「今度は⋯共に生きられると良いな」
澄んだ、しかし何処か物悲しげな
女の声色がする。
目も開けられず、ぼんやりと虚ろな頭に
その声は美しく響く。
「お前の名に因んで
この苗木を墓標としよう。
私の不死の血があれば枯れる事もあるまい。
⋯⋯心から愛している」
慈愛に満ちた、だが悲痛な声を
温かな暗闇で聴いている事しかできない。
揺蕩う様に柔らかな暗闇の中で
私の意識は奥へ奥へと沈んでいく。
「お会いしとうございました⋯我が主よ」
ー誰の声だ⋯?ー
潰れた喉で振り絞る様な声に
私は目覚めた。
いや、夢を見始めた。
が正しいだろうか。
いつもの夢に聳え立つ大樹とは違うのか
花弁や大樹以外にも
景色にしっかりと色がある。
あの夢よりも
五花の花弁は紅色に近く
小高い丘の上に立っている為
遠方に小さな街が見下ろせた。
ー私は何処に居るのか?ー
躯は全く動かせず
唯一動かせる双眸で辺りを見回した。
自分の躯すら見えない⋯
先の夢の様に
大樹に括り付けられている訳では無さそうだが
見える高さからして
樹の中腹辺りに居るようだ。
言い得て妙だが
私がこの大樹になった様な気すら覚える。
そして
直ぐ近くの枝に小さな人の形をしたものが
居る事に気付いた。
ー先の声は、此奴か?ー
その小さな体躯は腐敗が始まっているのか
片腕はダラリと朽ち落ちかけている。
「待っていて下さって
ありがとうございます。
苦労を掛けましたね⋯青龍」
横からした声に聞き覚えがあった。
ーあの男の声⋯
それに今、セイリュウだと!?ー
人の様な形をした
〝セイリュウ〟と呼ばれたそれが
身を委ねている太枝の幹の方に
何とか視線を向ける。
ー⋯うっ!?ー
声とも言えぬ
出す事を拒んだ吐息が漏れた。
樹の樹洞かと思った穴は眼窩であり
幹からまるで生えているかの様に
突き出ている無惨な頭蓋骨が
あの男の声を発しているのだ。
「貴方、そんな姿でずっと僕を?
本当にお優しいのですね」
ずるりと
腕の骨も幹から這い出て来たかと思えば
それは見る見る内に肉が付き、皮が張り
頭蓋骨もあの男の顔へと形成されていく。
「彼女は⋯僕の妻は何処に?」
ーあの二人は夫婦だったのか!?ー
男の必死さから
彼女の存在が特別だと言う事には
気付いていたが⋯
なるほど、妻ならば必死に救わんと
奮闘するのも頷ける。
「今すぐ彼女に逢いたい⋯」
人体が形成されていく
その気味悪さに目を背けそうになるも
二人から目が離せない。
「奥方様は⋯
自らを封じられました。
御身の直ぐ傍で⋯」
セイリュウが項垂れたまま指し示す方向には
祈りを捧げた姿の
結晶に覆われた彼女が在った。
躯の全てが形成され終えた男は
大樹から崩れ落ち
産まれたての子鹿の如く
覚束無い足で彼女の結晶に縋ると
その瞳に大粒の涙を蓄え
ボロボロと零し始めた。
ーこの世界は、二人の記憶か⋯?ー
何故、私はこんなものを見せられている。
いや、どちらかの記憶や夢ならば
二人の姿を一度には見ないだろう。
ーでは、これは誰の夢だ?ー
「僕を殺す事で
彼女の心を壊したのか!?
殺してやる!
殺してやるぞ不死鳥ぉぉぉ!!」
まるで、咆哮だった。
私の前で
いつもヘラヘラと軽薄な態度のあの男の
ここまで激情を垂れ流す姿は初めて見た。
「主⋯不死鳥は死にませぬ。
奴だけは他の世界の自分と繋がっている故
魔力を奪うより手立ては無いかと⋯」
腐敗した躯を引き摺る様に
セイリュウが男に寄り添う。
「私にはもう不死鳥を屠る力はありません。
十もの十二神将を殺した〝朱雀〟を
この顎で食い殺した時の様に
奥方様の不死鳥も屠る事が出来たなら⋯
新たな光の神として生まれ直させる事も
可能だったやもしれません。
申し訳ございません⋯我が主よ」
謝罪の様に言葉を綴るセイリュウの声が
聴こえているのか否か
男は産まれたての姿のまま
地に伏せ嗚咽と怨恨を吐き続けている。
「不死鳥の血を添えられた小さな苗木から
僕の躯を創れる程の魔力が
この樹に宿るのを 長年待ったというのに⋯
いや、死して先に彼女を待たせたのは僕だ。
貴女を取り戻す為ならば
僕も果てしない時を生きましょう」
結晶に縋る男の周りで無数の植物が生え
花を咲かせ瞬時に散り
白い綿毛へと姿を変えていく。
それからは一瞬だった。
綿毛は細く長く捩られ濃紺に染まり
見る見る内にあの男が身に纏っていた
民族衣装へと編まれていった。
セイリュウがそれを男の肩に羽織らせる。
同様に編まれていった腰紐を結ぶと
男は哀しそうに笑って
セイリュウを抱き締めた。
「僕も貴方と同じく
人ならざる者になった。
それでも僕に仕え
助けてくれますか?」
男の腕の中で
腐敗していたセイリュウの躯が癒えていく。
「未来永劫
主は⋯主だけです!」
見慣れたあの幼子の姿に戻ると
地に頭を伏してセイリュウが嗚咽を漏らす。
「この世界の龍は
彼女が魔女狩りの際に殺してしまった⋯
貴方はもう闘えないし
龍に匹敵する力を探すか
異世界の龍に協力を仰ぐか⋯」
ー彼女の世界のリュウは
死に絶えていたのかー
二人の記憶を
私は唯々見守る事しかできない。
「次元を超え世界を渡る事も
もう出来ぬ私は⋯
主の役には立てません」
ポツリと呟くセイリュウの拳は
不甲斐なさに地を削る。
「 青龍はあの世ってあると思います?
〝死者の夢〟は、あの世とこの世を
強く結べるらしいのです! 」
伏したままのセイリュウの頭を
男は優しく撫でながら
顔を上げるように促す。
「次元を超えるのは
何も生身で無くて良いのですよ」
「⋯と、言いますと?」
目を腫らしながらも
セイリュウが漸く顔を上げる。
男はそんなセイリュウを抱き抱えると
子供にする様に高く抱え上げた。
「一度死んだ僕が依代となり
死者の夢を紡ぎます。
あの世とは言わば異世界です!
次元では無く夢ならば
今の貴方でも渡れるでしょう?」
男はそっとセイリュウを降ろすと
結晶の彼女に歩を進め
愛おしそうに躯を寄せた。
「夢を渡り異世界の龍に接触し
各々の世界の不死鳥の魔力を削ぎ
弱ったこの世界の不死鳥を屠る⋯
これが主の企てでしょうか?」
セイリュウの問いに
男は目を弧に描いて頷いて見せる。
「曲がりなりにも不死鳥は生命の神⋯
朱雀を屠った後の世の事は
この世界に逃げた私達には
存続か破滅したか知る由もありません。
主はこの世界も壊しなさる気ですか?」
男の眼に
炎が宿った様に私は感じた。
果てしない時を覚悟したのだろう。
「例え世界をいくつ壊してでも
僕は貴女を救ってみせます。
だから⋯
もう少しだけ待っていて下さいね?」
男は慈しむ様に彼女の結晶に躯を添わせ
くるりと踵を返すと
私⋯いや、大樹がある此方へと歩を進める。
「桜よ⋯」
ーサクラ⋯それが大樹の名か?ー
男が大樹を抱く。
何故か私が抱き締められている様な
伝わる体温に
振り解けないもどかしさを覚える。
ー離したまえ!記憶だろうと不愉快だ!ー
「不死の桜よ⋯
貴方は僕で、僕は貴方だ。
力を貸しては頂けないでしょうか?」
男の懇願に応えるかの様に
私の腕が⋯大樹の枝と共に勝手に動き出す。
「さぁ、青龍もこちらへ⋯」
男が手を差し出すと
セイリュウは涙を拭い去って
その腕の中へ包まれた。
延びた枝は蔓となり
彼女の結晶を根元へと引き寄せ
幾重にも幾重にも巻き付いていく。
ー何を⋯する気だ!?ー
意思は躯に伝わらず
私の腕という大樹の枝も
蔓となって延び
二人の躯を包み始める。
ずぶりと
私の指に、腕に、生温かく柔らかでいて
不快な感触が伝わってきた。
ーやめろ⋯やめないか!!ー
蔓は二人の躯を、肉を突き破り
中へ中へと掻き進んでいく。
私はその肉を掻き分ける不快感と
血に塗れていく二人に
声に成らぬ叫びを
上げ続ける事しかできなかった⋯
きっとこの大樹も
同じ気持ちだったのかもしれない。
蔓に巻かれ血に塗れながらも
誓いを胸に笑顔を刻み付けた二人の寝顔を
私は大樹となって抱きしめていた。
サクラと呼ばれた五花の花弁が
紅く紅く⋯血の海の如く狂い咲く。
二人の躯と彼女の結晶を抱きながら
見上げる私の目には
それは丘を焼き尽くす炎の様であった。
せめて夢では
皆、共に⋯
サクラの泣く声が聴こえた気がした。
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