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すぷりんぐ
41
光街 葵
357
#迅悠一
さんま
18
コメント
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さんまさん、第1話読ませていただきました。電車の窓ごしに過去と今を重ねる葉子の視点が、とても繊細で胸に響きました。「全部ここに連れてきてる」という華の言葉に、彼女たちの関係性の深さがぎゅっと詰まっていて、じんわりと温かくなりました。香取隊の日常が、穏やかでいて確かな強さに満ちていて、続きが気になります。素敵な作品をありがとうございます🌷
夕方の三門市を走るローカル線は、いつも少しだけトリオン兵の襲撃の記憶を呼び起こす。
かつて第一次大規模侵攻でズタズタに引き裂かれた線路は、今では綺麗に舗装され、何事もなかったかのように銀色の車体を滑らせていた。ガタゴトと、規則正しい振動が足の裏から伝わってくる。香取葉子は、電車の窓に額を押しつけるようにして外を眺めていた。いつもなら車内ではスマホの画面を睨みつけ、新しいゲームのステージを攻略しているか、隣に座る麓郎に「ねえ、なんか面白いこと言ってよ」と理不尽な絡み方をしている時間だ。
けれど今日、彼女の隣には誰もいなかった。遠征選抜試験のタイトなスケジュールの中、奇跡的に訪れた作戦室の休み。麓郎や雄太はそれぞれ自主練だの何だのと居残りを決めていたが、葉子は「私は帰る。疲れた」と早々に荷物をまとめた。その時、作戦室の隅で冷たいお茶を淹れていた染井華が、音もなく立ち上がって言ったのだ。
「わたしも帰るわ、葉子。買い物に付き合って」
そうして二人で電車に乗り込んだ。車内は夕暮れのオレンジ色の光で満たされている。華は葉子の二つ隣の席に腰掛け、膝の上に買い物袋を几帳面に置いて、静かに目を閉じている。寝ているわけではない。ただ、いつものように思考を整理しているのだろう。葉子は、窓ガラスに映る自分の顔を見た。少しだけ伸びた髪。ボーダーの隊服ではなく、見慣れた私服のパーカー。その向こう側を、復興を遂げた三門市の街並みが、もの凄いスピードで後ろへと流れ去っていく。
……なんか、変な感じ
胸の奥が、ちりちりと痒いような、痛いような、奇妙な感覚に支配されていた。手元にあるスマートフォンには、遠征選抜試験の進捗データが表示されている。欲しくて、欲しくて、地を這うような思いをして、麓郎と喧嘩を繰り返しながら、雄太のフォローに甘えながら、必死に掴み取ろうとしている遠征への切符。B級上位という、かつては遠くに見上げていた場所まで、自分たちは確かに上ってきたはずだった。何の迷いもないはずだった。あの頃、すべてを奪われたあの日から、自分は強くあることだけを求めて生きてきたのだから。それなのに、窓の外を見るたびに、どうしても重ねてしまう影がある。
4年前。あの大きな爆発が起きる前。葉子は、ただのわがままな女の子だった。勉強も運動も、やれば人並み以上に何でもできた。だから何も真剣にやらなかった。学校が終われば、当たり前のように華の家に行き、広い部屋の絨毯に寝そべって、テレビゲームをして、お菓子を食べて、くだらないことで笑い合っていた。
『ねえ華、次の休みさ、あそこの駅前にできた新しいタピオカ屋行こうよ』
『いいわよ。でも、宿題を終わらせてからね』
『えー、華がやってよ、天才なんだから』
あの頃の自分たちがもらった言葉、分け合った知恵。それらを繋ぎ合わせて、今の自分は、今日もちゃんと笑えているだろうか。香取隊の、誰もが認める天才エースとして、傲慢に、不敵に、ちゃんと笑えているだろうか。
「……何を見てるの、葉子」
不意に、すぐ近くから声がした。いつの間にか、華が二つの席の隙間を詰めて、葉子のすぐ隣に座っていた。いつも通りの抑揚のない、けれど世界の誰のよりも聞き慣れた声。
「べっつに。何も見てない」
葉子は窓ガラスから額を離し、わざとらしくそっぽを向いた。
「ただ、なんかこの電車、冷房効きすぎ。寒いくらい」
「そう。じゃあ、これ」
華は迷いなく、自分の鞄から薄手のストールを取り出すと、葉子の膝の上にぽんと置いた。どこまでも気が利いて、どこまでも自分を見透かしてくる。昔から、この幼馴染には敵わない。
「華さあ」
葉子はストールを指先でいじりながら、ぽつりと言った。
「あんた、時々怖くならない?」
「何が?」
「何がって……全部よ。遠征試験とか、これからのこととか」
窓の外の景色は、徐々に住宅街から、かつて激しい戦闘があった旧警戒区域の近くへと差し掛かろうとしている。空のオレンジ色は濃くなり、紫色の夜の影が混ざり始めていた。
「アタシたちは、あの日に全部なくして、気づいたらボーダーになってた」
葉子の声が、電車の走行音に掻き消されそうなほど小さくなる。
「強くなって、見返して、一番上に行ってやるって思ってさ。麓郎がグジグジ言ってたらムカつくし、負けたら死ぬほどイライラする。……でもさ、今やってる試験だって、本当にアタシたちが欲しかったものなのかな。手に入りそうになればなるほど、なんか、置いてきたもののことばっかり思い出すっていうか」
言いながら、葉子は自分で自分が嫌になった。めんどくさい。実にめんどくさい。こんな湿っぽい愚痴、香取らしくない。
「あーあ、やめた! 今の無し! アタシが弱気とかあり得ないし!」
頭をガシガシと掻いて、話題を打ち切ろうとした葉子の手を、華の静かな手がそっと制した。
「置いてきたものなんて、ないわよ」
華は、窓の外を真っ直ぐに見つめたまま言った。
「全部、ここに連れてきてる。わたしたちが今日まで歩いてきた道も、あの日に失くした部屋も、全部葉子の中に残ってる」
華の横顔は、夕暮れの光の中でどこか神聖に見えた。家を失い、家族を失い、それでも涙一つ見せずに「ボーダーに入ろう」と葉子の手を引いた少女。あの時、華が差し出してくれた言葉という名の切符がなければ、葉子はきっと、何もかもを投げ出して、ただの殻っぽの人間になっていただろう。
「わたしはね、葉子」
華が少しだけ声を和らげる。
「あなたがどんなに文句を言っても、サボろうとしても、最後には誰よりも綺麗に戦って、勝つところを見るのが好きなの。あなたが天才でいてくれる限り、わたしたちの過去は、ただの悲劇じゃなくなる。……だから、迷う必要なんてないわ」
電車のブレーキがきしむ音が聞こえた。まもなく、目的地の駅に到着する。
「欲しくて手に入れた切符なんだから、使い切りなさい。そのために、わたしは葉子のオペレーターをしてるんだから」
華の言葉は、冷たい氷のようでありながら、葉子の凍えそうな胸を一番温める炎でもあった。
「……ほんと、生意気」
葉子は小さく呟き、窓の方へ再び顔を向けた。なぜだろう。急に、視界がじんわりと滲んで、窓の外の街灯の光が歪んで広がっていく。悔しいわけじゃない。悲しいわけでもない。ただ、あまりにも遠いところまで来てしまったことへの、そして、こんな自分をここまで連れてきてくれた、目の前の幼馴染への、言葉にできない感情が、涙になって溢れそうだった。泣いている顔なんて、絶対に華には見せたくない。葉子はわざとらしく窓ガラスを睨みつけるようにして、指先で素早く目元を拭った。プシュー、と音を立てて電車のドアが開く。流れ込んでくる夜の少し生温かい空気が、車内の感傷をさらっていった。
「行くわよ、葉子。今日の晩ご飯の買い出し、手伝って」
「えー、アタシハンバーグがいい。華の作ったやつ」
「合挽き肉が安ければね」
席を立ち、改札へと向かう華の背中を、葉子は一歩遅れて追いかける。駅のホームから階段を降りると、改札の向こう側に、見慣れた、そして少しむさくるしい二人の姿が見えた。
「あ、いた! 葉子ちゃん、華!」
大きく手を振っているのは雄太だ。その隣で、麓郎が
「だから、待ち伏せみたいにするの恥ずかしいって……」
と顔を赤くしている。
「なんでいるのよ、あんたたち」
葉子はいつもの、不機嫌そうで、だけど少しだけ楽しそうな、傲慢なエースの顔に戻って改札を抜けた。
「自主練はどうしたのよ、麓郎。あんた、アタシに追いつきたいなら、死ぬ気でやりなさいよね」
「なっ、これからやろうとして、飯の買い出しに来たんだよ! なんだよその言い方!」
わあわあと騒ぎ出す麓郎を冷たくあしらいながら、葉子はちらりと華を見た。華は少しだけ満足そうに、本当に微かな微笑みを浮かべて、彼らの後ろを歩いている。電車の窓から見た景色は、もう過去のものだ。手にした切符を握りしめて、新しい目的地へ。葉子は、自分の大切な香取隊の真ん中を、胸を張って歩き出した。