コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
これまでこの日本史BL検定対策講座では、総じて戦乱の時代を中心に学んできました。
いつ命を失うか知れないギリギリの局面、あるいは最も近くにいる者に裏切られるかもしれない状態は、たいへんドラマチックといえるでしょう。
キーワード「死への予感」「裏切り」について、みなさん覚えていますか?
日本史BL検定に出題が予想される文言ですよ。
忘れていた人は、おさらいしておきましょう。
しかしあらためて考えるまでもなく戦争の時代より、戦争をしない・認めないという時代のほうがよいに決まっています。
今回ご紹介するのは江戸時代です。
幕府中心の権力構造や身分制度など、いろいろと締め付けや不平等は存在しましたが、戦争というものは長く起こっていませんね。
さて、戦争がないと世はどうなるでしょうか?
平和になる──そうですね、モブ子さん。
平和になると、どうしたくなりますか?
安心して趣味に打ちこめる──ええ、そのとおりです。モブ子さん。
──えっ、江戸時代にコミケはあったか?
えっと……それはちょっと分かりません。
江戸時代に「こみけ」なるものの存在があったかどうか、聞いたことも読んだこともないです。
ご、ごめんなさい。調べておきます。
あの……本題に戻りますね。
平和な時代では、モブ子さんが言ったように安心して暮らせます。
裕福かどうかはともかくとして、心の豊かさはあったのではないかと。
そうすると小説や戯曲などの文芸、浮世絵などの芸術、そして歌舞伎や浄瑠璃などの芸能が発達し、人々の暮らしを彩ります。
つまり、庶民の文化レベルが向上するのです。
さらにもうひとつ。
江戸時代は、庶民のあいだに「旅」が流行しました。
お伊勢参りや善光寺参り、四国霊場巡りなどが有名です。
女性だけで旅をしたということも珍しくはなかったようです。
それもこれも、平和であればこそという気がします。
みなさんももうじき夏休みですね。
一回生だけのレクリエーションの一環としてキャンプがあると聞きました。
満天の星空の下、一緒に食事を作ったり、あるいは夢を語りあうのは生涯の思い出になるのでしょうね。
「えー、蓮ちんも来いよ。アタシら、蓮ちんと一緒に行きたいんだよ」
「えっ、俺は参加しろって言われてないけど……えっ? し、仕方ないなぁ」
コホン。
すみません、脱線しました。
今回の主役を示すキーワードは、この「旅」といっても過言ではないでしょう。
これまでのキーワードである「主従」や「主従逆転」。
あるいは「執着」「共依存」「裏切り」などに比べて、なんだかホンワカした印象ですね。
しかし「旅」とはBL学において、さまざまな要素を孕んだ言葉なのです。
みなさんがお好きなゲームなどでも、大抵の勇者は旅をしていますね。
勇者には仲間がついています。
ええ、それはそれはたのもしい仲間です。
BL学から鑑みるとこの場合、勇者と仲間のひとり……あるいは勇者と仲間たち。
複数のカップリングが成立するでしょう。
彼らは総じて野宿をします。
身を寄せ合って眠ることでしょう。
さぁ、ここで何が起こるのでしょうか。
さらに街や村では宿に泊まります。
大体のゲームでは睡眠中の描写などありませんが、おおむね同じ部屋に宿泊するものと思われます。
さぁ、何が起こるのでしょうか。
──以上。BL学における「旅」の醍醐味を、感覚的にお分かりいただけたことと思います。
この「旅」というキーワードを体現した人物に心当たりはありますか?
ええ、江戸時代ですよ。
ならば、ここに「俳諧」と付け加えればどうでしょう。
そうです。
「奥の細道」で有名な俳人、松尾芭蕉です。
戦乱や殺し合いとは無縁です。
これは芭蕉がよい俳句を詠むために東北を旅する模様を記した書物です。
その旅を我々はBL学の観点から読み解き、奥深さを堪能することができるのです。
キーワードは「旅の仲間」です。
芭蕉は陸奥・出羽・奥羽から能登までを巡るこの旅に、ひとりの仲間を連れて行きました。
もちろん、戦士でも僧侶でも魔法使いでもありません。
芭蕉の弟子のひとり。
名を曽良
そら
といいます。
この曽良、師匠の俳句の才を尊敬していたのは事実なようです。
しかし、少々度を超えていました。
良い俳句を詠めと、常に芭蕉に圧力をかけていたようです。
「野ざらし紀行」や「笈の小文」など芭蕉にはいくつもの紀行文がありますが、「奥の細道」が突出しているのは、旅の仲間が曽良だったからとも言われています。
この曽良ですが、芭蕉の尻をビシバシ叩いて俳句を詠ませたとか。
あっ、もちろん比喩ですよ。
実際に師匠の尻を叩く弟子など、そうはいませんからね。
ですが、ここでひとつの疑惑が生じます。
芭蕉が……つまりそういう嗜好の持ち主であればどうでしょう。
曽良に尻を叩かれなくては、よい俳句が詠めない性癖を自覚していたとしたら?
ふたりきりの旅。
目指すのは人口の少ない東北の地。
もちろん夜は宿に泊まるでしょう。
芭蕉には各地に弟子がいたので、彼らの家に宿泊することもありました。
しかし、野宿する日もあったことでしょう。
そんな夜は弟子にこころゆくまで尻を蹴ってもらいます。
プレイを楽しんだところで生まれ出る俳句。
素晴らしい副産物ではありませんか。
副産物と述べたとおり、BL学的見解では「奥の細道」は芭蕉にとって曽良と二人きりで旅をすることが目的と結論づけられます。
二人きりで旅をし、存分にプレイを楽しみ……結果、思いのほか良い俳句が生まれたので本にまとめたのです。
旅立ちは「弥生の末も七日」──つまり三月二十七日。
旧暦なので、今でいうところのGW頃ですね。
北へ向かうにはちょうどよい季節かもしれません。
実はこのとき、出立に反対した猛妻に、芭蕉は自宅を奪われたという少々深刻なエピソードが残っています。
曽良と二人で旅に出たい芭蕉と、それを阻止したい妻──お分かりですね。
この時点ですでに芭蕉と曽良には師弟という間柄以上の何かがあったと証明することができるでしょう。
──行春
ゆくはる
や 鳥啼魚
とりなきうお
の 目は泪
なみだ
これを矢立の初め──つまり出立の句として、彼らふたりの奥の細道の旅は始まりました。
芭蕉は愛する人と旅に出たのです。
二人が旅した一六九〇年の空は、今と違って大気汚染はありませんでした。
地上の灯かりで月や星の光が霞んでしまうということもありません。
美しい満天の星空の下で互いの名を呼び合ったことでしょう。
季節が冷え込むまでの六カ月の間。
ふたりは旅とプレイを堪能しました。
平和な時代ならではですね。
今回は「旅」「旅の仲間」とともに「師弟」「文芸(俳諧)」というキーワードが出てきました。
いずれもそそられる言葉ばかりです。
芭蕉と曽良の旅と二人の関係を深掘りする手掛かりになることでしょう。
今回で日本史BL検定対策講座は終わりです。
夏休み明けには、いよいよ試験があります。
重要なキーワードの復習、小論文の練習、そして何より熱意を大切に、どうかベストを尽くしてください。
全員合格するよう祈っています。