コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
――――「また遊ぼうね、瑚都。呼んでくれたらすぐ行くから」
弱った時真っ先に頭に浮かんだのは、セックスの最中はもちろんお風呂に入っている間でさえ、親の形見かってくらいどこの女にもらったんだか知れない銀色のネックレスを、ずうっと首にかけていた男だった。
「久しぶりじゃん」
私が助手席に乗るとすぐ、そいつは数ヶ月ぶりにサシで会う私をニヤニヤしながら嫌らしい目で見てきた。
先に電話をかけたのは私。
会いたい、とただそれだけの電話に、鞍馬は『じゃあ今から迎えに行くね~』と軽い返事をして、水素より軽いフットワークで私が送った位置情報を頼りにマンションの前まで迎えに来た。
「今日はどういうお呼び出し?ヤる?」
「ヤる、直ホでいいよ」
「彼氏いんのにいいの?」
鞍馬が煙草を持っていない側の左手で私の手を握り、愉快そうに顔を覗き込んでくる。
「いい。あの人、別に私のこと好きじゃないし」
「何でそう思ったの。まぁ、俺から言わせれば彼女にそんなこと思わせてる時点でダメだと思うけど」
「酔ってたっていうのもあるだろうけど、セックスしてる時、愛しそうに他の女の名前呼んでて、……」
言い終わるか言い終わらないかくらいのところで、鞍馬が私にキスをした。食むように私の下唇を唇で挟み、ちゅっと可愛らしいリップ音を立ててから離れていく。
「それは彼氏が悪いよ。瑚都が俺を呼ぶのもしゃーないね」
薄っぺらくて非論理的な言葉で、頭を空っぽにして全てを投げ捨てさせてもらえるのってなんて楽なんだろう。
鞍馬が遊び相手として優秀な理由が分かる気がする。
正論を言ってしまえば、最中に他の女の名前を呼んだからと言って浮気していい理由にはならない。
こうして鞍馬の車に乗り込んだ私が絶対悪だ。
なのに鞍馬は息をするように、全てを相手の男のせいにしてしまう。
いとも簡単にこちらの罪悪感を消してくれる。
きっと私がどれだけ間違っていてもこの子は相手の男が悪いと言ってくれる。
だから。
だからきっと多くのクズ女は、弱った時に鞍馬に頼る。今の私のように。
「どしたの?変な顔して」
「なんて都合の良い男なんだろう、って衝撃受けてた」
「都合の良い男嫌い?」
「ううん。都合が良いから好き」
「だよねえ」
そういう子だよね、瑚都は。
鞍馬の吐き出した煙が、少しだけ開けられた窓から夜の空気へと消えていく。
車が発進した。
夜のドライブに似合うしっとりしたJ-POPが流れる車内で、嵐山の旅館へ泊まりに行ったこと、そこであったことを鞍馬に全て話した。
ラブホはすぐそこなのに、鞍馬はわざわざ遠回りしながら私の話を聞いてくれた。
鞍馬の前では自分でも不思議なくらいお姉ちゃんのことを話すのに饒舌になれた。
「従兄見かけによらず酷いね。さすがに自分で声に出してんだから気付いてるでしょ。それでもやめないってことは瑚都に“代わりにさせてください”って暗にお願いしてるようなもんじゃん」
「私のこと好きじゃないのは最初から分かってたけどね。あんなにあからさまにお姉ちゃんの名前出してくると思わなかった」
「五年も前に死んだ女の子にそんな執着するかなあ?いや、死んだから執着してるのか。トラウマを忘れられないようなもんだろうね」
鞍馬は私の姉が死んでいるという話をしても特に驚かなかったし同情するような素振りも見せなかった。
ただ私の姉が死んでいるという事実だけを受け止め、「そんなんだ」くらいの薄い反応をしてくれる。それが私にとっては楽だった。
「意味分かんないこと言っていい?」
「いーよ」
「私、彼氏がお姉ちゃんの名前呼んだ時、ショックだったのと同時にほっとしたの。ああ、この人はまだお姉ちゃんを覚えてるんだって」
正直私は、お姉ちゃんの顔を思い出せない時がある。
写真を定期的に見ないと私の中のお姉ちゃんが薄れていく。
どんなに忘れたくなくても時間が過ぎれば忘れていくことが怖かった。
こうして人は死んでいくんだって思った。親しかった人の中からも。
私の中からお姉ちゃんが消えていくのと同様に、京之介くんの中のお姉ちゃんが死んでいくことが怖い。
でも私のことも好きになってほしい。
「私、彼氏にお姉ちゃんを好きでいてほしいのかもしれない。でも、私のことを好きにもなってほしかった。多分理解できないよね」
“私のことを好きにもなってほしかった”という叶わない願いを口にした途端、ああ私そうだったんだって今更自覚して鼻がツンと痛くなった。
「いや?」と鞍馬が即座に否定する。
「感情は矛盾するもんでしょ。そんな風に思うのも自然だと思うけど」
私の思いを聞いてくれて私の思いを肯定してくれる。
あんなに警戒していたのに、今この瞬間だけは鞍馬と居ると楽で安心できる。
「本当は好きだと思っちゃいけなかった。でも付き合おうなんて向こうから提案してきたから浮かれちゃって。分かってて付き合った私も悪いね」
「好きになっちゃいけない人なんてこの世に誰一人存在しないよ? 瑚都は悪くない。ただ好きになっただけなのに瑚都が悪いなんておかしいでしょ」
ラブホの駐車場に車を停める頃には泣いていた私の頭を、鞍馬が優しく撫でる。
「全部忘れられるように抱いてあげるね。俺は瑚都を誰かの代わりになんか絶対しない」
鞍馬は目の前にいる時だけ、その瞬間だけは、相手の女を自分の一番にするのだ。
それを分かっていて、私はこの子を呼んでしまった。
ほんの出来心だったなんて言うつもりはない。
私はちゃんと考えてこの行為が何に値するのか理解したうえで、鞍馬に続いてラブホテルの一室に入った。
鞍馬と会っているせいでまだ京都へ来て一年も経っていないというのにこの辺りのラブホをコンプリートしてしまいそうだ。
「鞍っていつもこんな感じなの」
「こんなって?」
「女に呼ばれたらすぐ迎えに行ったりとか」
「まあ、俺もヤりたいからね」
当然のようにそう答えた鞍馬は、テレビの電源を付けて注文メニューを開き、アイスコーヒーとカップ焼きそばを頼んだ。
合わなそうな組み合わせだなあ。
鞍馬が座るソファの隣に腰をかけた私に、鞍馬がコスプレのメニューを見せてきた。
「ここコスプレ衣装の無料レンタル豊富なんだよね」
「着ても意味ないでしょ。あんたいつもすぐ脱がすじゃん……」
「だって瑚都が触れ合うなら素肌がイイって顔するから」
語尾にハートマークが付きそうなくらい茶目っ気のある言い方をする鞍馬。
コスプレあんまり興味ないんだけどなあ、と思いながら、鞍馬が煙草を吸い終えるまでの暇潰しのような感覚でメニューに目を通す。
「制服は?」
「やだよ、私の年齢じゃもう許されないでしょ。二十三だよ」
「え~?じゃあどれがいいの」
「この中なら二十番のご奉仕メイドかな」
「またエロいの選ぶね?」
煙草片手にコスプレ衣装一覧を私と一緒に見ていた鞍馬は、ふと面白そうにある衣装を指差した。
「ウェデングドレスでするのもアリじゃない? そしたら瑚都がいつか結婚する時、俺のこと思い出してくれるでしょ」
沢山ある衣装の中の十二番、ウェデングドレス。
どうせ本物のウェデングドレスとは比べ物にならないくらい作りの甘い代物なのだろう。
「……趣味悪。」
鞍馬の発言に対してそれだけ返して、煙草の味のする口にキスをした。
鞍馬は煙草の火を消してそれを受け入れながら、「まだ注文したやつ来てないんだけど。」とキスの合間に笑いながら言う。
「何、そんなにえっちしたいの?」
「うん」
「誰と?」
「……鞍と」
「なんで?」
「鞍とのセックス気持ちいいから」
「ほんとエロい子だなあ。でもその答えはゼロ点」
私の方が上に乗っていたはずなのに、いつの間にか鞍馬に上に乗られていた。
「俺のこと好き?」
かちゃりと鞍馬が片手で自分のベルトを外す音がする。
「……好き」
口にしてから、なんてペラペラな愛の言葉なんだろうと思った。
嵐山で京之介くんに伝えた好きと全然重みが違う。
好きでもない男とセックスはできるくせに、その好きでもない男に一時でも気持ちの籠もった好きは言えない自分。きっと女優には向いていない。
こんな私でも健全な思考をしていて、愛のない相手とは愛のないセックスがしたいし、愛のある相手とは愛のあるセックスがしたいのだ。
でも後者は叶わないから、愛のない相手と一時的な愛のあるセックスをして埋めている、今この瞬間。
「もっかい言って?」
私の湿った唇を親指でなぞりながら鞍馬が低く掠れた声を出す。
いつの間にか互いの下半身は露出していた。
「すき、」
「うん、好きだよね。好きだからどうしたいの?」
「欲しい」
「俺の?」
「好きだから欲しい。鞍馬のが、」
アホらしい演技だ。自分のこの態度に頭の片隅で白けそうになる。
でもそのまま入れられそうになった途端、下がりそうになっていた体温が上がっていくような錯覚を覚えた。鞍馬のこれだけは本当に好きだ。嘘じゃない。
「だめだって、」
「いいじゃん明日彼氏と中出しセックスしたら」
――……ドクズが。
なんていう暴言は声になることなく消えていく。
代わりに出てきたのは喘ぎ声だった。
「やらしい声。俺も瑚都のこと可愛いし好きだよ」
鞍馬はいつも、女が求めるような甘い言葉を最中に惜しみなく使う。
きっと鞍馬を作っているのは、こういう恋愛ごっこが好きな数々の頭の弱い女の子たちなんだろうなと思った。
事後、ベッドの端に座って煙草を吸いながら、鞍馬が思い出したように言った。
「瑚都は、彼氏に好かれることを叶わない願望だと思ってるみたいだけどさ。好きになった相手は“落とす”んだよ。相手の体と心と日常に入り込んで自分の存在を当たり前にして理解者になって甘やかして応援して支えて傍にいてたまに不安にさせて依存させて身も心も“落とす”。大丈夫、男なんて単純だから。瑚都ならきっとできる」
雑な断言で笑ってしまったが、鞍馬なりに励ましてくれているのかもしれないと思い反論するのはやめた。
鞍馬に言われると何だかいけそうな気持ちになってくるのだから不思議だ。
どこの女が付けたか知らないキスマークが付いた背中を寝転がったまま見上げて、そこにいる男の名前を呼んだ。
「鞍。……鞍馬」
すると、スマホを弄っていた鞍馬がようやくこちらを向いた。
「ずっと聞きたかったんだけど。私たちどっかで会ったことある?」
鞍馬の色っぽい唇から煙草が離れていく。
鞍馬は随分と長い時間をかけて白い煙を吐き出してから、ゆっくりとした口調で聞き返してきた。
「子供の時の話?」
自分で聞いておいて、心臓が止まるかと思った。
「なんだ、瑚都、覚えてたんだ。俺のこと」
「……」
「川でしょ。お盆の。俺が、瑚都に驚かされて、溺れちゃったやつ」
瞬きをすることさえ忘れそうになる時間が流れた。
名前が同じ。顔も似ている。京都という土地。だけど、
「…………生きてたんだ」
私が殺したあの少年。彼が今目の前にいること、実感が湧かない。
鞍馬がぷっと吹き出す。
「死んでると思ってたの?」
「……うん」
「じゃあ俺幽霊じゃん」
こくりと頷いて肯定した私の顔は、きっと一ミリも笑っていない。
「別に、大した深さでもなかったし。何事もなく助かったよ」
「ごめん、私、探しに行ったんだけど、」
「助けも呼んでくれてたんでしょ?俺のこと見つけた近所の人が引き上げてくれた。瑚都にもお礼言いたかったんだけど、結局会えず終いだったね」
焦って言い訳を絞り出そうとする私に、鞍馬が優しく微笑む。
助けなんて呼んでいない。
私はあの時、落ち着いて物事を考えられる状態じゃなくて、酷く動揺していて、まず保身に走った。
子供ながらに、私が落としたのだから鞍馬が死んでしまったら逮捕されると思った。
だから大人に黙っていた。鞍馬が死んだという事実を確認するのも怖かった。
近所の人が鞍馬を見つけたならそれはたまたまだ。私は関与していない。
「……うん、そうだよ。良かった、生きてて。」
――けれど本人を前にしてそんなことは言えない。だから嘘を吐いた。
鞍馬は何も言わず、私の髪を撫でてキスをした。
翌朝ラブホを出た後、前回と同じマクドナルドで朝食を取って、そのまま二人で学校へ向かった。
前にこうして鞍馬と登校したのは夏だったか。あの頃の暑さが嘘のように寒さが本格化している。
その日の夕方に私とのハメ撮りが個人LINEのアルバムに送られてきた。いつも記念写真のノリで律儀に送ってくるのだから可笑しい。
せっかくなので一括保存してからそのアルバムとトーク履歴を消去する。
画像と動画にロックをかけられる別のアプリの中に先程保存したものをコピーし、本来の画像フォルダからは完全に消去した。
パスワードは私が銀行からお金を引き出す時の、他の人には絶対にバレない四桁の数字。これで開けられたら別の意味で問題だ。
我ながら周到。浮気はバレてはいけない。やるならば外で、完璧に隠す。
本当はしてはいけないのだけど。浮気は大切な人の心を壊す行為だから。でも、この場合は話が別だと私は思う。
京之介くんの心は私の浮気程度じゃ壊れない。何故なら彼は私のことを好きではないから。
そう思う、そう思うのに――携帯カバーのポケットから京之介くんと行った嵐山のカフェのレシートが出てきた瞬間息が苦しくなった。
研究室の机に突っ伏して、できるだけ感情を押し殺す。
人に、言えないことだらけだ。
目の前で川に落ちていった鞍馬を怒られるのが怖くて見捨てたこと。
交際している従兄の彼氏は死んだお姉ちゃんが今も好きなこと。
何より、あの夏の日自分が殺した男の子と、彼氏がいながら関係を持ってしまったこと――――……
口が裂けても言えない。