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K-Takasaka
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朝八時。
キッチンから、焼けたパンの匂いが漂っていた。
カキはテーブルの前に座り、目の前に置かれたトーストを見つめている。
一枚。
二枚。
三枚。
「……多くない?」
「食べて」
キッチンの隅に置かれた機械が、無機質な音声で答えた。
「活動量、睡眠時間、前日の摂取カロリーから算出した必要量です」
カキはテーブルの端を見た。
皿の上には、まだ焼きたてのトーストが積まれている。
「俺、昨日そんなに動いたっけ?」
「ギターを二時間三十七分演奏。庭を二往復。床下の調査を一度実施」
「床下の調査はしてない。しようとしただけだ」
「行動意欲を活動量として計上しました」
「それは違うだろ!」
機械は新しいトーストを吐き出した。
カキは慌てて皿を手で押さえた。
「もういいって!」
「必要な栄養を摂取してください」
「俺はパンでできてない!」
向かい側で、アオノがタブレットを操作していた。
「試作一号の栄養管理機能は正常に作動している」
「正常じゃない! 俺を止めてくれ!」
「食べれば止まる」
「食べても次が出てくるんだよ!」
メバルがキッチンへ入ってきた。
「アオノ、この機械は何?」
「生活支援システム・試作一号。家事、予定管理、機材管理、体調管理を自動化する」
「昨日そんな話してたっけ?」
「説明した。全員が聞いていなかった」
マサカゲがリビングから顔を出す。
「俺は聞いた。試作段階だから、勝手に使うなとも言ってなかったか?」
「使用許可は取った」
「誰に?」
「私に」
マサカゲは目を閉じた。
「それは許可とは言わない」
機械がカキの前に新しい皿を置いた。
「追加の糖質を推奨します」
「推奨するな!」
カキは椅子から立ち上がった。
その瞬間、機械の横から細いアームが伸び、カキの肩にかけられていたギターを回収した。
「えっ?」
アームはギターを持ち上げ、壁際の収納スペースへ運んでいく。
「おい! それ俺の!」
「機材の保管状態を最適化します」
「勝手に触るな!」
カキはギターを取り戻そうと追いかけた。
しかし、機械は彼の動きを予測したように反対方向へ動く。
「待て!」
「走行経路に障害物があります」
「それは俺だ!」
カキがアームに手を伸ばす。
機械はギターを高く持ち上げた。
「保護対象を確保しました」
「俺のギターは保護されたいって言ってない!」
メバルが機械の電源ボタンを探した。
「アオノ、止め方は?」
「緊急停止は背面」
「背面ってどこ?」
「本体の後ろ」
「見れば分かるよ!」
メバルが回り込もうとしたとき、機械の別のアームが洗濯物を取り込んだ。
シャツ、タオル、靴下。
そして、マサカゲが持っていた予定表まで吸い込んだ。
「おい!」
マサカゲが手を伸ばす。
「予定表を返せ!」
「重複した予定を整理します」
「勝手に整理するな!」
機械の画面に、マサカゲの予定が表示された。
午前九時、防音室の清掃。
午前十時、機材の点検。
午前十一時、全員休憩。
昼十二時、全員休憩。
午後一時、全員休憩。
午後二時、全員休憩。
マサカゲの顔が引きつった。
「休憩が多すぎないか?」
アオノが画面を確認する。
「作業効率を分析した結果、あなたは休憩が不足している」
「それは分かっている。でも、予定を全部休憩に変えるな」
「適切な状態です」
「俺の作業が消えている!」
ミステーが機械の画面を覗き込む。
「予定が眠っています」
「眠らせたのは機械だろ」
「眠っている予定は、起こさないほうがよい場合もあります」
「起こす必要があるんだよ!」
その横で、機械が別の画面を開いた。
《ミステー:発言内容を解析中》
「私の言葉が記録されています」
「それは困る?」
「まだ分かりません」
《要解読》
ミステーは画面を見つめた。
「解読される予定が入りました」
カキがギターを追いかけながら叫ぶ。
「それより俺のギターを返してくれ!」
機械が反応した。
「大音量を検知。精神状態に不安定さを確認」
「不安定にしたのはお前だ!」
「鎮静処置を開始します」
機械の上部から、静かな環境音が流れ始めた。
小鳥の声。
水のせせらぎ。
風鈴の音。
カキはギターを追いながら、穏やかな自然音に包まれていく。
「癒やされてる場合じゃない!」
メバルがようやく本体の背面に回り込んだ。
「これかな?」
「赤いカバーの中」
アオノが答える。
「最初から言って!」
メバルがカバーを開けようとした瞬間、機械が警告音を発した。
「不正な操作を検知」
「不正じゃない。停止させるだけ!」
「所有者を確認します」
機械のカメラが、メバルの顔を読み取った。
「所有者候補、メバル。信頼度六十一パーセント」
「候補って何?」
機械は次に、アオノへ向きを変えた。
「所有者候補、アオノ。信頼度八十八パーセント」
「私が作ったから」
「所有権を確認できません」
アオノが手を伸ばした。
「停止コードを入力する」
「音声認証を要求します」
「試作一号、停止」
「音声を解析中」
機械の画面に、アオノの顔が表示された。
「発話者の感情状態、冷静。危険度、低。停止命令の必要性、未確定」
「停止命令の必要性は確定している」
「再解析します」
「再解析するな!」
そのとき、玄関からK-Tが入ってきた。
いつものように無駄のない足取りで、靴を脱ぐ。
機械がすぐに反応した。
「新規対象を検出」
K-Tは機械を見た。
「何だ」
「生活支援システム・試作一号です」
「そうか」
「衣類の状態を確認します」
機械の小型カメラが、K-Tの服を読み取った。
黒い上着。
暗い色のシャツ。
長ズボン。
機械の画面に文字が表示される。
《衣類分類を開始》
数秒後。
《男性用。信頼度四十七パーセント》
さらに数秒。
《女性用。信頼度四十三パーセント》
画面が点滅した。
《判定不能》
カキがギターを抱えたまま振り返った。
「何が判定不能なんだ?」
機械が答える。
「K-Tの衣類について、男性用・女性用の分類が確定できません」
「服に性別なんてあるのか?」
「販売区分、形状、素材、着用傾向から判定します」
ミステーが画面を覗き込む。
「服が、どちらの側にも立っていません」
「だから判定不能なの?」
メバルがK-Tを見る。
K-Tは自分の服を見下ろした。
表情は変わらない。
「返せ」
「返す?」
「その機械を止めろ」
アオノがもう一度停止コードを入力した。
機械は反応せず、K-Tの服に向けてスキャンを続けていた。
「判定を継続します」
「必要ない」
K-Tの声が低くなる。
機械の画面に、次の文章が表示された。
《男性用衣類として登録します》
K-Tが一歩近づいた。
「登録するな」
「女性用衣類として登録します」
「するな」
「分類を保留します」
「それもするな」
K-Tは本体の電源コードを見つけた。
機械が危険を検知し、後退する。
「接近を確認。安全距離を確保します」
「逃げたぞ!」
カキが叫ぶ。
K-Tは追わなかった。
機械の動きを見ながら、部屋の角度を確認している。
アオノはそれに気づいた。
K-Tは機械の移動速度と逃走経路を、すでに計算していた。
「K-T、右側へ回り込んで」
「分かった」
K-Tが動く。
機械は反対方向へ逃げた。
しかし、K-Tは壁とテーブルの間を一度通り抜けただけで、機械の進行方向を塞いだ。
「停止してください」
「断る」
K-Tが電源コードを抜いた。
機械の画面が消える。
ギターを持ち上げていたアームが落ち、洗濯物が床に散らばった。
部屋に静寂が戻った。
数秒後、カキがギターを抱きしめた。
「助かった……」
メバルが床に落ちた洗濯物を拾い始める。
「アオノ、これ本当に大丈夫?」
「動作に問題はない」
マサカゲが予定表を拾い上げた。
「問題があるから止まったんだろ」
「性能は想定以上だった」
「暴走も想定以上だ」
アオノは電源コードを調べた。
K-Tは、先ほど機械が表示した画面を見ていた。
《男性用。信頼度四十七パーセント》
《女性用。信頼度四十三パーセント》
《判定不能》
カキがK-Tの隣に立つ。
「この服、そんなに分かりにくいか?」
K-Tは答えなかった。
「俺には普通に見えるけど」
「普通だ」
「じゃあ、何が判定不能なんだ?」
「機械が壊れている」
アオノが会話に割り込んだ。
「機械の衣類分類機能に問題がある。学習データの偏りか、分類基準の不足」
K-Tはアオノを見た。
「そうだ」
「声の判定も不安定だった」
アオノが続ける。
「試作一号は、声質の性別判定も行える」
K-Tの視線がわずかに動いた。
「やめろ」
「まだ判定を開始していない」
「開始するな」
アオノはK-Tの反応を観察した。
前回、防犯システムの記録について話したときと同じだった。
K-Tは、性別を推測されることそのものを嫌がっているように見える。
しかし、アオノはそれを口にしなかった。
「分かった」
K-Tはそれ以上何も言わず、キッチンを出ていった。
カキが小声で尋ねる。
「K-T、ああいうの苦手なのかな?」
「機械に服を分類されるのが?」
「それもだけど、性別とか」
メバルがカキを見た。
「カキ」
「分かってる。勝手に決めつけるなってことでしょ」
「うん」
カキはK-Tが出ていった方向を見た。
「でも、機械が勝手に決めつけようとしてたんだよな」
アオノは、停止した試作一号を見つめた。
「正確には、分類しようとしていた」
「同じじゃないか?」
「違う」
「どこが?」
「分類は、対象を理解するために必要な処理だ」
「でも、分からないものを無理に分けたら?」
アオノは答えを返せなかった。
昼過ぎ。
試作一号は、アオノの作業机の上で解体されていた。
カキはその周囲をうろつき、外された部品を覗き込んでいる。
「これ、何の部品?」
「温度センサー」
「これは?」
「音声入力装置」
「これは?」
「触らないで」
「まだ触ってない」
「触る直前だった」
「よく分かるな」
「手の位置を見れば分かる」
カキは少し考えた。
「それ、K-Tと同じじゃない?」
アオノの手が止まった。
「何が?」
「人がどう動くか、先に分かるところ」
「K-Tの観察能力と私の分析は異なる」
「でも、どっちも見てるだろ」
アオノは部品を机の上に並べた。
「私は記録と計算によって予測する。K-Tは経験によって判断している」
「経験って、何の?」
「分からない」
「K-Tは分からないことが多いな」
「だから観察している」
そのとき、背後から声がした。
「観察しすぎると、見えないものが増えます」
ミステーだった。
カキが振り返る。
「どういう意味?」
「目で見たものは、目で見えないものを隠します」
「もっと分からない」
ミステーは解体された機械の部品を一つ手に取った。
「この機械は、分けることはできます。しかし、分けたあとに戻す方法を知りません」
アオノが部品を取り返す。
「試作段階では、分類精度を上げる必要がある」
「何でも分ければいいわけじゃないよ」
メバルが後ろから言った。
「人のことを、男性か女性かだけで分けたら、それ以外が見えなくなるから」
カキは黙った。
その会話を、廊下の角からK-Tが聞いていた。
誰も気づいていない。
K-Tは手にしていた黒い布を握り直した。
それは、撮影用の衣装ケースに入っていた衣服だった。
メバルが気づいて振り返る。
「Kちゃん、それどこにあったの?」
「倉庫」
「撮影用の衣装?」
「そうだ」
「次の映像制作で使うかもしれないから、勝手に着ないでね」
「着ない」
K-Tは衣装ケースへ戻ろうとした。
カキが近づいてくる。
「なあ、K-T。その服も機械なら判定できないかな?」
「知らない」
「試してみようぜ」
「やめろ」
K-Tの返事は早かった。
カキは足を止めた。
「……分かった」
いつものように反論するかと思ったが、K-Tの顔を見て、何も言わなかった。
K-Tは衣装ケースを閉じ、その場を離れた。
アオノは、その様子を見ていた。
そして、机の上の試作一号に残された音声解析データを確認した。
機械は停止する直前、K-Tの歌声を一部記録していた。
アオノは再生ボタンを押す。
防音室で録音された高音。
細く、透明で、わずかに鋭い声。
機械が自動解析を開始した。
《声質の性別判定を実行します》
アオノは停止しようとした。
だが、画面に結果が表示されるほうが早かった。
《男性:信頼度四十八パーセント》
《女性:信頼度五十二パーセント》
アオノは画面を見つめた。
その数値は、どちらとも言い切れないほど僅かな差しかなかった。
機械は続けて表示した。
《声質の性別判定、信頼度五十二パーセント》
背後で、床が軋んだ。
アオノが振り返る。
K-Tが立っていた。
いつからそこにいたのか分からない。
「消せ」
「このデータは――」
「消せ」
「音響分析に必要な記録でもある」
「声域の記録だけ残せ」
「性別判定部分だけを削除するのは、データ処理として――」
K-Tが一歩近づいた。
「アオノ」
低い声だった。
しかし、機械が録音した高音の残響が、まだスピーカーから小さく漏れていた。
アオノは画面を見た。
それからK-Tを見た。
「分かった」
データを削除する。
《声質の性別判定データを削除しました》
K-Tは画面を確認した。
「他には?」
「残っていない」
K-Tは頷いた。
「そうか」
「なぜ、そこまで拒む?」
K-Tは少しだけ黙った。
「必要ない」
「答えになっていない」
「俺には必要ない」
それだけ言うと、K-Tは部屋を出ていった。
アオノは残された波形を見つめた。
性別判定のデータは消えた。
しかし、高音の特徴、声の伸び、音の揺れ、呼吸の間隔は残っている。
アオノは新しい記録を作成した。
《K-T:高音域への適性が高い。声質は中性的。性別判定は行わない》
その日の夕方。
試作一号は、電源を切られたままリビングの隅に置かれていた。
カキはその前にしゃがみ込み、機械の画面を覗いている。
「なあ、こいつ、もう動かないよな?」
「電源を入れなければ動かない」
アオノが答えた。
「勝手に動き出したりしない?」
「しない」
「絶対?」
「確率は低い」
「それ、絶対じゃないじゃん!」
メバルが夕食を運んできた。
「カキ、機械に近づきすぎないで。今日はもう十分騒いだから」
「俺じゃなくて機械が騒いだんだよ」
「追いかけたのはカキでしょ」
「ギターを取り戻そうとしただけ!」
マサカゲが予定表を見ながら言う。
「明日から試作一号の使用は禁止。アオノが安全確認を終えるまで、倉庫に置く」
「了解」
アオノは機械を持ち上げようとした。
そのとき、画面が一度だけ点灯した。
《登録情報を更新します》
全員が固まる。
「電源は切れているはずだよね?」
メバルが尋ねた。
「切れている」
画面に、新しい項目が表示された。
《K-T:衣類分類、判定不能》
カキが叫んだ。
「まだ言ってる!」
アオノはすぐに本体の裏を確認した。
電源コードは抜かれている。
内部バッテリーも外してある。
それでも画面は消えない。
《声質の性別判定、信頼度五十二パーセント》
K-Tが画面を見た。
「消せ」
機械が返答する。
「削除には所有者の承認が必要です」
アオノが言う。
「所有者は私だ」
「所有権を確認できません」
「私が作った」
「作成者と所有者は異なる場合があります」
カキが後ずさる。
「これ、もう機械の不具合じゃないだろ」
ミステーが画面を見つめた。
「分からないものを、分からないまま残そうとしています」
K-Tが機械の背面へ回った。
そして、内部の小さな記憶装置を取り外した。
画面が消える。
今度こそ、完全な沈黙が戻った。
K-Tは記憶装置をアオノに渡した。
「これも消せ」
アオノは受け取った。
「分かった」
K-Tは自分の部屋へ戻っていく。
カキはその背中を見ながら、メバルに小声で尋ねた。
「K-Tって、服に何かこだわりがあるのかな」
メバルは少し考えた。
「たぶん、服だけの話じゃないと思う」
「じゃあ、何の話?」
「本人が話すまで、待ってあげよう」
カキは黙った。
やがて、機械を見下ろす。
「判定不能って、悪いことじゃないよな」
アオノが答える。
「分類できないことは、性能上の問題になる」
「でも、人間なら?」
アオノはすぐには答えなかった。
メバルが、静かに言った。
「その人がその人でいられるなら、無理に決めなくてもいいんじゃないかな」
リビングの奥。
誰もいない廊下の向こうで、ドアが閉まる音がした。
K-Tの部屋のドアだった。
夜九時。
K-Tはいつも通り、部屋の明かりを消した。
机の上には、黒い衣服が畳まれている。
その隣に、倉庫から持ち出した撮影用衣装の写真が一枚あった。
K-Tは写真を見た。
女性用として用意された上下の衣装。
肩と脚が出るデザイン。
しばらく見つめたあと、写真を裏返した。
廊下のカメラが、閉じたドアを映している。
画面の下部には、アオノが設定した文字が表示されていた。
《異常なし》
しかし、そのすぐ下に、試作一号が残した最後の記録があった。
《判定不能》
K-Tの部屋から、低い声が聞こえる。
「……必要ない」
誰に向けた言葉なのか、誰にも分からなかった。
コメント
1件
ああ、このエピソード、すごくよかったです……! 機械がK-Tの衣類や声を「判定不能」と表示するたびに、K-Tの表情じゃないけど、なんとも言えない空気が部屋に広がる感じが伝わってきました。カキの「判定不能って、悪いことじゃないよな」って言葉にじんときました。メバルの「無理に決めなくてもいい」っていう優しさも、心に残ります。K-Tの「必要ない」は、もっと深いところから出てる言葉なんだろうな……続きが気になります。