喉に巻いた封紋の布は、白露の歌声だけでなく、
彼女自身の感情までも鈍らせていった。
悲しいはずなのに涙が出ない。
怖いはずなのに心が震えない。
代わりに、胸の奥に“冷たい空洞”だけが広がっていく。
人の心を読まない代償として、
白露は 自分の心の輪郭 を失い始めていた。
旅の途中、白露は一人の剣士と出会う。
彼は戦争で家族を失い、感情を完全に閉ざしていた。
白露がそばにいても、
色も光も、何も流れてこない。
――初めてだった。
「何も聞こえない心」
それは恐怖ではなく、
なぜか白露を安らがせた。
「君は…俺の心が見えないのか?」
白露は初めて、
“心を読めない相手と一緒にいられる安心”を知る。
だが同時に気づく。
彼の心は静かすぎる。
生きる意志そのものが、音を立てていない。
次に出会った少女は、笑顔の裏に嘘を幾重にも重ねていた。
封紋をしていても、
黒い影だけが微かに滲み出る。
「本当のことを言ったら、嫌われるから」
白露は歌えない代わりに、ただ隣で耳を傾けた。
すると初めて、影の奥から
小さな金色の光 が瞬いた。
白露は悟る。
歌わなくても、心は“触れ合える”のだと。
だがそれは、
歌ほど深く、確実ではない。
怒りに支配された青年と対峙した夜、事件は起こる。
彼の感情が爆発し、村に火が放たれた。
叫び、憎しみ、恐怖。
封紋をしていても、
感情の奔流が白露を貫いた。
「……っ、痛い、これ以上背負えない……!」
布が熱を帯び、
喉が焼けるように痛む。
封紋は“外からの心”を防げても、
“溢れ出す感情”までは止められなかった。
炎の中で、白露は思い出す。
7歳の夜の痛み。
13歳の恐怖。
そして――それでも救われた人々の微笑み。
「私は…心を読むことが怖いんじゃない」
「誰かの心を知ったあと、
それでも一緒に生きる覚悟がなかっただけ」
白露は震える手で、封紋をほどく。
彼女の歌は、以前とは違っていた。
心を“暴く”歌ではない。
心に問いかける歌だった。
怒りの赤は、ゆっくりと橙へ。
黒い影は、形を失い、夜へ溶ける。
恐怖の青は、静かな雨になる。
白露はすべてを抱えない。
共鳴した分だけ、そっと返す。
「あなたの心は、あなたのもの。
私はただ、隣で歌うだけ」
白露は決めた。
逃げない。
でも、無理もしない。
すべてを救う歌姫ではなく、
“心に寄り添う旅人”として生きることを。
彼女の歌は、
聴く者の心を映す鏡であり、
癒しであり、選択肢だった。
白露は今日も旅を続ける。
歌うか、歌わないか。
その答えを――
その都度、自分の心に問いながら。
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