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引き金に指をかけるだけで、こんなにも手が震えるなんて思わなかった。
目の前には、幼馴染がいる。
まろが、いる。
薄暗い倉庫の中、吊り下げられた裸電球が揺れて、影がゆらゆらと床に落ちている。油と鉄の匂い。遠くで車の音がする。ここは港の外れ、組織の“処理場”だった。
俺は銃を構えたまま、動けずにいた。
「……撃たへんの?」
まろが、笑う。
いつもみたいに、少しだけ意地悪そうに口の端を上げて。
「撃てよ、ないこ。お前の仕事やろ」
「……うるさい」
声が思ったより低く出た。感情を押し殺した声だった。
俺はマフィアの幹部だ。命令には絶対服従。裏切り者は処分。それだけのこと。それだけのはずだった。
なのに。
処分対象が、まろだった。
「なあ、ないこ。俺ら、いつからこんなんなったんやろな」
「……昔からだろ。お前が勝手に裏切った」
「裏切った、か」
まろは壁にもたれたまま、拘束された手を少し動かして笑った。
「まあ、そういうことにされとるんやろな」
「違うのかよ」
「違う言うたら、お前は撃たへんの?」
「……」
答えられなかった。
沈黙が落ちる。
電球がまた揺れた。
俺はまろから目を逸らす。逸らさないと、撃てない気がした。
まろと初めて会ったのは、小学生の頃だった。
転校してきた俺に、最初に話しかけてきたのがまろだった。
『お前、名前なんていうん?』
『……ないこ』
『変な名前やな。まあええわ。俺まろ。よろしくな』
それから、ずっと一緒だった。
一緒に帰って、一緒にゲームして、一緒に怒られて、一緒に笑って。
高校に入る頃には、もう家族より一緒にいる時間が長かった。
なのに。
気づいたら、俺たちはマフィアにいた。
最初はただの運び屋だった。金が必要だった。生きるためだった。理由なんて、そんなもんだった。
でも俺は、そこで頭角を現してしまった。
冷静で、判断が早くて、情が薄い。
そう評価されて、気づけば幹部になっていた。
まろは、ずっと俺の隣にいた。
『お前、ほんま人殺し向いとるで』
『褒めてねぇだろそれ』
『褒めとる褒めとる。俺はそういう冷たいとこ、結構好きやで』
そう言って笑ってた。
でも、本当は。
俺は冷たいんじゃない。
冷たくしないと、生きられなかっただけだ。
「……なあ、ないこ」
まろの声で、現実に引き戻される。
「俺のこと、撃てる?」
「撃てる」
即答した。
しないと、いけなかった。
「即答か。ひどい幼馴染やなあ」
「……仕事だから」
「仕事やったら、幼馴染でも殺すんや」
「当たり前だ」
「へえ」
まろは少し黙って、それから静かに言った。
「じゃあさ、なんで泣きそうな顔しとるん?」
心臓が止まった気がした。
「……してない」
「しとるよ。昔から、お前嘘下手やもん」
俺は歯を食いしばる。
泣くわけない。
泣く資格なんてない。
俺はこれまで何人も殺してきた。命令通りに、何の迷いもなく。相手が誰でも同じだった。
なのに。
なんで、まろだけ無理なんだ。
「なあ、ないこ」
「……なんだよ」
「俺のこと、嫌い?」
その質問は、ずるい。
俺は答えなかった。
答えたら、撃てなくなる。
「俺はな」
まろがゆっくり言う。
「お前のこと、好きやで」
「……やめろ」
「昔からずっとや。お前がどんだけ冷たくなっても、どんだけ人殺しても、俺はずっとお前の味方やった」
「やめろって言ってるだろ」
「でも、お前は俺を撃つんやろ」
「……」
「命令やもんな」
まろは笑う。
優しい顔で笑う。
昔と同じ顔で。
「ほな、最後に一個だけ聞いてええ?」
「……なんだ」
「俺のこと、嫌い?」
倉庫の中は静かだった。
海の音が、遠くで聞こえる。
俺は銃を握る手に力を入れる。
そして。
ゆっくり、口を開いた。
「……嫌いだよ」
まろの目が、少しだけ揺れた。
「お前みたいな、甘いやつ。情に流されるやつ。すぐ人を信じるやつ。昔から嫌いだった」
「……そっか」
「一緒にいるとイライラするし、足引っ張られるし、面倒ばっかりで」
嘘だ。
本当は逆だ。
まろがいたから、ここまで来れた。
まろがいたから、俺は壊れずに済んだ。
「だから」
俺は銃をまっすぐ向ける。
「嫌いだから、俺が殺す」
他のやつに殺されるくらいなら。
拷問されて、苦しんで死ぬくらいなら。
俺が、楽に殺してやる。
それが、俺にできる最後のことだった。
まろは、少しだけ笑った。
「……そっか。嫌われてたんか、俺」
「……ああ」
「まあええわ」
まろは目を閉じる。
「ないこに殺されるなら、ええよ」
その言葉で、指が止まりそうになった。
撃て。
撃て。
撃て。
頭の中で、何度も命令する。
俺はマフィアだ。
感情なんていらない。
命令は絶対。
裏切り者は処分。
それがルール。
それが、俺の生き方。
「……じゃあな、まろ」
「うん。じゃあな、ないこ」
引き金に、力を込めた。
——その瞬間。
倉庫の扉が、勢いよく開いた。
「撃つな!!!!」
怒鳴り声が響いた。
俺は反射的に振り向く。
そこに立っていたのは——組織のボスだった。
「……ボス」
「ないこ、そいつを撃つな」
「……命令は、処分のはずです」
「命令が変わった」
ボスはゆっくり歩いてくる。
そして、まろの前で止まった。
「そいつは裏切り者じゃない」
俺は固まった。
「……どういう意味ですか」
「潜入だ。警察側の組織に潜り込ませていた」
頭が真っ白になった。
「……は?」
まろが、目を開けて苦笑いする。
「言えんくてごめんな、ないこ」
理解が追いつかない。
「じゃあ……裏切りって……」
「全部、演技や」
まろが言う。
「お前にだけは、言えへんかった」
俺は銃を下ろす。
手の震えが止まらなかった。
「……なんで」
「お前、組織に忠実すぎるから。知っとったら、お前が危なかった」
まろは笑う。
「ほんまはな、死ぬ予定やなかったんやけど」
「……は?」
「潜入、バレた」
空気が凍った。
「だから今日ここで処分される予定やった」
ボスが静かに言う。
「だが、まだ使える」
「使える……?」
「最後の仕事をしてもらう」
ボスは俺を見た。
「ないこ。お前がまろを殺せ」
時間が止まった。
「……は?」
「今度は演技じゃない。本当に殺せ」
俺の頭が真っ白になる。
「潜入はもう終わりだ。情報も十分手に入った。こいつはもう用済みだ」
まろは、何も言わなかった。
ただ、俺を見ていた。
静かに。
まっすぐ。
「……撃て、ないこ」
ボスが言う。
「命令だ」
俺は、もう一度銃を構えた。
今度こそ、本当の命令。
本当に、幼馴染を殺す命令。
まろが、少し笑う。
「なあ、ないこ」
「……」
「さっきの、ほんま?」
「……何が」
「俺のこと、嫌いってやつ」
俺は、答えなかった。
答えられなかった。
銃口が、まろの胸に向いている。
「……早よ撃ってや」
まろが、静かに言った。
「撃たれんの、結構怖いんやで」
俺の指が、ゆっくり引き金にかかる。
視界が、滲む。
それでも、照準は外さない。
マフィアの幹部として、最後まで完璧にやる。
「……嫌いだよ」
俺は、もう一度言った。
「だから、俺が殺す」
まろは、少しだけ泣きそうな顔で笑った。
「そっか」
そして、静かに言った。
「……俺は、お前のこと好きやで」
引き金を、引いた。
乾いた銃声が倉庫の中に響く。
まろの体は倒れなかった。
代わりに。
——後ろで、何かが倒れる音がした。
「……え?」
まろが目を見開く。
俺の銃口の先にいたのは、まろじゃない。
ボスだった。
ボスの肩から血が流れて、床に膝をつく。
「ないこ……お前……」
俺は銃を構えたまま、静かに言った。
「……命令、聞き飽きた」
倉庫の空気が一瞬で張り詰める。周りにいた部下たちが一斉に銃を構えた。
「裏切るんか、ないこ!」
「そうなるな」
自分でも驚くくらい、声は冷静だった。
でも、心臓は壊れそうなくらい鳴っている。
俺は一歩、まろの前に立つ。
「こいつは殺させない」
ボスが歯を食いしばって言う。
「ないこ……お前が一番、組織に忠実やと思っとったのに……」
「忠実でしたよ」
俺は答える。
「でも、こいつ殺したら——多分、俺もう俺じゃなくなる」
まろが後ろで小さく息を飲むのが分かった。
「だから、やめた」
ボスの目が冷たくなる。
「……二人とも、始末しろ」
その瞬間、銃声が一斉に響いた。
「走れ、まろ!!」
「は!? 拘束されとるんやけど!?」
「今外す!」
俺はナイフで拘束を切る。ロープが切れて、まろの手が自由になる。
弾が壁に当たって火花が散る。
「うわ、めっちゃ撃ってくるやん!!」
「当たり前だろ裏切ったんだから!」
「お前のせいや!!」
「うるさい走れ!!」
俺たちは倉庫の裏口に向かって走った。後ろから足音と怒鳴り声が追いかけてくる。
扉を蹴り開けると、夜の港の空気が一気に流れ込んできた。
「車ある!」
まろが指差す。
組織の車が一台、鍵つきっぱなしで止まっていた。
「乗れ!」
俺が運転席、まろが助手席に飛び乗る。エンジンをかけてアクセルを踏み込む。
後ろで銃声。
バックミラーに、追いかけてくる車のライトが見えた。
「追ってきとるな」
「そりゃそうだろ」
「どうすんねん」
「逃げるしかない」
港の道を猛スピードで走る。タイヤが悲鳴を上げる。
しばらく誰も喋らなかった。
エンジン音と、荒い呼吸だけが車の中に響く。
まろが、ぽつりと言った。
「……ほんまに撃つと思った」
「俺もそう思ってた」
「じゃあなんでボス撃ったん」
「……分かんない」
正直な答えだった。
「気づいたら、体が動いてた」
ハンドルを握る手に力を込める。
「多分、撃てなかったんだと思う」
まろが静かに笑う。
「知っとった」
「は?」
「お前、俺のこと撃たれへんやろなって思っとった」
「……自信あったのかよ」
「そりゃ幼馴染やし」
少し沈黙。
それからまろが言う。
「さっきのさ」
「……何」
「嫌いってやつ」
俺は前を見たまま答える。
「嘘に決まってるだろ」
まろが、息を止めた気配がした。
「俺が本当に嫌いなやつのために、組織裏切るわけないだろ」
車は高速道路に入る。街の明かりが遠くに見える。
「……アホやなあ、お前」
まろが小さく言う。
「知っとる」
俺は答える。
「でも、お前も同じだろ。潜入なんて、死ぬかもしれないこと一人でやって」
「お前巻き込みたなかったんや」
「もう巻き込まれてる」
バックミラーを見ると、追ってきていた車は見えなくなっていた。
少しだけ、息をつく。
「なあ、ないこ」
「ん?」
「これからどうするん」
その質問は、俺も考えていなかった。
組織を裏切った。
もう戻れない。
多分、世界中どこに行っても追われる。
俺は少し考えてから言った。
「……逃げるか」
「どこに」
「さあな。遠いとこ」
まろが笑う。
「逃避行やな」
「そうだな」
「映画みたいや」
「最後死ぬやつだろそれ」
「縁起悪いこと言うなや」
少しだけ、二人で笑った。
こんな状況なのに、昔みたいに笑っているのが不思議だった。
サービスエリアに車を止める。夜中だから人は少ない。
自販機の前で、缶コーヒーを二本買った。
一本をまろに投げる。
「ほら」
「サンキュ」
二人で車のボンネットに座る。
夜の空気が冷たい。
「なあ、ないこ」
「ん」
「俺ら、もう普通の人生無理やな」
「まあな」
「結婚もできへんし、家も買えへんし、名前も変えなあかんかもな」
「かもな」
「指名手配とかされたら笑うわ」
「笑えないだろ」
まろは缶コーヒーを一口飲んで、空を見上げた。
「でもまあ」
「?」
「お前となら、ええわ」
俺は少し黙った。
「……何が」
「逃げる人生でも、お前となら別にええ」
そういうことを、こいつはさらっと言う。
昔からそうだ。
俺が一番欲しい言葉を、何でもないみたいに言う。
「……俺は」
「ん?」
「お前じゃなきゃ嫌だ」
言ってから、少し恥ずかしくなった。
まろが固まる。
「……今めっちゃすごいこと言ったで」
「うるさい」
「プロポーズやん」
「違う」
「違わへん」
「違う」
まろはしばらく笑って、それから真面目な顔になった。
「なあ、ないこ」
「何」
「これから先、多分しんどいで」
「分かってる」
「追われて、逃げて、名前変えて、仕事もまともなんできへん」
「分かってる」
「それでも、ええん?」
俺は少し考えて、答えた。
「……お前が死ぬよりは、100倍いい」
まろは、何も言わなかった。
しばらくして、静かに言った。
「俺もや」
風が吹く。
遠くでトラックの音がする。
俺たちはしばらく何も話さなかった。
「行くか」
俺が言う。
「どこへ?」
「さあな」
車に乗り込む。
エンジンをかける。
行き先は決めていない。
地図もない。
計画もない。
あるのは、金と、車と、銃と。
それから。
隣にいる、幼馴染だけ。
車を走らせながら、まろが言った。
「なあ、ないこ」
「ん?」
「なんで俺のこと撃たへんかったん?」
俺は少し考えて、答えた。
「……嫌いだから」
「は?」
「嫌いだから、他のやつに殺されたくなかった」
まろが、少し笑う。
「めちゃくちゃやな」
「知ってる」
「素直に好きって言えばええのに」
「それは嫌だ」
「なんでやねん」
「……恥ずかしいだろ」
まろが大笑いする。
「お前ほんま、そういうとこ昔から変わらんな!」
「うるさい」
車は夜の高速を走る。
どこまで行くのか分からない。
明日どうなるのかも分からない。
でも。
それでもいいと思った。
隣でまろが笑っている。
それだけで、まあいいかと思えた。
「なあ、ないこ」
「ん?」
「俺、お前のこと嫌いやで」
「……は?」
「嘘やけど」
「殴るぞ」
「嫌いって言う方が、なんか俺らっぽいやん」
俺は少しだけ笑った。
「……そうだな」
車は、まだ止まらない。
俺たちの逃避行も、まだ終わらない。
行き先も、未来も、何も決まっていない。
それでも。
隣にこいつがいるなら、まあいいかと思えた。
だから俺は、もう一度だけ言った。
「……嫌いだから、一緒にいろよ」
まろが笑って答えた。
「俺も嫌いやから、ずっと一緒におったるわ」
夜の高速道路を、車は走り続ける。
追われる二人の逃避行は、まだ始まったばかりだった。
——終わり。