「診察室の沈黙」
――産科医局。
いつものざわめきが嘘のように静かだった。
書類の音と、遠くのナースステーションの笑い声だけが響く。
四宮春樹はデスクに突っ伏すようにしてパソコンの画面を眺めていた。いや、「眺めている」というより、「視線を置いている」だけだ。焦点が合っていない。
「……四宮、大丈夫?」
同期の鴻鳥サクラが声をかける。
いつものことなら、「平気だ。人の心配してる暇があるのか」と冷たく返すはず。
だが今日の声には、いつもより僅かに熱がこもっていた。
「……なにがだ。」
返ってきたのは、やはり冷たい調子。
けれどその奥に、かすかに掠れた息遣いが混じっている。
(ダメだこりゃ。)
俺――看護師の俺は、心の中でそう呟いてサクラと目を合わせる。
「行け。」と視線で伝えると、サクラは苦笑して肩をすくめ、四宮のもとへ歩み寄った。
「四宮、ほんとに平気?顔、真っ青だけど。」
「放っとけ。」
「放っとけるかって。」
そう言うなり、サクラは後ろから四宮を抱きしめ、そのまま脇腹をくすぐった。
「やめろ、サクラっ……っはは、やめ、やめろ……っ」
笑い声が短く響いた次の瞬間、四宮の身体がぐらりと傾ぐ。
「四宮っ!?」
サクラが慌てて支える。
だが、四宮は荒い呼吸を繰り返すばかりで、返事をしない。
額には汗、唇は白い。
「内科の先生呼んでくれ!」
咄嗟に俺は走り出した。
廊下を抜け、角を曲がりながら声を張り上げようとする――が、
喉の奥に焼けるような痛みが走った。
「っ……!?」
声が出ない。
痛みに蹲る俺の元へ、近くにいた内科の医師が駆け寄る。
「どうした!?」
首を振って、掠れた声で言う。
「……産科に……行って……ください……」
それだけ伝えるのがやっとだった。
***
耳鼻科で「声帯炎だ」と診断され、「しばらく声を出すな」と命令を受ける。
マスク越しにため息をつきながら産科へ戻ると、
四宮は簡易ベッドに寝かされ、額に冷えピタ。
そしてその上から、鴻鳥サクラの説教が降り注いでいた。
「倒れるまで働くとか、医者以前に人としてアウトだよ。
患者に『無理するな』って言ってるやつがこれじゃ、笑えないって。」
四宮は天井を見たまま小さく息を吐く。
「……お前に言われたくない。」
俺はサクラの隣に立ち、何気なく四宮の額の冷えピタを指で弾いた。
パチン、という音。
掠れた声で、四宮の口癖を真似る。
「医者が体調不良で倒れるとは……どうなっているんだ?」
一瞬、沈黙。
それから、サクラが小さく笑った。
「君もだろ。」
視界の端で、彼の笑みがやわらかく滲む。
四宮も、諦めたように目を閉じた。
診察室には、機械の音と、三人分の静かな呼吸だけが残った。
その沈黙が、なぜか少しだけ優しく感じられた。
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