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医者は神様ではない。
和臣が医学生の時に、大学の偉い教授がそんなことを言っていた。
自分たちには救える命があるが、当然、救えない命だってある。医療従事者になれば必ず辛い現実と対面する日が来るだろう。その時に大切なのはどこまでを受け止め、どこで割り切るか、の線引きである。
話を初めて聞いた時、和臣は「この教授は、どうしてこんな当たり前なことを真剣に語るのだろう」と不思議に思った。
しかし、今ならあの言葉に隠された真意がはっきりと分かる。
教授はきっとこう伝えていたのだ。
『命の終りを受け止めることができない人間は、医師には向かない』と。
そんな、医師に向かない医師を、和臣は一人知っている。
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夜。勤務を終えて帰宅した自宅マンションで翌日の支度をしてると、突然インターフォンが鳴った。
時刻は二十三時。
こんな時間に来訪なんて、非常識極まりない。
普通なら絶対に不審者を疑うだろう。
けれど和臣はベルの音が鳴り止まないうちに玄関に向かって歩き出すと、微塵も疑うことなく扉を開けた。
「……先生」
扉の外で待っていたのは、西条だった。
しかし、そこにいたのは西条であって西条でなかった。
生まれたばかりの朝陽みたいな明るい笑顔は俯いた前髪の奥に隠れ、こちらからは見えない。常に天に向かって弧を描いている口角もきつく結ばれ、和臣を一度呼んだきり、まったく開かなくなってしまった。
まるで、ではなく完全に別人だ。
こんな西条の姿を部長の尾根や看護師たちが見たら、さぞ驚愕することだろう。
「何してるんだ、そんなところで突っ立ってないで、早く入れ」
玄関先で立ったまま動かない西条に向けて呆れたため息を一つつくと、和臣はぶらりと垂れ下がった腕を掴んで、家の中に引き入れた。そしてそのままの動きで玄関扉の施錠をする。
腕を強く引かれたのは、その直後だった。
「んっ……っ」
鷲掴む形で肩を掴まれ、身体を西条ががいるほうに向かされたと思った瞬間に唇を強引に塞がれる。
西条の腕を掴んでいたはずの手はいつの間にか離れ、宙に浮いていた。
当然驚いた和臣は両手で西条の身体を押し退かそうとした。だが西条を引き剥がすことは叶わず、それどころか抵抗していた両手首を掴まれ、背後にあった壁に身体ごと押さえ込まれてしまう。
西条とは十センチ以上も体格差があるうえ、向こうは学生時代ずっと運動部で腕力もあるため、和臣の抵抗はまったくもって及ばない。
戸惑いに萎縮している内に、キスがさらに深くなった。
まるで長く離れた恋人同士が再会したかのように熱く、だけれど獣同士の弄り合いのように欲と衝動に塗れたキス。
でも、そこに愛情なんて温かな感情は一切ない。
これが和臣と西条の、もう一つの関係だった。