“変化”があったのは、俺にではなく、彼女にでもなく――――
少女にだった。
ーーートントン。
少女のノックは淡白だ。
彼女の返事を求めるノックとも、
彼の気配を窺うノックとも違う。
ただ義務として、
給仕に必要な一つの作業として、
迷いなく施されるその動作は、
こちらに「はい」などの返事や”起き上がる”などの反応を求めないため、眠っていたり、天井を眺めてそのボードの穴なんかを数えることに夢中になっている俺からしたら、耳に心地よく、楽だった。
さらにそれに続く少女の動作は、シンプルで鮮やかだ。
少女は、俺がどこにいようとーー例えばベッドの上だろうが、ダイビングチェアだろうが、はたまたトイレだろうがーーこちらに向かって、目も合わせずに一礼する。
寄ってくることはない。
彼女はただ、入り口からダイニングテーブルまで最短距離で一直線に近づき、そのクロスを取り換える。
盆ごと料理を置き、銀色の蓋がついた水差し、グラスに水を注いで、それを脇に置くと、古いクロスを折りたたんで、俺に向かって一礼。
そしてまた最短距離でこの部屋から出て行く。
その決められた動作は、例えば、幼稚園生が卒業式の練習で、決められた場所で曲がって、止まって、礼をし、園長先生から卒業証書を左手・右手と受け取って一歩引き、礼をする。
そんな健気で一生懸命な動作にどこか似ていた。
ーーートントン。
その日もノックの音が響いた。
自分の胃や腸の具合や、見返りを求めない淡白な音から、それが彼女ではなく少女のものだとわかる。
彼女のノックは反射的に下半身が熱くなるが、少女のノックは胃が収縮し、変な音を出す。
これが条件反射というものだろうか。
俺はそう考えて、ベットの上で両手を頭の後ろで組みながら、天井を見ながらふふふと笑った。
”変化”は突然起こった。
少女はいつものように俺に一礼し、ダイニングテーブルに寄ると、古いクロスを取り新しいものと取り換えた。
盆ごと食事を置くと、グラスに水差しで水を注いだ。
「―――――」
いつもならそこで一礼して去っていくはず。
少女は身体の動きを止めて、盆を見ながら何かを考えていた。
そして静かに振り返ると、こちらに向かって、聞こえるか聞こえないかわからないほどの声で言った。
「今日のスープは腐っています。トイレに捨ててください」
「……え」
少女はこちらが何か言葉を発する前に、いつも通りの隙の無いお辞儀をした。
そして最短距離で出入口まで歩くと、迷いなくドアを開け放ち、そこから消えて行ってしまった。
俺は鉄柵に掴まりながらベッドから立ち上がった。
食事は大抵、肉や魚料理がメインディッシュで、それに副菜である温野菜や野菜炒め、サラダなどがつき、ご飯。そしてスープがつく。
スープの種類は豊富で、ミネストローネ、クラムチャウダー、コンソメ、オニオン、コーンなど様々だ。
そして今日は――――。
「―――ジャガイモのスープ」
小さなクルトンが浮かんだ白い液体を見つめる。
俺は焦点がなかなか合わずに二重に見えるそのスープをしばし見下ろしていたが、
―――腐ってるのであれば、捨てよう。
その静かでシンプルな結論に達し、少女が言う通りそれをトイレに流した。
◆◆◆◆◆
少女の“忠告”はそれきりだった。
しかし一度スープのカップの中の液体を、便器に捨てる画を見てしまうと、なぜだか次も、そのまた次も、カップの中のスープを飲む気にはなれなかった。
カボチャの冷製スープでも、野菜がふんだんに入ったシチューでも、俺はそれをトイレに捨てた。
白い便器に捨てられる、ドロドロしていて固形物が残るスープが、まるで吐瀉物に見えて、ますます食欲を無くした。
俺はスープを捨てることに違和感も罪悪感も覚えなくなった。
食べ終わった食器を下げるのは、彼の仕事だった。
彼はその皿に違和感を覚えることなく盆を持ち上げナプキンでテーブルを拭くと、無言で去っていった。
変化と言えばそれくらいで、少女とはそれきり口を利かなかったし、彼は相変わらず口を開かなかったし、彼女は当たり前のように俺を拘束し、俺の上で腰を振った。
その銀色の鈍い輝きを見るたびに、息ができないほどの窮屈な圧迫感を感じるとともに、身体が脈打つような期待に下半身が痛くなる。
快感に飽きることなく、欲望が尽きることもなかった。
それどころか日が経つごとに、回数を重ねるごとに助長していき、渇望するかのごとく、異常なほどに彼女が欲しくなった。
それはもしかしたら両手を拘束されていることによる、もどかしさや物足りなさに起因するのかもしれないし、自由を奪われた状態で強制的に与えられる快楽に、マゾヒズムを刺激されているからかもしれない。
ーーーとにかく俺は、若く美しい彼女自身と、彼女が与えてくれる快楽に溺れていった。
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