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 土色の平地には、巨大な亡骸が二つ横たわっている。

 薄緑色のそれらは、エウィンに敗れた巨人達だ。

 実力テストを兼ねた殺し合いは、次で三試合目。

 つまりは最終ラウンドであり、どちらが挑戦者かは不明ながらも、赤黒い巨体が歩き出す。

 森を背に、多数の巨人族が傍観中だ。それらは例外なく草色の肌をしており、その個体の異彩さが際立つ。


(ヘカトンなんとか……。相手が何であれ、僕は負けられない)


 エウィンが己を鼓舞する理由は、敗北が許されないためだ。

 自身が殺されることは、構わない。この命で誰かを救えるのなら、むしろ本望だ。

 しかし、今回はそうもいかない。

 負けた場合、アゲハが殺されてしまう。

 オーディエンがそう宣言した以上、納得することは出来ないが従うしかない。

 つまりは、勝つことだけを考える。

 ここまでは二連勝。勢いそのままに挑みたいと考えている。

 ボロボロのーディガンを着こなしながら、傭兵もまた一歩を踏み出す。

 しかし、進行方向は前ではない。これ以上の前進は巨人族の群れにも近づいてしまうため、顔だけを敵に向けながら横に進む。こうすることで、片腕の死体を巻き込まないで済む。

 この少年の後方では、七人の聴衆が観戦中だ。

 転生者のアゲハ。

 軍人のマーク。

 魔女のエルディアと命を救われたリリ、ミイト、モルカカ。

 そして、炎の化け物、オーディエン。

 彼らの背後には、黒焦げの瓦礫が積みあがったままだ。かつては軍事基地だった残骸であり、多数の死者が埋もれている。

 ジレット監視哨とジレット大森林に挟まれたここは空き地であり、今は新たな戦場だ。


(慌てず動じず、でも、気合も入れて……。僕らしくないかもだけど)


 エウィンとしても警戒せずにはいられない。

 赤と黒を混ぜ合わせたような巨人が、大地を震わせながら近づいている。その足取りは一見すると遅いのだが、歩幅が大きいため侮れない速度だ。

 当然ながら、両者共に怖気づいてなどいない。

 殺すか。

 殺されるか。

 結末はそのどちらかだとわかっていながらも、エウィンとこの魔物は戦うことを選んだ。

 正しくは、選ばされた。


(オーディエンを倒せば、アゲハさんを元の世界に……。でも今は無理だって断言出来る。あいつは強いとかそういう次元じゃない。だけど……、だから、こいつ相手にはビビらなくて済む!)


 迫る魔物はヘカトンケイレス。肌の色が異なる点以外は巨人族と瓜二つだが、オーディエン曰く、別種らしい。

 個体名はギュゲス。人間同様に、命名する文化がこの魔物にも存在している。

 この状況において、本来ならば足がすくんで動けなくても仕方ない。赤黒い巨人にはそれほどの迫力があり、あふれ出る闘気は相まみえた者に十分な恐怖を抱かせる。

 それでもなお、エウィンならば問題ない。

 事前にオーディエンという化け物と出会えたことで、免疫が出来上がっていた。

 荒治療だろうと、その事実は揺るがない。

 だからこそ、傭兵は片手剣を構えて迎え撃てる。


(今度は僕から……!)


 先ほどまでの二連戦は、初手を巨人族に譲った。速さ勝負で敗れたのではなく、彼らの腕力を計るためだ。

 しかし、方針を変える。

 力比べでは敵わないという予想と、後手に回りたくないという直感が噛みあった結果だ。

 エウィンは立ち止まる。横歩きを止めた理由は進行方向を前方へ変えるためであり、今まさに走り出すつもりでいる。

 黒いズボンも残念ながらボロボロだ。巨人の咆哮を受けて切り裂かれてしまった。

 そうであろうと気にする必要はない。両脚に力を籠めれば、弓から放たれた矢のように走れてしまう。

 その時だ。浅はかな目論見を否定するように、巨大な何かが少年に影を落とす。


(え?)


 赤褐色の巨体が視界を覆っている。ヘカトンケイレスのギュゲスであり、大声を出さなければ会話が出来ないほどに離れていたはずなのだが、今はこうして目の前に立っている。

 真相はシンプルだ。

 この魔物は対戦相手の変化を察知すると同時に、全力で距離を詰めた。焦ったわけではなく、主導権を握りたいという思惑が巨体を動かした。

 その目論見は成就する。

 本来ならば、両者はまだ互角のはずだ。どちらも初手を繰り出していないのだから、駆け引きさえ始まっていない。

 そうではないと、この魔物は理解している。

 なぜなら、エウィンはほんのわずかな時間ながらも驚いてしまった。隙とすら呼べない一瞬だが、この状況においては失態に他ならない。

 これはそういう次元の殺し合いであり、ヘカトンケイレスが右腕をハンマーのように叩きつければ、いかに傭兵と言えども潰されてしまう。

 そのような常識を跳ね除けられるからこそ、エウィンはオーディエンに見出された。

 まるでそう来ることがわかっていたかのように、後方へ跳躍。考えるよりも早く体が動いたようにも見えるが、そうではない。


(見える)


 拳が視覚的に見えたがゆえの回避ではない。

 直前に察知したからこそ、巨大な拳をやり過ごすことに成功した。

 言うなれば、非常に限定的な未来予知だ。これこそがエウィンの才覚であり、魔法でも戦技でもないことから、人はそれを天技と呼ぶ。

 この傭兵が七歳から草原ウサギを狩れた理由がまさにこれだ。

 この世界のウサギは、地球のウサギと似通ってはいるが別種と言える。

 姿形で比較した場合、草原ウサギはいくらか鼻が発達しており、体の大きさも一回りは大きい。

 また、歩き方は似て非なる。後ろ足だけでピョンピョンと跳ねるように移動することから、実は地球のウサギよりも幾分鈍足だ。

 そうであろうと、魔物ゆえに侮ってはならない。後ろ足を使いドロップキックの要領で人間を襲うのだが、その威力は骨や内臓を容易に破壊する。

 熟練の傭兵ならば、草原ウサギなど二つの意味で歯牙にもかけない。

 鍛え上げられた肉体なら、蹴られたところで痛くも痒くもないからだ。

 また、仕留めて持ち帰れば一体二百イールで売れるものの、裏を返せばその程度の小銭しか稼げない。

 おにぎり一個で百イール前後。

 お茶の類も同価格。

 エウィンにとっては貴重な収入ながらも、本来ならば手間に見合わない少額だ。

 それでもこの少年は狩り続けた。浮浪者ゆえに仕事が見つけられず、残された道は傭兵だけだった。

 武器の扱い方を軍人から学べたことと、本人も気づかぬ内に身につけていた天技が彼を助けた。

 負傷するような攻撃に限定されるものの、その危機を事前に察知出来てしまう。

 これがなければ、エウィンという子供はマリアーヌ段丘であっさりと息絶えていたはずだ。

 名前すらないこの能力が、今回もこの傭兵を救う。

 巨人の打撃は事実上の奇襲であり、本来ならば成立していた。

 しかし、エウィンはわかっていたとばかりにバックステップで避けてみせる。

 偶然でもなければ認識してからの反応ですらない。

 巨体がそのように動くと直前にわかったからこそ、未来を変えるように後方へ跳ねた。

 もっとも、戦況としては何一つ変わっていない。


「う⁉」


 小さな悲鳴はエウィンの口から漏れ出た。

 空ぶった拳が地面を砕いたことに驚いたからではない。ヘカトンケイレスが勢いそのままに、今度は左腕で殴りかかってきたためだ。

 初手を避けられたことに落胆しない精神力。

 状況の変化に合わせた迅速な判断力。

 どちらも一流だ。人間を滅ぼすためには必要な才能と言えよう。

 それでも、エウィンは抗う。

 迫る拳は、大岩のような迫力だ。これほどの運動エネルギーならば、人間を壊すことなど造作もない。

 しかし、当たらなければ意味をなさない。

 右足で地面を蹴とばし、跳ねるように左へ。シンプルな動作ながらも、その俊敏性が打撃の回避に結びつく。

 今回は先読みの類が発生しなかった。

 自身の反射神経で対応出来たためであり、エウィンは冷静さを取り戻す。


(速いけど! すごいパワーだけど! さばききれなくは……! くぅ、でも!)


 二手目を避けたところで、この傭兵は反撃に転じれない。

 なぜなら、目まぐるしい連撃が一向に止まない。

 エウィンもまた回避を成功させ続けるも、状況としては防戦一方だ。

 際限なく迫る、赤褐色の拳。その一発一発が必殺の殴打だ。

 かすっただけでも、普通の人間ならば致命傷だろう。皮膚は当然ながら、脂肪や肉さええぐられてしまう。


(純粋に! 僕よりも! 強い! しかも!)


 怒涛の攻撃をやり過ごしながら、エウィンは分析する。

 眼前の魔物は明らかに格上だ。

 右腕と左腕から繰り出される打撃は、ただそれだけの行為ながらも命を刈り取る。

 さらには、衝撃砲の警戒も必須事項だ。叫ぶだけで発射されるのだから、やり過ごせた後でなければ懐に飛び込むことさえ出来ない。


(どうする⁉)


 考えたところで、妙案は思い浮かばない。

 状況としては現状維持が精一杯だ。それはそれで偉業に他ならないのだが、一度のミスで天秤は大きく傾いてしまう。

 このような状況を覆せるとしたら、それは魔法や戦技だ。

 足を速くする。

 反射神経を向上させる。

 火球や氷の塊を撃ち込む。

 これらを外部の力なしに実現出来るのだから、仮に劣勢から抜け出せずとも、相手を翻弄する程度なら可能なはずだ。

 しかし、エウィンにはそれが出来ない。

 本来ならば、戦闘系統に応じて何かしらを習得するのだが、残念ながらその可能性は絶たれている。

 その理由こそが天技だ。

 魔法とも戦技とも異なるこれは、習得者毎に異なるユニークな能力であり、会得した者を覚醒者と定義する。

 そう呼ばれる者は非常に希少だ。イダンリネア王国においても数十人しか確認されていない。

 その多くが軍人であり、傭兵という括りで天技を使える者は、現状エウィンとアゲハくらいか。

 珍しいからと言って強力かどうかは話が別だ。その能力が魔法や戦技に劣ってしまう可能性は十分あり得る。

 また、天技の習得には大きなデメリットが伴う。

 この神秘に目覚めたら最後、今後習得するはずだった魔法や戦技が得られない。

 既に一通りの能力を使えるのなら、天技という奥の手がそのまま戦力に上乗せられる。理想的なパターンと言えよう。

 しかし、エウィンのタイミングは最悪だ。

 この傭兵はこれから一つずつ、順に魔法ないし戦技を覚えるはずだった。アゲハに手を差し伸べられ、命を救われた際の急成長がチャンスだったのかもしれない。

 そうであろうと。

 そうでなかろうと。

 もはや手遅れだ。

 自身に危機が及ぶと発動する、未来察知。この天技を十年以上も昔に会得したことから、今後はこれだけを頼りに戦うしかない。


(せめて反撃の糸口を……)


 見つけなければ、じり貧だ。たった一度の被弾が敗北に直結するのだから、打開策の早期発見以外、生き延びる術はない。

 ゆえに、物は試しとその一手を繰り出す。

 ヘカトンケイレスの連続打撃にはある程度慣れてきた。

 だからこそ、今なら反撃も可能だ。

 巨大な握り拳を受け流すようにやり過ごすと、眼前の右腕に刃を振り下ろす。灰色の刃は鋼鉄製ゆえ、その長さが本来の半分しかなかろうと、肉を切り裂くことは十分可能だ。

 そのような幻想は、耳障りな金属音によって霧散させられる。


「なっ⁉」


 エウィンが驚くのも無理もない。

 巨人の右腕を斬るはずだった刃が、その役目を果たせないばかりか、根本から無残にも砕けてしまった。

 ヘカンケイレスという種族がこれほどに頑丈なのか?

 ギュゲスという名のこの個体だけが、鋼鉄よりも硬いのか?

 どちらにせよ、エウィンのスチールソードでは傷一つ付けられない。

 そればかりか、残っていた刃すらも失ってしまった。

 好機を見出すつもりが、逆に足元をすくわれてしまった瞬間だ。

 残念ながら、不運は続いてしまう。

 この魔物は見逃さない。

 緑髪の人間は棒立ちだ。

 さらには、片手剣だった武器を呆けるように眺めている。

 完全に悪手だ。

 そうであると理解しているからこそ、ヘカトンケイレスは全力で全身を稼働させる。

 斬られたが無傷の右腕を引っ込め、その反動で上半身を捻れば予備動作は完了。左腕を突き出し、前方ではなく右隣の獲物へ打ち込めば、殺し合いは今度こそ決着だ。

 声すら出せないまま、エウィンが大砲弾のように吹き飛ぶ。顔や体への直撃は避けられたが、右肩から肘にかけてを殴打されてしまった。この傭兵はゴスゴスと地面にぶつかりながら、空き地の彼方へ追いやられる。

 地面との摩擦が彼を静止させるのだが、死体のように動かない。

 その理由は明白だ。


「エウィン、さん!」


 青ざめながら、アゲハが声を荒げて走り出す。

 しかし、それすらも強者によって阻止されてしまう。


「キミは人質。大人しくそこにいないト、本当に殺しちゃうヨ?」

「う、うぅ……」


 炎の塊から伸びる腕が、踏切の遮断機のように行く手を阻む。

 オーディエンの細腕は、女性のようにきめ細かだ。アゲハには突破出来ずとも、軍人のマークや魔女のエルディアなら、押しのけて進めたのかもしれない。

 否。

 彼らでも不可能だ。

 この魔物はそういった領域からはかけ離れており、先ほどエウィン達が対峙した襲撃者六人が存命であろうと、力量差に恐れおののいてひれ伏すだろう。

 動くなと命令されたら、従うしかない。

 抗ったところで徒労に終わる。

 オーディエンはそれほどの強者であり、アゲハは奴隷のように無気力さを痛感する他ない。

 だからこそ、なのか?

 エルディアがこのタイミングで口を開く。


「だったら、私ならオッケー?」

「ン? ドういう意味だイ?」

「だーかーらー、私が加勢してもいいかってこと」


 意味不明な提案だ。

 この魔女の実力では、足を引っ張ることは確定している。

 仮にエウィンが生きていたとしても、最終的には死体が一つ増えるだけだ。

 それをわかっているからこそ、オーディエンはつまらなそうに言い放つ。


「キミにも邪魔はさせなイ。ソれに、キミは見逃すって決めてるかラ。少しの間だったけド、暇潰しにはなったからネ」

「あっそ……」


 許可が出なければ、エルディアも黙るしかない。オーディエンを無視して走り出そうと、次の瞬間には組み伏せられることが確定しているためだ。

 ならば、この男が黙ってはいない。


「オレは行くぞ。ウォーシャウトなら時間を稼げるはずだ。この命で、あいつを救う」


 マークの戦闘系統は戦術系だ。

 そして、ウォーシャウトという戦技を習得している。

 この戦技は、十秒限定ながらも対象の行動を制限することが可能だ。

 具体的には、殺意を向ける相手を発動者に限定してくれる。

 この場合、マークがヘカトンケイレスの元へ駆け寄ると同時にウォーシャウトを使えば、この魔物はエウィンにとどめを刺せない。

 もっとも、猶予はたったの十秒。

 さらには、これだけの時間があれば、ギュゲスはマークを殺せてしまう。

 無駄な足掻きだ。

 そうであろうと、この軍人は屈しない。

 なぜなら、自分よりもエウィンの生存こそが王国のためになると考えており、ましてや年長者として若者を見捨てることが出来なかった。

 しかし、オーディエンは鼻で笑う。


「ワかってなイ、本当にわかってないネ」

「何をだ?」

「キミ達じゃ、ギュゲスの相手にならなイ。ソうだネ、本気を出したアゲハなラ、アるいは……」


 魔物の発言に、マークとエルディアが静かに驚く。

 アゲハは見るからに非力な傭兵だ。

 試験に合格後、マリアーヌ段丘とルルーブ森林で鍛錬を積んだが、その実力は軍人の平均値にすら届いていない。

 そのはずだが、そうではないと、オーディエンだけが見抜いている。

 しかし、この魔物もまた、わかっていない。

 彼女はその力を呼び出せずにいる。そのために必要なもう一つの人格が、眠ったままだからだ。

 つまりは真の実力を発揮出来ないため、オーディエンの期待には答えられない。


「う、うぅ……。エウィン、さん……」


 アゲハの大きな瞳に涙が浮かぶ。

 無力な自分が悔しいのか?

 倒れたまま動かないエウィンを悲しんでいるのか?

 あるいは、その両方か。

 何であれ、ここは客席であり、舞台は向こう側だ。

 観客のすべきことは見守ることだけ。それをわかっているからこそ、オーディエンは真実を述べる。


「モっとモ? キミ達は間違ってるヨ。助けル? 時間を稼グ? ソんなお節介は必要なイ。ダって、コこからじゃないカ」


 その意味するところを、彼らは今まさに知ることとなる。

 既に異変は起きていた。

 本来ならば、このような問答は途中で終わるはずだ。ヘカトンケイレスがエウィンの生死を確認し、もしも生き残っていたとしても、とどめを刺してしまうからだ。

 しかし、そうはなっていない。

 なぜなら、赤黒い巨体は立ち止まったままだ。数歩程度は歩いたのかもしれないが、彼らはまだまだ離れている。

 勝者が歩み寄らない理由。それは、この魔物に勝者の資格がないからだ。


「サぁ、始まるヨ! 愉快な劇の幕開けダ!」


 オーディエンの興奮は最高潮だ。

 当然だろう。部下を犠牲にしてでも、これを見たかった。待ちわびた時間が訪れたのだから、頬を赤らめ目を見開く。

 多数の観客が見守る以上、いかにボロボロであろうと演者は立ち上がるしかない。


(ここまで聞こえるって、どんな大声だ。わかってるって、言われなくても……。アゲハさん、ごめん、心配かけちゃって。もっと精進するから、その涙の分はがんばるから……)


 若葉色の髪が揺れている。

 破けた長袖は、今にも脱げそうなほどにざわついている。

 黒いズボンは砂にまみれており、浮浪者よりも汚れている。

 そうであろうと、この少年は傭兵だ。

 そして、既に下準備は済んでいる。

 だからこそ、漏れ出たプレッシャーがヘカトンケイレスの足を止めていた。

 ここからだ。

 エウィンとアゲハがもたらす奇跡、その幕開けだ。


「色褪せぬ記憶は、永久不変の心を顕す」


 ささやくような詠唱だ。

 しかし、その声は戦場を駆け抜け、大地すらも揺らし始める。


「争いの果てに、涙を散らす者達よ……」


 アゲハは知っている。

 オーディエンも知っている。

 だからこそ、二人はただただ見守り続ける。


「我らの旅路を指し示し、絢爛の明日へと導きたまえ」


 巨人族の群れは知らない。

 ヘカトンケイレスも知らない。

 だからこそ、エウィンから発生する未知の闘気に、恐れることしか出来ない。


「在りし日の思い出と共に、色褪せぬ幻影を抱きし者よ……」


 右腕が折れていようと。

 体中が血らだけであろうと。

 この人間は立ち上がった。

 そうすることが、アゲハを救う唯一の手段だからだ。

 空すらも震わせながら、念じるように唱え続ける。


「揺蕩う理想郷で、色褪せぬ想いに寄り添う者よ……」


 光流暦千十八年、彼らは出会った。

 ウルフィエナという世界で。

 コンティティ大陸の最東部で。

 イダンリネア王国の片隅で。

 運命ではなく偶然であろうと。

 もしくはその可能性に賭けた者がいようと。

 少年は手を差し伸べ、彼女はその涙を止めた。

 それだけで十分だ。

 手続きは、ここに完了した。


「祝福されし幼子達を、見守りたまえ。蔑みたまえ」


 彼らの英雄譚はここから始まる。

 決着だ。

 もはや見守ることすら必要ない。

 正しくは、オーディエン以外にはその軌跡すらも目で追えない。

 エウィンを包む、真っ白な闘気。これの正体が何であれ、戦闘を終わらせることには変わりない。

 その疾走は一瞬だ。

 目指す場所は赤褐色の巨人、その目の前。

 裸足の両者が再び相まみえる。手を伸ばせば、握手すらも可能な間合いだ。

 この状況において、先ずはギュゲスを褒めるべきだろう。対戦相手が奇妙なオーラをまとったばかりか、視認出来ない速度で距離を詰めてきたにも関わらず、怯んだのは一瞬だ。

 反応がわずかに遅れたことを反省するよりも早く、この魔物は拳を握りしめて殴りかかる。

 同時に、気づかされる。

 眼下の人間は眩しいほどに輝いているが、実際には満身創痍だ、と。

 事実、その通りだ。右腕は痛ましいほどに腫れており、動かすことは叶わない。

 内臓も損傷したのだろう。口元は吐血のせいで汚れており、先の衝撃砲による衣服の損壊も合わさってその風貌は死体のようだ。

 そうであろうと、ヘカトンケイレスはその手を止めない。殴り殺さなければ自身が殺されると、本能で悟っている。

 起き上がったのなら、もう一度壊すまで。

 その意気込みは魔物の模範とも言えるのだが、今回に限っては空回ってしまう。

 なぜなら、相手が悪かった。

 先ほどは圧倒的な腕力を見せつけたが、立場が逆転した以上、結末は変わって然るべきだ。


「ガア?」


 間抜けな声を漏らすほどには、信じ難い。

 右腕で目一杯殴った。

 にも関わらず、人間が吹き飛ばない。

 当然だ。巨大な拳は小さな手のひらによってせき止められている。エウィンはその場からこれっぽっちも動いていない。

 眼を疑う情景に、さすがのギュゲスも思考を乱されてしまったが、即座に立て直す。

 一打で足りないのなら、左腕も使って殴るしかない。

 その判断は正しいのだが、残念ながら相手が悪かった。

 瞬きの猶予すら与えない、怒涛のラッシュ。両腕の筋肉はさらに膨張しており、その太さは生物としてはありえない。

 そうであろうと、エウィンはその細腕で防ぎきる。左手しか使えずとも、腕一本で事足りるのだから問題ない。

 この状況がヘカトンケイレスを狼狽させるも、実はエウィンにとっても不本意だ。

 なぜなら、その気になれば接近の際にこの魔物を屠れていた。

 そうしなかった理由は、オーディエンが客席から眺めているためだ。

 これを見たかったのだろう? 仕方ないから、見せてやる。

 つまりはそういうことであり、役を演じることに苛立ちを覚えながらも、観客を黙らせるために渋々応じた。

 もっとも、白い闘気をまとっていられる時間は限られるため、ここからの二手で幕引きだ。

 突然、赤褐色の巨体がよろめく。

 前のめりに殴っていたにも関わらず、右腕だけがバンザイのように跳ね上がった。

 その理由はシンプルだ。

 殴るために突き出した拳が、払いのけられるように殴り返された。

 先ずは一手。

 そして、次が二手目。

 エウィンは左手で作った握り拳を、間髪入れずに眼前の腹部へ打ち込む。

 すれ違うように。

 終わらせるように。

 利き腕でなくとも、寸分の狂いもなく拳をめり込ませる。

 この一撃こそが、演目終了の合図だ。

 赤褐色の巨人が、大口を開きながら前屈みになる。

 訪れた静寂は両者が静止した証であり、敗者が前のめりに崩れ落ちたら演目は終了だ。

 ドスンと鳴り響く騒音は試合終了のゴングか。

 あるいは、あまりに素っ気ないエンディング曲なのかもしれない。

 動かなくなった死体を一瞥しながら、エウィンはゆっくりと息を吐く。


「勝てたけど、痛い……」


 まとった闘気を手放しながら、同時に愚痴を漏らす。

 いかにこの能力を発現しようと、傷が癒えるわけではない。右腕の骨は完膚なきまでに砕かれており、筋繊維もズタズタだ。

 大量の脂汗が全身からあふれ出るも、激痛のおかげで気にならない。

 許されるのなら横になって叫びたいのだが、やせ我慢であろうと立ち続ける。

 アゲハやオーディエンが見ているだけでなく、大森林の方には二十近い巨人族が群れを成している。警戒を怠るには時期尚早だ。

 しかし、不安は払しょくされる。

 隻腕の個体だけでなく、ヘカトンケイレスのギュゲスまでが敗れた時点で、取るべき選択肢は絞られた。

 一体、また一体と、巨人族が森の中へ消えていく。人間の殲滅を諦めたわけではないのだが、今は大人しく撤収する。

 決着だ。

 誰が見ても疑いようがない。

 戦場には少年が一人立っており、敗れた魔物が三体横たわっている。

 誰かが死んで、誰かが生き残った。

 今日、この場所においては、わがままに付き合わされた巨人達が死に、指名されたエウィンが勝利した。

 どちらも手のひらの上で踊らされているのだろう。

 そうであろうと、勝ちは勝ちだ。

 おぼつかない足取りながらも、傭兵は仲間達の元へ歩き出す。

戦場のウルフィエナ~その人は異世界から来たお姉さん~

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