テラーノベル
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説明的文章を書くのは、初めて、ではないがいっぱい書いたことがあるわけでもない。普段は過去にこのテラーノベルに投稿した、ほろ酔いであったり、鱗であったり、言葉を想像させる、短編小説、連説、詩ばかり書いているのだが。ここでのこだわりは、主観を普遍的なものとして解釈させないような文にしているということである。それはなぜか、また、何が解釈という概念において重要なのか、それを以下の文で説明していく。
近頃父の口からオールドメディアという言葉をたびたび聞く。どうやらYouTubeの縦動画での、現代メディアに対する批判的意見のものを見るらしくそれで覚えたようだ。
オールドメディアというのは簡単にいうと、古い形、世論形成の場において、特定の思想への偏りや情報発信の過程があるものであるが、父親はどうやらこれを、「テレビのような大多数に影響を与えるメディアは、民衆へ断片的、又は反政府的、国際問題に関しては愛国的に偏った言い方をしていたりして、大多数の民衆を愛国的でありながらも具体的な政治家などの権利者への批判的感情を煽る、洗脳のようなもの。」と、解釈をしているようで父親の発言はなんだかめんどくさくなっている。
父はよくリビングのテレビでYouTubeを見る故、父の情報源の詳細な内容は多少なり把握できているつもりである。
内容はこう
「中国人はやはり頭が悪い」、「ヤバすぎる、韓国人の顔」、「中国が謎の主張、高市首相困惑」、「オールドメディアの印象操作が酷すぎる」、「相変わらずのチャイナクオリティ、こんな施工じゃ意味がない」
なんだ、父の思考の方がオールドに向かっているではないか。
これは実際の動画の題名でないが、事実は論理、主観を交えずに解釈するとこうである。
ここで何が言いたいのか、長い導入になったが、それは次の文に記す。
コメント
41件
読了しました。榎葉さんの作品、いつも静かに刺さるんですよね。 この「序」、読みながら「ああ、わかるな」って思うところがたくさんありました。父親の情報源がYouTubeの過激な縦動画になってて、本人はオールドメディア批判してるつもりなのに、結局同じ構造にハマってる皮肉。地味だけど、すごくリアルでした。 「事実は論理、主観を交えずに解釈する」って一文、心に残りました。続きが気になります。