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キリスト紀元1580年、プルトゥガル王国の王、エンリケ一世が嗣子を残せず死去した為、ここにプルトゥガル王室、アヴィス朝が断絶した。
この時、王位継承権を主張して首都リスボンに敢然と乗り込んだのが、エスパーニャ王国の王にしてカトリックの盟主を自認するフェリペ二世である。
「異端者に君臨するくらいなら命を100度失うほうがよい」
と述べる程の熱烈なカトリック教徒であった彼はプルトゥガル王国を瞬く間に併合して、「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれるエスパーニャの最盛期を築くことに成功する。
こうしてこの年世界はかつてない激動の時代を迎えるのだが、ジャッポーネの蒲生家にとっては比較的平穏な年になる。 信長に年賀の挨拶を済ませ、安土城に集った他の諸将達とひとしきり旧交を温め、歓談を楽しんだ主君蒲生忠三郎賦秀は安土の城下町に取っている宿に戻った。
「これから堺に行こうと思う」
賦秀は妻と勝成達に告げた。
「堺にですか?」
勝成にとってはジャッポーネに着いて最初に足を踏み入れた思い出深き土地である。
欧州からも「東洋のベニス」と知られる大都市に主君と共に再び赴けるのは喜ばしいことであった。
だが武道の真髄を極め、武人としての極致に達することに心身を捧げ尽くしているような我が主君があの商人達によって栄える都市に新年早々赴かねばならない事情などあるのだろうか。
「ではあの御仁にお会いになされるのですね」
賦秀の目的を察したらしい冬姫が微笑を浮かべながら言った。
「うむ。荒木摂津守との戦は取り合えず終わったようだ。しばらく当家は戦から離れることになろう。その間にあの御仁に正式に弟子入りしようかと思っている」
「弟子入り、ですか?」
勝成は主君の意外な言葉に当惑した。この文武共に天賦の才を授かっている当代比類ない英傑が辞を低くして弟子入りを願うに値する人物など果たして存在するのであろうか。
「その御方の名は……?」
「千宗易。堺を代表する豪商であり、当代きっての大茶人である」
「茶の湯というやつか。俺にはどうもよく分からないな。サムライ達の多くが熱中しているようだが、あれの何が楽しいのか」
主君と奥方の前から離れ、気安い間柄の朋友達の前で勝成は本音を言った。
「わしも茶席の招かれたことはあるが、全く楽しめなんだ。堅苦しいだけの茶席なんぞよりも砕けた場での酒の方が遥かに良いわ」
喜内が同意した。彼は酒を水のように呑む底なしの酒豪である。もっとも呑むと議論をしたがる癖があるので同僚たちからは煙たがられているようである。
「それではいけませぬな、貴殿ら」
そう言ったのは小倉孫作である。歳は勝成より少し年下だが、古参の蒲生家家臣である。
武芸のみならず学問があり、思慮深い為主君の信任篤いが、そのことを鼻にかけて嫌味な物言いが多い。
「信長様の御茶湯御政道のことをいい加減に理解していただかねば。これからは武士たるもの武辺一途のみではやっていけません。我らも茶の湯を身に付け、数寄というものを理解せねば」
武家社会の饗応の一種として隆盛するようになっていた茶の湯をノブナガは天下経綸の為の一策として用いるようになった。
それが御茶湯御政道である。
茶の湯に用いる様々な茶道具、特に唐物と呼ばれるシーナより伝わり、室町将軍家が所蔵した道具が名物と呼ばれ非常に価値と権威を有するになっていた。
そこにノブナガは目をつけた。名物狩りと称して著名な茶道具蒐集し、家臣が独断で茶会を開くことを許さなくなった。
そして功績のある家臣や御用商人に己が蒐集すた茶道具を下賜し、さらに織田家に貢献した者に茶会を開く許可を与えるようにしたのである。
こうして茶の湯は絶大な権威を有するようになり、特に大名物と呼ばれる茶道具には一国一城に匹敵する価値すらあるという。
(土をこねて焼いただけの代物が黄金よりも価値があり、一国一城に匹敵するだと?馬鹿馬鹿しい)
勝成はそう思わざるを得ない。
「数寄だと?我らには必要ないものだ」
喜内が鼻を鳴らしながら言った。孫作の物言いが気に障ったのだろう。
「それぞれ分というものがあろう。数寄や茶の湯などを習うのは殿や信長様のような人の上に立ち治める為政者のみやればいい。我ら臣下は武功を挙げる事のみ考え、道具に凝るのは武具甲冑だけにすべきなのだ。数寄などに凝ったら小賢しくなって合戦の勘が鈍ろうよ」
「貴殿は相変わらず視野が狭い」
孫作が嘆くように言った。この二人は合戦の場においては互いに信頼し合う仲なのだが、平時においては考えの違いが目立ち、衝突することが多い。
「信長様は既に天下の半ばを制止し、いよいよ天下布武の実現も見えて来ました。間もなく戦の無い静謐な世が訪れるでしょう。そうなったら、武辺の事しか考えていない武士はどうするのですか?」
「……」
「それにきっと我が殿は信長様よりきっと今以上の領地を授り、いずれ大大名になるでしょう。そうすれば我らも城持ちとなるやも知れませぬ。そうなったら武士のみならず様々な身分の者、当然商人とも交際せねばならなくなります。その時己は武辺の事しか知らぬ、数寄や茶の湯などに興味が無いなどと決して許されませぬ。だから我らも今の内殿に習って数寄を解する心を身に着けねばならぬのです」
孫作の理路整然とした弁舌に打ち負かされ、喜内は二の句が継げなくなったようである。
「勝成殿、貴殿もですぞ」
孫作の鋭い舌鋒が二人のやり取りを笑みを浮かべながらきいていた勝成に向けられた。
「南蛮人である貴殿には我が日の本の美や風雅を解するのは困難なのかも知れません。ですが貴殿も既に武士であり、蒲生家家臣なのです。虚心に当世の日の本武士が心寄せる数寄、茶の湯を学ばねばなりませぬぞ」
説教じみた物言いが不愉快であった。だがそこには真に勝成を朋友として認め、異国人として孤立せぬよう案じる真情が感じられた。
「うむ。そうだな」
勝成は逆らわず素直に頷いた。
心より敬愛する主君が、ノブナガが、サムライの多くが熱中する茶の湯がどのようなものか、やはり一度ぐらいは実際に体験すべきなのだろう。