テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
夕暮れに染まるオフィス街。
太陽はビルの向こうへ沈みかけているというのに、熱気はなおも街を包み込んでいた。
汗でシャツが肌に張り付き、足はすでに悲鳴を上げている。
半日で、いったい何社まわっただろうか……
それでも胸を満たす高揚感と軽い足取りが、不快な疲労感を吹き飛ばしてくれていた。
こんなふうに気持ちが満ちているのは——
「さ、三社成約………!!」
「おめでとうございます、先輩」
隣で涼しい顔のまま拍手する藤沢に、あれおまえも一緒に回ってたよな……?なんでそんな平然とできんだよ……!と思わずツッコミたくなる。
そして今日の出来事を思い返した俺は、改めてこの後輩が化け物であることを実感した。
なんせこの入社以来初の快挙——半日で三社成約を達成できたのは、何を隠そう藤沢の全面サポートのおかげだった。
同行についた藤沢はほんとにすごかった。
まず、一社目の商談前。
緊張でガチガチになった俺に、入室前、藤沢は一言だけ囁いた。
——対面してまず「二秒」。笑顔で、相手の目を見てください。
「え?」と戸惑いながらも、その通りにしてみたら——
入った瞬間から、先方の空気が明らかに和らいだのがわかった。
普段なら堅くなりがちな会話も自然と弾み、終始穏やかな雰囲気のまま進んでいった。
そして懸念していたクロージングでも、驚くほどすんなりと先方の首が縦に振られた。
拍子抜けするほど、あっさり決まった成約。
部屋を出たあと俺は興奮混じりにさっきの“二秒”の意味を訊ねた。
藤沢は淡々とこう言った。
「人は、出会って二秒で相手の印象を決めます。
そして、笑顔は相手の警戒を解くいちばんの武器です」
——うわ、こいつ……やっぱデキる……!
あのときの俺の感嘆の吐息を、いまでもはっきり思い出せる。
そのあとも藤沢は、さまざまな形で俺をサポートしてくれた。
営業テクニックのアドバイスに始まり、商談中、俺が反論に口ごもると——
決して出しゃばらず、それでいて俺の顔も立てつつ、相手の角も立てない絶妙なバランスでクロージングを決めていく。
どれも、あの涼しい顔のまま。
多方面に渡る全力サポートを、当たり前のような顔でやってのけるのだ。
……正直、感動すら覚えた。
そして、最後の取引先から出た瞬間。
俺はもう心の底から納得していた。
(そりゃ、売れるわけだ………!)
「ふ、藤沢!」
まっすぐ前を歩いていた藤沢に駆け足で追いつくと、「なんですか?」と少し歩みを緩めながら振り返る。
「おまえ、やっぱすごいんだな」
「なんすか突然。……でも俺がどんだけすごくても、先輩は三浦さん派なんでしょ?」
「っ!……き、気づいてたのか」
「むしろあの距離で気づかないとでも?」
「……す、すまない」
そう言いながら、藤沢はまた歩くスピードを上げてしまう。
長い脚に追いつこうと、俺も自然と足を速めた。
そのときだった。
「……自信、持ってください」
「え?」
不意に飛び込んできた声に驚いて、俺は思わず藤沢の横顔を見上げた。
「半日見ててわかりました。……顧客一人一人に向き合う誠実さと、嘘ひとつつかず、バカ正直に商品説明する真摯さ。
どれも俺にはない、江島さんだけの強みです。
だから自信持ってください」
逆光で、藤沢の顔はよく見えなかった。
でもほんの少しだけ、口元が上がったように見えた気がした。
それが妙にあたたかくて。
ぐっと、胸に熱いものが込み上げた。
(——っそんなこと言われたの、初めてだ……っ)
憧れだった教育系の会社に入社できたものの、
営業部に配属された瞬間、俺の社会人ライフは詰んだと思っていた。
案の定、同期の中でいちばん成績悪くて。
後輩ができても気づけばすぐに抜かされた。
三浦たちとは仲良いけど、営業としては肩を並べてないことを俺もあいつらもちゃんとわかってた。
部長からも期待されていない。
新入社員にすら舐められてる。
……そんな、俺のことを。
「ただクロージングめっちゃ弱いんで、あとはロープレの数こなしてください」
藤沢はそうなんとなしに言ったあと、「俺でよければ時間つくってもいいすけど」と軽く付け足した。
思わず、俺は藤沢のスーツの裾をきゅっと掴んだ。
ガクン、と前のめりになる藤沢。
「ーっちょ、なんですか!」と振り返ろうとしたその瞬間。
俺はそっと、言葉を落とした。
「……ありがとう、藤沢」
視界に、目を見開く藤沢の表情が映る。
俺はずっと、誰にも期待されてないと思ってた。
誰も俺のことなんか見てないって——
でも、違ったんだ。
「……ウス」
顔もとを手で隠した藤沢の表情はもう見えなかったけど。
耳元がほんのり赤くなっていたのを俺は見逃さなかった。
気づかれないようにこっそり笑う。
そして、ふたたび声をかけた。
「よし!このまま飯でも行くか!」
「あ、今夜はサッカーの中継見るんでムリっす」
そう言いながらスマホを開き、呆然とする俺の横で淡々と帰りの電車を調べ始める藤沢に、俺はもう一度心の中で叫ぶのだった。
(〜〜〜っやっぱりこいつはイケすかない……!!)