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「これは蒲生様。よくお越しくださいました」
そう言って千宗易は妻と娘らしき女性と共に玄関先の座敷にて手を突き深々と頭を下げた。
禅門にいる者らしく頭を剃り、茶人が好む衣装である十徳を纏っている。
見る者を思わず感嘆させる程端正な姿勢で見事な正座をしているが、驚く程長身であることがはっきりと分かった。
事実ゆっくりと立ち上がったその姿は六尺に達しているだろう。商人にしておくのがもったいない程の雄偉な体格である。
「そして貴方が南蛮より来られた……」
そう言って宗易の視線が勝成に注がれる。勝成はジャポネーゼから奇異の視線を向けられるのには既に慣れている。
だがこの時感じた視線はこれまでの物とは少し違うようである。
国際都市、堺の大商人である宗易はこれまで幾度もプルトゥガルやエスパーニャの商人、宣教師を目撃しているだろうから、西洋人の外見には慣れているはずである。
宗易はまるで一個の芸術品として見ているのではないかと勝成は感じた。
赤い髪に緑の瞳を持つ堂々たる美丈夫であるというだけではなく、かつては聖ヨハネ騎士団の騎士としてイスラームと戦い、今現在は蒲生家のサムライとして生きるという唯一無二の存在である己を一幅の絵画のように、あるいは彫刻のように見、鑑賞しているのではないかと感じた。
これは決して勝成のうぬぼれなどではないはずである。
千宗易という人物が稀有な感受性を持ち、森羅万象の悉くから美を感じ取り、己が生涯かけて追及する芸道、茶の湯に生かそうと心魂を傾けている傑出した芸術家なのだと勝成は感じた。
「これは妻のりき。次女のお吟です」
宗易は家族を蒲生家の武士達に紹介した。
勝成は後で知ったことだが、このりきという女性は後妻であるらしい。
先妻のお稲、法名宝心妙樹は三年前に亡くなっている。
彼女との間には五人の子をもうけたが、二人の息子は独立し、二人の娘も他家に嫁いでいる。
次女のお吟だけが夫と離縁し、実家に戻っているとのことだった。
ちなみにカトリックの教えでは結婚は神聖にして終生の誓いであるから離婚は認められていないのだが、ジャポネーゼの間ではごく普通に行われていることである。
イエズス会宣教師のルイス・フロイスはこう記している。
「日本では意のままに何時でも離婚する。妻はその事によって名誉を失わないし、また結婚も出来る。日本ではしばしば夫を離別する」
この時代のこの世界においてここまで女性の権利、自由を認めている国はジャッポーネ以外におそらく存在しないだろう。
「何と野蛮な国か」
とほとんどのカトリック教徒、イエズス会士は嘆くはずである。数年前の勝成もそうだっただろう。
だが現在の勝成は
「やはりこのジャッポーネは稀有な国だ。むしろ世界のどこよりも進んでいるのではないか」
と思うようになっていた。
蒲生家主従は書院へと案内された。
「宗易殿は近頃何やら全く新しい茶室を創案されていると聞いたので、そちらの方を期待していたのですが……」
驚くほど清潔で塵一つ無い畳に正座しながら賦秀は言った。ノブナガの茶堂とは言え、一介の商人に対して丁寧な口調である。
苦手な正座をしなければならないのもあって、勝成は千宗易に不愉快な気分を持った。
「そちらの方はまだまだ工夫を加えねばならず、とても蒲生様にお披露目出来る代物ではありませぬ。それに本日は家臣の方々にも茶の湯を学んでいただきたいとのこと。そうであれば、やはり書院の茶から始めるべきかと」
うやうやしく答えた宗易は茶を立て始めた。
「……」
勝成は胡乱気に宗易を見ていた。
書院造と称される座敷の床の間には水墨画が飾られている。
「雪舟の絵ですな」
孫作が感嘆の表情を浮かべながら言った。雪舟とは高名な画家にして禅僧であり、その作品はジャッポーネ特有の水墨画を確立したとして極めて評価が高いらしい。
だが故郷イタリーにてルネサンス芸術の粋とも言うべき三巨匠、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロの作品を目にして来た勝成である。
特に勝成はミケランジェロに心酔していた。その代表作である「最後の審判」の圧倒的にして壮大な美に魂が震える程の感動を得た経験を得たその眼には、水墨画はあまりに淡泊が過ぎて味気なく映る。
その他の茶道具も派手な装飾などは無く、素朴で土臭いものであった。
(これが詫びという理念らしいが……。俺の趣味には到底合いそうにないな)
主君に従って茶の湯という芸術を学ぼうと考えていた勝成であったが、早くもその困難さに音を上げそうになっていた。
「どうぞ」
宗易が差し出した茶椀を賦秀は三回に分けて飲み、隣に座している孫作に譲った。
孫作も賦秀と同じ作法で飲んだ後、やはり喜内もそれに倣ってかなりぎこちなくではあったが、一応失敗することなく飲めたようである。
そして勝成の番が回って来た。
(ふーむ……。これが茶なのか?)
勝成は先の三人に倣って茶碗を左手に乗せ、右手で添えながら茶碗の中身を凝視した。
それは嗜好の為の飲料には見えなかった。濃い緑色のどろりとした粘液で、美術に使う塗料の一種ではないのかとすら疑われた。
(全く何故こんなまずそうなものを……)
勝成は内心舌打ちしながら、ゆっくり茶碗に残った粘液を三回に分けて飲み干した。
味もほとんど想像通りである。ただ苦いだけの代物としか感じなかった。
「どうでしょうか、山科様」
宗易が他の三人ではなく、勝成に問うてきた。
主君が師と仰ごうとする人物に対して、
「まずくて苦いだけだ。飲めたものじゃない」
などと正直に言えるはずもなく、また茶の席の作法ではこの場合どう答えたら良いか分からなかったので、
「よろしいのではないでしょうか」
と恭しく答えて見せた。
茶はただ苦いとしか思えないし、茶の湯も何が面白いのかさっぱりわからなかったが、ただ一つ気になることがあったので、勝成は意を決してさらに言った。
「この茶椀を回し飲みする作法、何やら我らカトリック教徒のミサの儀礼と似ていますな」