明らかに気のせいではない。私は、正確には雷電丸に周囲の視線が集中しているのが分かった。
何故、私がこんなにも注目を浴びているんだろうか、という疑問よりも一つ気になることがある。それは、雷電丸を見る生徒達の目が好奇の色に輝いていることだ。
何でこんなに注目を浴びているのかしら……? と、原因を考えてみたが、この二日間の出来事を思い起こすだけで心当たりがあり過ぎた。
教室で暴れたこと?
何十人もの怖い先輩達を叩きのめしたこと?
それとも、昨日、相撲部の部室で道場破りまがいのことをしでかしてしまったことかしら?
考えるだけでも最低三つは思い当たる節があった。
そのどれかなのか、いや、その全てなのかもしれない。
学校で注目されても良い事はないだろう。ましてや学園カースト最底辺の女子が注目を浴びても何もいいことはない。
変に目をつけられるよりは、多少虐められていても空気に徹していた方が安全安心な学校生活を送れることは自分が一番よく分かっているのだ。
しかし、それにしても、もう一つ気付いたことがある。
私を見る好奇の目なのだが、男子と女子とではその性質が違っている様に見えた。
男子生徒達から向けられる視線は、何処か性的に興奮しているように感じられた。一方で女子からは敵意や嫌悪感が露わになっているように感じられた。
気のせい……じゃないよね?
その時、私の脳裏には、昨日、雷電丸が相撲部の稽古部屋で宣言したあの一言が思い浮かぶ。
『やっぱりあんなことをしでかしておいて、タダで済むわけがないわよね』あはは、と乾いた笑みが自然と口から零れ落ちた。
「どうした、双葉?」
珍しく雷電丸が私に心配そうに声をかけて来る。
『今はそっとしておいて』
今はそれしか答えることが出来なかった。
「双葉、何か言った?」
静川さんに名前で呼ばれて、私は思わず噴き出しそうになる。昨日までキモ女と呼びながら私を虐めていた人物と同一人物とはとても思えないくらい、彼女の私に対する態度は豹変していた。
「こっちの話じゃよ。それよりも、そろそろ鬱陶しいのう」
雷電丸は苛立ちを露わに周囲を見回す。どうやら彼も多くの視線が自分に注がれていることに気付いていたみたいだ。
「貴様ら、さっきから何を見ておるか⁉ 見世物じゃないぞ、去ね!」
雷電丸は鬼のような形相で吠えると、好奇の目を向けていた生徒達は一斉に蜘蛛の子を散らすかのように逃げ去って行った。
「カッコいいし……」
静川さんが頬を染めながらそうボソッと呟いたのを私は聞き逃さなかった。その視線はうっとりとしていて、ジッと雷電丸を見つめていた。
静川さん、どうしてそんな、まるで恋する乙女の表情をしているのかしら? と思ってしまった。
それから私達は何のトラブルもなく教室に到着することが出来た。
教室には昨日、静川さん同様、雷電丸に薙ぎ払われた女子グループの娘達の姿もあったが、特に私に絡んで来るような素振りは見せなかった。
雷電丸が私の机の前に立った瞬間、私は思わず涙を零しそうになった。
『机の上に花瓶が置かれていないわ』
私は目頭が熱くなるのを感じる。まさかこんな日が来るだなんて。
静川さんのあの様子だと、二度と私に嫌がらせはしてこないだろう。
しかし、そうなるとやっぱり一つ疑問が浮かぶ。
何故、静川さんはこんなにも変わってしまったんだろうか?
今日の彼女の態度は、まるで十年来の親友と接しているかのように思えた。その無邪気な笑顔はきっと誰にでも見せるようなものではないと感じた。
雷電丸にあんなことまでされて、私はてっきり状況が悪化するものだとばかり思っていた。
でも、彼女の態度は悪化するどころか、友人と接するかのように私に話しかけてくれた。
もしかしたら、私を友達認定してくれたのかしら?
その時、胸がズキンと痛んだ。
勘違いしてはいけない。何が起こったとしても、それは私がもたらした変化ではない。全ては雷電丸が引き起こしたもの。
彼女が私に向けている好意は私にではなく、雷電丸に向けてのものなのだろう。
静川さんの笑顔を思い出すと、また胸に痛みが走った。あんなにも自分を虐めていた相手だというのに、私は彼女の笑顔を見るのが嫌じゃなかった。
それから、ごく普通に学校での一日が始まった。
教室に教師が入って来ると、いつものように授業が始まる。
ただし、今日はいつもと様相が違っていた。何か大きな音が教室内に響き渡っていた。
それは雷電丸の豪快ないびきであった。
教師は険相を浮かべながらチラリとこちらに振り向く。その視線の先には私、正確にはいびきをかいて熟睡している雷電丸の姿があった。
私は先生に怒られる、と思い、雷電丸を起こそうとしたが、意外にも先生は何の注意もして来ず、ただ眉をしかめるだけだった。
それは午前の受業が終わるまで似たような状況が続いた。雷電丸のいびきが教室内に響き渡りながらも、授業中、注意をする教師は誰一人いなかった。ただ不機嫌そうに眉をしかめてこちらを睨みつけて来るだけ。
雷電丸が目覚めたのは昼休みのチャイムが鳴った時だった。
「勉学の後は楽しい昼飯じゃ!!」
『ずっと寝ていたくせに、何を言っているのよ……』
「ねえ、双葉。その、お昼一緒にしてもいい?」
菓子パンとパックのイチゴ牛乳を持った静川さんがやってきて、不安げな表情で話しかけて来た。
「おお! 良いぞ、大歓迎じゃよ! 一人より二人で食った方が飯は美味い」
雷電丸は嬉しそうに言うと、風呂敷包みを机に置いた。
朝も気になったけれども、これはなんぞや? と思っていると、中から唐揚げの匂いが漂って来た。
雷電丸が風呂敷包みを広げると、中から五段重ねの重箱が現れる。
もしかして、これ、全部お弁当なの⁉
私の頭に『ダイエット』の文字が浮かび、思わず絶叫しそうになった。
「これ、もしかしてお弁当?」唖然としながら静川さんは呟く。
「のぞみ、お主の昼飯は何じゃ?」
「あたし? 菓子パンとイチゴ牛乳」雷電丸に持っていた菓子パンとイチゴ牛乳を見せる。
「そんなんで腹が膨れるかよ。ほれ、ワシのを分けてやる。一緒に食うぞ」
重箱の蓋を開けると、中からおにぎりに卵焼きや唐揚げなど、様々な料理が現れた。
「え? いいの?」
「いいから食え」
「お誘いは嬉しいんだけれども、あ、あたし、昨日まで双葉を虐めていたし、そんな資格は無いというか」
静川さんは今にも泣きそうな表情で目線を下に落とした。私を虐めていたことを心から悔いている様だった。肩が少し震えていた。まるで怯えている子猫の様に見えた。
「昨日の敵は今日の友じゃ。良いから食え。そうしたら同じ釜の飯を食った者同士、晴れて今日から友じゃよ」
雷電丸はニカッと向日葵の様な笑顔を浮かべた。ほっぺには既にご飯粒がついている。いつの間に食べたのか、既に一段目の重箱は空になっていた。
静川さんは何かを言いかけるが、吐きかけた言葉を飲み込んで代わりに精一杯の笑顔を浮かべた。
「うん、分かったし。双葉、いただきます!」おにぎりを一つとると、一口頬張る。「めっちゃ美味しいし!」と静川さんは破顔した。
「そうじゃろう、そうじゃろう。お母さんの作る料理は天下一品なんじゃよ」
私は精神世界から雷電丸の目線を通して、静川さんとのランチを楽しんだ。
まるで本当の友達と一緒にご飯を食べているみたいで胸が一杯になった。
もしも、私も雷電丸みたいにもっと積極的な性格だったら、静川さんみたいな友達が出来たのかな、と思ってしまった。
まあ、それが出来なかったから学園カースト最底辺をキープしているんだけれどもね、と自虐的な笑みが込み上げる。
その時、私は不意に視線を感じ目を向ける。
私の視線の先には、静川さんと一緒に私を虐めていた娘達がいる。
何故だか彼女達は苛立った表情でこちらを睨みつけていた。
多分、私を睨んでいるのよね。あんな酷い目にあわされて、怒らない方が無理だろう。
むしろ、本当になんで静川さんだけは彼女達とは真逆な態度に豹変したのか、皆目見当がつかなかった。
授業が終わり、雷電丸は相撲部に向かおうとする。その表情がランランと嬉しそうに輝いていた。
そこに昼休みと同じ体で静川さんが笑顔で現れる。肩にバッグを抱えているのでもしかして、下校のお誘いに来たのだろうか。
「双葉っち。一緒に帰ろうし」と、静川さんは目を細めながら言った。
一方の私は、精神世界で全身を凍り付かせていた。
『双葉っちってなに……?』
精神世界で私が唖然としている一方で、静川さんはニコニコと微笑みながら雷電丸の返事を待っていた。
「ああ、すまん。ワシは今日から相撲部屋で稽古をつけてやらねばならんのじゃ」
「稽古? 相撲部屋? 双葉っちってば、相撲部に入部したの?」
「女将になったからには、小童どもを鍛え上げて横綱にする。それがワシの唯一無二の野望なんじゃよ」
「よく分かんないけど、あたしもついていっていい?」
「来るものは拒まずじゃ。遠慮なく来るといい」
「やった! あたしもお相撲のお稽古するし!」
その時、私達に近寄る複数の影があった。
「のぞみ、ちょっといい?」
静川さんに話しかけて来たのは茶髪の女子生徒。確か武田さんだ。クラスメイトだけれども下の名前は分からない。彼女も昨日、雷電丸に叩きのめされた女子達の一人だったはずだ。
「なにか用?」
「今日、ちょっと付き合ってよ。私たち友達っしょ?」
他の女子達も静川さんに話しかけ、その肩に手を置く。
私と違って静川さんには友達が沢山いるのね。何だかちょっと寂しい気分になった。
静川さんはうーんと唸った後、観念したかのように頷いて見せた。
「あー、分かった。そういうことだから、ごめんね双葉っち。今日はあたし、こいつらと行くね」
「ああ、分かった。相撲部屋にはいつでも来い。歓迎するぞ」
「うん、分かった。それじゃ、双葉っち、また明日ね」
ばいばい、と静川さんは名残惜しそうに何度も振り返りながら私に手を振ってきた。
その時、私は得体の知れない不安に襲われた。何故か、もう二度と静川さんに会えない様な気がしてしまった。
『ねえ、雷電丸。何か様子が変じゃなかった?』
「のぞみがか?」
静川さんではなく、そのお友達から何か不安なものを感じたような気がした。
『いや、そうじゃなくて……ま、いいか。思い過ごしね』
静川さんのグループの娘たち、何だか殺伐としていたような……?
「そんなことよりも、ようやくお楽しみの時間じゃわい。腕が鳴るのう」ボキボキと指を鳴らす。
『あんなことをして、もしかしたら全員、逃げてしまったかもしれないわよ?」
「そこは心配ご無用じゃよ」
『何故?』
「その時は力づくで連れ戻すまでじゃ」と、雷電丸は悪魔の様な笑みを浮かべながら断言した。
多分、間違いなく真剣に言っているんだろうな、と思いつつ、相撲部の人達が何だか可哀想になってしまった。
そして、事件は私達が相撲部に到着した時に起こった。
雷電丸がルンルンとスキップしながら相撲部に向かっていると、何故か部室の周辺に人だかりが見えた。
『この人だかりは何?』
部室の前には百名は超えているであろう、男子生徒達の姿があった。
すると、彼等は私達の姿に気付くと、ほぼ同時に頬を染めながら私達に向かってこう叫んで来たのだ。
「オレ達、女将ちゃんの婿になりにきました!」と。
雷電丸が蒔いた種は、予想外の形で大騒動に発展していたことに、私はその時になるまで気付かなかった。
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