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駐車場から事務所に向かうと、外の喫煙スペースで猪尾が煙草片手に大声で笑っていた。
「そうです、そうです!今日の午後に部材入ってくるんで、それから作業してもらって。明日には設備屋さん入れるんで、今日中にやってもらえればいいんで。
……え?やだなあ、できるでしょう、鈴木さんなら!そこら辺の大工さんは無理ですよ?そうですよ?でも鈴木さんならできるでしょう!だから頼んでるんですよ。
ね、お願いしますね!後でコーヒー差し入れに寄りますからぁ!アイスの方がいいですか?りょーかいですっ!」
電話しながら篠崎の姿を見つけると、さっと煙草を持っていた手を下げてお辞儀をする。
「ありがとうございますっ!鈴木さん!大好きー!」
言いながら電話を切ると、笑いながらもう一度頭を下げた。
「おはようございます!今日休みじゃないんすか?」
営業課と設計課は、客との打ち合わせや接客が入る土日が出勤だが、工事課は業者や大工に合わせて土日が定休になり、水曜日は本来、猪尾のみ出勤日だ。
現場での仕事が主であるため、事務所にはほぼいないのだが、それでも誰もいない水曜日は猪尾にとって羽が伸ばせる貴重な日だ。
だから普段はできるだけ事務所に寄りつかないようにしているのだが、今日は仕方ない。
「ああ。ちょっと土地の契約が絡むもんでな」
言いながら彼の隣に並んだ。
「今の電話、俺の客か?」
「え、なんでわかるんすか」
ニコニコと笑いながら猪尾がまだ長いのに、篠崎に気を使って煙草を消す。
「あれだろ?引き渡し早まったから、急ピッチで動いてくれてるんだろ?」
一棟の家に入る業者は大工だけではない。
クロス屋、設備屋、水道業者に、電気業者、左官屋に、クリーニング屋、外溝屋、さらには家屋調査に役所も入る。
工事課が綿密に練った工程表通りに、彼らが入れ代わり立ち代わり作業をして、一棟の家が出来上がっていくのだ。
そのため引き渡しの前倒しは思いのほか難しく、工事課が一番嫌がるのは理解している。
しかし単身赴任になる客の転勤の時期が重なり、猪尾に無理を言って早めてもらったのだった。
「大丈夫すよ、何とかなります!」
猪尾は真っ赤に焼けた顔で笑った。
「お前もまだ26なのに。大したもんだな」
思わず口にしてから、「あ」と口の中で行った。
(なんだ、お前もって。)
クレーム業界と呼ばれているハウスメーカー職員として相応しく、アンテナを張った猪尾は、笑顔の表情を崩さないまま、言った。
「新谷君も、頑張ってますしね!負けてらんないっす!」
「…………」
一瞬で言い当てた猪尾にばつが悪くなり苦笑すると、彼は事務所を指さした。
「今日も設計長と何やら頑張ってますよ」
思わず事務所を見上げる。
「設計長?休みだろ、あの人も」
「さぁ?なんか二人で約束してたみたいですけど。まあ私服だったから、お客さんとの打ち合わせとかじゃないと思いますけど」
小松の鉄仮面を思いだす。
(休みは仕事をしない主義の、あの人が?)
篠崎は首を傾げた。
「新谷君て、私服だと、本当に学生みたいですよねー」
ケラケラ笑う猪尾を背に、篠崎は事務所に続く外階段に足をかけた。
ドアノブに手を掛けたところで、防音ドアにも関わらず、中から新谷の声が聞こえてきた。
「ああ……!!いい、そこ、すごくいいです」
思わず手を止める。
「………すごい。設計長……。そんなことできるんですね」
(おい)
「ああ……いいっ!……最高です……」
(……何してやがる!!)
篠崎は思い切りドアを開けた。
と、小松と共にディスプレイを覗き込んでいた新谷が顔を上げた。
「あ!お疲れ様です!!」
「どうしました?そんなに慌てて」
小松も驚いて顔を上げる。
「あ、いや……。客との打ち合わせで」
言うと新谷が後ろの壁時計を振り返った。
「何時からですか?」
「……10時」
返事をしながら改めて彼を見る。
ジーパンの上にボーダーのシャツ、上から藍色のコーチシャツを引っかた姿は、確かに大学生に見えた。
整髪料もつけていない髪は前に垂れていて、いつも以上に子供っぽく見える。
衣服に乱れは……ない。
「じゃあ、表のカギ開けてきますね!」
彼は言うと、事務所のドアを開けて「暗っ!」と叫びながら展示場に消えていった。
「……何を、してたんですか」
小松を見ると、なぜ睨まれているのかわからない彼はポカンと口を開いた。
「新谷君に頼まれて、軽くプランニングを……」
靴を脱ぎ、回り込んでディスプレイを覗くと、先日交渉してきた土地に建物を置いた間取りと外観が映し出されていた。
あの声は、組み上がっていく外観のCG画像を見ながらの感想だったというわけだ。
「……たくっ。紛らわしい」
「はい?」
小松がびくびくしながら篠崎を見上げる。
「……何が紛らわしいんですか?」
その質問には答えずに、自分の席に鞄を下ろすと、篠崎はサマースーツの上着を脱いだ。
「まだ土地の契約もしてないってのに、気が早いですね。そのためにわざわざ出勤を?」
嫌みたらしく小松を見下ろすと、彼は少し焦ったようにマウスを無駄にクリックし始めた。
「あ、いえ、この前、新谷君に『この土地に建物を置くとどうなりますか?』って質問されて。
マネージャーのおっしゃる通り、まだ土地の契約も終わってないということですし、敷地調査も済んでなくて、採光なんかもわかんない状態で、プラン作ってもなーと思って。
仕事中にやるもんでもないので、暇だったので、その……」
謎の威圧感に押されてか、焦って答える小松に、篠崎は鋭い視線を刺し続ける。
「ずいぶん特別扱いしてんじゃないすか。あんまり甘やかさないでもらっていいですか。クセになると困るんで」
「……え、そうですか?」
「そうでなくても設計課は激務なんだから、無駄なことしなくていいんですよ」
めったに表情を変えない小松は、明らかに顔を引きつらせながらモニターを見上げた。
展示場内の照明をつけながら、エアコンで空調を整える新谷が映っている。
篠崎もつられるようにモニターを見上げた。
口を半開きにしながらエアコンのリモコンを弄っている。
『あれ?なんだこれ。なんでつかないんだ?』
マイクが彼の呟きを拾う。
『……あ、そういうことか。ははは』
一人で笑いながらまたリモコンをエアコンに向けている。
「……おいおい。本当にダイクウ出身かよ」
篠崎は呆れながら笑った。
いつのまにか立ち上がっていた、普段は鉄仮面の小松も笑っている。
「なんか、協力したくなっちゃうんですよね、彼には」
妙にしみじみと言葉を吐く男から視線を移し、再度モニターを見上げる。
窓から入ってくる日差しを浴びて、新谷がのびをした。
引き上がったボーダーのシャツから、白い腹が覗く。
「…………」
篠崎はそれを見ながら、無意識に唇を親指で擦った。
土地の契約が済み、客と銀行員を帰しても尚、事務所では2人がワキワキと図面作りをしていた。
軽く息を吐きながら盆を流しにおくと、新谷が走り寄ってきて、「洗います!」と微笑む。
暑かったのか、ボーダーシャツ一枚になった彼から、柔軟剤だか、車の芳香剤だかの爽やかな香りがする。
「ああ。サンキュ」
肩を軽く叩くと、彼は小さく頷いて微笑んだ。
(ちょっと前までは微笑むどころか、ろくに目も合わせてこなかったくせに)
心の中で舌打ちをしてから篠崎は目の前の部下を見て止まった。
(……ん?なんでムカつくんだ。いーじゃねえか。逆に!)
普通に考えれば上司と部下の関係としては、今の方が良いのは当たり前なのに、なぜか憤っている自分に首を傾げる。
「どうかしましたか?」
新谷が目を見開く。
「いや……何でもねぇ」
言いながら彼の脇をすり抜け、小松のデスクに寄る。
ディスプレイを見ると、篠崎は思わず息をついた。
白タイルの外壁、せり出したウッドデッキにオプション仕様の大きな掃き出し窓。それに連ねて2階のウッディ調のバルコニーに、やはりオプションの大きな掃き出し窓。さらに上には月見窓まで付いている。
「……小松さん、本気出しましたね」
「あ、いや……」
小松が首を振る。
「お遊びみたいなもんなんで、好き勝手やっちゃったというか。オプション付けまくって理想像を……。これはお客様には見せない約束だもんね、新谷君?」
焦って言うと、流しで湯飲みを洗い出した新谷が、
「あ、はい!大丈夫です」
と返した。
「まあ、現実的にはこちらかな、と」
そこには見慣れたバルコニーに、見慣れた掃き出し窓、見慣れたレンガ調タイルの家が、こちらもシンプルながらセンス良く出来上がっていた。
(本当に、遊んだんだな)
和気あいあいと、笑いながら作ったのであろう、オプション仕様の外観を睨みながら、篠崎はため息をついた。
(………まあいいけど)
喉のあたりがムカムカする。
しかし自分の苛立ちの理由を考えるのを、なぜか脳が拒否する。
篠崎は思考と感情を振り払うようにかぶりを振ると、自分の席に座った。
と、スマートフォンが、デスクの上で震え出した。
「……あ」
あの母娘からだった。