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深夜一時前。
隣でペットボトルの水を飲む若井の姿を眺めていた。
ひとつ重要なのが「ベッドの上で」ということ。
何をしていたかなんてここまで聞けば誰しもが察するだろう。
日付が変わる数時間前。昨夜の仕事終わり、束の間の休息時間を若井と過ごしていた。
まぁ、色々あった。
日々の疲労によって互いに吐露された弱音や想い。そして言ってしまえば何となくの流れ。
その色々が交わるべきタイミングで交わってしまい、日付が変わった頃。
ここの部屋で、ベッドの上で、彼と。
10年来の付き合いである親友と一線を超えた。
所謂「身体の関係」なる物を持ってしまった訳だ。
双方に好きの感情はなくて、欲のままに相手と身体を重ねる都合の良い関係性。
ひとつだけ。ひとつだけ違いがあるとすれば、それは
「若井に好意を抱いている」ということ。
ひとつだけ、とは言ってみたものの。
これ大分重要では。
正直言って、こうなってしまったことに対しては後悔と嬉しさの半々だった。
そりゃそうでしょうよ。好きな人を抱いた。嬉しくないわけがない。
後悔があるとすれば、それは想いを伝える前にこんな形で、偽の愛情で繋がってしまったこと。
若井への感情を自覚した時点で綺麗にいくわけがないってこと、自分でも分かってたはずだったんだけどな。
どうやら心の奥底でまだ期待をしていたらしい。
空間にあるのはいつものような軽くて馬鹿げた空気ではなく、事後の気怠さや事の重さを実感し始めた人間による何とも言えない空気感だった。
若干の気まずさも到底拭いきれない。
「…元貴、水飲む?」
「………んや、大丈夫」
どうにも割り切ることの出来ないこの空気に胃が死にそう。
若井も同じことを考えているのか。同じことを感じているのか。
表情からじゃそんなの読み取れるはずもないけど、そっとその横顔を盗み見た。
上気した頬と僅かに赤い目元。乱れの残る前髪は額にかかっていて、緩いシャツの首元からは紅く咲いた痕が見える。
「…………。」
自分の首元にもあるだろう紅い痕。下手すれば見えてしまうもしれない場所に付けて付けられて、それに背徳感を感じている俺はかなり最悪かもしれない。
最中のことはぼんやりとしか覚えていない。
仮にも足りないものを「何か」で埋めるように、と流れで行った行為だったもので。
…いや。それも結局建前かもしれない。本音は多分、良すぎてあんまり覚えてないってだけ。
名前を呼ぶ若井の声がどうしようもなく胸を焦がして、名前を呼び返す自分の声もまた酷く甘ったるくて。
その声ごと、吐息ごと奪うように塞いだ唇の柔らかさ。初めて見た親友の表情は、理性を簡単に溶かしてしまうくらい扇情的に乱れていた。
思い出す度にまた理性が霞みそうで、それを塗り返すようにまた思考がぐるぐると渦巻き始める。
脳内に取り巻く感情を無理やり断ち切るように口を開いた。
「…首、流石に付けすぎたかも。」
若井が一度こちらを見た。自分のシャツの襟元を手で引いてみてから、僅かに視線を泳がせる。
「……まぁ、俺も同じようなもんだし」
それはそうだ。俺が付けた数に負けず劣らず若井は随分と痕を刻んでくれた。
それが嫌かと言われれば、全く逆の感情を抱いてる訳だけど。
また部屋に沈黙が落ちた。数秒間音のない世界に二人分の呼吸だけがある。
考えていた。
今、このまま無かったことにしてしまえばこの気持ちも無かったことになるのだろうか。
忘れてしまえば、感情も忘れられるのだろうか。
幾ら考えても答えは否。
無かったことにするつもりも、忘れられるはずもなかった。
「……ね、若井。」
静寂を終わらせるようにもう一度。最中とはまた違った温度で名前を呼ぶ。
若井が横目で此方を見た。何を言われるのかと、若干身構えたような気さえした。
若井はどう感じているのか。
聞いてしまおうとその名前を呼んだはいいものの今更ながらに不安を感じていた。
馬鹿らしいけど、好きな人にはどんな形でも好いていて欲しいから。
拒絶の言葉なんて、聞きたくない。
「俺とすんの、嫌だった?」
不自然に口を閉ざしそうになって、結局聞いてしまった。
目、合わせてくれないし。話しかけてもくれないし。
って、今一番若井の目を見れてない人間が言えるようなことじゃないけど。
そんな事ないって、言うんだろうか。
若井はずっと優しいし、傷付けるような言葉を投げかけられた試しがない。
だからこそ、その返答が怖かった。
「嫌だった」「嫌じゃなかった」
そのどちらが返ってきても傷を負ってしまいそうな自分に心底呆れる。我ながら面倒くさい人間だ。
「嫌じゃない、けど。」
若井は言葉を選ぶように間を置いた。彼なりの精一杯を探しているようだった。
嫌じゃないけど。その後に続く言葉はだいたい予想がつく。
こういう時、自分にとって都合の良い返答が返ってきた記憶は一度もない。
「……後悔は、少しだけしてる。」
視線を迷わせて若井は言った。
あぁ、やっぱりそうか。
割り切れない感情を抱いている自分と同じように、若井も簡単に口には出来ないような感情を抱いていたみたいだった。
そうだよな、ってな簡単に割り切れるはずもない。
もし、好きの気持ちなんて最初から無かったような人とだったら。もっとずっと楽に終われたのかもしれないけど。
目の前にいるのは紛れもなく自分が好いてしまった人。
胸の奥が重く軋むように痛んだ。その口から放たれた言葉で理解したくなかった、なんて。そう思ってしまう。
同時に、「少しだけ」「嫌じゃないけど」なんて前置きで気を遣わせたことが惨めにも思えた。無意識に握りこんだ掌に爪の後が付くくらい。
「…少しだけ、って。別に気ぃ遣わなくていーよ。」
若井が何か言おうとしたのを遮るように。いつもの空気感でわざと何も感じていないフリをした。
“フリ”なんかで簡単に誤魔化せてしまう程単純な気持ちじゃないってことくらい、自分が一番よくわかっているはずなのに。
それなのに。
そう言い放った時、若井の瞳が揺れた気がした。
なんで。なんでそんな顔すんの。
後悔なんて二文字を使ったのはそっちでしょ。
それなのに強がりで放った俺の言葉なんかで揺らぐの?
自分でも名前のつけられない感情が胸の奥を軋ませる。少しばかり、痛くもあった。
「違う、違うよ元貴。」
聞いた事のない声だった。どこか焦ったような、必死なような。それでいて どうしようもなく寂しさの滲んだ声。
自分ばっかりの言葉で傷付けてしまったんだと、今更理解した。
「…後悔してる、って。違うから。最後まで聞いて。」
少しだけその黒い瞳が揺らいでいた。
自分のせいで泣きそうな顔をさせてしまった事への果てしない罪悪感。
そして自分のために泣きそうになってくれていることへの愛おしさ。
この期に及んでまだそんなことを考えてしまう自分は、本当に最悪だ。
自分勝手な言い方をするならばきっと、最悪なくらいに愛してるんだ。
若井は先程よりも長く間を置きながら言葉を紡いだ。
「…後悔してるのは元貴が疲れてるのも寂しいのも全部知っててつけ込んだこと。」
「……ごめん。元貴にそんな気がないの知ってたけど。」
静寂が落ちた。
今度は今までの何よりも長くて、情報を処理しきれない間。
脳が理解することを拒否したかのようにフリーズしていた。
自分ばっかりが最悪なことをしたと思っていたけど、目の前の彼は今確かに言った。
つけ込んだ、と。
それって。
「………。」
言葉にする気にもなれず、片手で思わず口元を覆った。
心臓、うるさい。耳の奥に鳴り響く鼓動がやけに大きく感じた。頬がじわじわと熱くなっていくのが分かる。
なにそれ。ずるくない。
さっきまでの胸の痛みなんか忘れてしまったかのように今は別の意味で胸が痛かった。
我ながら面倒くさくて単純な人間だ。
若井と視線がぶつかった瞬間、もう耐えきれられなかった。
二人の間にある距離を詰めて後頭部を引き寄せる。
そのまま呼吸ひとつの間もないくらいの勢いで唇を重ねた。
どちらのものか、小さな声が零れる。漏れた吐息から熱が空間を支配する。
ようやく唇が離れ、乱れた呼吸が長い長い数秒間だったことを実感させる。
「……っ、もとき」
離れないまま。膝が当たるくらいの距離感のまま。吐息が交わる距離で若井の目を見つめた。
荒い呼吸を整える余裕もなく、互いに潤んだ瞳が互いだけを映している。
「好き。」
後頭部を引き寄せる手を離さず愛を紡いだ。
ずっと言いたかった言葉。言えなかった言葉。
それでも言葉にさせたのは、他でもない。
目の前のたった一人だ。
もう一度、今度は触れるだけのキスをその唇に。
それから真っ直ぐに若井の目を見据える。
「ずっと好きだよ。こんな順序になったの、ほんと馬鹿みたいだけど。」
勘違いしていた事への懺悔とも言えない。
ただただ零れる気持ちのままに。
溢れ出す感情をそのまま流し込むみたいに唇を重ねる。甘いようなキスが空間の温度を上げた。
「……好き。好きだよ。愛してる。」
何回も、何回も繰り返しながら。最後に角度を変えてもう一度深く。
ようやく唇が離れ、ひとつ分の呼吸の間。
若井は呼吸を整えながらなにか言葉を探しているようだった。口を開いて、閉じて。
そして次の瞬間、今度は自身の唇に柔らかい感触。
一秒にも満たない一瞬の口付けだったけど、それで充分だった。
熱くなる頬と指先。それはきっと互いに同じで。
もっと、知りたいと思ってしまった。
どんな顔を見せてくれるのかも、この先の温度も。
これが我儘だと言うのなら、今だけは我儘を言わせて欲しい。
最後に一度。その唇にキスを落とすと、そっと若井の肩を押した。
コメント
6件
いちさんの短編集大好きです…🤦とくに、元貴さんの感情があまりにも本人すぎて凄すぎます…‼️心奪われすぎておかしくなりそうです…🫨🫨

ぬわああああっ!!! いっっっち、さぁぁぁぁぁっんっっ!! な、なんてものを書くんですかっ!!!こんなん出されたら筆おるわぁぁぁぁっ!!!(めちゃくちゃ褒めてます) 行為が先だったにも関わらず、何故でしょう……めちゃくちゃ純愛に見えるのは……\( 'ω')/エンダァァァァァァァァァァァァァイヤァァァ もうほんとにほんとに大好きすぎるお話すぎて、すぐ2周しましたよ!!( ◜︎︎𖥦◝ )
今回も神です、最高すぎます…っっ!天は二物を与えずといいますがいちさんは短編の才能も長編の才能も限界突破してます!!!← 次も楽しみにしてます〜!!