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「皆様、本日はウィンターコンサートにようこそお越しくださいました。わたくしは本日司会を務めます、間宮 瞳子と申します。どうぞよろしくお願いいたします」
2000席を埋める満員のコンサートホールに、瞳子の澄んだ声が響き渡る。
深々とお辞儀をした瞳子は、拍手が止むと顔を上げ、笑顔でマイクを握った。
「3夜連続でお贈りするこのウィンターコンサート。第2夜の本日、12月23日は、オール タンゴ プログラムとなっております」
アルゼンチンタンゴの熱いプログラムに合わせて、瞳子は目の覚めるような真っ赤なドレスに身を包んでいた。
ドレスは裾がアシンメトリーになっており、左側は足首まであるが、右足は膝下の長さ。
更に肩も右側だけのワンショルダーで、大きな花があしらってある。
足元も、慣れないピンヒールを履いていた。
普段はもっとオーソドックスでシックな装いにするが、今夜のプログラムにはこの衣装が一番合うと思って決めた。
開演前に挨拶に行くと、マエストロもステージマネージャーも「おお!まさにタンゴの世界」と喜んでくれた。
(私も今夜は熱いタンゴの名曲に浸らせてもらおう)
そう思いながら、瞳子はにこやかにコンサートを進行していった。
大河と結婚したあとも、瞳子はオフィス フォーシーズンズに所属し、MCの仕事を続けている。
リピートで依頼を受けることが多い為、旧姓の間宮のまま名乗っており、今回のクラシックコンサートの司会も、何度もお世話になっている楽団とホールから直々に依頼を受けた。
昨日、今日、明日と三夜連続のコンサートで、明日はクリスマスイブにちなんだプログラムとなっている。
舞台袖で生演奏を堪能し、これでお給料を頂くなんてなんだか申し訳ないと思いながら、瞳子は精一杯司会を務めた。
「お疲れ様でした。本日もありがとうございました」
終演後、舞台袖に戻って来たマエストロに挨拶する。
「おう!まみちゃん、お疲れ様。今日も美しかったよー。明日もよろしくね」
「はい!こちらこそ、よろしくお願いします」
エネルギッシュな50代のマエストロは、瞳子に軽く手を挙げると颯爽と控え室に向かう。
次々と他の楽団員達も戻って来た。
「お疲れ様でした。ありがとうございました」
一人一人に挨拶していると、バスクラリネット奏者の男性が瞳子の前で立ち止まった。
「お疲れ様でした。ねえ、ひょっとして間宮さん、結婚したの?」
そう言って瞳子の左手に目を落とす。
薬指には、大河から贈られた結婚指輪が光っていた。
ダイヤモンドがぐるりと一周するエタニティリングはキラキラと輝き、さり気なく隠そうとしてもどうしても目立ってしまう。
「あ、はい。今年の春に」
「そうだったんだね!おめでとう」
「ありがとうございます」
控えめに答えて頭を下げた時、カシャン!と男性の手からリードケースが落ちた。
「おっと!しまった」
「あ、私が」
大きな楽器を抱えて拾おうとする男性に代わり、瞳子がしゃがんでケースを拾う。
「割れてないといいんですけど」
そう言いながら立ち上がった瞬間、グキッと右足首をひねってしまった。
一瞬顔をしかめてから、笑顔を取り繕って男性にケースを手渡す。
「どうぞ」
「ありがとう」
男性が立ち去ってから、瞳子は恐る恐る右足を踏み出してみた。
ズキッと痛みが走り、思わず壁に手をついて寄りかかる。
「間宮さん?どうかした?」
呼ばれて顔を上げると、スーツ姿のステージマネージャーのか川上が心配そうに駆け寄ってきた。
「いえ、何でもありません」
「そんなことないでしょ?足をひねったんだね?」
「あ、はい。すみません、ハイヒールは履き慣れてなくて」
「謝らなくていいから。コンサートの為に衣装着てくれてるんだし。それより、歩ける?」
「はい、大丈夫です」
咄嗟にそう答えるが、痛みはジンジンと酷くなっていくばかりだ。
そんな瞳子の様子を見て、川上は手を差し出した。
「掴まって」
「いえ、あの。本当に大丈夫ですから。川上さん、まだお仕事残ってますよね?」
「コンサートは無事に終わったから大丈夫。片付けは他のスタッフに任せられるよ。控え室まで行こう。早く冷やした方がいい。明日もステージあるんだしね」
「あ、そうですね」
瞳子は川上の手を借りて、右足をかばいながら控え室に戻った。
「待ってて。すぐに戻るから」
瞳子をソファに座らせると川上はそう言い残して退室し、救急箱と氷嚢を持って戻って来た。
「足、見せてくれる?」
ソファに座った瞳子の前にひざまずき、川上はそっと瞳子の右足首に触れる。
痛みに思わず身を固くすると、ごめん、とすぐに手を離した。
「この辺りだね。少し冷たいよ」
そう言って氷嚢をゆっくりと患部に当てた。
ヒヤッとした冷たさが、熱を持ち始めた足首に気持ちいい。
「えっと、このまま病院に行く?俺、付き添うよ」
「いえ!そんな。軽くひねっただけですし、こうやって冷やしていただいたのでもう大丈夫です」
「ほんとに?明日のステージも平気?」
「はい。明日はロングドレスなので、ペタンコのシューズにします。あの、川上さん。湿布だけ頂いてもよろしいでしょうか?」
「え?ああ、もちろん」
川上は救急箱を開けると湿布薬を取り出し、瞳子の右足首に貼って包帯で固定した。
「これで大丈夫?」
「はい、ありがとうございました」
瞳子は着替えるのは諦めてコートだけ羽織り、靴は家から履いて来たバレエシューズタイプのものに履き替えた。
「川上さん、本当にありがとうございました。お手数おかけしました」
「いや。それより一人で平気?」
「はい。タクシーで帰りますので」
「じゃあタクシー乗り場まで送るよ」
その時、コンコンとノックの音がした。
「はい、どうぞ」
瞳子が答えるとドアが開いて、私服に着替えたマエストロが顔を覗かせた。
「よっ!まみちゃん。聞いたよー、結婚したんだって?はい、これ。お祝い」
そう言って、真っ赤なバラの花束を瞳子に手渡す。
「えっ!まあ、こんなに綺麗なバラを…?」
思わず呆然としていると、マエストロは少し苦笑いする。
「実は俺の楽屋に届いた花なんだ。使い回しみたいでごめんね。でも俺の家に持って帰るより、まみちゃんの部屋に飾ってくれた方がバラも喜ぶよ」
「そんな…。お気持ちがとても嬉しいです。ありがとうございます、マエストロ」
「どういたしまして。良かったら今度紹介して。とびきり美人のまみちゃんを落とした、世界一幸せなお相手をね」
「あ…、はい。ありがとうございます」
なんと答えればいいのか分からず、微妙な笑顔になる瞳子に、じゃあまた明日ね!と軽く手を挙げてマエストロは部屋を出て行った。
「知らなかったな。そうだったんだね。おめでとう、間宮さん」
「ありがとうございます」
楽屋を出てホールのエントランスに向かいながら、川上もお祝いの言葉をかける。
「そうか、よく見たら綺麗な指輪してるもんね。うわー、下世話なこと言うようだけど、ものすごく高価な結婚指輪なんだろうね。ご主人、仕事が出来る優秀な方なんだろうな」
「あ、はい。あの…。川上さん、もうここで大丈夫です。ありがとうございました」
エントランスから外に出ると、瞳子はお辞儀をして、川上が持ってくれていた花束を受け取ろうと手を伸ばす。
「タクシーに乗るまで見送るよ」
「いえ、すぐですから」
車寄せには、ホールから出て来た来場者に合わせて次々とタクシーが滑り込んで来る。
それほど待たずとも乗れそうだった。
「本当にここで。川上さん、色々とありがとうございました」
「そう?じゃあお大事にね」
仕方なく川上が花束を差し出し、瞳子が受け取った時だった。
「瞳子」
ふいに聞こえてきた声に、瞳子は驚いて振り返る。
「大河さん!」
途端に瞳子の顔は、パッと明るくなった。
「どうしたの?お仕事は?」
「うん、もう終わった。そろそろ瞳子も終わる頃かと思って、車で寄ってみたんだ」
「そうなんですね!ありがとうございます」
にっこり笑う瞳子に頬を緩めてから、大河は川上と向き合う。
「初めまして、冴島と申します。いつも妻がお世話になっております」
「あ!間宮さんのご主人でしたか。初めまして、ステージマネージャーの川上と申します。こちらこそ、間宮さんには大変お世話になっています。実は間宮さん、先程足首をひねってしまって…」
えっ?と大河が瞳子を振り返る。
「大したことないから大丈夫です。それに川上さんが手当てしてくれたし」
大河は包帯が巻かれた瞳子の右足首に目を落とすと、川上に頭を下げた。
「妻が大変お世話になりました。ありがとうございました」
「いえ、とんでもない。明日も間宮さんに司会をお願いしているのですが、どうぞご無理なく。お大事になさってください」
「はい、ありがとうございます。それでは失礼いたします」
大河はもう一度川上にお辞儀をすると、瞳子を振り返る。
「瞳子、帰るぞ」
そして少し身を屈めたかと思うと、スッと瞳子を抱き上げた。
「ひゃあ!ちょっと、大河さん!」
慌てふためく瞳子に構わず、大河は停めてあった車の助手席を開けると、ゆっくりと瞳子をシートに下ろした。
「大丈夫か?瞳子。まだ痛む?」
至近距離で顔を覗き込まれ、瞳子は必死で首を振る。
「痛くないです。全然、全く」
「そうか?顔が赤いし、目も潤んでる。ほんとは痛いのに、我慢してない?」
「してないです!ほんとに」
恥ずかしさのあまり、胸に抱えたバラの花束に顔をうずめると、大河はふっと微笑んだ。
「可愛いな、瞳子。バラの妖精か?」
そう言ってポンポンと瞳子の頭をなでてから、助手席のドアを閉めて運転席に回る。
「瞳子、シートベルト締めて」
「あ、はい」
大きなバラの花束を片手に持ち替えてベルトを締めようとすると、大河が瞳子に覆いかぶさるようにしてベルトに手を伸ばした。
カチッとバックルにベルトを差し込むと、ふと大河は瞳子を見つめる。
思わずドキッとしていると、大河はチュッと瞳子にキスをし、何事もなかったように車を発進させた。
「どれ?見せて」
マンションに着くと、大河は当然のようにまた瞳子を抱き上げて部屋に入った。
ソファに座らせて、すぐさま瞳子の前にひざまずく。
「綺麗に包帯巻いてもらったな。でも一旦外すよ」
そう言ってクルクルと包帯を取ると、そっと足首に触れる。
「まだ少し熱を持ってるな。もう一度冷やしてから新しい湿布を貼ろう」
「はい。あの、大河さん」
「ん?なに」
「その前にシャワー浴びてもいい?」
「あー、そうか。まあ湯船に浸からなければ大丈夫だろう。俺も一緒にバスルームに入るから、脱いで」
…は?と瞳子は目が点になる。
「脱ぐって、何を?」
「もちろん、服」
「は、はいー?!」
仰け反って後ずさろうとする瞳子から花束を取り上げ、大河は瞳子が羽織ったコートに手をかける。
「いやー!やめてー!」
「はあ?なんちゅう声を出すんだよ」
「だ、だって、大河さんの前で服を脱いだら、その…、見られちゃうじゃない。そんなの無理!」
「無理じゃないっつーの!瞳子、今更何を言っている?俺は毎晩ベッドで瞳子を抱いて…」
「ギャー!大河さんのバカバカ!」
「バカとはなんだ?いてっ!こら、瞳子!」
大河はポカポカと胸を叩いてくる瞳子の手を掴むと、背中に腕を回してグッと瞳子を抱き寄せた。
「瞳子。いい子だから言うこと聞いて。ね?」
「やだ!大河さんに身体見られるの、恥ずかしいもん」
「恥ずかしがり屋も可愛いけど、足首を使えば悪化して、明日のステージに立てなくなるぞ?それでもいいの?」
「…ダメ」
「だろ?それなら、ほら。俺が一緒に入るから、脱いで」
「でも、でも、ほんとに恥ずかしいんだもん!」
真っ赤な顔で目を潤ませる瞳子に、大河はやれやれとため息をつく。
「分かったよ。じゃあバスタオルを身体に巻いて。それならいいだろ?」
瞳子はうつむいてから、コクンと頷く。
「よし。とにかくまずはコート脱ごう」
「うん」
おとなしくコートを脱ぐと、今度は大河が騒ぎ始めた。
「と、瞳子!まさかその格好で人前に?」
「人前って?ステージで司会しただけだけど」
「瞳子のこんな姿を誰かに見られたっていうのか?」
「えっと、そうですね。2000人ほどに」
に、にせん…と、大河は絶句する。
「なんてことだ。俺の瞳子が、2000人の男に狙われるなんて…」
「はっ?!大河さん、何を言ってるの?お客様2000人が全員男性じゃないわよ?」
「そ、そうか。じゃあ半分として…1000人の男に?!」
「もう、大河さんたら、落ち着いて。見られたからって何かある訳ないでしょう?」
「何もない訳ないっつーの!瞳子が、こんなにセクシーで真っ赤なドレスを着てるんだぞ?しかも綺麗な足がチラッと見えてるじゃないか!俺よりも先に他の男がこんな色っぽい瞳子の姿を見たなんて、それだけで俺は…。あー!耐えられんー!」
頭を抱えて声を上げる大河に、今度は瞳子がやれやれとため息をつく。
すると大河はハッとしたように、ローテーブルに置いたバラの花束に目をやった。
「瞳子!このバラを渡されて告白されたのか?もしかしてさっきの、川下って男に?」
「大河さん、川上さんね」
「やっぱりそうか!あの人なかなかのイケメンだったしな」
「ん?違うったら!この花束はマエストロから頂いたの」
「なにー?!他にも男が?しかも外国人?」
「もう…、大河さん!」
瞳子は正面からギュッと大河に抱きついた。
「と、瞳子…?」
呆然としたように呟き、大河の身体から力が抜ける。
「大河さん。私が愛してるのはあなただけよ?優しくて頼もしい大河さんのことが、いつだって大好きなの」
耳元で囁いてから、瞳子は少し身体を離して大河を見つめる。
そしてゆっくりと目を閉じ、大河に深く口づけた。
大河は驚いたように目を見開くと、次の瞬間瞳子の背中に腕を回し、グッと力を込めて抱きしめる。
「瞳子…」
ん…と瞳子が甘い吐息を漏らすと、大河は更に熱く瞳子の唇を奪った。
真っ赤なドレスにも負けない情熱的なキス。
二人は時間も忘れて互いに抱きしめ合い、愛を確かめ合っていた。