テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
タクシーの窓から、夜の街が流れていく。
ノエルは後部座席で、外を眺めていた。
さっきまでダンジョンの神殿にいたのに、もう普通の道路と信号だ。
「……現実、早いな」
俺が小さく呟くと、ノエルが鼻で笑った。
「ふふん。地上はいつだってせわしないのよ」
せわしないのはお前だろ、と言いそうになって飲み込む。
やがてタクシーが、静かなエリアに入った。
街灯は控えめで、道路が広い。音も少ない。
目の前に、壁が見えた。
建物そのものを囲む、ぐるりとした外壁。
内側には庭木が見えて、ところどころに植え込みがある。
その壁の一部に、通用ゲートがぽつんとある。
タクシーが、ゲート前で止まった。
「ここで」
俺はポケットから、小さなスマートキーみたいなものを取り出した。
車のキーと同じ感覚で、親指でボタンを押す。
OPEN。
ピッ、と短く鳴って、ゲートがゆっくり開く。
ノエルが目を丸くした。
「……なにそれ、城門?」
「マンションの外壁ゲートだよ」
タクシーが中へ入る。
庭の小径を回って、今度は建物の正面へ向かう。
「マンション入り口前お願いします」
建物前に到着。
運転手がミラー越しに言った。
「到着しました。二万八千円です」
「領収書お願いします」
タクシーが去って、静けさが戻った。
ノエルはマンションを見上げた。
高い。明るい。窓が整っていて、夜でも品がある。
“住む場所”というより、“守る場所”だ。
「……シンゴさん、すごいじゃない。もしかしてお金持ち?」
「色々あってここに住むことになっただけで、金持ちじゃない」
心の中でだけ付け足す。
こいつに金の匂いを覚えさせたら、際限なく使われる気がする。
◆
入口の前に立つと、天井の小さなカメラがこちらを向いた。
赤い点がひとつ、緑に変わる。
スッ――と、目の前のパネルに俺の顔の輪郭が映り、枠が合うと。
ピロン♪
【顔認証:OK】
ガラス扉が、音もなく開いた。
ノエルが一歩遅れて入ってきて、きょろきょろと見回した。
「……へぇ。入口からもう強いわね」
「……あとでノエルの顔も登録しないとな」
「顔登録? ふふん、神の祝福みたいな響きね」
全然違う。
エントランスはホテルみたいだった。
天井が高い。床が磨かれていて、足音が小さい。
間接照明が壁を柔らかく照らしている。
置いてあるソファも、座るだけで“高い”って分かるやつ。
ノエルが、素直に声を上げた。
「わぁ……好き。こういうの。落ち着く」
落ち着くのかよ。
奥へ進むと、もう一つゲートがある。
駅の改札みたいな形。そこだけ空気が変わる。
「ここは指紋」
俺はセンサーに親指を置いた。
ピロン♪
ゲートが開き、機械音声が響く。
「お帰りなさいませ」
ノエルが目を輝かせた。
「なにそれ! 私にも言って!」
「登録したら言うと思う」
「やった」
テンションの上がり方が子どもだ。
……いや、そういえばさっき。
「私、五百年くらい生きてるのよ。天使だもの」
――って、さらっと言ってたな。
年齢の話をするテンションじゃなかったから、聞き流しかけたけど。
年齢五百で、このはしゃぎ方。
やっぱり変だ。
奥へ進み、エレベーターを呼ぶ。
「1Fです」
エレベーターが喋る。
扉が開いて、乗り込む。
俺は15Fのボタンを押した。
「認証をしてください」
再び顔認証。
ピロン♪
【OK】
ノエルが感嘆の声を漏らす。
「へー。すっごいわねー。FBIみたい」
なにをもってそう思ったのか分からないが、スルーする。
ツッコむと長くなるやつだ。
◆
「15Fに到着しました」
扉が開く。
フロアに一室。廊下がない。
ノエルが、入口で固まった。
「……ひろっ」
言葉が、素直に出た。
玄関だけで普通の部屋くらいある。
中も、当然広い。
「さすがこの天才天使が住む住居ね。素晴らしいわ」
「俺の家なんだけど」
「今日から私の家でもあるわ」
図々しい。
「とりあえず、適当に座ってくれ。何か食べ物を……」
言いながらキッチンへ向かったら――後ろでガチャ、と音がした。
振り返ると、ノエルが冷蔵庫を開けている。
「さっすがー。シンゴさん、ビールあるじゃない」
「……遠慮は?」
「ないわ」
きっぱり言った。
ノエルはビールを二本取り出して、こちらに見せびらかす。
「乾杯しましょ! このノエルとの記念すべき出会いに!」
……まあいいか。
俺はキッチンの棚から、レンジで温めるだけの料理を適当に数点選んだ。
パックを並べて、レンジを回す。
チン、チン、と機械音。
やけに平和な音がする。
テーブルに料理を並べるころには、ノエルがすでに一口目に入っていた。
「かんぱーい!」
勝手に乾杯している。
俺も一応、缶を合わせた。
「……乾杯」
ノエルが、んぐ、んぐ、んぐ、と飲む。
「ぷはーーー! 久しぶりのビールはやっぱり最高ね!」
「久しぶり?」
「封印されてたからよ。あんなところ、酒どころじゃないわ」
それはそうだ。
ノエルは即、二本目に手を伸ばした。
「もう一本貰うわね!」
「早いな!」
「速さは才能よ。ふふん」
料理も食べる。
「これ、味がちゃんとしてる。地上便利ね」
「レンジだけどな」
「レンジが神なのよ」
妙なとこで神を使うな。
ノエルは次々食べて、次々飲んで、いちいち感想が大きい。
「これ、辛い。好き」
「これは甘い。天界にない」
「この肉、徳が積めそう」
徳の積み方が雑すぎる。
◆
しばらくして、ノエルが缶を置いて言った。
「ねえ。ちょっと今日の配信、見ない?」
「断る」
即答すると、ノエルが目を丸くする。
「なんでなんで」
恥ずかしいとは言えない。
自分の配信を、隣で見られるのは妙に居心地が悪い。
「俺がいない時に見といてくれ」
「ふふん。了解」
素直に引き下がったと思ったら、リモコンを手に取った。
「じゃあアマフリあるみたいだし……『権利師たち』が良さそうね」
「……何それ」
「所有権で詐欺を働く暗躍を描くクライムサスペンスよ。地上、面白いもの作るわね」
なんて俗世的な天使なんだ。
画面の中で、スーツの男たちが暗躍し始める。
ノエルが身を乗り出す。
「うわ、ここで偽造するのね。えげつない!」
「お前、解説うるさい」
「解説担当だから」
勝手に役割を作るな。
――その隙に。
俺のスマホが、ポケットの中で震えた。
通知が止まらないやつだ。
ノエルに気づかれないように、膝の上でそっと画面を開く。
トレンド欄。
#天使
#天才天使
#ノエル
#天使封印
「……は?」
声が漏れそうになって、慌てて飲み込む。
俺だけが知る。
ノエルはテレビに夢中で、こっちを見てもいない。
画面を伏せて、通知を消す。
胸の奥が、嫌な音を立てた。
――まずい。
これ、想像以上に広がってる。
でも今ここで言ったら、絶対に面倒が増える。
「……知らないふりでいい。今日は」
俺は自分に言い聞かせるように、缶を一口飲んだ。
ノエルは何も知らず、楽しそうに言う。
「この展開、最高!」
……最高なのはそっちだけだ。
◆
ひと通り騒いだあと、ノエルが立ち上がった。
「部屋、見ていい?」
「いいけど……」
ノエルは空いている部屋を次々覗いていって、最後に一番広い南向きの部屋で止まった。
窓が大きくて、夜景がきれいに見える。
ノエルが、当然の顔で宣言する。
「ここ、私の部屋ね」
「え?」
「風水が良い」
「風水……?」
「良いの」
「いや、その理屈で決めるな」
ノエルは満足そうに頷いた。
「決まり。ふふん」
勝手に決まった。
俺はソファに沈んで、天井を見上げた。
テレビでは『権利師たち』が佳境に入っていて、ノエルがいちいち興奮している。
「今の台詞、最高!」
「この人、悪い顔が上手い!」
「シンゴさん、地上の娯楽、恐ろしいわ!」
うるさい。
でも――どこか悪くない。
騒がしい夜だ。
ダンジョンの静けさとは真逆。
ふう、と息を吐く。
自分の部屋に戻って、ベッドに倒れ込む。
明日やることが、頭に浮かぶ。
ダンジョン協会にノエルの届出。
顔認証の登録。
必要な服と生活用品。
……ビールの補充も、たぶん必要になる。
「……まあいけるか」
口に出して、少し笑った。
そして目を閉じた。