これからも二人で一緒に生きていく為に、姉妹はこの大罪を隠し通さなければならなかった。
「いい?よく聞いて、命。
これから警察の人が来たら、『喧嘩してる声で起きました、落ちたのは見ませんでした』って言うの。
絶対に命がやったって言っちゃだめ。」
麗は真っ直ぐに命の目を見てそう指示した。
麗が生み出したシナリオはこうだ。
深夜、姉妹は両親が怒鳴り合う声で目を覚ます。
ベランダとは距離が遠く、また夫婦喧嘩自体が日常的なものであった為、言い争いの内容は聞いていない。
それから暫く経つと突然ドンッと重い音が聞こえ、不審に思った姉妹が様子を見に行くとこの惨事に至っていた。
「私達は、してはいけない事をしてしまったの。
お姉ちゃんと離れ離れになりたくないなら、出来るよね?命。」
麗は、九つにもなって事の大きさをひとつも理解出来ない、馬鹿で憐れな妹に重く言い聞かせた。
「うん、できる…
みこと、お姉ちゃんの言う通りにする。」
命は姉の言葉に不安げな表情を浮かべつつも、素直に頷いた。
「これからお姉ちゃんが警察を呼ぶからね」
とうとう、姉妹の逃亡的シナリオが始まろうとしていた。
大丈夫。命を守れるのは自分しか居ない。
麗は深く息を吐き、固定電話の受話器に手を掛ける。
が、はたと手を止め、背後の命を振り返った。
「涙、出せる?」
自分達は今、幼くして両親を失った憐れな姉妹だ。普通、こういう時には絶望して涙を流すものなのではないか。
命は「うーん…」と暫く努力したようだったが、やがて疲れたように笑った。
「みこと、悲しくないから出せないや」
そりゃそうだよな。
麗も釣られて笑ってしまった。
「君達が皇麗ちゃんと命ちゃん?」
「はい、そうです」
やがて警察官達が到着し、姉妹は事情聴取を受けた。
麗は必死に喉を震わせ、舌先を噛んで涙を浮かべ、子供らしく辿々しい話し方で台本を喋ってみせた。命は、ただ俯いてゆっくりと話していた。
「警部、鑑識によるとやはり事故で間違いないようです」
「そうだろうな。ところでお前、妹の方がやけに落ち着きすぎていると思わないか」
「まあ…まだ小学校低学年のようですから、何が何だかよく分かっていないのかもしれません」
「ああ、確かにそうだな…十三歳と九歳、か。
まだ小さいのに、可哀想にな。」
両親の死は、無事に事故死として処理された。
警察が親戚達に連絡してくれたことで、姉妹はその内の一人に引き取られることとなった。
そして事件の翌々日、朝。
その日、二人は大阪に引っ越す準備をしていた。
「お姉ちゃん、大阪ってどんなとこ?」
「うーん…たこ焼きがあって、あと……
そうだ、すごく大きな遊園地があるんだよ」
「ほんと! みこと、お姉ちゃんと遊園地に行って、たこ焼き食べたい!」
姉妹は、二人の新生活に思いを馳せた。
これからはもう殴られない。蹴られない。
新しい服や靴だって買ってもらえるかもしれない。
そうしたらきっと、もう汚いなんて言われなくなるはず。
そうなるはずだった。
リリリリリリ───────
不意に、廊下の固定電話が鳴り響いた。
「はい、皇です」
相手はこの間の警察官だった。
「あのね、事故のことについてなんだけど…
お父さんの服の隙間から、千切れた新聞紙の欠片が見つかったんだ。
君達は何か知ってるかな?」
聞いた瞬間、麗は脳を貫くような嫌な予感を覚えた。
命が両親を殺した時のこと。
思い返せば、まだ自分はその時の状況を全く把握していない。
もし、命の関与を証明してしまうものだったら─────
麗はそう警鐘を鳴らす第六感に従ってデタラメを吐いた。
「うち、いつも汚いので、ゴミが紛れたんだと思います。」
「命。あの時、どうやってお父さんとお母さんを落としたの」
電話の直後、麗は居ても立ってもいられず命の肩を掴み、問い質した。
「え、えっとね、あのときは────」
命が言うにはこうだ。
あの日の深夜、両親は酒を酌み交わしながら上機嫌に笑っていた。
「お前、よく考えたな。これからは楽に金が稼げる」
「あいつは顔は悪くないからな。まあ、引きずって連れて行けばその内抵抗しなくなるだろう」
命はその時父親に頼んだのだという。
紙飛行機がベランダの柱に引っ掛かったので取って欲しい、と。
機嫌が良かったのか、彼は珍しく引き受けてくれたらしい。
紙飛行機はベランダのかなり高い位置に固定してあった。そして父親が柵に手を掛け、腕を伸ばしたその瞬間、命は強く背中を押した。
恐らく、紙飛行機はこの時千切れたのだろう。
鈍い音が家の中に響き、母親は不審に思う。
そしてやって来て下を覗き込んだ彼女もまた、落とされた。
話を聞いた麗は、息を呑んだ。
確かに、ここのベランダの柵は低い。
それでも、こんな無鉄砲で恐ろしい計画を九つの子供が考え、遂行したというのか。
自分の為にした事とは言え、妹のことが少し怖くなった。
────いや、そんな事よりも。
視線は命の左手に向かう。
問題はこの紙飛行機だ。
麗は徐に命の手からそれを取り上げた。
「命、私の為に頑張ってくれてありがとう。
でもね、この紙飛行機は命がやったっていう証拠になる。だから、持っていたらだめなの」
麗は傍らのボストンバッグから嘗て母親が使っていたライターを取り出した。そして、紙飛行機の先に火を灯したその瞬間。
「燃やしちゃダメ!!」
命が叫んだ。
そして燃え始めた紙飛行機に手を伸ばす。
「危ない!」
麗は咄嗟にその腕を掴んだが、「やめて」「だめなの」と命は喚いて激しく暴れ続ける。
その時、悲劇は起こった。
麗の持つライターの火が、思いがけず命の口元へと押し付けられた。
ジュウッと肉組織の焼ける音。
鼻を突く酷い臭いが立ちのぼる。
麗ははっと飛び退いた。
が、命の口元は赤黒く焼け爛れ、既に惨憺たる有様だった。
あまりのことに呆然としていたが、次の瞬間麗は我に返り、妹の元へ駆け寄った。
「みっ命…!!ごめん、ごめんね…
どうしよう、命の口が────」
すると命が震える手を持ち上げ、燃え尽きた紙飛行機の残灰を指差した。
「ふ、た り…で」
ふたりで
その言葉の意味を、パニックになっていた麗は思い出せなかった。
その後、折よく訪れた親戚に事情を話し、命は病院へ運ばれそのまま治療入院となった。
「もう言葉を話すことは出来ないでしょう。」
絶望に追い討ちをかけるように、医者は静かにそう言った。
本来、私達は大阪の親戚宅に身を寄せる予定だった。
けれど私は命の入院中、無理を言って遠くの街に一人の部屋を借りた。
私は逃げたのだ。
何に代えてでも守ると心に誓った。
二人で幸せになる夢を思い描いた。
そのたった一人の妹に、私は一生消えない傷を負わせた。
そんな現実にどうしようも無く打ち拉がれ、逃げ出さなければきっと呼吸さえ保って居られなかった。
やがて私は、私を知る人の居ない中学校へ転入した。
そして新しい地で、新しい自分を作り上げた。
最低な人生をやり直す為に。
「ウチの新しいカレシな〜、めっちゃ金持ちやねん」
次は上手く出来るように。
「いっぱいブランドもの買ってくれるし。
ウチ、今めっちゃ幸せ!」
綺麗に着飾って、気丈に振舞って、フラッシュバックを起こしそうなイジメにだって加担した。
内側に眠る臆病で弱い心を守り続ける為に、私は嘘を吐き続けた。
後悔しているかといえば、私の脳内に焼き付いた記憶たちはきっと後悔している。
それに、ずっと私を責めている。
何もかもを捨て逃げたあの日から、何度も夢を見る。
口元の焼け爛れた妹が、泣きながら私を責める夢。
『お姉ちゃん、なんで私を置いて行ったの?』
「っ…くすり、くすり…」
今夜もまた、私はいくつもの薬を水で流し込む。
するとやがて頭がふわふわと軽くなり、悪夢は去っていった。
…あー、そうだ、そうだったあ。
「命は死んだんだった!」
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コメント
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ある意味本当に死んでるよりきつくて終わった いや死んでなくてよかったけど もうみこうらは会えないんですか😰😭😭😭😰😰😭これもう日本終わりだろ
命しんでません