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某日 ポートマフィア
〜太宰の執務室〜
『はあ……君は本当に使えないね。
私をどれだけ失望させたら気が済むのかな。 』
男が何か口を開こうとする前に、その身体は壁に激突し、同時に引き攣ったような低い喘ぎが漏れた。
鈍い音が何度も響いた。冷ややかな声が低く途切れ途切れに聞こえる。刃物で撫でられるような嫌な感触だけが伝わってきたが、激痛のせいで内容までは頭に入らない。
痛々しく腫れ上がった傷の隣には炎症が落ち着き瘡蓋になっていた古い傷も残っていた。
身体中に刻まれたこの痕跡は数年経っても消えないだろう。
まるで呪いだった。 傷が痛むたび、いつもあの人を思い出してしまう。
嫌いな相手の存在を四六時中突きつけられるのは、あまりに苦しいものだった。
最近では小さいミスが減り、太宰から虐げられることも減っていたのに大切な任務で失態を冒してしまった。
男が悶える様子を異物を見るような眼差しで見下ろす太宰。
『……まったく。体躯は良いくせにもう死にかけじゃないか。だらしないなぁ。 』
『他の幹部ならとっくに捨てているよ。
君みたいな出来損ないをわざわざ手元に置いて指導してあげている私の慈悲深さに少しは感謝してほしいものだね。』
表情こそ変わらなかったが、その声には先ほどまでとは僅かに違う響きがあった。
男はそれを感じ取るたび、ひどく不快な気分になった。
痛めつけた後に見せる毒のような甘やかし。
まるで自分を救ってやってるかのような態度に吐き気がした。
これだけ痛めつけ、踏みにじっておきながら、それでも手元に置こうとする。
その歪んだ執着こそが男にはなによりも不気味だった。
気づけば、反抗的な眼で太宰を見上げていた。
満身創痍の身体でそんな視線を向けるのが危険だということくらい本当は分かっていた。
それでも視線を逸らせなかった。
その表情を見て太宰はぴたりと動きを止めた。
不快感を露わにするわけでもなく、声を荒らげるわけでもない。ただ冷え切った眼光で男の瞳の奥をじっと見下ろしてくる。
その無機質な瞳に見つめられた瞬間、執務室の空気が凍りついた。
男の背筋を悪寒が走る。
怒りに任せて挑発的な視線を向けてしまった。
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だが、目の前にいるのは気まぐれに人を殺めるポートマフィアの最年少幹部だ。
頭に上っていた血が一気に引いていく。
先ほどまでの反抗心は跡形もなく消え失せ、傷口の痛みさえも忘れるほどの恐怖が身体を支配した。
──殺される。
そう理解した瞬間、まともに息をすることすら難しくなった。
そんな無様な怯えを嘲笑うでもなく、太宰はただ静かにゆっくりと男の前で膝を折った。
痛む体を強引に起こすように、冷たい指先が男の顎を掴み上げる。
『へえ……そんな眼もできるんだね』
低く、一切の温もりを削ぎ落とした声。
顎に食い込む指の冷たさが皮膚を通して骨まで染み込んでくる。
至近距離で対峙する最年少幹部の瞳には光などどこにも存在しなかった。
底のない井戸のような、ひたすら深い闇。
そこに映っているのは恐怖に怯え、血と汗に塗れた己のみっともない姿だけだ。
床に額をつければいつものように済むかもしれない。
だが──そんな降伏は、絶対に嫌だった。
殺される恐怖で喉は引きつり、膝の震えだって止まらない。
けれど涙で滲む視界の向こうにいるこの人にだけは絶対に屈したくなかった。
怯えの奥に固い執念を宿した男の瞳を見て、太宰は小さく目を細めた。
『……ふうん。』
冷淡な声とともに顎を掴んでいた手が不意に離される。
支えを失った身体が床へ倒れ込む。
太宰はそれ以上興味を示すことなく、踵を返した。
『つまらないね。殺す価値もない。
明日までにその汚い血を片付け給え。』
パタン、と静かな音が響き扉が閉ざされる。
重い扉が閉まる音を聞きながら、床に伏せた男の拳は悔しさと惨めさで血が出るほど強く握りしめられた 。
所詮泥臭い悪あがきだ。
それでも、必ずあの人に屈辱的な目に遭わせると決意した。
─次回─
抗えない.