テラーノベル
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鈴嗤いて、来たる終霊師
遥か昔、陰陽師が世の人々を悪鬼から護らんと奔走していた時代に、怨霊などの幽霊のみを祓うことに尽力した”終霊師”なる者達が存在した。その者達は時に霊を眷属にして共に、人々に災いをもたらす数多の霊を刀で斬り捨てていた——。
それから時は流れ、現代へと移ろい。
悪鬼は人々の記憶と共に姿を消し違う、いつの時代も変わらず幽霊は根強く存在し続けていた。
恨み辛みの質を変えて大地を彷徨い、生者を黄泉の国に誘おうと手招きをして、奈落の住人にしょうと企んでた——。
File.1『緑に沈んだ怨みの果て…』
N県K市にて。
悠然とした入道雲が晴天の青々とした空の果てに堂々と鎮座し、深緑の山々の青さを際立たせていた。その山間を突っ切るように”のたくって這っている黒い大蛇”の様な二車線の道路が引かれていた。
その道路脇の森からは、優雅に駆け回る様々な鳥の歌声だったり、けたたましい蝉の鳴き声だったりと、自然の合唱を奏でられていた。そこへ、軽快なエンジン音を響かせながら、颯爽と走ってきた一台の黒のネイキッドバイクによって打ち消された。
ネイキッドバイクには、座席の後方部分に、両隣に”二つの革製のバック”下げられており。他にも、座席の上に”落下防止の為にベルトでキツく縛られた大きな旅行バック”が括り付けられていた。よく見ると、バイクのあちこちに擦り傷や軽く凹んだ痕があり、運転手の大雑把さが見て取れた。
一方で、運転手はというと。
身長が高く、細身ではあるものの男性と見て取れる体格だった。
服装は半袖の白のTシャツに黒のジーンズ、ブーツとかなりラフな格好。肩には黒く長い刀袋、腕には年季の入った茶革の腕時計を身につけていた。
肝心の顔はというと、焼ける様な暑さにも関わらずフルフェイスの黒のヘルメットで覆われており、容姿までは分からなかった。だがしかし、衣服の袖口や首元から見えている素肌が、陶器のような白さだけは分かった。
風があるとはいえ、日差しの強さに彼は時折「暑い…」と熱の籠った声を漏らして、首元から汗を流していた。
「こりゃあ堪らない」と、とうとう耐えきれずに吹く風に当たろうとハンドルから片手を離して、メットの銀色のシールドを上げた。その奥から覗いている瞳は紅葉のような美しい彩色で、流れる汗で長い睫毛が濡れそぼって鬱陶しそうに瞬きをして細められる。
「ふぅ〜…少しは涼しくなったわ…」
引いていく熱に少し落ち着いた耳触りの良いくぐもった声で呟いた。そのあと直ぐにヘルメット越しに、風に紛れて退屈そうな若い女性の声が耳を掠めた。
「ねぇ、伽藍…。いつになったら着くのよ?もう二時間くらい走り続けているのよ?」
伽藍と呼ばれた運転手の男は、若い女性の声を宥めるように優しく返す。
「そう言わないでよ、サヤコ。あと少しだから」
しかし、彼の言い分が気に入らなかったのかサヤコと呼ばれた若い女性の声は不満そうに声を上げた。
「もうー!さっきからそればっかりじゃない!」
サヤコの声に反応するように、バイクの前輪が石を跳ねたわけでもないのに僅かに持ち上がる。恐らく、彼女が力を使って浮かせているのだろうが、運転の途中で邪魔されては面倒だ。
伽藍は、僅かに声を低めて穏やかに。
「ごめんねっ!だから、霊力を抑えてちょうだい。貴方の可愛いちょっかいに付き合ってられる程、暇じゃないのよ」
サヤコを叱りつつ、前方に重心を掛けて霊力を霧散させた。ハッとなった彼女は静かに、
「あっ…、ごめんなさい…。私、つい…」
謝罪した後に、伽藍は僅かに口角を上げて微笑みを浮かべて。
「良いのよ、分かれば。だけど、アタシもそろそろ飽き飽きしてたし、どっか丁度良い場所があれば休憩をしましょうか?」
朗らかにサヤコに問いかけた。
「ええ。それでいいわ…」とサヤコの声は怯えたように返事をした後、「この性悪が…」と毒づく囁き声が風と共に消えていった。それ以降、彼に話しかけることはなかった。
伽藍は肩を竦めて、
「全く…、自分勝手な子ねぇ。まぁ、そこが可愛いから良いけど」
軽口を叩きながら旅路の休憩を含めて、この道の先にある目的地へと向かって、バイクを急かす様に走らせた。
◇ ◇ ◇
しばらくして、森が途切れた高所にある峠から、山向こうにある目的地の街の影が見え始めた時だった。
山の天気が急速に変化し、先ほどまでの青い空が嘘の様に灰色の重く淀んだ雲で覆われ、生温い湿気を帯びた空気と匂いが漂い始めた。
「ちょっとこれはヤバいかしら…」
伽藍は俄に嫌な予感がし、バイクのアクセルを気持ち絞ってエンジンを一瞬だけ唸らせて、速度を上げつつも曲がり角の多い坂道を下った。
この後すぐに伽藍の予感は、見事に的中した。
重苦しく垂れ込んだ灰色の雲から、”ぽつり”と最初の一滴の雫を落とした。そこから徐々に数を増やしていき、霧が立つほどの豪雨へと成り果てて、大地を濡らしていった。
伽藍は上げていたヘルメットのシールドを素早く下げ、雨に濡れたアスファルトで前輪がスリップしない様に、スピードを緩めて走行した。その度に、向かってくる雨に衣服が濡れて肌に張り付き、陽射しで熱されて汗に塗れた身体は冷やされて洗われた。だが、今度は雨にずぶ濡れになり、不快なベタつきが襲いかかった。
ーー鬱陶しいわね!もう!これだから雨は嫌いなのよ!
心の内で悪態をつきながら、伽藍は峠の最後の曲がり角の道を走り抜けた。次の瞬間、出迎えたのは、空を覆い尽くしてしまいそうな勢いで鬱蒼と生い茂る薄暗い森の中の急斜面の下り坂の道路だった。対して、彼は「ひえっ…」と怯えた様な震え声を出し、ヘッドライトを点けて道筋を照らした。
「こんなとこで操作ミスでもしたら、溜まったもんじゃないわね…」と焦りの色を滲ませた声で言いつつも、伽藍は慣れた運転捌きで慎重に長い下り坂を下る。度々、道路上に落ちている枝をタイヤで跳ね除け、荷物がガタガタと音を立てた。
落ちないと分かりつつも頭の片隅に引っかかり、集中力を削がれそうになる。それは人の性なのかもしれないが、ここで気にしたら最後。
ーー道路上を滑って転倒。もしくはガードレールに激突して、最悪は…。
なんていうシナリオが伽藍の脳内に過るも、気づけば坂道はなだらかになっていった。完全に水平にになった時に、運良く下り切ったことに内心安堵した。それ故に時間をかけて衣服が完全に濡れてしまったこと以外は『まぁいいか』と半分納得して、魔の坂を背に薄暗闇の直線に続く道を走った。
「あー…、気持ち悪いわー…。一体、いつになったら休憩できるのよー…」
『男のくせに情けないわねぇ。このくらいの暑さ、耐えなさいよ』
横槍を刺すようにサヤコが呆れた声で言った。
少しムキになって子供のように怒りそうになりながらも伽藍は、
「暑いんだから仕方ないでしょ?」
余裕を含んだ穏やかな声で返した。
彼の反応を楽しむようにサヤコは、綺麗な声を弾ませて、
「いつも余裕そうに涼しげな顔をしている割に、こういうときばかりは貴方も耐えられないのね」
皮肉を重ねてきた彼女に、伽藍はキレ飛ばしそうになるのを抑え込み。すかさず牽制するように、
「うるさいわねぇ…。気が散るからまた後にしてよ…。ただでさえ、この蒸し暑さに苛立ってんのよ?なのに、一番の毒であるアンタの皮肉まで聞いたら頭がどうかなっちゃうわ。だから、静かにしなさいよ」
最後の言葉を強調してサヤコに伝えたが、
「はいはい、わかったわ。精々干からびないようにね」
嫌味を残して彼女の声は風の中に消えていった。
ーーさっき釘を刺したのに…。余裕がない時に限って、揶揄ってくるなんて。本当に罪深な子。
森が自然に作り出した葉の屋根の隙間を縫って豪雨が、まばらに落ち葉が敷き詰められた直線状の道路に降りかかる。そこを伽藍はバイクで駆け抜け、水溜りを容赦なく跳ね上げ、近くの木の根元を濡す。これが永遠に感じるほどに繰り返し、遠い目で無感情にどこまでも続いている深く薄暗い森の景色を眺めていた。
はぁ…。いつになったら、この憂鬱で退屈な景色が終わるんだ。ここまで来ると、狸?狐?に化かされているんじゃないかと勘違いしてしまう。ただの疲労のせいだと分かっていてもだ。今頃になって裏道を使った自分を呪いたい。
ーー何故、高速を使わなかったのかっ!と。
こんなことを考えていたら、またサヤコに色々と言われそうだ。今は前向きになろう。
半ば諦観して、風と共に湿気た空気が肌に当たるのを感じながら、ヘッドライトが照らす道の先を眺めていた矢先 ーーあるものが目に入った。
道路の脇に、昔の田舎にありがちな風通しの良い扉のない古びた水色のベンチが一つあるだけの素朴なトタン小屋。そのすぐ側には錆だらけのバスの停留所、といった何処か懐かしさを感じさせる風景だった。
ここなら少しの間、休憩しても問題はないだろうと思った伽藍は、バイクの速度を少しずつ緩やかに落とす。その小屋の横に邪魔にならないように停車し、足を引っ掛けないように降車して直ぐにバイクスタンドを下げた。
色々と遅い気がするが、積荷からバイク用の黒いカバーを取り出して、不器用な手つきで広げて端を持ち、バサリッと宙を舞わせた後にバイク全体に覆い被せた。最後に風に飛ばされないように、カバーのベルトを強く引き締めて固定した。
「あぁ、疲れた〜…」伽藍は気の抜けた緊張感のない声で言うと、ヘルメットを外して小脇に抱えた。
ここで漸く彼の顔が顕になる。
汗に濡れた艶やかな濡烏のような髪がさらりと流れ落ち、女性と見紛う程の中性的で端正な顔や肩に毛先が掛かる。濡れた前髪を鬱陶しそうに頭を振って払い退け「ふぅ〜…」と息を吐いて、顔の火照りを冷まそうと手で仰ぎながら、雨が降る中を疲労で重くなった足取りで小屋に近寄ってる覗き見ると。
ーーそこには既に先客が居た。
人が立ち寄るのかも分からない古びたバス停に
『何故居るのか…』と不思議に思いながら、古びた木製のベンチに座っている先客の隣に座って、ヘルメットを横に置くと飄々とした態度を取りつつ、
「こんにちわ〜。こんなところで何をしてるの?もしや駆け落ち相手でも待ってるの?」
穏やかな声で話しかけた。
伽藍の目の前には、”白シャツに黒のスラックス姿の学生カバンを持つ、幼さが残る顔立ちに茶髪の十代半ばに見える小柄な少年”が限界まで伽藍から距離を取って、警戒した様子でベンチに座っていた。
「そ、そんな訳ないでしょ!?貴方こそ何し
てるんですか!?こんな人気のない場所で怪し
いですよ!!薬の密売人か何かですか!?」
怯えで震える少年は壁に張り付いて声を大きくして問うと、伽藍は頬を僅かに膨らませて。
「あらやだ、失礼しちゃうわ。アタシは単なる通りすがりの儚い美青年よ。全く見る目がないのね?」
優雅に髪を梳きながらふざける伽藍に、少年は苛立ちと恐怖心から声を荒立てる。
「はぁ!?何を言ってるんですか!!貴方が薬の密売人じゃないなら、一体全体どこの誰なんですか!?」
声を上擦らせながら大袈裟に騒ぎ立てる少年に、伽藍はいい加減に揶揄うのを止めて、
「あははっ!ごめんなさいね、ふざけ過ぎちゃ
ったわね!アタシの名は鈴蔵 伽藍!日本全国を
微風のごとく流離う旅人よ!」
子供っぽく笑いながら伽藍は自己紹介をする。
『怪しいが、悪い人ではないのか…?』と疑いを残しつつも、少年は少し警戒心を解いて壁から背を離す。それでも距離は置いたまま、落ち着きを取り戻しながら座り直して、恐る恐る話し始める。
「あの、先ほどは取り乱してしまってすいませ
んでした…。改めて…、僕の名前は木崎 悠一と
いいます」
「木崎 悠一くんかー、良い名前ね。それでこん
な所で何をしてるの?」
「見てわかるでしょ…、バスを待ってるんです」
「なーんだ駆け落ちじゃないのか、残念」
「勝手に決めつけて残念がらないでください!
そもそも、最初に聞いた時に否定しました!」
「ああ、そういえばそうね…」
「覚えてないんですか?」
悠一が半ば呆れたような表情で聞いた。伽藍は細い指先で頬を掻いて、
「んー、自分の言ったことを逐一覚えてられないのよねっ!ごめんね!」
溢れんばかりの笑顔で、濡れている黒髪を耳にかけて軽薄に言った。伽藍のあまりの適当さに悠一は頭が痛くなり、俯いて眉間を指で押さえた。
「もういいですよ…。僕は単にバスを乗り間違えただけで、駆け落ち相手を待ってる訳では!」
「そんなの最初からわかってるわよ」
「えっ?」
「やだ、さっきからずっと揶揄ってることくらい貴方もわかってたでしょ?」
「いや、そうですけど!」
「そーれーよーりー」遮るように伽藍が間伸びした声で言いながら、小屋の外にあるバス停の時刻表に目を向けて、
「ここのバス停、あとどれくらいで来るの?」
一瞬、笑いを含んだような平坦な声で問う。
そういえばと悠一は、ベンチから弾かれたように立ち上がって走って、小屋の外の時刻表をマジマジと中腰になって見た。
伽藍は身体を傾けて遠目から観察し始める。雨の中だというのに、彼の額から滝のように汗が流れ出しているのがハッキリと分かる。みるみると腹を下した訳でもないのに顔色が真っ青になり、顔を上げて口元に手を添えて 『あわわ…』と焦燥に満ちた声を漏らした。
ーーどうやら此処のバス停は、めちゃくちゃ長い時間待たされるやつのようだ…。
悠一の様子を察知した伽藍は、横に置いているヘルメットに手を置いて、無意味に指先の爪でカチカチとリズム良く鳴らして『ふふっ』と優しく笑う。上を向けば、灰色の空から降る雨のガラス玉のような雫がぽたぽたと、トタン屋根を打ち付ける音ともに淵から無数に落ちてきている。頭を空にしてその光景を眺めていると、肩をがっくしと落とした悠一が小屋に戻って伽藍の横に再び腰を下ろし、
「嘘だろ…。二時間に一本…、さっき行ったばかり…」
落胆した声で言うと、下を俯いてへたれるように座った。彼の様子を横目に伽藍は、ズボンの後ろのポケットから銀のライターとギリギリ雨に濡れずに無事のボロい煙草の箱を取り出しながら、
「随分と長く待たされるのね、どうするの?」
ほの少し意地悪に問おうて、煙草を吸い始める。彼から煙が漂い始めたのを悠一は嫌そうな顔で軽く手で払いつつ、
「どうするって言われても、ここで待つしかありません…。旅人の貴方みたくバイクがあったら困りませんよ…」
答えながら暑そうにシャツの襟元を掴んで、パタパタと風を起こしていた。この状況に伽藍はふと不安が過ぎる。
ーー彼の体調が心配ね。
バスが来るまで、約二時間。
森の中とはいえど、この蒸し風呂のような環境下にずっと居続けたら間違いなく熱中症になるわね…。
さて、どうしたものか…。ここは彼を家まで送るのがいいだろうか…。
「あの、伽藍さん?」
悠一が伽藍の顔を不安そうな表情をして覗き込み、心配そうに声をかけてきた。それに気づいた伽藍は顎に添えていた手を直ぐに離して、取り乱し気味に彼の方を見た。
「あっ…、ごめんね!ちょっと考え事をしてたの!」
「考え事?…何を考えてたんですか?」
「えっとね…。そのもしよければ、バイクで家まで送ってあげようかなーって…」
「なるほど…。それは嬉しい提案ですが、後で金銭を要求したりしないですよね?」
「しないわよ!未成年相手にカツアゲするほど落ちぶれちゃいないわよ!」
「ならいいんですけど…。バイクの後ろ、乗れるんですか?」
「まぁ、ギリギリだけど乗れるわよ。そこは安心してちょうだい」
「は、はぁ…。じゃあ、ヘルメットは?」
「一応、予備でフルフェイスじゃないけどあるわよ」
伽藍が煙草の灰を携帯灰皿に落として答えると、再び吸って煙を吐いた。その隣で「んー」と短く唸って悠一は。
「わかりました…、ちょっと考えるんで待ってください」と返した時に、
「あ、その前に」
伽藍が強引に話を繋ぎ直した。
「アンタは本来、どこ行きのバスに乗ろうとしたの?」
「えっと、”朝ヶ山町”行きのバスですけど」
「あら、奇遇ね!私もその町に行くつもりだったの!」
『これは好都合!』と伽藍は内心でガッツポーズをしたが、隣の彼の反応は、
「そ、そうなんですか…」
あからさまに嫌そうであった。
悠一から『まさか誘拐か…?』と再び疑いの眼差しを、伽藍に向ける。それに気づいた彼はすぐに困ったように笑みをうかべて訂正した。
「一応言っておくけど、貴方が思っているような事は絶対にしないからね?」
「……本当ですか?」
「しないわよ、疑り深いわねぇ…」
まぁ、無理もないか。
会って間もない人間を信じろというのは無理な話ね…。となると、少し雑談でもして疑いを晴らすしかないか。
「じゃあ、少し話でもしましょう? アタシが”朝ヶ山町”に行く理由は、なんだと思う?」
「知りませんよ…。そもそも僕の住む町には観光名所とか全くありませんし、宿泊施設とかも、おばあさんが一人で切り盛りしている民宿が一軒あるくらいです。理由が”ただの旅行”なら、あまり適してないですよ?」
「そうねぇ。確かに目立った場所はないけど
ーー不可思議な噂はあるよね?」
伽藍がそう聞くと、悠一の眉間に皺が寄った。余程聞かれたくない話題なのだろうか、彼の顔は先ほどの臆病さも不安の色もないくらいに、険しいものだった。これは何か知っているに違いない。
完全に短くなった煙草を携帯灰皿に捨て、
伽藍はその噂話をこう続けた。
「三ヶ月前、その町の唯一の商店街で子供が行方不明になる事件が多発した。それも全員、きっちり”正午”に最初から存在しなかったかのように姿を消した。ここまで言えば、貴方もわかるよね?」
そう聞かれたことに対して、悠一は深い溜息をついて真顔で低く平坦な声で、
「……一体、どこからそんな噂話を知ったのですか?」
純粋な疑問を投げかけた。
彼が話に乗ってきたことに伽藍は意味深な笑みを浮かべて、
「SNSよ。そこに気になる投稿があったから、来てみたのよ」
穏やかな声で返し、黒のジーンズの前ポケットから携帯電話を取り出して、伽藍は画面を見て操作した。 その隣で悠一は一瞬だけ戸惑って少し身を乗り出す。
「そんな理由で町に行くんですか!?ただの野次馬と一緒じゃないですか!!」
怒りの表情を浮かべて声を荒げた。
悠一のことは気にも止めず、伽藍は手元の携帯電話にSNSのその投稿内容を画面に出して、バッと彼の顔の前に突きつけるように見せた。
携帯電話の画面に映し出されていたのは、
匿名の地方ニュースをオカルト話と交えて語るアカウントから投稿された一面だった。
その内容はというとーー『 こりゃあまた奇々怪界!時計の針が天を指す頃に童の姿が消え失せる!これは幽霊か!?妖怪なる仕業か!?ならば、童達は山登るご来光を拝めぬまま散りいく定め!ああ皮肉なり、朝ヶ山商店街!』ーーという胡散臭い文言がツラツラと書かれていた。
『こんな三流、いやそれ以下とも言える文面を信じて来るなんて…信じられない…』とでも言いたげな顔で悠一は黙って画面から目を離して、穏やかな笑みで見下ろしている伽藍を見上げる。彼の睨むような視線など気にせず、伽藍は携帯電話の電源を落としてズボンのポケットに仕舞い込んで話を再開する。
「そんな顔をするのも無理ないわ。この投稿は素晴らしく…」
変に長い間を置いて、もったいぶる伽藍。
彼がまさかそんなしょうもない文面を面白いと言ってしまうのかと変な期待と幻滅を抱いて待つ悠一。
数秒かけた沈黙の末に伽藍はおもむろに口角を下げて不快そうな口ぶりで、
「どうしょうもなく面白くてつまらないよね!」
表情とは全く正反対の明るい声で、無駄に待たされた時間を返せと言いたくなる発言に、思わず悠一は心の中で派手にひっくり返る。
そうとは知らずに伽藍は穏やかに続けた。
「もちろん。こんなものだけを信じて来たわけじゃないし、旅行に着たわけでもない」
「じゃあ、何しに行くんですか?」
「あら、わからない?町に行く目的はさっきの噂話を調べに行くのよ」
「えっ…、調べてどうするつもりですか?」
悠一が困惑した表情で問うと、伽藍は人差し指を口元に当てて片目をパチリと閉じ、
「それは…、ひ・み・つ♡」
ほんの僅かに色気づいた声で言う。
彼のその声を聞いた瞬間、悠一は謎の背筋の凍りつきと妙な悪寒に襲われ、自分を抱きしめて身震いをする。
「きゅ、急になんか寒気が…」
「あらやだ、風邪?大丈夫?ぎゅーしてあげようか?」
「初対面になにしょうとしてんですか!?通報しますよ!?」
「あはは、ごめんごめん!冗談よ!」
陽気に笑いながら謝る伽藍に、 『本当に信じていいんだろうか…』と悠一は未だに信じきれずに不安を覚える。
「あっ!」といきなり彼が声を上げた。
「良いことを思いついた!アンタが朝ヶ山町に住んでいるなら町を案内してくれない?」
「えっ!?なんで僕が!?」
「べつにいいじゃなーい!送ってもらうお礼だと思ってさ!お願い!」
「お願いも何もまだ送って欲しいとは言ってませんよ!」
「えー…まだ考えてたの…?」
「はい」
「なんでよー、アタシのこと信じてくれないの?」
「信じられません!初対面相手に変な態度を取る人をどう信じろっていうんですか!?」
「…」
話の途中で伽藍は口を閉ざし、小屋の外を一瞥した。彼の瞳の見つめる場所には何もなく、雨に降られる雑木林と道路の光景があるだけだった。しかし、彼にはハッキリと”それ”が視界に映っており、穏やかな表情が一気に険しくなる。
「聞いているんですか!?鈴蔵さん!!」
急に無言になった伽藍に向かって悠一が少し声を荒げた。煩わしそうに聞きながら彼は短く息を吐いて静かな声で、
「シッ…」
悠一の声を遮るように彼の顔の前に手をサッと出して強引に黙らせるように庇い、その場から伽藍は立ち上がって赤い瞳で鋭く睨みつける。
『一体、何が起きているんだ…?』と悠一は伽藍と外を交互に見る。彼が見ているであろう道路上には何もいないが、その視線は恐れ慄いてしまいそうな程に鋭い。ここで何か言うのはマズイのは間違いないのに、何が居るのか気になって声をかけた。
「何かいるんですか…?」
悠一に声量を抑えた掠れた声で話しかけられてもなお、伽藍は口を閉ざしたまま視線を一瞬だけ向ける。すると、彼は肩にかけていた刀袋を下ろして、袋から鈴の付いた赤い紐が巻かれた黒い鞘に納まった日本刀を袋から剥くように出した。それを見た悠一の反応はというと。
「ヒィッ!」
見慣れない凶器を前に、引き攣った恐怖の声を上げていた。ここでようやく伽藍が穏やかさを含みながら真剣な声で、
「死にたくなければ静かにしなさい。 今、アンタの目にもーー見えるようにしてあげるから…」
不可思議な発言をしたのとともに何かをするわけでもなく、目の前から伽藍の手が離れる。その瞬間、悠一の鳶色の瞳が見開かれた。
灼熱の地獄でも目の当たりにしたように表情に大きく歪めて、学生鞄を抱きしめて後ろの壁に”ビターンッ”と背を擦り合わせて張り付いた。視線の先にいるものに向かって、震える手で指をさし、
「あ、あれ…」
悠一は涙声で言った。
無理もない、あんな怨念の塊を見て腰を抜かさないやつはいない。
二人の視線の先には、地を這うような呻き声をあげながらズリズリと逆方向に折れ曲がった脚を引き摺って歩く、頭が半分潰れた血まみれの男の”幽霊”だった。
山中であるにも関わらず、この幽霊の服装は薄着の上にこの怪我の感じ…。十中八九、親しい人間などに崖から落とされて殺されたのかしら?『なんで俺を…』って、さっきからずっとぶつぶつ恨み言を気味が悪いくらい吐き続けている。
ーーこれは放っておいたら、間違いなく面倒になる類だわ…。
伽藍は刀袋をベンチに放りながら幽霊の注意を引くために、わざと相手にも聞こえるくらいの声で、
「ほんの少しだけ教えてあげるわ…。落ち着いてよく聞きなさい…」
冷静に悠一を制しながら小屋から出た。
先ほどの声で気づいた幽霊が向かってきているのを、鋭く捉えた伽藍は、刀を腰に据えて抜刀の構えをする。
「アンタの目に映っている奴は、心霊番組や写真でよく見る”幽霊”であって”その幽霊”ではない。そして、アタシはーー」
凛とした声で伽藍が言い切るより先に、おどろおどろしい声を上げながら、白目を剥いて血に濡れた幽霊が、前のめりに突進して襲いかかった。
目の前まで迫る幽霊の血に染まった手が伽藍に触れるよりも先に、鞘から鈍い銀色の輝きを放つ細身の刃を、鉄の摩擦音と共に走らせるように抜き放った。
決して触れる筈のない刀身が鋭利に霊体をしっかりと捉えて斬り裂き、鮮血のように赤い炎が激しく散る。
最後の足掻きに、男の幽霊は深い恨みが積もった森中を突き抜けるほどの慟哭を上げ、伽藍を道連れにしようと炎に包まれた手を伸ばす。
ーー救済を求めているかのようにも見える彼のその手を。
淡々と見つめた伽藍は、苦悶の表情を浮かべた男の頭を、容赦なく刺し貫いてトドメを刺した。
『ユリカ!!なんで俺を…俺を殺したんだ!!』
それでもなお、怨恨を募らせる悲痛に満ちた遺言と共に男の幽霊は、業火に全身を焼かれて、バラバラと砂のように崩れ落ちて灰になり、風に吹かれて消えていった。それと同時に降り続けていた雨が止み、幽霊によって作り出された冷たく澱んだ死の気配が霧散した。
伽藍は周囲に他の霊がいないか見渡した後に、『ふぅ…』と息を吐いてから刀を鞘に納めた。後ろを振り返れば、未だに悠一は小屋のベンチの上で震えているが、お構いなしに真面目な表情で、
「私は霊のみを祓うことに特化した、”終霊師”という仕事をしている。”陰陽師”とよく勘違いされるが、妖怪などの異形に対しては足止め程度のことしかできない。酷く半端な存在よ…」
自嘲気味に言う伽藍に、悠一は落ち着きを取り戻しながら先ほどの彼が言っていた秘密が何かを察し、
「もしかして…、貴方の本当の目的って…」
口籠もりながら言った。
すると、伽藍は乾いた笑いを溢して困ったような表情を浮かべた。
「あははっ。早々にこんなハプニングでバレちゃうなんて、格好がつかないわね。そう、私の目的は”全国を旅をしながら悪さをしている幽霊を成仏させること”よ」
「…」
「さて、どうする?」
「何を…?」
「さらに得体の知れなくなっちゃた私に、バイクで家まで送られたいか?送られたくないか?の話よ」
「ああ…」
「嫌ならバスが来るまで待てばいいよ。ただの私のお節介だし…」
「…じゃあ、お願いします」
「大丈夫?無理してない?」
「無理してません…。鈴蔵さんは僕が思っているほど悪い人ではなさそうなので…」
「浅い理由ねぇ…」
「別にいいでしょう?僕を守ってくれたことに変わりないし…」
「…」
悠一の言葉に伽藍は僅かに目を見開き、再び穏やかな笑みを浮かべた。それとは裏腹に思考は、凍てついた氷のように酷く歪んだ感情が渦巻いていた。
ーーこれだから子供は嫌いだ。
ただ見たものだけを信じ、馬鹿正直に分かったような口を聞く。時に駄々を捏ね、喚くだけのどうしょうもなく弱い存在。
目の前にいる悠一も、その愚かな子供と同類だろうな。
不意に伽藍は、どこか憂いに染まった表情で天を仰ぐように見上げる。雨に濡れて顔に掛かった黒髪を手で払いながら、樹々の隙間から日が差して青々と輝く葉の屋根を眺めた。
彼のその姿を、もし道行く人が見たのなら
『雑誌のモデルかな…』と思わず心を奪われて見惚れてしまうだろう。悠一もまた彼に見惚れていたが、すぐに頭を振って伽藍に、
「鈴蔵さん!僕の言った事、聞いてました!?」
さっきの話について声をかけた。
伽藍はいつもの陽気で明るい青年となり、飄々とした態度で接した。
「あぁ、ごめんね。なんか耳にゴミが詰まってて聞いてなかった!」
「えぇーー!!聞いてなかったんですか!?」
「ごめんなさいねぇ、本当に。この頃、歳のせいで聞こえづらいのよねぇ〜」
「いや、そんな歳には見えませんけど!?まだ二十代くらいですよね!?」
「あら〜!よく分かったわね!大正解!私は”二十二”のカッコよくてつよ〜いお兄さんよ!」
「その口調でお兄さんは無理がありませんか!?オネェさんの間違いですよね!?」
「は?」
伽藍は悠一の問いに目を丸くし、すぐにあからさまに嫌そうな表情をして声のトーンは明るいまま返した。
「勘違いしないでくれる?口調はこんなんだけど、私は”可憐で美しく笑顔が素敵な女性”が好きなの。貴方のような”子供”と”女性”でない限りバイクの後部座席になんかに乗せるもんですか!野郎は大人しく走りやがれ!」
恐らく彼の本音であろう発言に、悠一は苦笑いするのと同時に小声で『怖えぇ…』と身震いをした。だったら、”その紛らわしい口調を止めて欲しい”とツッコミを入れようかと迷ったが、面倒くさくなりそうなので口出しはしなかった。
悠一にそう思われているとは知らず、伽藍は小屋のベンチに置いていった刀袋を拾って、無造作に刀をそれに包み、再び肩にかけた。気怠そうに伸びをして息を吐くと、学生鞄を抱き抱えている悠一の方に視線を向けた。
「さて、雨も止んだし…。行きましょうか?」
落ち着いたトーンで穏やかに声をかけて、ベンチに置いていたヘルメットを小脇に抱えた。
悠一が立ち上がるのを待たずに小屋を出ると、
「ちょっ、ちょっと待ってください!」
背後から悠一の焦っている声と共に、ドタバタと慌てて来るのを右から左に聞き流す。
伽藍はヘルメットを被って顎下のベルトを留めて、小屋の横に止めていたバイクの方へと歩み寄る。案の定、びしょ濡れのバイクの黒いカバーのベルトを外して、泥の混じった水を勢いよく払うように”バサッ”と華麗に取り払った。
視界の端に、その水飛沫を”パシャアッ!”と被った悠一が見えたがーー時すでに遅かった。
伽藍は『やっちまった』と思いながら、間の抜けた声が漏れる。
「あっ」
カバーに付着していた水滴とはいえ、悠一の服やら鞄やらに降りかかり、そこそこ濡れていた。速攻で彼の小うるさい抗議が勢いよく飛んできた。
「いきなり何するんですか!?折角、雨に濡れずに済んでいたのに!!どうしてくれるんですか!?」
「やだー!ごめんなさい!背が小さくて気づかなかったわ!」
「シンプルにディスった上に、全く心が篭ってない!!」
「すぐにタオルを出すから待っててねぇ!」
「その上、無視!!」
伽藍はカバーを適当に畳んでバイクの横に取り付けているバックにギュッと押し込み。そそくさと、後部座席の上に積んでいる旅行バックのチャックを開け、手近にあったタオルを引っ張り出して後ろ手に投げ渡した。
タオルを受け取った悠一は眉根をひそめて不機嫌そうな表情で顔と服についた泥を落としていった。
彼の様子を伺おうと伽藍は悠一の方へと頭だけ振り返って、
「本当にごめんね。クリーニング代は家に送ったら渡すね?」
後ろ首を掻きながら申し訳なさそうに言うと、未だに怒りの滲んだ声で悠一が、
「当たり前ですよね!?貴方のせいで汚れたんですから、払って当然ですよね!」
キレ散らかして泥を拭ったタオルを伽藍にぶん投げる。勢いよく飛んできた其れを、彼は掠め取るように受け取り、軽く丸めてビニール袋に入れて旅行バックに仕舞う。
ーーいい加減に機嫌を直してよ。本当、餓鬼ね…。
旅行バックからハーフヘルメットを取り出した後にチャックで閉めて、ベルトを掛け直してバイクに固定した。その間も、ふて腐っている悠一の表情が視界の端にチラついた。こっちも段々とイラついてきたが、大人気なく怒るのは違うわね。
オイル漏れなどの不備がないかを全体的に確認した伽藍は、バイクに挿しっぱなしにしていた鈴蘭の花のキーホルダーが付いた鍵を、エンジンが掛かるまで回した。二、三度回したところで重厚なエンジン音が唸りを上げ、”トットットッ”と小気味の良い一定の音を刻み始める。
伽藍はバイクスタンドを蹴り上げて、出来る限り前に詰めてバイクの座席に跨ると、ハーフヘルメットを悠一に差し出し、
「さて、そろそろ帰る時間よ?坊ちゃん」
少し茶化すように言うと、彼がそれを受け取るのを微笑みを浮かべて待った。
「坊ちゃんは余計です。送っていただくのはありがたいですが、案内の件は遠慮しょうかと思います…」
「…そう、残念ね。けどまぁ、あんな目にあったら無理もないか…」
「分かっているなら、期待しないでください」
気に食わなそうに言い捨てると、悠一は深い溜息を吐きながらヘルメットを受け取って被る。少しサイズが大きかったこともあり、目深く頭に乗っているせいで前が見えづらそうであった。仕方なく彼の腕を掴んで優しく引っ張り、「ちょっ…」と驚いていたが聞かなかったことにして、バイクの旅行バックのせいで狭くなった後部座席へと誘導して座らせた。
悠一が何か言う前に、伽藍は彼の両腕を掴んで強引に自身の細い腰にベルトのように回させて、圧を添えた優しい声で、
「しっかりと掴まっていなさい。じゃないと振り落とすからね?」
冗談混じりに脅して、バイクのアクセルを開いて路傍から道路に走り出ると、
「わかってますよ!急に怖いこと言わないでくださいっ!」
必死に伽藍にしがみつきながら、悠一は情けない声を上げた。しかし、フルフェイスのヘルメットに加えて、風の音で彼の声は掻き消され、伽藍には届かなかった。これ以上言っても仕方ないと思い、大きめのヘルメットを被った頭を伽藍の背中に押し当てた。慣れないバイクに揺られながら吹く風に混じっている湿った樹々の匂いと、雨に濡れたアスファルトを走行音を流し聞きつつ、静かに森を抜けるのを待った。
◇ ◇ ◇
森の中のあのバス停を出発してから”一時間”。
雨上がり後の、悠々と流れる灰色の雲の隙間から神々しく白々とした陽光が差し込み、地上を疎に照らしていた。
森の鬱蒼とした景色とは打って変わって、
遠景に古民家が間隔を空けて立ち並び、両隣に水田がある舗装の行き届いた長い直線の田舎道を、伽藍と悠一の二人を乗せた黒のネイキッドバイクが疾走していった。
雨で濡れていた伽藍の衣服は向かい風のおかげで乾いたものの、ベタつきと汗だけがしつこく残り不快感が増していた。
「あぁ…風はちょうどいいのに、なによこの不快感は…」
フルフェイスのヘルメットで表情は見えないが明らかに機嫌が悪く気怠そうに伽藍が呟いた。
「…」
何度か伽藍に曲がり角で振り落とされかけた悠一は、彼の腰に回している腕を固く抱きしめながら、バス停を出てからずっと思考の海に浸っていた。
ーーあの幽霊が何者だったのか。
伽藍に聞いたところで分かるだろうか。
もしあの幽霊について、何か分かっているなら
教えて欲しい。そう思う反面、聞いて一体どうするんだと頭の中で鬩ぎ合いになっていた。
苦悩している悠一に何かを察したのか、
伽藍が”くすり”と笑う。
「ねぇ、悠一君。知りたいなら聞いてもいいのよ?」
頭上から降ってきた彼の優しい気遣いの言葉に
妙な安心感を覚えた。
悠一は彼の言葉に甘えて、その疑問について聞こうと口を開いた瞬間ーー。
「私のスリーサイズでしょ?良いのよ!遠慮なく聞いてちょうだい!」
まるで空気を読んでいないハツラツとした声で、奇想天外な発言が飛び出た途端に悠一は聞く気が失せてしまった。
こんな馬鹿げたことを平気で言う人に分かるわけがない。聞こうとした自分が馬鹿だった…。
勝手にそう決めつけ、心の内の激しい鬩ぎ合いは静かに幕を下ろしたのであった。
背後で何も言わなくなった悠一が気になり、伽藍は明るい声に僅かに不満を含んだ声で、
「ちょっとー?結局、何を聞こうとしたの?」
風にかき消されないように問いかけた。
対して彼は眉間に皺を寄せ口を尖らせながら、
「別になんでもないです…」
素っ気なく返して、そっぽを向いた。
答えない悠一に対して、伽藍は小さく息を吐いて真面目な声で話を振る。
「十中八九、あの幽霊のことでしょ」
「えっ…何で分かったんですか?」
「なんとなくよ、なんとなく。貴方がずーっとハゲそうな勢いで唸って考えてるから。その事かなって思ったのよ」
「ハゲそうって、僕はまだ十五なんですけど…」
「やだぁ、例えよ例え!考えただけで本当にハゲたら世の中の人間、みんなツルツルになっちゃうじゃない!」
「割と本当にあるから、笑えないんですけど…」
「えっ、みんなツルツルになるの!?」
「気にしてたの、そこじゃない!!」
「……あっ、考えたらハゲる方ね!」
「なんでちょっと悩んだんですか…。すぐ分かりそうなものですよね?」
「てか、いい加減にあの幽霊のことを教えましょうか」
「僕の話を全然聞いてませんね…」
脱線した話題を無理やり戻そうとする伽藍の自由気ままさに、悠一は呆れ返った。しかしながら、永遠とこんな会話を続けていては”あの幽霊”の詳細を完全に知ることができずに、町に着いてしまう。そうなれば、家にささっと送り届けられ、クリーニング代を渡されて終わるだろう。ちなみにさっきの一件が許しきれず、案内は断るつもりだ。故に恐らくもう会わないであろう彼の口から、”あの幽霊”の事を知りたかった。オカルトにはそこまで興味があった訳じゃないが、好奇心には勝てなかった。
長かった田舎道が終わりが見え始めた時、
伽藍は真近に迫る町の影を眺めながら、静かに語り始める。
「森のバス停で会ったーーあの男の幽霊は、
“浜中 大樹”という普通のサラリーマンだけど、
彼は資産家でもあった」
まるで昔からの友人であるかのような口ぶりで、先ほど斬り捨てた男の素性をツラツラと流暢に語る伽藍。その中で悠一は気になった言葉を投げかけた。
「資産家…?」
「そう。金持ちだった両親から資産を継いだだけで、特に手をつけることもなかった。だけど…」
「だけど?」
「彼は友人の誘いからキャバクラに通うようになってしまった。それから一人のキャバ嬢に入れ込んでしまい。付き合う為にあの手この手を使ったけど、なかなか振り向いて貰えず。
等々、自分が両親から莫大な資産を継いでいる事を話してしまった」
「それって…」
「まぁ、貴方が思っている通り。その話を聞いたキャバ嬢は、コロッと態度を変えて彼にベタつくようになった。さて、最後まで教えちゃうと詰まらないから、ここでクイズ!」
「えっ!いきなり…?」
「デデン!彼が資産家であることを知ったキャバ嬢は、なんて言って彼を騙したでしょうか?五分以内に考えて、お答えください!」
突然のクイズ形式に、悠一は混乱する中で素直に五分以内に、伽藍から与えられた内容から答えを導くために深く考え始めた。しかし、顔を顰めて低く唸ってばかりで、なかなか答えられない。そんな彼に伽藍は救済措置として、
「ちょーっと難しいかな?ヒントはね!
“彼女は彼を愛していない”。かなり大ヒントになっちゃったわ!分かるかな?」
自信満々に答えに繋がるピースを渡してきた。悠一は先ほどの情報と合わせて、再度こんこんと思考を詰める。それにより一つの答えには辿りつく。女性が興味を持たない男性に態度を偽ってまで近づいた理由ーーお金だ。
キャバ嬢は男性が資産家であることを自慢してきた時に、”結婚”をちらつかせたということだろうか…?ダメだ、もう分からない。
悠一は思考が行き詰まって伽藍に、
「鈴蔵さん…、全然分からないです。教えてください」
観念したように答えを乞うた。
伽藍は口角を僅かに上げてからの三日月のように口を歪ませて、
「まだ二分しか経っていないわよ。音を上げるのが早すぎるんじゃないかしら?」
ケラケラと笑って揶揄うと、悠一は顔を林檎のように真っ赤にして、彼の腰に回している腕を強く締める。
その静かな怒りの抗議に、伽藍は面白おかしくて更に笑いがこぼれ落ちそうになるが、これ以上の揶揄いは時間の無駄と判断し、笑みを浮かべたまま口を開き、
「答えはねーー”私を本気で愛しているのなら、一生働かなくてもいいようにして”って言ったのよ」
恥ずかし気もなく答えを言った。
『そんなの分かるわけがない…』とでも言いたげな表情をして、悠一は続きを黙って聞いた。
「こんなんで騙されるなんて馬鹿としか思えないけど、盲目になっていた男はまんまと騙されてしまった。そっからは言われるがままに結婚し、遺言書を残した…。あとは言わなくても分かるよね?」
「いや、分からないんですけど!?ちゃんと最後まで教えてください!」
「えー…、わがままねぇ。じゃあ、教えるわよ」
丸投げしようとして失敗した伽藍は、面倒くさそうにしながらも話を続けた。
「率直に言って、女は男を殺した」
「えっ…」
「察しが悪いわねぇ。あの時、男の幽霊は”ユリカ、何で俺を殺したんだ”って言っていたでしょ?」
「確かに…。けど、なんで森に…?」
「そんなの、男が女と一緒に車で新婚旅行に行ったからよ。んで、道中で女があの山の自殺の名所を有名な観光地と偽り、男を崖から突き落とした。その後、女は何食わぬ顔で男の遺産を受け取り、警察は不慮の事故として処理した…」
「…」
「胸糞悪いでしょ?これがあの幽霊の全容よ」
「そうですね…。にしても、なんでそんなに分かるんですか?」
「やだぁ…、そこまで踏み込んじゃう?」
「ダメですか…?」
「…残念だけど、こればかりは本当に秘密ね」
「そうですか…」
伽藍との話を終えた時に、悠一は視線を彼の背から横に向ける。道路脇にチラホラと陽の光を浴びている見覚えのある、風雅な古民家の住宅街やら、昔ながらの自営業のお店やらが、まばらに建ち並び。歩道を時たま歩いていく人々を、横目にそこそこの速さでバイク過ぎていった。徐々に町中に入り始めていることに対して、ようやく自分の家に帰宅できる安心感に胸を撫で下ろした。
一時は辺境のバス停で、途方に暮れていたところを、不審者極まりなかった伽藍に色んな意味で助けられた。どうなるかと思ったが、彼とのちょっとした旅も、これで終わる。
ホッと息をついた悠一は頃合いを見て、伽藍にバイクを停めてもらおうと思い、声をかけようとした時だった。
“キィーッ”とバイクが甲高い擦れる音を立てて停車した。
停車した場所は、悠一にとって見覚えのある”大きな三角屋根の古い木造の駅舎”のバスのロータリーの路傍だった。昼間だった為、人気はあまりなく静かに佇んでいた。
伽藍はヘルメットを両手で持ち上げるように外し、後ろに居る悠一の方へと頭だけ振り返って見る。彼は困ったように笑って、
「ごめんなさぁい、貴方の家が何処か教えてくれない…?」
申し訳なさそうに穏やかな声で聞いた。
『あぁ、そういえば言ってなかったな…』
と思いながら、悠一は言おうとして口をつぐんだ。
さっき頃合いを見て停めてもらうつもりだったし、ここで降ろしてもらおう。ここからなら自宅まで遠くはないから、一人でも帰れる。
「悠一くん…?」
心配そうに声をかけて、伽藍が悠一の顔を覗き込んだ。唐突に彼の綺麗な顔が目の前にあり、悠一は酷く驚いて飛び上がった。その拍子に、バイクに”ガンッ!”と足を強くぶつけた。余りの強く鈍い痛みに顔全体の皺を寄せて悶絶し、
「ゔぐぉぁ…」と押し潰されたような呻き声を上げた。
「あらら、大丈夫?バイクに傷をつけてないよね?」
悠一よりバイクに傷がついていないか心配しつつ、後部座席から滑り落ちそうになる彼を、伽藍は彼の肩を掴んで留めた。
「僕の心配軽ッ!!」
「そりゃあ、旅の相棒だからね?どっちが大切だなんて明白じゃない」
「まぁ、ですよね…」
あまりにも分かりきった伽藍の解答に対して、悠一は呆れたように笑って軽く返した。
そろそろ家に帰ろうと、悠一はバイクから慎重に降りて、痛む足を摩ってから歩き出そうとした時だった。
「あら、ここでいいの?ちょっと待ってちょうだい。クリーニング代を渡すわね」
優しい穏やかな声で伽藍が引き留め、バイクから降りる。すると、旅行バックから二つ折りの黒革財布を持ち出した。
静かに悠一の近くまで歩み寄り、伽藍は自身の粗相の責任を取ろうと財布を開いて、落ち着いた声で。
「これくらいで足りるかしら…?」
真面目に聞いて、費用を差し出す。
『なんだ意外とちゃんとした人じゃないか』と、悠一は感心して彼の手を見てーー。
「…」
思わず絶句した。
伽藍が差し出してきた金額は、クリーニング代の相場にも届いていなかったのだ。しかし、適当に誤魔化して渡してきた訳ではなさそうだ。
ーー彼の様子がおかしい…。
伽藍の額からは滝のように流れる汗、動揺の色に染まった夕焼けを写し込んだような赤い瞳。
“これは何か理由があるに違いない”と悠一が直感した時に、
「ごめんなさい…。この仕事、報酬制だから給料が安定してないの…。たがら、今の手持ちだとこれが限界なの!許してちょうだい!」
非常に申し訳なさそうな表情と声で、伽藍が頭を下げて謝り倒してきた。そこまでお金がないのなら、許すとしよう…。
ーー正直、全額貰いたかったが、仕方ない…。
表情に戸惑いを滲ませて、悠一は伽藍から泣けなしのお金を受け取り、スラックスのポケットに仕舞い込んだ。これで何の蟠りもなく、彼と別れられる…。
「お金のほうは足りてませんが…。ここまで送っていただいた”お礼”として、相殺します。ありがとうございました。さようなら…」
素っ気なく大人びた言い回しをして、伽藍に背を向けて悠一は歩きだすと、
「ええ…。今日は、さようならね…」
意味深な別れの言葉に思わず、悠一は振り返る。しかし、先ほどまで居た場所に伽藍と黒のバイクの姿は無く、綺麗さっぱり消えて微風だけが吹いていた。呆然と眺めたのちに、ハッとなって彼は再び帰路を急いだ。
つづく…
ユーカの別垢
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#強気受け
コメント
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このエピソード、めちゃくちゃ好みでした! 冒頭から空気感がしっかりしていて、雨の湿った重さや森のひんやりした感じが肌に伝わってくるようでした。伽藍さんの“ふわふわした口調”と、刀を抜くときの鋭さのギャップがたまらなくカッコいいです。中でも「黙ってろ」と手をかざして、目に見えないものを見ているあのシーン、ゾクゾクしました。 悠一くんのツッコミも絶妙で、キャラの掛け合いが楽しかったです。続きがすごく気になります!