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「おかえりなさい」
眩い光の中、意識が朦朧としている俺の耳に届いた声は、優しく、そして透き通っていた。
「…誰?」
「それは私にもわかりません」
やっと意識がはっきりして目の前に立つ女に問いかけた俺は、ここを死後の世界、いわゆる天国だと思った。心地よく揺れる地面は、船だろうか。白い霧がかかっていてよく分からない。
それにこの女は、おかしなことを言う。
「どういうことだよ」
自分が何者か分からないなんて変だ。
ここが天国なら天使か何かだろうと言おうとして口を噤んだ。死後の世界に天国や地獄があるなんて人間が作った話だ。本当に天国があっても天使がいるとは限らないだろう。
「ここは天国なのか?」
本当に自分が何者か分からないのか、怪訝そうな顔をしていた女に聞いてみる。
「テンゴク…いえ、ここはあなたの言うテンゴクという場所ではありません」
「じゃあ、なんだよ」
「ここは、死後の世界です」
あまりにもそのまますぎて面食らってしまう。
「死後の世界なのは、分かる」
「死んだのに冷静なんですね」
さっきからロボットみたいだと思っていたのにいきなり心無いことを言うのが意外だった。
いや、ロボットみたいだからこそ心無いのかもしれない。
そんなよく分からないことを考えながら、「そうだな」と言いながら立ち上がった。
「ご案内します」
ゆっくりと横に向けて上げられる手を目で追うと、やっぱり白い霧が邪魔で何も見えなかった。
「何も見えない」
霧を睨んでそう言うと「移動します」とだけ言われた。
どうやら俺が今立っているところは小さい船のようで、手を外に出してみると水に触れることができた。水はあたたかくて、温泉みたいだ。
「この白い霧ってこれの湯気か」
ここに来て初めて関心することがあってつい独り言を漏らしてしまった。
「ここから先は記憶の湖です」
「記憶の湖?」
船の前方を見ると霧の色が薄いピンクになっているのが見えた。水もグラデーションで色が変わっている。
「記憶の湖は、今世の記憶を消すことができます」
驚いた。
「今世の、記憶を消すのか」
「怖いですか?怖いなら少し待つことも」
「いや」
俺が驚いたのは、記憶を消すのが怖いとか、悲しいとかそういうのじゃない。
「早く、消したい」