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“準備”


リンゴを買いに街に出たのは夕暮れ時だった。

雑多なネオンの明かりが交じり合い、誰かの生活の続きを照らしている。


そんな中、リュークが突然立ち止まった。


「おい、見ろよ黎……!あれ!!」


視線の先には、コンビニのガラス戸。

そこにはポップな書体でこう書かれていた。


『今週のフェア:青森直送!蜜たっぷりリンゴフェア!!最大30%オフ』


リュークの顔が、今まで見た中で一番輝いた。


「なぁ!フェアだってよ!“フェア”だぞ!?お祭りだぜ!?なぁ、行こうぜ!なぁなぁなぁ!」


「わかったから落ち着いてよ……でも、よかったね。君にとっては最高の祭りじゃないか」


黎は苦笑しながらガラス戸を押し開ける。

それを合図にリュークは、まるで子どもが遊園地に放たれたかのような勢いで店内に飛び込んだ。


「うおおおぉぉおっっ!!サンふじ!ジョナゴールド!紅玉まであるじゃねーか!!全部わかんねぇけど!!とりあえずリンゴ!うまそう!全部買おうぜ!!」


リュークは嬉々として袋入りのリンゴを抱きかかえようとした


それを黎は少し慌てて止めた。


「ちょっと待ってよ、学ばなかったの?君が物を持つと他の人から見たら浮いて見える。

人も居ないし誰にも見られてないから良かったけどさ……」


言う通りだ、そんな奇妙な光景が見つかってしまえば大騒ぎになる。黎ならそれはそれで面白いじゃないかとも思っていそうだが……。


「あぁ、すまない、すっかり気分が上がっちまって…」


その姿は“死”を司る存在とは思えないほど、ただの果物好きの奇人だった。


黎はカゴにリンゴを淡々と入れながら、ぽつりと呟く。


「……これだけテンションが上がれる君が、少し羨ましいくらいだよ。」


「うっせぇ!お前もテンション上げろよ!これは祭りなんだぞ!?リンゴのッ!!」


黎は呆れ返って笑い混じりの溜息を着いていた後、

リンゴと紅茶のパックだけが入ったカゴを持って会計へと進んだ。


そこでレジ打ちの中年男性の態度が目に付いた。

カゴを置くとまずは舌打ち、それからリンゴを投げるように置く。


レジ打ちが終わっても


「はい、」


と、面倒くさそうに言う。

早く金出せよと言わんばかりの態度。

この接客で給料を貰っている事が信じられないくらいに最悪な対応だった。


「なんだこいつ?感じワリィーなぁ」


リュークが後ろで呟く、


__“本田 圭太”


胸元の名札に書かれていたその名前を、黎はさりげなく視界の隅に収めていた。


____


会計を終え、コンビニを出る頃には、あたりはすっかり夜の帳に包まれていた。


ビニール袋にパンパンのリンゴを詰め込んで歩く黎の横で、リュークがもぐもぐと至福の表情を浮かべる。


「やっぱリンゴって最高だぜ……これあるだけで、人間界に来た価値があるもんなぁ……」


「人間界の価値を果物で測らないでよ……」


そう返しながら、黎はポケットに手を入れた。

中には念の為に持っておいた デスノートの切れ端 が入っている。


しばらく沈黙が続いた後、リュークがぽつりと呟いた。


「なあ、さっきの店員。お前、あいつの名前……覚えたか?」


黎は返事をせず、ただ前を向いたまま紅いリンゴを手のひらで転がした。


「演出には準備が必要なんだ。

最初の幕が上がる前に__舞台装置は整えておかないとね。」


リュークがクツクツと笑った。


「……ほんと、お前ってやっぱ面白ぇわ」


その声を背に受けながら、黎は思う。


退屈な世界が、少しずつ音を立てて変わっていく。

観客の目が、舞台に集まるその瞬間を想像しながら、彼の足取りは静かに夜を歩いていった。

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