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「……憂太のバカぁーーー!」
とある夕方。呪術高専の校舎に、私の絶叫が響いた。
その日、私は任務で怪我をした。と言っても腕をザックリ切っただけで軽症な方なのだが、太い血管を掠めたらしくなかなか血が止まらない。
家入さんに治してもらおうと医務室に向かっていると、見慣れた白い制服とバッタリ遭遇した。
「あれ、憂太」
「……椿ちゃん!?」
我が彼氏、乙骨憂太である。数日間の出張から帰ってくるのは明日であったはずだが、ここにいるということは早く終わったらしい。さすが特級。
「任務お疲れ様。元気だった?」
「あ、うん。……じゃなくて、怪我!血!」
「あー、ちょっとヘマしちゃって」
「いいから腕出して!」
憂太は私の手を取って軽く引っ張ると、もう片方の手を私の傷口の近くに当てた。彼の手からポウと光が現れ、痛みが引いていくのを感じる。「ありがとう憂太~!」
「まったく……。また無茶したの?」
「ビビった一般人が勝手に動いちゃって。手を伸ばしたらこの通りです」
怖いのなら廃墟に肝試しになんかくるな。呪霊に怯えた一般人たちは私の待機指示を無視し、逃げ出そうと勝手に走り出した。その背を追う呪霊の攻撃からなんとか庇おうとした結果がこれである。
「まあなんとか全員無事だったし、結果オーライでしょ」
「だからってこんな傷……」
「もっとひどい怪我のときなんていくらでもあったでしょ?大丈夫大丈夫!」
暗い顔の憂太を安心させようと努めて明るく言ったのだが、むしろ逆効果だったようだ。憂太の顔がだんだん怒ったものに変化する。「椿ちゃんはもっと慎重になったほうがいいんじゃないかな」
「……どういう意味?」
「もっと状況をよく見れば怪我しなくて済んだんじゃないかってこと。今日の任務って2級でしょ?椿ちゃんならできないことじゃないはずだ」
「2級術師は2級呪霊に勝てるって意味だよ。余裕で勝てるってことじゃない」
「広い視野での攻撃は君の得意分野でしょ。だから今回みたいな、一般人がいる可能性がある任務を任されたんだし」
「……私は憂太みたいに強くない。精一杯やっても無理なことはあるよ。むしろ今回の被害が少ないくらいだよ」 険悪な雰囲気になる。お互い押し黙ると、憂太が小さなため息をついた。「ハァ……。里香ちゃんはもっと女の子らしかったのに」 憂太の言葉に一瞬頭が真っ白になる。
今なんて言った?なんで今里香ちゃん?女の子らしいって何?怪我するのは女の子らしくないの?ならかわいい子と付き合えば?
色々な考えが頭をグルグルと巡る。憂太はハッと気が付くと、焦った顔でこちらを見下ろした。
「あ、いや、今のは違くて……!」
「……憂太の」
「椿ちゃん、僕の話を聞、」
「憂太のバカぁーーー!」
「どぅふっ!?」 憂太の脇腹に蹴りを入れる。渾身の一撃は自分でもビックリするくらい綺麗に決まった。
予想外の攻撃に崩れ落ちる憂太を残し、私はその場を去るのだった。
「バカバカバカ、憂太のバカ!あんぽんたん!!女誑し!!!」
寮の自室にて、私はベッドの上でうつ伏せになり足をバタバタさせていた。腹いせに枕をボスボス殴るのも忘れない。 何さ何さ!1年生の頃は、お腹に穴を空けて帰還した私を見て青ざめてたくせに!心配してくれた棘くんたちが駆け寄るなか、一人だけ立ち尽くしてたくせに!強くなったらお説教するなんて!
……憂太、あの頃に比べれば本当に強くなったよなぁ。私の任務の粗が目に付くのは仕方ないのかもしれない。
「だからって里香ちゃんと比べなくてもいいじゃんかぁ……」
べそべそと泣いていると、部屋のドアがノックされた。
「おいうるせぇぞ。壁薄いんだから暴れてんじゃねえよ」
「真希ちゃん!」
ドアを開けて入ってきたのは隣の部屋の真希ちゃんだった。
「真希ぢゃあん……」
「うわひっでぇ顔」
「うるさぐしでごめんねぇ……」
「分ーったなら良いけどよ。ほれ」
部屋の中に入った真希ちゃんはティッシュを投げて渡してくれた。鼻をかんでゴミ箱に捨てていると、こちらを見ていた真希ちゃんと目が合う。「で、何憂太と喧嘩してんだ?」
「何で知ってるの!?」
「さっきまで教室でパンダたちと駄弁ってたからな。おまえの叫びは全員聞いてる」
「うわ恥ず……」
「衝撃でカラスが逃げてったぞ」
「マジで?」
私そんなに叫んだかな……。てか全員に聞かれたなんて恥ずかし過ぎる。
「なんだ、憂太のヤツ浮気でもしたか?」
そんなわけがないと思っているのか、真希ちゃんがニヤリと笑いながら尋ねる。それを聞いた私の視界は再び滲み始めた。
「うぅ……」
「あ?まさかマジでやったのか?」
顔をしかめる真希ちゃんに向かって首を横に振る。浮気ではない。だけど……。
「里香ちゃんと比べられたぁ……」
涙をボロボロとこぼしつつ、私は事の顛末を話した。「あんのもやしめ……」
喧嘩の理由を聞いた真希ちゃんは、眉間に皺を寄せつつため息をつく。
「アイツの言いたいことも分かるけどよ。里香と比べるのはダメだろ」
「だよね!?」
目が腫れないように保冷剤を当てながら真希ちゃんに同意する。それとも、いかにも傷つきましたって泣き腫らした顔で明日憂太の前に出るのがかわいい女なのだろうか。でも私はそんなやつにはなりたくない。
思い出したらまた腹が立ってきた。悔しいし悲しい。このまま泣き寝入りするなんて嫌だ。
怒りのまま、憂太を除いたグループライン(憂太の誕生パーティーのときに作った)にメッセージを送る。目の前の真希ちゃんも内容を確認すると私をジトリと見た。
「真希ちゃん……。私、やるよ!」
闘志を燃やす私に真希ちゃんは「程々にしろよ」と呆れた声をかけるのだった。 椿ちゃんと喧嘩をした翌朝。僕は教室の前で立ち尽くしていた。
「ひどいこと言っちゃったよなあ……」 怪我をしているのに大したことないと笑う彼女に腹が立って、つい言ってはいけないことを言ってしまった。
椿ちゃんに蹴られて蹲った僕は、あの後叫び声を聞いてやってきた狗巻くんとパンダくんに心配され、五条先生には連写で写真を取られた。『特級術師を倒すなんて椿もやるね〜。階級上げようかな?』『おかか!』『マジ人でなしだな、知ってたけど』という会話を聞きながらも、去り際に見た椿ちゃんの悲しそうな顔が頭から離れなかった。 謝らなければ。そう思うのだが、気まずくて足が動かない。教室の中からは楽しそうに笑う彼女の声が聞こえてくるので、怒ってはないと思うんだけど……。
「……よし」
覚悟を決めてドアを開ける。教室の中にはみんなが揃っていた。
「お、おはよう!」
「おー憂太」
「ツナマヨ」
「おはよう。脇腹は大丈夫か?」
真希さんを始めにみんなが挨拶を返してくれる。だけど椿ちゃんだけはこちらを見てくれなかった。
「つ、椿ちゃん……?」
「……………………」
「あの、昨日はごめ、」
ヤバい、やっぱり怒ってる!近づいて、謝ろうと口を開くと彼女がゆっくりとこちらを振り返る。「おはよう、憂太」 ――違和感。
椿ちゃんは笑顔だ。だけどいつもの笑顔じゃない。何ていうかこう、目の奥に他人を宿しているような、そんなよそよそしい顔だった。
それに話し方もいつもと違う気がする。いつもは「おはよう憂太!」って感じの明るい話し方だけど、今のは穏やかで少しゆっくりな話し方だった。
声のトーンも少し高いような……。
呪術師をやってきたなかで磨かれた五感が、全力で違和感を訴えかけてくる。
「椿ちゃん……?」
ふわり、と彼女が笑う。
「なあに、憂太?」『なぁに?』 いつかの小学校での、里香ちゃんの声がした気がした。
椿ちゃんに何か言おうと迷っていると教室のドアが開く。
「オラ時間だぞー。席に着け」
現れた日下部先生の号令に、僕は声をかけるタイミングを失った。
椿ちゃんへの違和感はその後も続いた。 話しかければ笑顔で応じてくれるし、椿ちゃんから話しかけられもする。表面的には何も問題ない。だけど、色々なことが少しずつ違うのだ。
例えば体術訓練中。いつもは石鹸の清潔そうな匂いがする彼女から、香水の甘い香りがしたり。
例えば休憩時間。いつもは積極的に会話に参加する彼女が、微笑みながら相槌を打つだけだったり。
例えば夜。みんなで集まって映画観賞会をしたとき、いつもは一緒に見るのにみんなの飲み物やお菓子を甲斐甲斐しく準備したり。
他にも毎日パンダくんに抱き着いていたのに最近はしないなとか、狗巻くんと動画の話で盛り上がっている姿を見ないなとか。教室は不自然に静かで、いつもよりワントーン暗くなった気がする。 椿ちゃんは話し方も仕草も表情も、何がとは言えないがまるで別人のようだった。 昼休みの今だって、いつもは緑茶を飲んでいたのに甘いミルクティーを飲んでいる。些細な違和感の積み重ねは、目の前にいるのが椿ちゃんの偽物であるかのような不快感に変わっていた。
みんなで机を合わせてご飯を食べるなか、こっそり彼女を観察していると、任務に出ていた狗巻くんが帰ってきた。
「おう棘、帰ったか」
「お疲れー」
真希さんとパンダくんが声をかけると、狗巻くんは手をヒラヒラさせながら僕らの方へ歩いてくる。
「狗巻くんお疲れ様!」
「昆布」
僕も声をかけると軽く返事を返される。狗巻くんはそのまま椿ちゃんに近づくと、彼女の隣で立ち止まった。
「おかえり棘くん。怪我はない?」
「しゃけ」
椿ちゃんに答えた狗巻くんは、手に持っていたコンビニの袋から何かを取り出して椿ちゃんの前に置いた。
「え、これって……」
「高菜」
狗巻くんが取り出したのは、椿ちゃんが好きなアニメのキャラクターのキーホルダーだった。今流行しているというそのアニメには椿ちゃんもハマっててて、狗巻くんとその話題で盛り上がる姿を何度も見た。
「コンビニ限定のやつ……。くれるの?」
「しゃけしゃけ」
「〜っありがとう棘くん!大事にするね!」
パアッと輝くように椿ちゃんが笑う。そんな笑顔、久しぶりに見た。最近は花が綻ぶような、だけど作り物っぽい笑顔しか見てなかったから。
ついじっと見ると、視線に気づいた彼女が例の貼り付けた笑顔を向けた。
「どうしたの憂太。お弁当食べる?」
「あ、うん……」
箸で摘まれた里芋の煮物が差し出され、パクリと食べる。前にも作ってもらったことがあるその煮物は、前と同じく味がよく染みていた。
「ふふ、おいしい?」
「……うん、おいしいよ」
同じ味だけど、前の方がずっとおいしかったよ。その言葉を口には出せず、里芋と共に喉の奥へと飲み込んだ。
椿ちゃんとの喧嘩から数日後。真希さんと椿ちゃんがいない放課後の教室で、僕は机に突っ伏していた。
「つ、疲れた……」
いつもと違う彼女の傍にいるのはヘタな任務より気を張ってしまう。一日中昂ぶらせ続けた神経はすっかりすり減り、夕方には強烈な脱力感に襲われていた。
「すじこ、いくら……」
「ん〜椿も意地っ張りだからなぁ」
「パンダくん何か知ってるの?」
訳知り顔のパンダくんに尋ねると、パンダくんは少し悩んだ素振りを見せたあと口を開いた。
「憂太おまえ、椿の実家がどういう家か知ってるか?」
「椿ちゃんの家?」
考えるが、彼女の家と言われてもピンとこない。呪術師の家系だということは聞いてるけど、それ以上のことは何も知らないし……。
「いいか、篠宮家っていうのはな……」どうしよう、止めどきを見失った」
夜、寮の自室でつぶやくと、テーブルの向かいに座っていた真希ちゃんが冷めた目でこちらを見る。
「だから程々にしろっつったろ」
「だってタイミングがさ〜!憂太何もツッコんでくれないし……」
当初の予定では憂太が「何か変だよ」と言ってくれたら止めるつもりだったのだ。だけど彼は戸惑ってはいるものの何も口にしない。
「やっぱ初日で止めとけば良かったかな……」
「それにしても見事なもんだな。マジで中身変わったのかと思ったぜ?」
「嬉しいもんじゃないけどね……」
私の家、篠宮家は呪術師の家系だ。術式は大したものではないが、代々大手の家に女を送ることで栄えてきた。
もちろんただの女が選ばれるわけはない。篠宮家は女を、相手の男の好みにカスタマイズすることで家に入ってきたのだ。 基本的に呪術家系というのは一夫多妻制だ。そして政略結婚も多い。男の権力が強いとはいえ、家のために好きでもない女と結婚するパターンは往々にしてある。
そこで出るのが我が篠宮家というわけだ。篠宮の女は、小さい頃から様々な性格になれるよう教育を施される。おしとやかな女が良いと言うならおしとやかに、強気な女が良いなら強気に、話し方も笑い方も指先の仕草一つに至るまで男の好みに合わせて振る舞い一生を終える。篠宮の女は呪術界では割と需要があり、なかには嫁は従順だから妾に勝ち気なのが欲しいというものや、死んだ恋人のフリをして欲しいというものまであった。 姉や親戚たちが洗脳されたかのように別人となって嫁ぐ姿を見た私は、こんな風に死んでいくのは絶対に嫌だと思った。だから家を飛び出して呪術高専に入学したのだが、篠宮家の教育は未だ私に深く根付いている。
私は今回、わかりやすく男ウケの良い『おしとやかで世話焼きな女』に少しだけ里香ちゃんの要素を混ぜたものを演じた。本気で里香ちゃん本人をやろうと思えばやれるが情報が少なすぎるし、何より悪趣味である。「とりあえず明日謝ろう……」
「おーそうしろ。おまえがそんなんだと教室が辛気臭くてかなわねえ」
「……………………」
「何だよ、まだなんかあるのか?」
「いや、憂太何も言ってくれなかったなと思って」 ちょっとした当て付けだった。里香ちゃんと比べ、『女の子らしい』なんて言った憂太が作り物の私を見て困ればいいと思ったのだ。あのちょっとオロオロした顔が見れればそれで満足だった。
でも不審そうに私を見るのみで何も言わないということは、もしかしたら今の私の方が好みなのかもしれない。 少し時間を置いた今なら、憂太が私を心配してくれたのは分かる。優しい憂太は、自分が苛立ったからというだけでは怒らない。それに言い方はどうかと思うが指摘は正しい。任務は反省して、憂太には『もっと優しく言って』と伝えれば済んだのだ。「なのに里香ちゃんと比べるなんて……」 誰だって元カノと比べられたら怒るだろうし、里香ちゃんは『元カノ』なんて軽い存在じゃない。
最愛の人。相思相愛の彼女。憂太にとって一生忘れられない人。
初めて憂太に会ったときは、その後ろに憑く特級過呪怨霊の恐ろしさに戦慄した。とんでもない呪いと執着の塊だと、そう思った。
だけど解呪のときに見た里香ちゃんはとてもかわいい女の子で、憂太の幸せを願える素敵な人だった。成長できていたらさぞ魅力的な女性になっていたに違いない。 だから不安なのだ。里香ちゃんが生きていたら、私はきっと憂太の彼女になれなかった。 里香ちゃんを忘れてほしいなんて思わない。憂太の術師人生は里香ちゃんから始まったのだから。だけど、そっと心に仕舞うくらいにしてほしい。
憂太に告白されたとき私はそう伝えたし、実際憂太はそうしてくれた。少なくとも私の前で里香ちゃんを思い出すようなそぶりは見せなかった。だから私も時間を重ねるにつれ、今の彼女は私だと自信を持てるようになったのだ。「……でもやっぱ里香ちゃんが一番なのかな」
「……………………」
「里香ちゃん、すごくかわいかったもんね。憂太はああゆう女の子らしい子が好みなんだよ」
「……ハァ〜。オラ、こっち見ろ」
俯いていた顔を上げると、真希ちゃんにデコピンをされた。
「痛った!」
「卑屈になってんじゃねぇよ。私は女らしいおまえより、特級術師サマに蹴り入れるおまえの方が好みだぜ?」
真希ちゃんがニヤリと笑う。その言葉を聞いたら、なんとなく元気が出てきた。
「……来世では嫁にして」
「来世と言わず今世で来いよ。何なら奪ってやろうか?憂太より大事にするぞ」
真希ちゃんマジ男前。うっかり惚れるところだった。どちらともなく笑いながら夜は深けていった。
翌日。朝一番に憂太に謝ろうと探したが姿が見えない。日下部先生に聞いたところ、急な任務が入ったらしい。
日帰りで帰ってくるらしいので待とうと思い、放課後の校舎をうろついていると壮年の男に声をかけられた。
「椿」
「……義兄上」
声をかけてきたのは姉の旦那。篠宮家と古くから繋がりのある家の当主で、格上の家なのをいいことに色々な性格の女を要求しコレクションしているド変態である。
「会うのはおまえが2級程度に昇格したとき以来だな。息災か?」
「おかげさまで。義兄上におかれましてもご健勝の様子で何よりでございます」
嫌味ったらしい視線と口調に耐えながら丁寧に答えてやる。悔しいが、今の私では家に逆らう力は無い。卒業までに昇格して、実家と縁を断つまでの辛抱だ。 義兄は私をジロジロと見ると、ニヤリと笑いながら口を開いた。
「おまえ、うまくやっているようだな」
「何のことでしょうか」
「噂で聞いたぞ。おまえ、乙骨とかいう術師と交際しているそうじゃないか」
ピクリ、と反応してしまう。「呪術師の家系でもない馬の骨だが特級は特級。よいよい、家に入れるにはむしろ好都合ではないか。女のくせに術師になろうなど馬鹿な義妹だと思っていたが、褒めてやろう」
ムカつく。私は憂太を篠宮家に入れるために付き合っているのではない。
「ちゃんと従順で男を立てる女を演じるのだぞ。男など口では様々な好みを言うが、結局は淑やかな女が好きなのだからな」
違う、憂太はそんな男じゃない。女の私や真希ちゃんを素直に尊敬できる、そんな人だから好きになったのだ。
それに憂太は私を好きだと言ってくれた。あれ、でも本当は違ったんだっけ……?
「婚姻まで捨てられるなよ。なんなら義兄が振る舞い方を躾てやろうか?」
義兄が私に向かって手を伸ばしてきた。ぼんやり考え事をしていたせいで反応が遅れてしまう。
やばい、避けられな――「僕はそんな女性好みじゃないし、椿ちゃんが好きなので躾る必要もないです」 目の前に刀袋を背負った白い制服が現れる。任務から帰ったばかりであろう憂太は私を背に庇って立ち、義兄の腕を握って接近を阻んでいた。
「憂太……」
「っこれは、乙骨特級術師どの」
「椿ちゃんに触らないでください」 憂太が掴んでいる所からギリッと音がする。義兄は慌てて腕を引くと取り繕ったように笑った。
「ああ、乙骨どのはじゃじゃ馬のほうが好みでしたかな。ですが正妻くらいは女らしいのを選ぶべきですよ。なんなら篠宮の他の女を紹介……っ!」
話の途中で憂太が刀を閃かせ、義兄の首筋近くで振るった。髪の毛が数本散り、冷や汗をかく義兄をよそに憂太は人畜無害そうな顔で笑う。「ああすみません、蠅頭が憑いていたもので」
「う、嘘をつくなっ!ここは高専の結界内でっ!」
「いいえ憑いてましたよ。ねえ椿ちゃん?」
ヤバい、憂太がキレてる……!笑顔だけど目のハイライトが消えてる。恐怖のままコクコクとうなずくと、憂太は「ほら椿ちゃんもこう言ってる」と言いながらさらに刀を首筋に近づけた。
「おまえら、こんなことをして将来タダですむとでも……!」
「将来?ああ、結婚の話ですか。僕は篠宮家に入るつもりはないし、椿ちゃんは乙骨になるので問題ありません」
「えっ!?」
「失礼します。……次彼女に触ったら、その両腕がどうなるかお忘れなく。行こう椿ちゃん」
憂太の言葉に戸惑っていると手を引かれてその場を去る。視界の隅では義兄が腰をぬかすのが見えた。
憂太に手を引かれるままが向かったのは空き教室だった。中に入るなりギュッと抱きしめられ、首筋に顔を埋められる。
「憂太?」
「……ごめん」
小さな声で憂太が呟く。
「任務に口出ししてごめん。里香ちゃんと比べてごめん。言い訳だけど、不安だったんだ。去年君がお腹に穴を空けて帰ってきたときから、君の死のイメージが離れなくて。無理なのは分かってるけど、君の血は見たくない」
ショボショボした声が肩口から聞こえる。かかる息がくすぐったい。 首筋から熱が離れる。顔を上げた憂太は、捨てられたチワワのような顔をしていた。
「本当にごめんなさい。許してくれる……?」
「……うん、いいよ」
キュウンと鳴きそうな顔が一変、憂太特有のふにゃりとした笑顔になる。
「よかった~……」
「私もごめんね。脇腹大丈夫だった?」
「アハハ……。あれは痛かったよ。僕ももっと鍛えなきゃなぁ……」
「里香ちゃんの方が女の子らしかった?」 ピシリと空気が固まる。蒸し返すようで悪いが、傷ついたのは事実なのでちょっとした意地悪である。
オロオロ戸惑うかと思われた憂太は、両手で私の顔を包み込むとそのまま目を合わせる。その目には慈愛が宿り、口元は優しく微笑んでいた。「……確かに里香ちゃんはすごく女の子らしい子だった。でも、僕が今好きなのは椿ちゃんだよ」
「君の明るい性根が好きだ。友達思いなところが好きだ。強くなろうと一生懸命なところも尊敬できるし、好きなことをしているときの心からの笑顔なんて、本当は誰にも見せたくない」
「椿ちゃんは最高に魅力的な女の子だよ」 その言葉に顔を赤くしていると、目の前の憂太がここで急に慌てだした。
「えっと、だからね、里香ちゃんと君では女の子らしさの種類が違うっていうか、いつもの椿ちゃんの方が安心するって言うか……!その……」
「……ぷっ」
言葉を詰まらせ、身振り手振りで話す憂太につい吹き出してしまう。さっきまで人を刀で脅したり、口説くようなことを言ったりしていたくせにこんな顔をするなんて!
クツクツと笑っていると、ホッとした様子の憂太が再び顔を近づけてきた。
「……やっぱりかわいい。将来はお嫁に貰うからね」
「え……うむっ!?」
詳細を聞き出そうとした口は、憂太の唇でふさがれるのだった。
〜後日〜
「……真希さん。椿ちゃんにプロポーズしたって本当?」
「ああ、どっかのもやしより幸せにできるからな」
まさに一触即発。友人大好きな憂太にしては珍しい雰囲気に、棘くんとパンダくんは教室の隅の方に避難していた。
「おい椿、何とかしてこいよ」
「しゃけしゃけ……」
「ええ、しょうがないなぁ……」 二人に近づき声をかける。
「憂太」
「何、椿ちゃっ……!?」
振り向いた憂太の頬にすかさずキスをする。思わぬ行動に驚いたのか、憂太は頬を染めキスを落としたところに手を当てた。
「真希ちゃんは確かにカッコいいけど、私が好きなのは憂太だよ」
「……………………」
「わかった?」
「…………ハイ」
よし、戦意喪失させた。満足気な私をよそに他の3人は「悪女……」「高菜」「椿やっぱおまえ篠宮の女だわ」と勝手なことを口にする。「それに、真希ちゃんには来世でお嫁に貰ってもらうことにしたから!」
「ハ?」
「バカ椿!!」
教室の向こうでパンダくんが声をあげる。憂太は再び真希ちゃんの方を向くと、にっこり笑顔で言い放った。
「真希さん、ちょっと外に出てもらっていいかな」
「いい度胸だな。ボコボコにしてやるよ」 その日の訓練は、高専敷地内に3箇所ほどクレーターができる大惨事となった。襲撃と勘違いしてやってきた五条先生によってなんとか場は収まり、私はその夜「未来も心も体も今世も来世もそのまた来世も来々来世も八代の先までだって僕のものだよ椿ちゃん」と呟く憂太に離してもらえないのだった。怖い。