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京之介くんと初めての二人でのお泊まりイベントは、ワクチン接種で全国的に感染症が少し落ち着いてきていたこともあり、ある程度安心して決行することができた。
紅葉の時期の嵐山には人が沢山いた。京之介くんはその混雑ぶりについて「これはまだマシや」と言った。
お菓子やアイスクリームの店で私は何度も止まったが、そのたびに京之介くんは立ち止って待っていてくれた。更に、人混みに揉まれて離れそうになる私を見かねて、手を繋いできてもくれた。
祇園でもそうだったけど、再会してからの京之介くんは私に対して、違和感を覚えるほどに、それはそれは優しい。
幼い頃の京之介くんなら、様々な物に目を奪われる私を放ってそのまま歩いていったはずだ。
おじいちゃんが渡してきた割引券の旅館は、渡月橋を渡ってしばらく歩いた後にあった。
様々な店を見て回ったが、そこまでお金を所持しているわけでもなく、結局何も買うことなく渡月橋を渡った。京之介くんに昔、「見るくせになんも買わんのがムカつくねん」と言われたことを思い出す。私は変わっていないようだ。
チェックインして荷物だけ置いた後、また外へ出た。
旅館が宿泊客に配っているカフェの無料券があったからだ。
カフェまでは少し距離があった。急ぐこともないのでゆっくり歩いて向かった。
私は熱い抹茶ラテ、京之介は冷たいコーヒーをテイクアウトし、大堰川を眺めながらベンチに並んで飲む。
まるでデートのようだと思い、京之介くんはこの地でこのようなデートを幾度となく繰り返してきたのだろうと想像する。
高校の頃に何人か、恋人がいたのは知っている。京之介くんも人並みに恋人を作り、人並みの青春を送っていたことをお母さん経由で聞いたことがあるから。
「京之介くんって」
「うん?」
「あの元彼女とはどういう出会いだったの」
そう聞いてから抹茶ラテを口に入れるが、その熱さに驚いて少し零してしまった。
「ったく、子どもやないんやから」
苦笑した京之介くんがティッシュで私のワンピースを拭いてくれた。すっとティッシュを出してくれるところは昔と変わらない。
「別に普通の出会いやで。大学のサークルで知り合ってそのままズルズル付き合うてただけ」
「ふーん……」
「気になるん?」
「いや、京之介くんが恋愛するって想像つかないから、どんな風だったのかなと思って」
「なんや、やきもち妬いてくれはったんかと思ったのに」
残念そうに目を細めるからどきっとした。京之介くんといると私らしくない、まるで初めての恋みたいな胸の高鳴りを感じる。
「……期間も長かったみたいだし、私より仲良かったなら、ちょっと妬くかもね」
「別にそんな仲良しこよしちゃうかったよ。怒られてばっかやったなあ」
「怒られる?京之介くんが?」
「俺から愛情を感じひんのやって。温かみとか、思いやりとか、“好きでしゃーない”みたいな熱意とか。俺いっつも彼女より友達とか仕事優先やったし」
京之介くんが大堰川を眺めながら、少し自嘲的に笑った。
「人並みに女の人と、それなりに真面目に付き合うてきたつもりやけど、結局最後はどの人にもおんなじこと言われるわ」
自分の彼女に愛情を感じないと怒られている京之介くんを想像してちょっとだけ笑ってしまった私の頬を、京之介くんが「何笑てんねん」と軽く抓ってくる。
「いや、すごく想像できるなあっていうのと……それも含めて京之介くんなのになと思って。京之介くんが急に温かみとか思いやりとか情熱的な愛とか前面に出してきたら引いちゃうよ。無愛想だし分かりにくいし話し方はぶっきら棒だし、でも本当はすごく愛情深くて優しいのが京之介くんだから」
京之介はふ、と空気を漏らすような笑い方をした。
「過大評価しすぎやろ」
「私はそんな京之介くんがずっと好きだった」
重く思われないように冗談っぽく笑って言った。
本当はあの夏からずっと好きだった。
京之介くんはこの言葉を相手を喜ばせるための嘘だと思うだろうけど。
私の初恋は本当に京之介くんだったのだ。
これまで自分の中で感情を必死に押し殺してきたのに、京之介くんが付き合おうなんて言うから隠せなくなってしまった。
「……瑚都ちゃん」
京之介くんがじっとこちらを見たまま私の名前を呼ぶ。
「瑚都ちゃんがこっち来てから、ずっと言おうと思ててんけど」
私の顔にかかった髪を指で耳にかけながら見つめてくるその目が、熱っぽくてエロチックだ。
「あんた前よりえらい可愛なったな」
「……前は可愛くなかったと?」
「前は、ただのちんちくりんやった」
失礼なこと言うなあ。
私がふふっと笑うと京之介くんも笑い、人がこちらを見ていないことを確認してから、その辺を歩くカップルと何ら変わらないキスをした。
夕食は五時半からのコースと八時からのコースがあって、私たちは五時半からのコースを選んでいたので早めに旅館に戻った。
館内着の浴衣に着替え、個室の並ぶ食事処で、一汁五菜をコンセプトにした四季替り会席を食べながら、初めて京之介くんがお酒を飲むことを知った。
私も京之介くんに合わせて度数の高いお酒を飲んだけれど、緊張して全く酔えなかった。
京之介くんも京之介くんで、お酒に強いのか酔っ払った様子は一切ないまま夕食を終えた。
食事処から出た頃には外が暗くなっていた。
ライトアップの時期とはずれている。夜出歩く気にはなれない。あとはお風呂に入って寝るだけだ。
……もしかしたら、ようやく“そういうこと”があるかもしれないけれど。
というか、ここでなかったらどこであるんだという感じだけれど。
「貸切風呂あるらしいけど、どないする」
「んー……」
「一緒に入るか」
大浴場とどちらにするか迷っていると、京之介くんがそんな言葉をかけてきた。
隣に立つ浴衣姿の京之介くんを見上げた。
この冗談めいた声音を本当に冗談として片付けるかは私にかかっているだろう。
「――酔ってる?」
「酔うてるよ」
しばらくの間、沈黙が走る。
指を京之介くんの骨ばった手の甲へ、そしてなぞるようにその長い指へと移動させる。
指と指が絡み合った瞬間、かちりと壁にかかった時計の長針が動いた。
それ以上、私たちの間に言葉はなかった。
まるで元からそうすることが決まっていたかのように貸切風呂の間へ向かった。
貸切風呂には五つほど種類があったけど、私たちが選んだのは樽風呂だった。互いの前で裸体になるのに何の躊躇いもなかった。
そこで五年ぶりに京之介くんとキスをした。
いつもより湿っぽく熱い口付けは長くねちっこく、小さな水音が何度もした。
裸で抱き合う私たちの僅かな動きでお湯がちゃぷんちゃぷんと揺れるのが聞こえる。
「……だめだよ」
「あかん?」
「ここではだめ」
指で優しく私の敏感な部分に触れている京之介くんを小声で注意するが、京之介くんの目はもう興奮しきっていて、獲物を骨の髄まで食す前の肉食動物のようだった。
おそらく私の微力な抵抗などこの場を盛り上げるスパイスにしかならないだろう。
それを分かっていてだめなどと言う私のそこはもう十分すぎるほどに準備万端で、京之介くんの指をふやけさせてしまっている。
「声出したらあかんで」
樽風呂の縁の部分に手を付かせて、私のお尻を引いた京之介くんは自身のものをあてがう。
露天なので屋根などないし、何なら少し離れた場所にあるらしい別の貸切風呂に誰かが入っていく声が聞こえてくる。声を出してはいけないのは言われなくても分かる。
けれど少しのぼせてしまっているのか頭がぼうってして何も考えられない。
京之介くんのものが自分の中を押し広げて入ってくるのを、他人事のような心地で受け入れることしかできない。
「……っぁあ、」
「――こら。あかんて言うてるやろ」
京之介くんの手が後ろから回ってきて私の口と鼻を塞いだ。息ができないし声も出せなくなった。
京之介くんが背中に密着しているおかげで寒くない。それどころかどんどん互いの身体が熱くなっていくのが分かる。
ぱちゅ、ぱちゅ、と下半身がぶつかるごとに水音だけが響いて消えていく。
息が苦しくなってきて必死に首を振って京之介くんの手を外そうとすると、京之介くんが耳元で「声我慢できる?」と優しく聞いてくるのでこくこくと頷いた。
すると手が離れていき、京之介くんが代わりに私の腰を両手で掴む。
「っ、」容赦なく腰を打ち付けられ、声が漏れそうになるのを自分で息を止めて必死に堪える。
「我慢できてええ子やね」
京之介くんの声がこれまで聞いてきたこともないほど甘ったるくて自分の中がきゅんきゅんと締まるのが分かった。
「……かわい、俺の声で感じた?」
熱に浮かされて思考がどろどろになるのを感じる。
あの夏の夜の一夜限りからずっと恋い焦がれていた、京之介くんの身体が今間近にある。
私の性の目覚めはあの夏だったのだ。
性的な交わりを気持ちいいと感じたのも、それまでの彼氏では感じなかった欲情を覚えたのも、全部京之介くんと初めてしたあの夜だった。
あの日から私はあの夜の残骸を求めるように男の人と体だけの関係を持つようになったし、それなりに性的な探求もするようになった。
初恋の男に抱かれながら自分の性欲の根源がどこにあるのかを理解してしまった私は、本能で抗えない快楽の波に身を任せ、京之介くんを求めた。
京之介くんがそのまま達することはなく、私ばかりが何度も気をやって、のぼせすぎないうちに貸切風呂を後にした。
お互いほとんど無言のまま部屋へ戻り、二つあるベッドの片側に身を沈めた時既に、私たちは従兄妹ではなく男女だった。
京之介くんが私の髪を撫で、幾度となく口づけを交わし、肌をなぞり、ゆっくりと赤い帯を解き、薄桃色の浴衣をはだけさせて、長く時間をかけて愛した。
「瑚都ちゃん、綺麗やな。可愛い、好きやで」
熱に浮かされたみたいに歯の浮くような台詞を繰り返される。
本当に熱があるのではないかと思えるくらい、京之介くんの手も舌も指も熱かった。
「おんなじや」
あの夜と同じだ、と私が思うのと同時に、その思考に被せるように京之介くんが言葉を重ねた。
「おんなじや、――あいつと」
京之介くんの下で小さな嬌声を上げながら、私はその意味を理解しようとした。
否、本当はずっと分かっていた。
私が京之介くんのことを好きになっちゃいけないと思っていたのは。
あれだけずっと自分の気持ちを押し殺して、これは恋愛感情ではないと言い聞かせていたのは。
――この人がどう足掻いても私の物にはならないから。
京之介くんが愛おしそうにあの夜と同じ、“その名”を呼ぶ。
「――――凪津《なつ》、」
そう、あの夜と同じだった。
あの夜と違うのは、
ここがあの薄暗く静かな畳の間でないことだけだった。
あの夜の疑念、うわ言だと済ませていた事柄が、くっきりとした形をもって私の中で確信に変わる。
「私は、……瑚都だよ」
その囁きにぴたりと動きを止めた京之介くんは、「ごめんな」と蚊の鳴くような声で呟くと、黙らせるように口づけた。
その後紡がれた言葉は、全て私に向けられたものではなかった。
私を抱きながら、私ではない人に愛を囁く京之介くんを、もう見ることができなかった。
京之介くんの時間はきっと、あの時から止まってしまったのだ。
お姉ちゃんが死んで
五年半が過ぎようとしている。