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音葉リラ
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@_のあるくん
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ここ(>▽<)
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@_のあるくん
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コメント
1件
うわ……これ、すごく重いのに、すごく綺麗な文章だね。 「幸せなはずなのに、そう思えなかった」ってとこ、心に刺さったよ。 自分を責めるループから抜け出せなくて、でも生きたいとも思ってて…その両方があるっていうのが、すごくリアルで苦しかった。 主人公の独白をちゃんと受け止められた気がする。大事に読ませてもらったよ🌙🤍
俺って、なんで生きているんだろう。
夜、そう思うときがある。
静まり返った布団の中で。
夜の光を浴びながら、そう思う。
自分で生まれてきたかったわけではない。
ただ、自分の顔と、中身が、あっていない気がして。
人のことが憎い、自分が嫌いで。
自分の一瞬の喜びさえも、後に自分への非難の対象になる。
俺は何か、いけないことをしただろうか。だめなことをしただろうか。
そう言えるほど、不幸でもない。
ただただ、学校へ行って、一人で過ごしている。
それを、気が付かない人もいれば、仲の良かった人は、かわいそうだという目で見てくる。
いや、気が付いているけれど、知らないふりをする。
それでよかった。
それがよかった。
じぶんはそれだけでも十分幸せだ。
でも、そう思えなかった。
十分幸せなはずなのに、そういう場面でもないのに。
涙が出てくる。 泣いている自分は嫌いだ。
誰かに責任を転嫁しているようで。
怒っている自分は嫌いだ。
自分を正当化しているようで。
笑っている自分は嫌いだ。
他人のことも想像しないで、へらへらと笑っているようで。
悲しんでいる自分は嫌いだ。
自分は被害者だと、周りに知られるようで。
俺は幸せだ。
幸せ、なんだ。
特に、これと言って、不幸なエピソードも、悲劇も、ない。
幸せな自分を満ちていないように演じる自分。
ふと、見えてしまう黒い部分。
結局のところ、自分の悪い部分を認めたくないだけだ。
死にたいわけではない。むしろ、生きていたい。
一刻一刻、一秒一秒、時間が過ぎるたびに、自分が死へと近づいているようで、怖くなる。
友達も、家族も、先生も。
みんな嫌いになった後で気が付く。
自分が悪いんだと。
結局のところ、自分が自分を嫌いになるための材料に過ぎなかった。
泣いた後はすっきりする。
それが嫌だった。
笑った時はうれしい。
それが嫌だった。
話しているときは楽しい。
それが嫌だった。
結局のところ、自分が救われている瞬間に気が付くのが、一番つらかった。
過去の自分を忘れたことへの喪失感ではない。
じぶんへの罪を押し付けたいわけでもない。
ただ、救われたいと願っている癖、救われるのが一番怖かった。
幸せになったら誰かに壊してほしい。
不幸になったら誰かに助けてほしい。
だからただ、自分がこの世に生まれ落ちたことに落胆する。
死への恐怖。
生への失望。
どちらも苦しいなら、最初から味わいたくなかった。
時折、自分を殺したいと思うほど、憎くなる時がある。
その時は必ず、自分が生きたいと思う気持ちが邪魔をしてくれる。
死にたくない。
死にたくない。
おそらく、自分を殺すこともないだろう。
でも、 自分の心を殺したい。
それならば、犯罪ではない。
隠し通せば、みんなに気が付かれない。
そう思うことでさえも、自分が注目を浴びたいからだと感じ、いやになる。
何も楽しくない。
テレビも。
スマホも。
読書も。
映画も。
ただの一過性の刺激でしかなくて、
何も満たされない。
全てつまらなくなったら、
それは、もう、
終わりだ。
自罰をしたくなる。
自罰をしたくない。
そう思う。
自分を傷つけたい。
自分を傷つけたくない。
そう感じる。
自分を守りたい。
自分を守りたくない。
結局は、”そういう”花占いのようなことをしているに過ぎない。
俺は、薄々気が付いている。
いや、気が付かないふりをしている。
こうやって自分を救いたいと思って頭の中で考えている時間も。
自分も。
全部大嫌いだ。
じぶんは、苦しむのが好きなのかもしれない。
何度、そう思っただろうか。
自分を罰して、泣いたら、そこに残るのは爽快感。
深くて爪をくいこませ、傷ができたら、そこに残るのは安心感。
自分を犠牲にして、人が笑っていたら、そこに残るのは満足感。
そんな自分が嫌いだった。
『人間だから』という言葉では、到底納得できなかった。
『みんな思っていることだよ。』
そういわれるのが関の山。
本当は、わかっている。
自分の思っていることは、自分だけが思っていることではなくて。
世の中には生きたいと言えるほど、苦しいと言えるほど、生きるのに必死な人がいるのもわかっていて。
みんなも少なからず、苦しんでいることもわかっていて。
だからこそ、
自分を見てくれないのが苦しかった。
自分が見てくれないことに安心した。
自分なんか、見てくれなくてよかった。
『嫌われる勇気』を述べる人がいる。
わかっている。
百も承知している。
誰からも好かれる人なんていない。
誰からも嫌われる人もいない。
でも、 数少ない、自分を見てくれる人間に、”好かれたい”と思うのは罪なのだろうか。
”嫌われたくない”と思っているのは、悪なのだろうか。
自分でもわかっている。
自分は面倒くさい。
そういう人が言いたいのは、そういうことじゃない。
ただ、簡単にそう言ってのけることに苛立ちを覚える。
そういう人が、うらやましく思う。
彼は幸せ。
多くの知り合いは、俺のことをそう思っているだろう。
何の変哲もない家に暮らして、
ちょっといい学校に通って、
ちょっといい容姿をもって生まれているから。
彼らは俺の何を知っているだろうか?
そう、
でも、
悔しいけれど。
俺は幸せで、
その数百倍、数万倍も自分のことが憎くて仕方がない。
初めて自分をひっかいたとき、自分の傷の直りの速さに、驚いた。
二回目、三回目。腫れた自分の太ももの傷に罪悪感が覚えた。
四回目以降。自分の体に傷つけたことに後悔した。
どれだけ自分を傷つけたって、どれだけ自分を罰したって、いつも残るのは他人から見た自分の感想。
どれだけ強く憎んでいても。
どれだけ強くねたんでいても。
その印はなくなるし、なくなってしまえば忘れてしまう。
他人に叱られた。
殴ってほしかった。
人が悲しんだ。
責めてほしかった。
目に見える自分への罰が欲しかった。
それで自分は罰を受けたから楽になれる。
そんな考えに気が付くと、決まって嫌になる。
ただの自分勝手。他人のことなんてみじんも考えてない。
嫌だった。
自分が自分を嫌いになるのは。
それでも、自分を嫌いにならないと、不安で仕方なくて。
生きる意味を考えて、絶望して。
それでも、生きていることに意味を見出して。
死への恐怖に目を背けて。
自分は生きているしかなかった。
自分の心を殺したいと願うしかなかった。
そうしなければ、心が死んでしまうから。
笑って笑って笑って笑って。
泣いて、怒って、落胆して。
結局はそうして自分を保っていくしかないのだろう。
そうやって生きるしかないのだろう。
そう、俺は、思っている。
それでも、
自分がもがいているのは。自分が苦しいと思っているのは。
紛れもない事実だ。