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コメント
1件
うわ……これ、すごく重いのに、すごく綺麗な文章だね。 「幸せなはずなのに、そう思えなかった」ってとこ、心に刺さったよ。 自分を責めるループから抜け出せなくて、でも生きたいとも思ってて…その両方があるっていうのが、すごくリアルで苦しかった。 主人公の独白をちゃんと受け止められた気がする。大事に読ませてもらったよ🌙🤍
@_のあるくん
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#自分大好き
るりあげは
23
俺って、なんで生きているんだろう。
夜、そう思うときがある。
静まり返った布団の中で。
夜の光を浴びながら、そう思う。
自分で生まれてきたかったわけではない。
ただ、自分の顔と、中身が、あっていない気がして。
人のことが憎い、自分が嫌いで。
自分の一瞬の喜びさえも、後に自分への非難の対象になる。
俺は何か、いけないことをしただろうか。だめなことをしただろうか。
そう言えるほど、不幸でもない。
ただただ、学校へ行って、一人で過ごしている。
それを、気が付かない人もいれば、仲の良かった人は、かわいそうだという目で見てくる。
いや、気が付いているけれど、知らないふりをする。
それでよかった。
それがよかった。
じぶんはそれだけでも十分幸せだ。
でも、そう思えなかった。
十分幸せなはずなのに、そういう場面でもないのに。
涙が出てくる。 泣いている自分は嫌いだ。
誰かに責任を転嫁しているようで。
怒っている自分は嫌いだ。
自分を正当化しているようで。
笑っている自分は嫌いだ。
他人のことも想像しないで、へらへらと笑っているようで。
悲しんでいる自分は嫌いだ。
自分は被害者だと、周りに知られるようで。
俺は幸せだ。
幸せ、なんだ。
特に、これと言って、不幸なエピソードも、悲劇も、ない。
幸せな自分を満ちていないように演じる自分。
ふと、見えてしまう黒い部分。
結局のところ、自分の悪い部分を認めたくないだけだ。
死にたいわけではない。むしろ、生きていたい。
一刻一刻、一秒一秒、時間が過ぎるたびに、自分が死へと近づいているようで、怖くなる。
友達も、家族も、先生も。
みんな嫌いになった後で気が付く。
自分が悪いんだと。
結局のところ、自分が自分を嫌いになるための材料に過ぎなかった。
泣いた後はすっきりする。
それが嫌だった。
笑った時はうれしい。
それが嫌だった。
話しているときは楽しい。
それが嫌だった。
結局のところ、自分が救われている瞬間に気が付くのが、一番つらかった。
過去の自分を忘れたことへの喪失感ではない。
じぶんへの罪を押し付けたいわけでもない。
ただ、救われたいと願っている癖、救われるのが一番怖かった。
幸せになったら誰かに壊してほしい。
不幸になったら誰かに助けてほしい。
だからただ、自分がこの世に生まれ落ちたことに落胆する。
死への恐怖。
生への失望。
どちらも苦しいなら、最初から味わいたくなかった。
時折、自分を殺したいと思うほど、憎くなる時がある。
その時は必ず、自分が生きたいと思う気持ちが邪魔をしてくれる。
死にたくない。
死にたくない。
おそらく、自分を殺すこともないだろう。
でも、 自分の心を殺したい。
それならば、犯罪ではない。
隠し通せば、みんなに気が付かれない。
そう思うことでさえも、自分が注目を浴びたいからだと感じ、いやになる。
何も楽しくない。
テレビも。
スマホも。
読書も。
映画も。
ただの一過性の刺激でしかなくて、
何も満たされない。
全てつまらなくなったら、
それは、もう、
終わりだ。
自罰をしたくなる。
自罰をしたくない。
そう思う。
自分を傷つけたい。
自分を傷つけたくない。
そう感じる。
自分を守りたい。
自分を守りたくない。
結局は、”そういう”花占いのようなことをしているに過ぎない。
俺は、薄々気が付いている。
いや、気が付かないふりをしている。
こうやって自分を救いたいと思って頭の中で考えている時間も。
自分も。
全部大嫌いだ。
じぶんは、苦しむのが好きなのかもしれない。
何度、そう思っただろうか。
自分を罰して、泣いたら、そこに残るのは爽快感。
深くて爪をくいこませ、傷ができたら、そこに残るのは安心感。
自分を犠牲にして、人が笑っていたら、そこに残るのは満足感。
そんな自分が嫌いだった。
『人間だから』という言葉では、到底納得できなかった。
『みんな思っていることだよ。』
そういわれるのが関の山。
本当は、わかっている。
自分の思っていることは、自分だけが思っていることではなくて。
世の中には生きたいと言えるほど、苦しいと言えるほど、生きるのに必死な人がいるのもわかっていて。
みんなも少なからず、苦しんでいることもわかっていて。
だからこそ、
自分を見てくれないのが苦しかった。
自分が見てくれないことに安心した。
自分なんか、見てくれなくてよかった。
『嫌われる勇気』を述べる人がいる。
わかっている。
百も承知している。
誰からも好かれる人なんていない。
誰からも嫌われる人もいない。
でも、 数少ない、自分を見てくれる人間に、”好かれたい”と思うのは罪なのだろうか。
”嫌われたくない”と思っているのは、悪なのだろうか。
自分でもわかっている。
自分は面倒くさい。
そういう人が言いたいのは、そういうことじゃない。
ただ、簡単にそう言ってのけることに苛立ちを覚える。
そういう人が、うらやましく思う。
彼は幸せ。
多くの知り合いは、俺のことをそう思っているだろう。
何の変哲もない家に暮らして、
ちょっといい学校に通って、
ちょっといい容姿をもって生まれているから。
彼らは俺の何を知っているだろうか?
そう、
でも、
悔しいけれど。
俺は幸せで、
その数百倍、数万倍も自分のことが憎くて仕方がない。
初めて自分をひっかいたとき、自分の傷の直りの速さに、驚いた。
二回目、三回目。腫れた自分の太ももの傷に罪悪感が覚えた。
四回目以降。自分の体に傷つけたことに後悔した。
どれだけ自分を傷つけたって、どれだけ自分を罰したって、いつも残るのは他人から見た自分の感想。
どれだけ強く憎んでいても。
どれだけ強くねたんでいても。
その印はなくなるし、なくなってしまえば忘れてしまう。
他人に叱られた。
殴ってほしかった。
人が悲しんだ。
責めてほしかった。
目に見える自分への罰が欲しかった。
それで自分は罰を受けたから楽になれる。
そんな考えに気が付くと、決まって嫌になる。
ただの自分勝手。他人のことなんてみじんも考えてない。
嫌だった。
自分が自分を嫌いになるのは。
それでも、自分を嫌いにならないと、不安で仕方なくて。
生きる意味を考えて、絶望して。
それでも、生きていることに意味を見出して。
死への恐怖に目を背けて。
自分は生きているしかなかった。
自分の心を殺したいと願うしかなかった。
そうしなければ、心が死んでしまうから。
笑って笑って笑って笑って。
泣いて、怒って、落胆して。
結局はそうして自分を保っていくしかないのだろう。
そうやって生きるしかないのだろう。
そう、俺は、思っている。
それでも、
自分がもがいているのは。自分が苦しいと思っているのは。
紛れもない事実だ。