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京之介くんが好きなオレンジピールのチョコレートを一緒に梅田で選んで食べて、帰宅してからスマホを確認すると、鞍馬からは時間を置いて着信が二件来ていた。
気付いていなかったわけではないが京之介くんとの買い物中に出るわけにはいかなかったのと、鞍馬に口で勝てる気がしなくて今通話はしたくなかった。
トーク画面を閉じて袋へ詰め込んでいた着替えをタンスに戻していると、これから同期と買い出しへ行くらしい京之介くんが予想外の提案をしてきた。
「うち来る?飲み会終わった頃くらいに」
「……何で?」
「元カノおるし心配ちゃうかなと思って。あと、あいつらに瑚都ちゃんのこと紹介したいし。そのまま俺の家で寝たらええよ、ベッドあるし」
別にそんなに気にしてないよ元カノのことは、と返そうとして、あの失礼なDMの文面を思い出して返事を変えた。
「――行く」
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京之介くんが居なくなった後、鞍馬には【怒ってる?】とだけメッセージを送った。
しばらく待ったが返信が来ないので、先に美容室へ行った。先程急遽予約した美容室だ。
カットが終わりそうな頃に、【めっちゃ怒ってる】という鞍馬からのLINE通知が来た。
カットの会計を済ませて外へ出て返信しようとした時、着信があった。
ついさっき既読を付けた分、無視するのも不自然なので仕方なく出た。
“俺は電話でしか喋る気ねーぞ”という強い意志を感じたし、一度は口で直接謝っておいた方がいいとも思ったから。
「ドタキャンしてごめん。完全に私が悪いし、お詫びに何かする」
電話の向こうの鞍馬が笑う気配がした。
全く怒っている様子ではなくて拍子抜けしてしまった。
『何してもらおうかな』
「……性的なこと以外なら」
しばらく間があって、
『俺とはもう一生しないってこと?』
そんな質問をされた。
うん。普通の友達に戻ろう――そう言おうとして、“普通の友達に戻ろう”の部分を消して、「うん。」とだけ短く答えた。
私たちはセックスありきで仲が良かったのだ。鞍馬は私と普通の友達になることなんか望んでいない。セックスがなくなれば、私たちは他人だ。
『じゃあ何もしなくていいよ』
その返答で、鞍馬がやはり私に対して性的なこと以外に何も期待していないことが分かった。
そのさっぱりしているところは私の知る鞍馬だと思った。
『俺そろそろ寂しく一人で飯行ってくるね。誰かさんが約束破ったから』
ライターの蓋を開けたり閉めたりするような音が止む。
鞍馬のそのからかうような声音からは本当に気にしていないように感じられてほっとした。
通話が終了し、その後鞍馬からのメッセージはなかった。
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新しい髪型は、京之介くんが似合うといったショートカット。化粧も今日ばかりはナチュラルに丁寧に仕上げた。
京之介くんの実家はおじいちゃんの家から近い場所にある。
お邪魔するのは久しぶりかもしれない。
終電間際の時間帯に着くようにバスに乗り、京之介くんの実家の近くで降りた。
京之介くんに【着いた】と送ると出てきてくれて、「暗いけど大丈夫やった?」と中へ入れてくれた。
「髪切ったんやな」
「うん。元々切る予定だったし」
「……どないしよ。見せたなくなってきた」
「え、何で?」
「可愛すぎる」
京之介くんってそんなこと言うんだ、と戸惑ってしまったけれど嬉しいことに変わりはないので、照れ隠しに軽く叩いておいた。
靴を脱いで揃え、居間へ向かう。
「だからぁ、俺が浮気したってのもあるんだけどさ。先に向こうが俺がブロックしてって言ったバイト先のヤリチン男のブロック解除して連絡してたんだって。しかもわざわざその男の名前女の名前に変えてたぜ?」
「えー俺それ無理かもぉ。彼氏となんかあった時に他の男に頼る子って下心透けて見えん?別に愚痴言いたいだけなら彼氏の知らん男に頼る必要ないじゃん」
酒を飲みながら恋愛トークをしている集団の居る居間に足を踏み入れる。
久しぶりに来る京之介くんの実家はあまり変わっていない印象を受けた。
強いて言うならこの部屋のラグが新しいものに変わったくらいだ。
七人、八人……ざっと数えてそれくらいの、感染対策のためかマスクを着用した男女が、一斉にこちらを向いた。
その中に、私を凝視する女性がいる。お姉ちゃんに雰囲気が似てるからすぐに分かった。これが元カノか。
「はじめまして。瑚都です」
名前を強調するように言った。私をお姉ちゃんと間違えている元カノにも届くように。
「この前言ってた院生の?」
「えーめっちゃ可愛いじゃん」
お世辞かどうかはともかくとして、元カノ以外の男女は私のことを大袈裟に褒めて歓迎してくれた。
「ちょ、二人の時間を邪魔しちゃだめだわ。ウチら帰ろ、終電そろそろだし」
「急いで片付けよ~」
「あ、洗い物は私がするのでお皿とかグラスは置いといてもらって大丈夫ですよ」
昔は毎年来ていたから、京之介くんの実家のキッチンの場所は把握している。
お皿の量的にこれを洗っていると終電を逃すだろうと思ったこともあってそう提案すると、京之介くんの同期たちにはめちゃめちゃ感謝された。
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キッチンにお皿を運んで洗い物をしていると、他の同期たちがお菓子の袋やら空き缶やらの片付けをしている中、元カノだけが一人こちらへやってきた。
「こんにちは」
先行して挨拶する。元カノは仏頂面で近付いてきた。
「あたしが誰か分かってる?」
「京之介くんの大学時代の同期ですよね?」
わざわざこっちへ来たなら洗い物を手伝ってほしいところだが、元カノは全く手を付ける気配がない。
それはいいにせよ、挨拶くらい返してくれてもいいのに。
「何その言い方……人の彼氏奪ったって自覚あんの?」
敵意剥き出しだ。そりゃあ、インスタであんなに挑発してくるくらいだから私をよく思ってはいないと予想してたけど。
「結果的に奪う形になってしまったのは謝ります。でも京之介くんは私のことが好きみたいなので貴女がどんな行動を取ったところで復縁は見込めませんし、これ以上の私への干渉はやめて頂けると助かります。お互いのために」
わざと相手からすればムカつくような言い方をした。
思惑通りカチンと来たらしい元カノが洗い物をしている私の胸ぐらを掴んでくる。
「付き合ってまだ一年も経ってないくせに……あたしと京之介が何年の仲だと思ってんの」
「年数ってそんなに重要ですか?」
私は冷静にスポンジを置き手についた泡を洗い流し、手を下にかかっているタオルで拭いた。
そして改めて元カノと視線を合わせ、何も面白くないけれど薄く笑ってみせた。
「……笑うなよ。何笑ってんの?」
「いえ?」
私の胸ぐらを掴む手を優しく退かして言う。
「性格も私の方が可愛いなと思って。」
お姉ちゃんを侮辱した女への、精一杯の仕返しだった。
一瞬ぽかんと間抜けな顔をした元カノは、みるみるうちに鬼のような形相になり、
「どこが……ッ」
とまた掴みかかってこようとする。
それを躱し、「京之介くーん。」と居間に向かって呼んだ。
元カノの動きがピタリと止まる。
私の呼びかけが聞こえたらしい京之介くんがこちらへやってきて、私と私の隣にいる元カノを見た。
「……どした?」
ちょっと心配そうな顔で私を見てくるところを見ると、元カノの性格はきちんと理解しているようだ。
「お皿ってどこ置いとけばいい?」
笑顔で聞く。
「普通にそこで乾かしとってええよ」
「そっか、ありがとう」
元カノは京之介くんが来たことで気まずさを覚えたのか、急にしおらしくなって一人居間へ戻っていった。
こういう機会がなければもう二度と会うこともないだろう。
「なんか言われた?」
京之介くんが私に近付いてきて頬に手を当ててくる。
「二人にしてごめんな。あいつとはあの後ろくな話し合いもしてへんから、怒りの矛先が瑚都ちゃんに向かうこともあるかも……」
「何もされてないから、京之介くんが気にしなくていいよ」
「ほんまに?」
京之介くんが覗き込んでくるから、どんだけ心配なんだと笑ってしまった。
「どっちかって言うと私がしちゃったかも」
そう言うと、京之介くんも「なんそれ。頼もし」と笑った。
京之介くんの同期たちが帰っていった後お風呂を借りて、京之介くんの部屋で寝させてもらうことになった。
京之介くんのお母さんたちはもう眠ってしまっているらしい。
「懐かし……」
最後にここへ来たのは何年前だったか。下手したら中学生の時からずっと来てないかもしれない。
狭いシングルベッドに二人で寝転がって、擽り合っていちゃいちゃしているうちにそういう雰囲気になっていき、長い時間をかけて三回ほどイかされた。
場所が京之介くんの実家ということもありあまり大きな声を出せない状況も相まって興奮した。
事後、京之介くんが一階からお茶を持ってきてくれた。
それを飲んでから脱力したように再び寝転がり、私が残したお茶を飲んでベッドに入ってきた京之介くんを抱き締める。
「京之介くんさ、」
「うん?」
「もしも私が一緒に死んでって言ったらどうするの」
特に深い意味なんてない、興味本位の質問だった。
強いて言うなら、ベッドから見える勉強机の隣の棚に私たち三人の写真が飾られていたから、何となくお姉ちゃんのことを思い出しただけだ。
「お姉ちゃんとは一緒に死ねるんだよね?」
ちょっとした意地悪をしたくなって聞くと、京之介くんは何も答えなくなった。
さすがに洒落になる話ではなかったなと思って話題を切り替えようとした時、
「もし、凪津と瑚都ちゃんが溺れとって、浮き輪が一つしかないとして」
京之介くんがゆっくりとした口調で例え話をする。
「俺は瑚都ちゃんに浮き輪投げて凪津と一緒に死ぬと思う」
「……」
「俺にとって瑚都ちゃんはそういう存在」
ふ、と笑って京之介くんの服に鼻を埋めた。
喜ぶところじゃないのかもしれないけど、私は本当に嬉しかった。
私の求めている感情を、望んだ答えを、京之介くんが与えてくれた気がした。
「何喜んではるねん」
「ううん。京之介くん、大好きだよ」
幸せだった。
本当に心から幸せだった。
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