイの体が僅かにこわばるのを感じる。
「……大丈夫だよ、レイ」
そう言って、俺は彼を安心させるように笑ってみせた。レイが僅かに眉を下げ、また唇を重ねてくる。
それからは、時間の感覚が曖昧になった。ただお互いの体温を感じ、言葉以上に気持ちを伝え合う。彼の不安が消えるように、俺は自分がここにいることを何度も何度も伝えた。