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「そういえば岸って何かと保健室通ってたよな?もしかして、保健室のベッドで…!?AVみたいじゃん!」
「俺、まきちゃんのファンだったのにショックだわ~!あんな清楚で可愛い顔して、生徒に手出すとかどんだけ肉食だよ」
「うっうっ…(泣)」
「ちょっと男子もうやめなよっ!〇〇、岸くんのこと好きだったんだから!かわいそうでしょ!」
”教師と生徒の禁断の恋”という設定に性欲をそそられて興奮状態の下品な男子の会話と、それを聞いて泣きだす岸くんファンだった子、その子をかばって男子らに怒る女友達。
岸くんが河合先生に連れられて行って、急遽自習となった1時間目、教室の中は荒れまくっていた。
何も考えられない、何も聞きたくない…。
「大丈夫か…?」
平野が心配そうにのぞき込む。
「お前ら、何も知らないくせに勝手なことばっか言ってんじゃねーぞ!」
れんれんが騒ぐ男子たちを威嚇する。
「じゃあ、お前ら何か知ってんのかよ?あんなにいつも一緒にいたくせに、何も聞かされてなかったんじゃねえの?」
そう、私たちが今抱いている大きな喪失感は、そこなのかもしれない…。
あんなに一緒にいたのに、何も知らなかった…。
好き勝手言うクラスメイトたちに、「あんな写真はデマだ!」と言えない。
だって私たちは何も知らない。
みんなで岸くんちにお泊りしたあの楽しかった時間、岸くんに心を開いてもらえたという自負が、一瞬にして粉々に砕け散って、さっきまで感じていた幸福感を土足でぐちゃぐちゃに踏みにじられているようだった。
結局その日、河合先生も岸くんも1日姿を現さず、2時間目からは別の先生が代理で授業をしに来てくれたけど、全く頭に入らなかった。
放課後。
部活を全くやる気になれず、私と平野、れんれん、そして話を聞きつけたジンくん、いわち、海ちゃんも、揃って「体調悪いので部活を休ませて下さい」と申し出た。
そんなバレバレの嘘に、部長の中島先輩は、
「そっか、わかった。早く帰れ」
とだけ言った。
すごすごと帰っていく私たちに、菊池先輩と佐藤先輩がポンと背中を叩き
「岸のこと、頼むな」
と小さく呟いた。
先輩たちは、もともとは岸くんの同級生だし、やっぱり例外なくみんな岸くんのことが大好きな人たちだった。
岸「しばらく自宅謹慎になっちった!」
帰るなり、岸くんが待ち構えていたように出迎えてくれた。思ってたよりもあっけらかんとしている。
平野「岸くん、出回ってる写真って…」
岸「全部、本当のことなんだ。俺、まき先生と付き合ってる」
あの写真を見た時から覚悟していたはずなのに、本人の口からはっきり聞かされると、やっぱり頭をガーンと殴られたような衝撃を受けた。
廉「…いつから?」
岸「去年の、夏頃」
そんなに前から。
私が告白したとき、それから今に至るまで、まったく岸くんが気持ちに気づいてくれなかったのは、もうすでに岸くんの中に大切な人がいたからやったんやね。
それどころか、出会ったときにはもうすでに、岸くんの心の中にはまきちゃんしかいなかったんや。
私の事なんて全く眼中になくて当然やん…。
岸「みんなに黙ってて、ごめん。でも、大切な人を守りたかったから、言えなかった」
さっきまでのおちゃらけた感じから一変して、真面目な顔で言う。
”大切な人”。
またその言葉の威力に強烈なダメージを受けた。
1週間後。
平野「どんなにショックな事件が起きても、授業や部活に出なきゃいけないのって、学生の悲しい性だよなぁ」
岸くんはいまだ学校に出てこれず心配で仕方がないのに、私達はそう何日も部活をサボるわけにもいかず、授業が吹っ飛んで自習になったのも初日の1時間目だけで、その後は普通に授業が行われた。
私たちの気持ちなんてお構いなしに、生活は平穏を取り戻しつつあり、自分の周りの時間が回っていく以上、否が応でも普通に生活しなければいけなかった。
そして、平野のその言葉で気づく。
どんなに自分のことのようにショックを受けようと、自分のことじゃない。
私は部外者なんだと。
愛し合っていたのは、あくまでも岸くんと先生で、一方的に岸くんに片思いをしていた私はこの問題に関しては全くの部外者なんだ。
そして、1週間が過ぎた。
河合先生が神妙な面持ちで教室に入ってくる。
河合「保健のまき先生が転任されることになった。岸は明日から学校に復帰する。この件はもうこれで終わりだ、みんなも色々と憶測で噂話などをせんように」
教室がざわめく。
男子「まぁ、それが妥当だよなぁ、教師と生徒で付き合うとか。しかも関係バレて、続けられるはずないよなぁ」
男子「え~まきちゃんいなくなっちゃうのかよ~、ショックだよ~」
男子「お前マジかよ?もう他の男のものなんだぜ?俺、そんな女もう興味ねぇわ」
女子「良かったね!岸くん戻ってくるんだね!」
女子「しかもライバルがいなくなるんだから、今ねらい目じゃん!〇〇、がんばんなよ!」
河合「こらー、この件について話をするなと今言ったばかりだぞ!授業始めるぞ!」
河合先生がたしなめるも、なかなか教室のざわめきは静まらなかった。
だけど、私も平野もれんれんも、誰も口を開かなかった。
ライバルがいなくなってチャンス?確かに岸くんを好きな側から見ればそうなのかもしれない。
だけど、そんな単純に喜べない。
だって岸くんは、今どんな気持ちでいるんだろう?大好きな人と、離れ離れになっちゃうんだ。
多分、平野もれんれんも同じ思いで、誰も何も軽はずみなことは言えなかったんだと思う。
岸「俺、高校やめて、まきちゃんと一緒に行く。働いて、まきちゃんとチィを養う!」
寮に帰ると、岸くんは大きな荷物を横に置いて、正座しながら言った。
びっくりしすぎて言葉も出なかった。そんなこと考えてもいなかった。
まきちゃんがいなくなることを喜ぶ気にはなれなかったのは、岸くんがまきちゃんと離れ離れになることを悲しんでいると思ったから。
まさか、自分が岸くんと離れ離れになってしまう可能性なんて考えもしなかった。
廉「ちょっと待て…?落ち着け?早まるな?優太、まきちゃんとちゃんと話したのか?」
岸「話してない!俺が勝手に決めた!きっと言ったら”岸くんの将来を奪えない”とか言って遠慮するに決まってる。でも、もう俺は決めてるから!
好きな女を守って死ぬ!これが本当の男ってもんだ!」
神宮寺「ちょ、ちょっと待って岸先輩。行くって、まきちゃんどこに転勤するんですか?」
岸「北海道」
岩橋「えぇっ!?遠っ…!!」
平野「家族には?杏奈ちゃんはもう話した?」
岸「いや、それもこれから。だから今から、実家行ってくる。その前にみんなにちゃんと話したかったから、帰ってくるの待ってたんだ」
寮を出ていく岸くんを見送り、私たちは取り残された子供のようにポカンとしながら立ち尽くしていた。
海人「岸くん、なんかかっこよかったね…」
廉「”好きな女を守って死ぬ!”の辺りがちょっとバカっぽかったけどな。でもそれもまた岸くんらしいというか…」
平野「舞川、大丈夫か…?」
風「ちょっと、部屋戻る…」
海人「風ちゃん…」
「好きな女」発言にKOをくらいそうになる。
臭いドラマのセリフみたいに、なんだか宙に浮いたような言葉なのに、それは紛れもなく岸くんの口から発されていて、紛れもなくまきちゃんのことを指していた。
だけど、そんな確定的な失恋のショックよりも、そんなふうに迷いなく言えちゃう岸くんのことがもっと好きになっちゃって、そしてそんな岸くんにもう会えなくなってしまうんだという現実が、多分この胸の痛みの一番の要因だ。
「失恋」と「やっぱりもっと大好き」と「もう会えなくなる」の三つの感情が、ぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。
平野「舞川!舞川!」
夕飯の時間になっても食堂に出て行かなかった私を心配して部屋に来てくれたのかなと思った。
ゆっくりとドアを開きかけると、途中まで開いたドアを平野が怪力でグワっと開く。
そして、突然私の腕をとって、部屋の外に引きずり出す。
平野「行くぞ!岸くんち!」
なんだかよくわからないけど、平野に引きずられるように駆け足で駅に向かう。
風「何!?どうしたん!?」
平野「杏奈ちゃんが暴れてるんだよ!さっき電話来て、とにかくお前のことも連れてこいって!」
風「なんで私?…っていうか平野、いつの間に杏奈ちゃんと番号交換してたの?まさか付き合ってんの?」
平野「んなわけねーだろ!この前岸くんに泊まった時に、聞かれたから教えただけだよ」
風「ふ~ん。そういえば杏奈ちゃんって平野のこと気に入ってたもんね。
King & Princeのメンバーが、1人は先生と1人は中学生と付き合ってるなんて、かなりダメージでかいから、本当に付き合ってんなら私には早めに言うてな?」
平野「だからそんなんじゃねえって!」
風「こんなに毎日近くにいたのに、私の知らんとこでみんな恋してるんやもんなぁ…」
平野「だから俺は違うって!俺は…」
このときの私は自分のことで必死すぎて、平野が「俺は」の後になんて続けようとしてるのかなんて、考える余裕は全くなかった。
杏奈「絶対許さない!優太、その女に騙されてるんだって!教師のくせに生徒に手出すとか信じらんない!」
岸くん家に到着すると、確かに杏奈ちゃんがブチ切れて暴れていた。
杏奈「だったら、風ちゃんと付き合ってくれた方がいい!」
杏奈ちゃんが私の腕にしがみついて引っ張る。
え!?急にご指名ですか!?
杏奈「ね!ね!?いいでしょ!?風ちゃん!優太と付き合って!風ちゃんだって優太のこと好きだもんね!?」
風「え、えぇっ!?」
岸「こら杏奈、舞川ちゃんは俺じゃないの。紫耀の前で変なこと言うなよな。関係ない人を巻き込むなよ。舞川ちゃん困ってるだろう?」
関係ない人…。
まきちゃん→大切な人、好きな女
私→関係ない人
もうKOもいいとこ。ボッコボコに殴られて、顔とかパンパンに腫れあがって、カウント取られても立ち上がれないイメージ…。
杏奈「やだやだ!絶対いや!」
杏奈ちゃんが暴れて後ろに下がった時、ちゃぶ台にぶつかって上に乗っていたチャーハンのお皿が1つ床に落ちてしまった。
杏奈「…!」
大貴「杏奈、お前何やってんだよ!」
杏奈ちゃんが今にも泣きそうになる。
岸「大丈夫だよ。わざとじゃないもんな?」
岸くんが杏奈ちゃんの頭をよしよししてから、しゃがみ込んで散らばったチャーハンを集める。
岸「こうやって暴れることあるんだ、チィも。本当に世話が焼ける子で、昔の杏奈見てるみたいで。
父親いないし、母親も仕事忙しくて、時々すげぇ寂しそうな顔すんだよ。
小さい女の子が寂しそうに母親待ってる姿見てると、どうしても昔の杏奈を思い出すんだ。でも、チィには支え合う兄弟がいないんだ。」
岸くんは、チャーハンを拾いながら顔を下に向けたままポツリと言った。
岸「ほっとけねえんだわ…」
杏奈「…」
ガシャンっ!
杏奈ちゃんが残りの2つのチャーハンのお皿を、床にぶちまけた。
今度は明らかにわざとだった。
大貴「杏奈!」
大貴さんが杏奈ちゃんのほっぺたを叩いた。
岸「大貴…!」
杏奈ちゃんは目を真っ赤にして、奥の部屋に入り、襖をぴしゃんと閉めた。
「うわあぁぁ~んっ!」
すぐさま大きな鳴き声と嗚咽が聞こえた。
岸「ごめんね、せっかく来てくれたのに。後はもう大丈夫だから」
岸くんがチャーハンを拾い続けながら私たちに言う。顔を上げて、無理やりに作った笑顔で。
めっちゃ修羅場。
こんな修羅場に立ち会ってしまったのに、何もできなかった。
これは家族の問題で、私たちは部外者で、何も言うことができなかった。
私はとてつもなく部外者だった。
岸「出戻ってきました~!」
2日後、岸くんが寮に戻ってきた。
海人「岸先輩だぁ~!え!え?どうしたの!?」
岸「だから、出戻り!高校辞めないことにしたんだよ!」
神宮寺「そうなんですか!?え?じゃあまきちゃん先生とは…」
岸「うん!別れた!」
岩橋「えぇっ!?なんで急に!?ちょっと展開早すぎてついていけないんですけど…!?」
私と平野は、何も言えずにいた。
当然、杏奈ちゃんのことが原因なのはわかっていた。
岸くんの無理な笑顔が、痛々しかった。
週末。
今日はまきちゃんが北海道に行っちゃう日。
それなのに、岸くんはみんなとのんきにサッカーゲームなんてしている。
風「岸くん!ほんとにいいん!?」
岸「えっ!?何急に!?」
風「今日、先生行っちゃう日なんよ?」
岸「…うん、知ってる」
風「ほんとにこれでいいん?」
岸「いいも何も、先生にふられたんだよ。”岸くんの将来奪えない~”って」
風「だって、そんなことはわかってたことやん!先生がそう言うたって、”好きな女を守る!”って言ってたやん!」
岩橋「風ちゃんどうしたの!?せっかく岸先輩が残るって決めてくれたのに。岸先輩と離れなくてすむんだよ?もう岸先輩がいいって言ってるんだから、もうこれでいいんじゃない?」
海人「うん、俺は岸先輩がいなくなっちゃったら寂しいよ!」
神宮寺「そうだよね、高校辞めてシングルマザーと結婚して支えていくとか、現実的じゃないし…」
廉「ういっす~!あれ?暇だから遊びに来たら、なんか修羅場?」
風「わかってる!岸くんにとって大変な道になることもわかってるし、私だって岸くんがいなくなったら寂しい!でも…!でも、岸くん、そんな簡単にまきちゃんと別れられる?チィちゃんとも別れられるん?
私ね、なんで岸くんが、すごく大人の考え方ができる岸くんが、教師と生徒の関係のまま付き合っちゃったんだろうってずっと考えてた。あと2年、どうして待てなかったんだろうって。
本当に大切な人なら、自分の気持ちぶつけるだけじゃなくて、ちゃんと時期を待ってあげられる人だと思うのに、なんで?って。
でも、杏奈ちゃんに話してたこと聞いてわかったんよ…」
岸「今じゃなきゃ、意味がないから」
風「そう。チィちゃんが小さい今だから、支えてくれる人が必要。一番愛情かけてほしい年齢に、父親がいなくて、母親が仕事忙しくて、支え合える兄弟もいない。そんな思いをあと2年もチィちゃんにさせられない。そんなチィちゃんを見て、何もできない自分を責めて苦しむまきちゃんを見てられない。
だからだったんよね?
教師と生徒で付き合うって、規則ではいけないことかもしれない。でも、岸くんの守りたかったことは、その規則を破らなきゃ守れなかったもの。
私は、岸くんは正しかったって思う!
杏奈ちゃんは、大丈夫よ。もう大きいし、大貴さんもお父さんもいる。それに、一番寂しい時に、いつも岸くんがそばにいてくれたんやから。
まきちゃんとチィちゃんは、”今”、岸くんが必要なんよ?それに岸くん自身が、二人と別れてそれで大丈夫なん?
本当に、それでいいん?」
岸くんは、黙って頷いて、そのまま寮を飛び出した。
廉「マジか…!」
海人「岸くん~…(泣)でも、なんかかっこいい…」
神宮寺「俺たちも、見送りに行かなきゃ…!」
岩橋「うん!行こう!」
風「私は、ちょっと行くとこあるから…!」
平野「舞川、俺も付き合う!」
駅。
まきちゃん「岸くん…!どうして…」
チィ「きしくん~っ!やっぱり来てくれたぁ~!」
岸「先生が何て言おうと、俺はもう決めたんで。先生とチィを守ります!」
まきちゃん「本当は、どこかで来てくれるんじゃないかって期待していた…。ダメな教師だよね…」
岸「ちょっとくらい先生にダメなところないと、俺がかっこよく守れないじゃないですか。守らせてください!」
風「岸くーーんっ!!」
岸「舞川ちゃん!紫耀!えっ!?杏奈!?大貴も親父も…」
風「よかった!間に合った!」
大貴「優太、行くんだな」
岸「うん、ごめん兄貴。二人で杏奈のこと守るって約束…。本当は杏奈が嫁に行くまでそばにいようって決めてたのに」
大貴「何言ってんだ。家族のために自分を犠牲にするのが生きがいみたいなお前が、初めて自分のために決めたんだ。それだけ大切な人なんだろう?」
岸「大貴…」
大貴「それに杏奈が嫁に行くまでって言ってもなぁ、こいつ何にも料理もできないし、いつ嫁に行けるかわかんねえぞ?」
大貴さんが杏奈ちゃんに目をやり、岸くんが気まずそうに杏奈ちゃんの方を向く。
杏奈「だから!でもだったらもう大丈夫でしょ!はい!これ!」
岸「え?なに?」
杏奈ちゃんが差し出したのは、お弁当箱。
杏奈「私が作った」
岸「えぇっ!?杏奈が!?」
杏奈「びっくりしすぎだから!!」
岸「ほ、ほんとに食べれる?怖いんだけど…」
杏奈「しっつれーね!風ちゃんが教えてくれたから大丈夫!」
岸「風ちゃんが?」
杏奈「あれから、学校終わりに毎日来て、料理教えてくれたの」
風「杏奈ちゃんが今まで全く料理を覚えようとしなかったのも、いつもチャーハンをねだっていたのも、そうすれば岸くんがずっと帰ってきてくれるって思ってたからなんよね?」
杏奈ちゃんがこくんと頷く。
杏奈「本当はずっと何もできない子供のままでいて、ずっと優太にそばにいてほしかった。でも、それくらい、寂しい子供時代に支えてくれる存在って必要だから。言っとくけど、その女に優太をあげるわけじゃないから!チィちゃんに”貸して”あげるだけだから!」
杏奈ちゃんがまきちゃんを見てツーンと生意気な態度をするので、「まぁまぁ」とたしなめる。
杏奈「でも、このまま何にもできないままの私を置いてったら、きっと優太、ずっと自分を責めるでしょ?だから、もう大丈夫だから。自分で作れるようになったから」
岸「杏奈…っ!」
岸くんが杏奈ちゃんを抱きしめた。
杏奈「今まで、ありがとう…お兄ちゃんっ…」
そして、ついに旅立ちの時。
電車に乗った岸くんと向き合う。
岸「風ちゃん、ほんとありがとう」
風「ううん、部外者がでしゃばっちゃってごめん」
岸「部外者?全然!風ちゃんは、俺の大っ切な仲間だよ!」
大切な仲間。
”大切な人”や”好きな女”とはちょっと違うかもしれない。
でも、今の私には最高に嬉しい言葉だった。
岸「紫耀、風ちゃんのこと、よろしくな!」
平野「え、だからそれさ…」
風「うん、ありがと岸くん!心配せんで!」
平野の言葉を遮って、平野と腕を組んで見せた。
ドアが閉まり、電車はゆっくりと走り出す。
風「バイバーイ!岸くーん!幸せになってなー!」
平野「岸くん、がんばれよー!死ぬなよー!」
遠ざかってゆく、大好きな人。
あなたの幸せをずっとここから祈ってる。
ずっと見守ってるよ。
大貴さんと岸くんのお父さんは私たちに何度もお礼を言って、杏奈ちゃんを連れて帰って行った。
平野「お前、本当にこれで良かったのか?最後まで自分の気持ち伝えなくて」
風「え?あ、そっか…そんなこと、頭になかった。
ただ、あのチャーハンが、岸くんにとって涙味じゃなくなりますようにって、ただその事しか」
平野「涙味?」
風「岸くん、言ってたやん?お母さんが出てった日、兄弟3人で食べたチャーハン、涙の味だったって。自分がチャーハン上手に作れるようになったせいで、お母さんがいなくなったんだって自分を責めて。
それからはいつも杏奈ちゃんにねだられて頑張ってチャーハン作り続けたけど、いつも涙の味を思い出して胸が痛かったんよ。
岸くんにとってチャーハンは、兄妹をつなげる温かいものである反面、母親と家族を切り離した悲しいものでもあった。
それで今回、最後に杏奈ちゃんがチャーハンひっくり返したやろ?もしこのまま別れてたら、岸くんはチャーハン食べるたびに、悲しい気持ちになるんやないかと思って。
岸くんの中でのチャーハンの悲しい記憶を取り去ってあげたかったんよ。
じゃなきゃ、また泣きたいの隠して頑張って、チィちゃんに涙味のチャーハン作ってあげるんじゃないかなって。
岸くんがこの先ずっと幸せでいられますように、笑ってチャーハン食べられますよにって、それしか頭になかった」
平野「俺のこと好きって勘違いされたままだったのも、訂正しないし」
風「だって私のこと、大切な仲間って言ってくれたし。そんな相手をふって去っていくなんていう負い目を、これから旅立っていく岸くんに背負わせたくなかったから」
平野「お前さ、自分のことより人のことばっか考えて。女版、岸くんだな。岸くんそっくり!」
風「似た者同士って、相性悪いらしいよ?いわちの分析によると(笑)」
そう冗談っぽく言って笑ったはずなのに、裏腹に目から涙がこぼれていることに気づいた。
あれ?なんで今更?涙がボロボロボロボロ溢れてきた。
涙って、こんなに時間差で出ることあるんだ。
立っていられなくなって、膝から崩れ落ち、両手をついて泣いた。
平野「馬鹿だなお前…。泣きたいの隠してずっと頑張ってたのは、お前も同じだろ?
ほら、ちゃんと最後に声に出して言っとけよ。俺が聞いててやるから」
風「うっ…うっ…岸くん…岸くん、大好きやったよー!本当に大好きやったよー!」
もう誰もいなくなったホームで、もう見えなくなった電車に向かって叫んだ。
平野「岸くーん!俺も大好きだったぞー!」
平野が真似して隣で叫ぶから、なんか笑ってしまった。
さよなら、私の初恋。
世界で1番大好きだった人。
~岸サイド~
電車の中。
ホームでは見えなくなるまで、風ちゃんや紫耀、杏奈、大貴、親父が手を振ってくれていた。
やっと席について外に目をやると、河川敷に大きな文字が並んでいた。
『岸』『くん』『がん』『ばれ!』
廉、海人、ジン、玄樹が段ボールを掲げてピョンピョンと飛び跳ねながら手を振っている。
段ボールにマジックで大きく文字を書いて、1人1つずつ段ボールを持って、両手でできる限り高く掲げている。
いかにも「即席で作りました」と言う乱雑さだったけど、それは今までもらった中で1番温かいエールの手紙だった。
岸「みんな…」
まきちゃん「岸くんって、本当にみんなから愛されてるのね。きっと私、そういうところを好きなったんだわ」
うわ…なんか泣きそう。
岸「さ〜てっと!ちょっと小腹空いたから、弁当食べるかな!」
涙が出そうなのをごまかそうと、お弁当箱を開いた。
そこには、ぎっしりとチャーハンが詰まっていた。
まだほのかに温かい。
野菜の切り方はでかくて乱雑で、格闘する杏奈の姿が目に浮かんだ。
あいつ、料理なんて全然できないのに、無理しやがって…。
一口、口に入れる。
ほら、味もイマイチ。塩分キツいじゃんか。
あれ?
気づいたら、ポロリと頬を涙が伝っていた。
まきちゃん「チィちゃん、ちょっとおトイレ行こうか?」
千夏「チィ、おしっこ出なーい」
まきちゃん「うーん、じゃあママが行きたいから、ついてきて」
一人になった途端、とめどなく涙が溢れる。
大きく手を振りながら小さくなっていった風ちゃんの姿を思い出す。
俺の悲しみを取り去ろうと、一生懸命になってくれた人。
だけど風ちゃん、やっぱりこのチャーハンも涙の味がするよ。
でも、今までの涙味とは違う、温かい涙の味がね。
もし、先生を好きになる人生と、また別の人生があったとしたら、もしかして俺は風ちゃんを好きになってたかもな…なんて思うのは、浮気というんだろうか。
絶対、先生には言えない。
今ちょっとだけ頭によぎってしまったこの感情は、誰にも言うまいと心に決める。
海人「ねぇ〜、ちゃんと岸くん見えたかなぁ?」
廉「大丈夫やろ。ここ、一番電車から見えるスポットやし」
岩橋「でも、廉先輩、風ちゃんと一緒に駅まで見送り行かなくてよかったんですか?」
廉「風ちゃんが岸くんと涙のハグとかしてたら嫌やん!そんなん見たらショックで立ち直れんわ!」
岩橋「え!廉先輩、風ちゃんが岸先輩のこと好きなの気づいてたんですね!?」
廉「そりゃ気づくわ!どんだけ風ちゃんのこと見てると思ってんねん!」
海人「廉先輩、それってどこまで本気ですか?」
廉「は!?どこまでもなんも、全部本気やっちゅうねん!」
神宮寺「え!?ちょっと待って!?舞川先輩って、岸先輩のこと好きだったの!?俺、てっきり紫耀先輩といい感じなんだと思ってた!」
岩橋「ま、普通の人はそう思うかもね〜。でも風ちゃんのこと好きな人はちゃんと気づくんだよ」
神宮寺「じゃあ玄樹は何で知ってたんだよ!しかもその反応からして海人も知ってたっぽいじゃん!」
海人「お、俺はいとこだから…!」
岩橋「俺は、女の子の中では風ちゃん一番好きな人だし〜。
でも廉先輩、やっぱり一緒に行った方がよかったんじゃないですか?紫耀先輩一緒に行っちゃったし、紫耀先輩が傷ついた風ちゃんを抱きしめてたりして~?」
廉「そやねん〜!なんで紫耀が一緒に行ってんねん!失敗したぁ〜!」
帰り道。
風「なんか平野にはいっつも協力してもらっちゃったなぁ。最初に偶然告白聞いちゃったせいでいろいろと面倒に巻き込まれて、災難やったな?(笑)」
平野「全然?俺、好きで協力してただけだし」
風「そう?」
平野「俺、助けたがりだから(笑)困ってる人とか、本当は自分も辛いのに、いっつも人のためにばっかがんばっちゃう人見てると、じゃあ俺が支えなきゃ!って思っちゃうの。正義のヒーロー体質だから(笑)
それに俺、一生懸命岸くんのこと好きな舞川、好きだしな!」
この報われない思いは、岸くんにちゃんと伝えることもできなかった思いは、すべて無駄だったのかなって思ってた。
でも平野にそう言ってもらえて、初めて誰かに肯定してもらえた気がした。
風「平野…ありがと」
その日の夕飯の食堂は、静まり返っていた。
「ここ、座っていいかー?」
ってお盆を持った岸くんが今にも現れそうなのに、いつまでも空いた席が虚しい。
海人「シクシク…」
海ちゃんが泣き出した。
風「海ちゃん、よしよし。寂しいね」
海人「俺、今日から夜どうすればいいの〜!?一人じゃ寝られないよ〜!」
みんな「はぁ!?」
あ、そっか、海ちゃんは岸くんと同部屋だったから、今日から一人になっちゃうんや。
海ちゃんは究極の寂しがりやで、夜一人だと眠れない。
去年までは嫌がるなっちゃん(海人のお姉ちゃん)と一緒の部屋で無理やり寝ていたらしいけど、なっちゃんが家を出てっちゃって、「一人が嫌だ!」と言い張って、本来ここの息子なんだから寮生と一緒の部屋に入る必要もないのに、叔母さんらに頼み込んで寮の部屋に入れてもらったのだ。
風「じゃあ、私の部屋に来る?」
寮には女子が一人だけなので、私の部屋は当然一人でつかっている。
でもみんなと同じ部屋の作りなので、2段ベッドが置かれている。
平野「いや、それは流石にまずいんじゃねえの?」
風「なんで?いとこなんだから平気だよ。ねっ?海ちゃん?」
海人「え…それは…」
風「大丈夫大丈夫!」
海人「シクシク…」
2段ベッドの上に海ちゃん。
すすり泣きが聞こえて、ハシゴを上って声をかける。
風「海ちゃん、やっぱり岸くんがいなくなって寂しいの?」
海人「うん…。それに、いつも眠れないとき、岸くんのベッドに一緒に寝かせてもらってたんだ」
風「え?そうなの!?」
岸くん、そんなところまで面倒見ててくれてたんやね。
知らないところで、うちの弟がご迷惑をおかけしました…。
風「じゃあ、こっち来る?」
海人「えっ!?いいよ!違う違う!そういう意味で言ったんじゃないよ!」
風「何遠慮してんの?そんなシクシク泣かれたらこっちだって寝られへんし。いいよ、おいでって!」
海ちゃんの手を引っ張ろうとして片手を離した拍子にバランスを崩す。
風「うわっ!」
ガシャンっ。
一瞬後ろに倒れそうになったハシゴとともに、とっさに海ちゃんが私の体を支えてくれた。
海人「大丈夫!?」
風「うん、ありがと」
海ちゃんの顔がめっちゃ近くにある。
ほんと、いつ見てもきれいな顔してるな~と思わずじーっと凝視してしまう。
海「えっ、な、なに…?なんでそんなじっと見るの?」
風「え?あぁ、ただほんとかっこいいなって思って見惚れちゃっただけ!もう〜!海ちゃんのせいで怪我するところやったやん!早くおいでっ?」
海人「えっえっ、でも…」
風「もうっ!何をそんなに遠慮することあんの!姉弟みたいなもんなんやから!」
海ちゃんは渋々と言った感じで、下の私のベッドにやってきた。
風「二人でこのサイズのベッドだと、やっぱり狭いね。男二人じゃもっと狭かったやろな?岸くん、海ちゃんと同部屋で大変やったなぁ。ほんと、お世話かけましたって感じ…」
ガバっ!
独り言のようにペラペラと喋っていた私に、突然海ちゃんが覆いかぶさってきた。
海人「風ちゃん、あんまり俺を弟扱いしてると、後悔させちゃうよ?」
風「え?海ちゃん…?」
海ちゃんがゆっくりと顔を近づけて来る。
え?嘘でしょ?どういうこと?
動こうとして、体がビクともしないことに気づく。
海ちゃんに両手を押さえられている。
え?海ちゃん、こんな力あんの?
小食の華奢ボーイだと思ってたのに、全然力で叶わない。
ダンダンダンっ!
その時、ドアを激しくノックする音がした。
平野「舞川っ!大丈夫かっ!?」
風「平野っ!」