――中村杏奈の視点――
恋って、なんだろう。
小説の中では、まるで魔法みたいだった。
たった一行の言葉に泣いたり、
たった一度のすれ違いに胸を締めつけられたり。
「こんなの現実じゃない」と思っていたのに――
いつの間にか、私の中にも“物語”が始まっていた。
佐藤拓海くん。
クラスでも目立たない、でも誰よりも目が離せなかった人。
最初に気づいたのは、彼が誰かの笑顔を見るときの、あの優しい表情。
それは決まって、佐藤美咲さんを見るときだった。
彼の“好き”は、もうとっくに誰かに向いていた。
だから私は、自分の気持ちを「憧れ」だとごまかしていた。
でも、嘘だった。
目で追うたびに、胸がきゅっとなる。
声を聞くだけで、心があたたかくなる。
――これが、恋なんだ。
はじめて、物語じゃない、現実の“恋”を知った。
__________________________________________________________
そんな私の横には、いつも高橋大輝くんがいた。
バンドマンで、いつも少しだけ不器用で。
でも、目の奥がまっすぐで、何よりも優しい人。
「大輝くん、またギターやってたの?」
「うん。まあ、落ち着くからな」
そんな日常の会話が、心地よかった。
たぶん私は、大輝くんに甘えてたんだ。
彼が私を見てるの、気づいてた。
気づかないふりしてただけで。
私はきっと、誰かの特別になることを恐れてた。
小説のヒロインみたいになんて、なれない。
誰かの「好き」を真正面から受け止める勇気がなかった。
でも、そんな自分から、もう逃げたくなかった。
__________________________________________________________
ある日の放課後、教室で拓海くんと二人きりになった。
何気ない会話。
笑い合って、何も変わらない空気。
だけど、私の心の中は、ざわめいていた。
「拓海くん……好きな人、いるんだよね?」
そう聞いた瞬間、彼の表情がふっと曇った。
「……ああ。いるよ。昔からずっと」
その“昔から”に含まれている名前を、私は知っていた。
佐藤美咲さん。
彼の幼なじみで、今は親友の彼女。
もう、答えは出ていた。
私は、きっと報われない恋をしている。
でも、不思議だった。
泣きたいはずなのに、心はどこか、すっきりしていた。
やっと、自分の気持ちを認められたから。
やっと、“恋”を知れたから。
「ありがとう、拓海くん。ちゃんと、聞けてよかった」
それが、私の恋の終わりだった。
__________________________________________________________
その日の帰り道、大輝くんがギターケースを背負って、校門に立っていた。
「……待ってたの?」
「たまたま。……いや、嘘。待ってた」
彼は笑いながら、そう言った。
私は、その笑顔に救われた。
「大輝くん」
「ん?」
「私、……人を好きになるの、怖かった。でもね、怖くても、ちゃんと向き合ったら――少しだけ、大人になれた気がしたの」
大輝くんは、少し驚いた顔をしてから、ゆっくりとうなずいた。
「そっか。……じゃあさ、これからは怖くなくなるように、俺がそばにいちゃダメか?」
胸が、音を立てた。
たぶんこれは、“恋”じゃない。
でもこれはきっと、“始まり”だ。
「うん。……隣、歩いてもいい?」
「もちろん」
私は初めて、自分から一歩踏み出した。
物語じゃない、現実の恋。
それは痛くて、苦しくて、それでも――美しかった。
__________________________________________________________
好きな人が、親友と付き合っていた。
好きな人を守るため、嘘をついた。
「好き」と伝えられなかった。
すれ違い、泣いて、悩んで、
それでも恋に本気だった6人の、
それぞれの恋のかたち。
一方通行だった気持ちが、少しずつ、交差して、
また新しい“予想外”の恋が、動き出そうとしている。
今はまだ、完全な答えなんて出ていない。
だけど、それでいい。
恋は、いつだって“未完成”で、
だからこそ、こんなにも心を動かすんだ。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!