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「美味しいですか?」

「うん!とっても美味しいよ!」


 乾いた風が頬を撫でる昼下がり、燻んだ赤色の髪をたなびかせた棗イロハは現在万魔殿の職務から逃れ、『サボり』を満喫している───という訳ではない。しかし彼女は、サボりと同等、本来進めるべきの職務から逃れているというのは事実だが、この行動には歴とした理由がある。


 それが彼女の隣で、美味しそうに目を細めながら手元にある限定プリンを掬い口に運ぶ、丹花イブキの護衛だ。太陽のように眩しい彼女はその見た目に反さず、内面までもが太陽のように元気に溢れ、非常に純粋でお利口、そして可愛い生徒。その人物像に心を惹かれた者たちはそう少なくはないことは確かだ。実際、万魔殿のメンバーからはこれでもかと溺愛され、彼女の声一つで万魔殿の方向性が決定してしまうと言っても過言ではない。


 現在小柄な二人は、万魔殿本部から離れたとある市街地に設置された街区公園で、ぽつんと置かれた緑のベンチの上で、目的の限定プリンを頬張っている。


「イロハ先輩、今日もありがとうね!」

「なにせ、今日はイブキが欲しがってた限定プリンの販売日ですからね。日頃頑張ってくれるイブキへのご褒美ですよ」


 彼女がこの行動にでたきっかけは二つある。一つの言葉そのままの意味、イブキを労うため。もう一つは、“サボり“の口実だ。普段ならこの行為を平然と、当然のことの如くやってのけているのだが、今回の彼女はどうも珍しい。


 理由は単純明快、最近の万魔殿に雪崩こむ仕事の量が異常に増加しているからだ。彼女の上司であるマコト議長が、目の敵にしているゲヘナ風紀委員会に嫌がらせとして、書類を送りつけているのだが、いくら送りつけようとも万魔殿に溜まった書類の山は減らず、寧ろ風紀委員会の執務室から書類がダバァーッと外へ漏れ出るレベルなのだ。この惨状に耐えきれなかった万魔殿は仕方なく書類仕事をなれない手つきで処理している───というのがことの顛末だ。


よって今回のサボりは、書類の山ができて以来初めて、となる。


「…………はぁ」


 今までの事案を思い返し、思わずため息を吐いてしまうイロハに、イブキが純粋な眼差しを送った。


「どうしたのー、イロハ先輩?」

「いえ、なんでもありません。ただ仕事のことを思い出してしまいまして……」

「そっかー」


 イロハからの返答を聞くも、どこか腑に落ちないイブキ。可愛らしい蝙蝠の羽を羽ばたかせながら考え込むと、結論が出たのか、彼女は再び明るい顔を隣のイロハに見せる。


「今はそんなこと考えなくていいんだよー!つらい時は外に出て、甘いものを食べるのがいちばん!」

「……ふふっ、そうですね」


 健気な彼女の姿勢に、イロハは元気づけられたかのように微笑んだ。1日の気分で最高潮に達した彼女は、手元にある限定プリンを見つめる。まだ蓋は開けておらず、なんとなくイブキがそう言った理由が分かった気がした。イロハは再び、私は疲れているのだ、と自覚する。


 豪華そうな蓋を一気に剥がし、中から現れた黄色い海を白色のスプーンで一部を掬い取り、ぷるんぷるんと震える何かを口の中に入れる。疲れた体に沁みる甘さが口の中に広がった。


「美味しい?」

「……はい、美味しいです」


 先程イブキに投げかけられた言葉が彼女の口調に変換されながら、イロハに投げ返した。


 仕事から逃げ、イブキと一緒に外を散策。そしてそこで見つけた美味しそうなスイーツを買っては、彼女と一緒に頬張る日々。当然の如く時間の中を流れる日常は、いつの間にか彼女にとってかけがえのないものになっていた。そして、強く感じるだろう。『こんな日常がずっと続くといいな』、と。


 ────しかし、運命とはとても残酷なものだ。こんな小さな願いすら、吹き荒れる冷たい風と共に容易く折ってしまうのだから。


「────っ!?誰ですか!?」


 冷たい風が頬を撫でると同時に、不気味な気配がイロハの背筋を這う。それを察知したイロハは警戒心を見せ、ばっと背後に振り向く。しかし背中から感じたのはその不気味な気配だけで、物音や人影を確認できなかった。


「…………イロハ先輩?」

「…………すみません、なんでもありません。さっ、早く食べ進めましょう」


 イロハの行動を不審に感じたイブキが問うと、イロハは心配はさせまいとお茶を濁し、急いでプリンにスプーンを突き立てる。ここから立ち去れと本能が警鐘を鳴らしている。だが今日に限ってそんなことはない、ただ疲れてるだけだ、と彼女は心の中でそう説得させる。しかし、違和感は消えない。


 不安を募らせるイロハと、何も知らずに美味しそうにプリンを頬張るイブキ。この状況、側から見たら『無防備』そのものである。ここはゲヘナ。一時一時の瞬間、隙を見せてはいけないのだ。


 イロハが必死に掬ったプリンの一欠片を口に入れようとしたその時。


 ────手の甲を小さく素早い何かが掠める。その正体を追わずとも分かってしまう。


「イブキっ!!」

「えっ?イロハせん────」


(ダダダダダダ━━━━ッ!!!)



 イブキの声は続かず、複数の破裂音によって遮られてしまう。今彼女達に向かって無数の銃弾が降り注がれているのだ。イロハは咄嗟に反応し、半ば強引にイブキを引っ張りベンチから退散する。そして数秒もしないうちに、元々座っていたベンチは木っ端微塵になってしまった。


 無事に突然の集中砲火から逃れ一安心……というわけにもいかず、再び銃弾が彼女らに向かって放たれ出す。今回もイロハはイブキを庇い、必死に避けるも必ずしも限界と向き合うことになる。運動が不得意な彼女の体に銃弾のいくつかは命中してしまう。


 だが腐ってもキヴォトス人。数発ではびくともしない。しかし彼女の脳内には別の問題が現れていた。


(一発もイブキには当ててはなりませんね……!)


 彼女はイブキの護衛である。使命からか、彼女を溺愛しているか、彼女は今イブキを守る事に専念している。私はいくら傷ついてもいい、だけどイブキだけは────という切実な願いに突き動かされているのだ。


 同時にイロハは恨んだ。どうして近くに『虎丸』がないのか。それこそ、イブキを守るにあたって最大の手段だったのだが、偶然近くに駐輪していなかったのだ。


 冷静でない脳を必死に回転させ、近くの障害物に身を隠した。


「イブキ、大丈夫ですか?」

「うん……で、でも……イロハ先輩が…………」

「私のことは心配しないでください。一応護衛担当ですから」


 イロハは潤んだ目で心配するイブキを宥め、一先ず彼女自身の体に視線を移す。太腿、脇腹に痕が付いているのが確認できた。


 これぐらいではなんともないと結論づけ、今度は銃弾が飛んできた方向へ目を向ける。さっきまで無かったはずの、いくつかの人影が道路の上で立っている。見たところ、暫し耳に挟む不良生徒らではない。


「全く、面倒ですね……」


  鬱陶しそうに呟きながら、懐から拳銃を取り出す。『万魔殿制式拳銃』。特にこれといった細工は施されてはいないものの、信頼できる得物だ。


 イロハも応戦しようと敵に向かって発砲するも、障害物を介しているのも相まって、中々当たらない。障害物から身体を出そうと考えたが、これではイブキを守れなくなる。何度も脳内で試行錯誤をした結果、イブキを寄せることが妥当だと思い、脳内通りに彼女を脇に寄せる。


「イブキ。もし私の身に何かあったらすぐに逃げてください」

「う……うん……」


 イロハは万が一の場合に備え、保険をかけた。最も、そんなことを起こさせないのが一番だが。そう思案していると、銃身から乾き切った音が響く。弾切れだ。再び障害物に身を隠し、新しいマガジンを装填する。その一瞬、足音が響いた。


(まさか……ここの瞬間で決着を……!)


 敵が接近している。イロハは急いで装填を終え、身体を曝け出すも────彼女は違和感を覚えた。


「……いない?」


 どうしてか、ついさっきまで戦っていた敵が唐突に姿を眩ませたのだ。まさかだと思い、彼女は周囲に目を配る。


 その刹那、バチバチと断続的に鳴る破裂音がイロハの体に直撃した。


「ぐっ……!?」

「い、イロハ先輩っ!!」


 イロハにそれが直撃すると、抵抗するまもなく地面に倒れ伏せてしまった。彼女が感じたのは、痺れるような感覚だ。


(これっ…………スタンガン……ですか?)


 スタンガンを撃ち込まれてもまだ動き続ける彼女は、必死におぼつかない身動きで背後に振り向く。イブキはまだ無事だった。イロハは安堵するも、その安堵も一瞬にして打ち砕かれる。


 ────イブキの焦点がおかしい。最初はイロハを捉えていたが、今はイロハより上を捉えている。


「これが戦車長か……随分と弱いな」


 イブキのでも、イロハのでもない声が背後から響く。イロハがその声の元へ振り向くと、そこには深く帽子を被った生徒が立っていた。


「イブキを捕えろ」

「いっ、いやっ……いやぁ……」


生徒の合図とともに、どこからか別の生徒が飛び出し、イブキを捕らえてしまう。


「やめっ……やめてください……!」


イロハは切実に叫んだ。しかしその悲願は誰にも届かない。必死に伸ばした手は連れ去られるイブキには届かず、イロハは繋ぎ止めていた意識を離してしまった。












 身体の節々を苛む鈍い痛みで、イロハの意識を強制的に浮上させられた。


 最初に鼻腔を突いたのは、消毒液のツンとした匂い。次に瞼の裏でチカチカと明滅を感じ、ゆっくりと目を開ければ、見慣れたゲヘナの保健室の天井、その無機質な蛍光灯の光が目に飛び込んできた。


(…………私、は)


 思考が鮮明になると同時に、意識を失う直前の光景がフラッシュバックされる。


 ────それは正体不明の敵に、涙を浮かべ必死に叫ぼうとするイブキが連れ去られる様を麻痺して言うことが効かない身体で見守ることのしかできなかったあの時間。


「…………イブキ」


 彼女の名前を静かに叫んだ。その時、イロハの微かな声に反応したのか、誰かの足音がこちらに近づくのが聞こえる。


「……起きましたか」

「セナさん……」


 ────緊急医学部部長、氷室セナ。大体の負傷者発生事案には必ずといっていいほど毎度駆けつけにくる緊急隊員だ。保健室、セナ…………なんとなく状況を察せてしまう。


「おはようございます、イロハ戦車長。体調はいかがですか?」

「はい……」


 身体に押し寄せる疲弊や、直前に思い起こされた記憶に打ちのめされ、今は返答どころではないほど、彼女の精神は既に限界であった。そんな患者の容態を一瞥したセナは、彼女の返答に意を返さず、再び口を開いた。


「…………あなたは、午後4時ごろ、ゲヘナ学園付近の街区公園で、巡回中の風紀委員会によって発見されました。検査の結果、太腿、脇腹に銃弾が打ち込まれたかのような形跡、それに加え二つの外傷を中心に麻痺症状は見られました」

「イブキは…………」

「はい?」

「イブキは……どうしましたか?」


 彼女の口から漏れた安否を問う声に、セナは申し訳なさそうに瞼を閉じ、静かに告げた。


「…………残念ながら、まだ発見はできていません」

「そう…………ですか……………」


 その声を聞いた瞬間、イロハに凄まじい脱力感が襲った。イロハは抵抗せず、そのままベットに仰向けに倒れてしまった。彼女は暫し放心状態を維持し────


「うぐっ…………すいません………」


 イロハの瞳から涙がこぼれ落ちると同時に、彼女の嗚咽と謝罪が室内に静かに響いた。イブキを連れ去った奴らへの怒り、そしてそれをも上回り覆い隠す、何もできなかった自分自身への恨み…………様々な感情が渦巻いている。


 感情を一気に解放して泣きじゃくるわけでもない。ただ、密かに存在する羞恥心が雫を落とす目を隠し、ぷるぷると背中を震えさせるだけだった。


「私が……もっと強かったら……」


 己の失態を嘆き悲しむイロハにセナは、


「現在の容態を確認したところ、麻痺症状も段々と治ってきていますね。この状態なら、軽い運動を行っても支障はないでしょう」

「…………どういうことですか?」


 脈絡のない、そしてイロハを慰めるような物言いでは無かった。意図を汲み取れなかったイロハは、赤色に薄く染まった瞳孔でセナをちらりと見た。その視線に気がついたセナは、カルテを持ちながら話す。


「これから万魔殿本部の方で緊急会議が開かれます。今からでも遅くはないと」

「!!」


 その言葉は、泣き崩れるイロハの奥に垣間見える激しく燃える怒りを読み取り、促す言葉だった。このまま彼女を放置するには惜しすぎる。医療従事者としては失格だが、ゲヘナの一員として、彼女の背中を押すことを選んだのだ。


「どうです?」


 イロハはすぐには答えなかった。ただ、手の甲で涙を乱暴に拭うと、ゆっくりとベットから足を下ろす。その一連の動作には、弱々しさと躊躇いが微塵も残っていなかった。そしてやっと泣き止んだ瞳を見せ、短く答えた。


「……はい」


 軽い支度を済ませると、セナは黙ってイロハの身体を支え、共に保健室を後にした。


 万魔殿の本部棟までは、長い道のりを辿らなければならなかった。まだ痺れの残る足を引きずるイロハの隣で、その沈黙を破るように、あるいは時間を惜しむように、セナが口を開いた。


「風紀委員会から得た情報ですが、今回の事件、相当に根が深いようです」
「根が深い……とは?」
「犯人は、議長の失脚を狙う反勢力。そして、元万魔殿の内部者だという線が濃厚です。心当たりは?」


 内部者と断定できる理由は、イロハの弱点を知っていたからという理由からだろうか。その言葉に、イロハの脳裏に一つの組織名が浮かび上がる。


(議長の方針に不満を持つ者など掃いて捨てるほどいる。だが、元内部者で、これほど大胆な誘拐を実行できる組織となると……)


「……最近、活動が活発化している反万魔殿過激派、ですか」


 イロハの呟きに、セナは静かに頷いた。彼女の脳裏に、書類の山の中でその名を目にした記憶が蘇る。


「ええ。事は単純ではありません。万魔殿はもちろん、風紀委員会ですら公式には介入できない、複雑な事情があるようです」
「まさか、イブキを人質に、表立った動きを封じていると……?」
「それも理由の一つでしょう。ですが、おそらく……理由はそれだけではないと」

 

 セナの言葉が、イロハの胸に重くのしかかった。


「これ以上は何も分かりません。あとは会議のほうで……あっ、着きました」


 セナの言葉にイロハは正面を向く。彼女が反応するまで気が付かなかったが、既に万魔殿本部に着いたらしい。


「ここまでの同行ありがとうございます。あとは私でも大丈夫ですので」

「……分かりました」


 扉の前まで辿り着くと、イロハは大丈夫だとセナに告げる。セナは反論する様子もなく、そのままイロハから離れる。


「……それでは、頑張ってください」


 セナはそう言い残して、イロハの視界から消え去った。彼女が立ち去る様子を見届けたイロハは扉に手をかけ、開こうとする。


 ────だが、ドアノブに手をかけようして、彼女の指が止まる。扉の向こうからくぐもった声が漏れ聞こえる。室内はとても喧騒で、様々な人たちが何か話し合っている。そのような音の中に、羽沼マコトの声も聞こえる。怒りに満ちた怒声だった。


(やはり……私を責めているのでしょうか……)


 イブキを守れず、誘拐を許してしまった私を許してくれるだろうか。そのような不安がイロハを襲う。長いようで短い一瞬の間、彼女の手はドアノブに触れることはなく、恐怖が彼女の指先の震えに、著しく現れていた。しかし、ここで止まってはダメだ。向き合わねば……と彼女は己の身体に鞭を打って、勢いよく扉を開いた。


「失礼します。あの時は誠に……え?」


 イロハは室内に入って、謝罪ををしようとした。しかし、目の前に繰り広げられた光景に思わず言葉が止まってしまう。


 室内は外から漏れ出た時と同様、喧騒なのは変わりない。だが違った、というよりかは勘違いしていた。


 まだ会議は始まっていなかったのだ。万魔殿の隊員がせっせと機材や資料を運び、会議の準備を行っていた。そしてその集団の中に見慣れた後ろ姿が見えた。本当は、マコトは指示を飛ばしていたらしい。


 イロハは今、自分自身を責めているわけではないと安堵した。しかしその時、マコトが振り返った。


「…………イロハ、か!?」

「あっ、マコト先輩…………」


 イロハの来訪に、マコトは気づいた。いや気づいてしまった。イロハがある意味最も恐れていた影が近寄ってくる。散々言われるだろうと、彼女は覚悟した。


「……目を覚ましてなによりだ」

「えっ?」


 優しい声だった。


「なぜ……怒らないんですか?」

「フン、勘違いするな。腹の底は今にも煮え繰り返りそうだ。だがなイロハ、貴様をここで詰ったところで、イブキが帰ってくるわけではあるまい。……今は、感情を優先させる時ではないということだ」


 マコトはそう言い放つと、バサリとマントを翻してイロハに背を向けた。


 いつも自分を振り回す、やかましくて短絡的な上司。だが、今目の前にいるのは違った。私怨や感情を必死に飲み込み、組織の長として前を向こうとする、孤独な背中。
 

 その背中が、なぜかとても大きく、そして……何よりも頼もしく見えた。


 気づいた時には、イロハの身体が勝手に動いていた。その背中に、まるで子供が親に縋るように、静かに額を押し当てていた。


「なっ!!!??イロハ、何をする!!?」

「……暫く、こう、いさせてください」

「はっ、離せっ!これから大事な会議だというのに、よりによって貴様が……!!!」


 イロハの異常な行動に、マコトの先程の威勢はどこへやら。面白いぐらい慌てふためいていた。


「ず、随分お熱いわね……」

「これが噂の……!大スクープですね!」


 そんな様子を傍観するしかなかった京極サツキと、記者の血が騒いだ元宮チアキだった。


 会議は始まるまでは、イロハは用意された席に座らされたまま、何もできずにいた。万魔殿の仲間たちは、誰もが私に同情的な、あるいは腫れ物に触るような視線を一瞬だけ向けては、すぐに慌ただしく持ち場に戻っていく。誰も、私に事件の核心を話そうとはしない。まるで、彼女はもう当事者ではないとでも言いたいかのように感じたため、彼女はどこか釈然としなかった。


 そのような行き場のない怒りを心に秘めたまま、イロハは万魔殿が準備に勤しむ様子を眺めていた。


 会議室の扉が開くたび、出入りする顔ぶれに、イロハは息を呑んだ。万魔殿のメンバーだけではない。見慣れた風紀委員会の制服……その中心にいる小柄な姿を見て、イロハは我が目を疑った。


(空崎……ヒナ……なぜ、あの人がここに……)


 万魔殿の宿敵。ゲヘナの絶対的な武力。彼女が動くということは、事態が想像を遥かに超えて深刻であることの、何よりの証明だった。


 議長、委員長、ゲヘナの権力者たちが作り出す重苦しい空気の中で、イロハの心は孤独に沈んでいく。


 その時だった。


「イロハ……目を覚ましたんだね」


 数多の雑音を貫いて、その声だけが、まっすぐに私の耳に届いた。振り向けば、そこに立っていたのは、彼女が今、最も会いたかった人だった。


「先生…………」


先生はイロハの前に立つと、その痛々しい姿に一度だけ顔を顰め、そして、まっすぐに彼女の瞳を見つめた。


「その顔……ただ見舞いに来たわけじゃなさそうだね、イロハ。君も、戦うつもりなんだろ?」


 その言葉は、全てを見透かしたような、それでいて彼女の意志を信じている温かい響きを持っていた。


「……当たり前じゃないですか。私の目の前で、私の宝物を奪っていくなんて……舐められたままじゃ、到底寝覚めが悪いですから」


 涙の跡が残る頬で、イロハは精一杯の強がりを口にする。先生は、その言葉に満足そうに頷くと、そっと彼女の肩に手を置いた。

 

「……その言葉が聞きたかった。ありがとう、イロハ。君がいてくれるなら、これほど心強いことはない。あいつらに、私たちの『生徒』に手を出したらどうなるか、きっちり教えてやらないとね」


 イロハを鼓舞させる言葉に思わず、彼女の口元が緩む。


 室内もいつの間にか喧騒さをなくし、部屋に残ったのは数人となった。


 ────万魔殿から、羽沼マコト、元宮チアキ、京極サツキ、棗イロハ。


 ────風紀委員会から、空崎ヒナ、天雨アコ。


 ────そしてシャーレから、先生。


 粒揃いの、そして密かに怒りの炎を燃やすメンバーが今、この場に揃ったのだ。



 

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コメント

3

ユーザー

え?続きが有るとかいいんですか!? 本当にキャラが言いそう、行いそうな事が書かれてて実際に有りそうなのが凄いなぁと思いますねぇ…

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