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テラーノベル(Teller Novel)
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小さな焚火から立ち昇る、香気芬々《こうきふんぷん》と魚の匂いに誘《いざな》われ、夜の草木が騒めき出す。


漆黒に浮かび上がる妖光《ようこう》が、一つ二つとまた顕《あらわ》れる。その中からヌゥっと一匹の狼が姿を晒《さら》した。痩せ細っては居るが、狼としては少しばかり大きく見える……


退避《たぢ》ろぐ構えも見せずじっとこちらを凝視する。

(火を恐れていない? ……狼なのか? )


不図《ふと》、老人の言葉を思い出していた。当時、俺の記憶の欠如《けつじょ》を知ると老人は、エマを滝に向かわせ、俺の身元に関する手掛かりを探らせ持ち帰えらせた。


エマは矢筒と麻縄で編んで出来た肩掛鞄《かたかけかばん》を持ち帰り、何か思い出さないかと俺の記憶の断片と擦り合わせをした覚えがある。


残念ながらどれも記憶に当たる物は無く、鞄の中には花で編んだ枯れた花輪が残されていた。取り越し苦労と肩を落としたが、矢筒には歯型がくっきりと残されており、老人は歯型の種類から狼である可能性を示唆したが、牙の形状が大き過ぎる事に疑念《ぎねん》を抱いていた。


「これは魔狼《まろう》と言う奴かもしれんな」

老人は矢筒を手に取り指を当て、歯形の寸法を測る


「魔狼? 」


「ふむ、魔狼とは魔に従い魔に落ちた狼と言うのが所以《ゆえん》じゃ、儂も実際には見た事も無い。森で不気味な狼を見たと言う報告も、昔はあったようじゃが、今は文献の中の存在として、何者かの眷属《けんぞく》であったと記《しる》されておるくらいじゃ。しかし矢筒にこれ程の牙を残したとなれば、十中八九こ奴らに、お主は襲われたんじゃろう」


「老師殿は、そのような存在が居ると? 」

俺は両手を机に着き、驚きを含み立ち上がる。


「じゃが、眉唾《まゆつば》という確証もないじゃろ? 」

老人は行きつ戻りつ考えを巡らせる。


「ですが…… 」

所論《しょろん》に半ば納得し、俺は椅子に腰かけた……


「儂が生きた日下《ひのもと》でも数々の言い伝えが在る。じゃが見たと言う者はおらんかった、何故じゃと思う? 」


「何故ですか? 」


「屠《ほふ》られたんじゃろ」


「―――――⁉ 」


「その可能性が一番高いのう、与太話でもなければじゃが」


―――見せたら最後、見られたら屠れか……

(老師も俺も、魔の者達と何ら変わりないな)


―――人知れず同様に生き続けてる何かが居るのか……





俺は焼魚をポイとそいつの鼻先に投げ付け様子を伺う。すると匂いを嗅ぐ処か、そいつは一瞬たりとも魚には興味を落とさずに俺を凝望《ぎょうぼう》し続ける。


―――やはりか……

(こいつらは腹が減って姿を現したんじゃない)


疑心は確信となり、やがて本性を顕《あらわ》にする。傍《かたわ》らに置いた鬼丸《妖刀》にそっと手を伸ばすと何かに共鳴するように刀がカタカタと小刻みに震えだす。


「―――――⁉ 」


―――驚いた……

(俺に何かを警告しているのか?)


はっと老人の戯言《ざれごと》を思い出す―――

⦅よいか、敵と対峙し鬼丸鳴くは、その者この世成らざる者の証⦆


最初聞いた時はボケたのかと耳を疑い話半分で聞いていたが、こう云う事だったのかと納得する。(ボケたなどと言ってすまない老師…… )


相手を刺激しないように、刃《やいば》を上に刀をゆっくりと腰に佩刀《はかし》着け、大太刀《長巻》を背負う……


冷静に教えを振り返る。先ずは敵の有利な場所では戦ってはならない。此処は森の中。狩人で有れば問題なく戦えるが、今は老師によって木の上を行く事も、縄や弓も禁じてられている。更に刀を振り回すには余りにも遮蔽物《しゃへいぶつ》が多く見通しも悪い、状況は芳《かんば》しくない。


―――ならばどうする?……


簡単な事だ、自分の有利となる場所に誘い込めばいい。近くの木の上にはエマが眠っている。あいつなら犬ころ程度、何の問題も無いと思うが念の為、彼女との距離も取っておきたい。と、なると―――


俺は焚火を蹴り飛ばし、一瞬にして暗闇を招《まね》くと、辺りに火の粉を飛び散らせ、奴らの気を反らすや否《いな》や、落葉《らくよう》の葉陰《はかげ》から零《こぼ》れる月明りの長夜《ちょうや》の中を、森を縫うように走り出す。


咄嗟の事態に狼達は統率が乱れ、追従に遅れが生じる……


立木《たちぎ》を左右に躱《かわ》し乍《なが》ら、故意に足音をバタつかせ誘《おび》き寄せる。10頭…… いや…… もっとか…… 相手に不足は無い、丁度、鬱憤《うっぷん》が吐き出せず苦しんでいた最中《さなか》だ。悪いが此処で自分の力量も測らせてもらう。


暫くすると開《ひら》けた場所が顔を出した、月明りが野を照らし、そよそよと風が葉を揺らす。身を潜める場所も無く、敵の動きが備《つぶさに》にわかる、此処ならば問題ない。息を整え交戦の構えを取り眦《まなじり》を決《けっ》すると、ぞろぞろと獲物を追い詰めた奴らが雁首《がんくび》を揃《そろ》える。


鍔《つば》に手を添え得物《刀》を抜……


「―――――⁉ 」


―――刀が抜けない何故⁉……

気が動転し足元を滑らす―――


眼光炯々《がんこうけいけい》と涎《よだれ》を垂らし牙を凶器に押し迫る。二度三度、身体を地面に踊らせ掻《か》い潜《くぐ》る。刀を引くが未だ抜けず気が焦る。幾度と試みるがやはり抜く事が出来ない……


「くそっ 一体どうなってるんだ⁉ 」


大太刀《長巻》では、そもそもの動きが鈍り、多勢の相手には分が悪い。元は馬上から歩兵を薙ぎ払う物であり、長さは六尺(百八十㎝)程と、地上で振るうには長過ぎる。振ればそれだけ大きく隙が生まれてしまう。


仕方あるまいと無手での交戦を決心し、迫り来る牙を注視する。

すると脳裏に何処かで見た光景が狼達と重なった―――



⦅あのねこれ、あげゆの、おれー ⦆



記憶がドクンと悲劇を辿《たど》り、胸を熱く引き裂いた。守れなかった幼い命と、泣き叫ぶ事も出来ずに散った無垢《むく》な笑顔が蘇る―――


―――そうか……

思い出した―――


心が軋《きし》み心が揺れる。悔やみ切れない感情が、復讐を誓い渦を巻く。悲しみと怒りに震えた声で今一度、血統の名に於《お》いて刀に問う。



「起きろ 鬼丸―――――‼ 」



ズオオと刀身から只ならぬ暗紫色《あんししょく》 の妖気を纏い今、魂に導かれし刀は抜かれ、新たな主によって解き放たれる。これ以上悲しみの螺旋《らせん》を生まぬ為。修羅《しゅら》の妄執《もうしゅう》これで仇とする。


鬼丸を両手で地面に突き刺すと、ドンと周囲に亀裂が入り地が沈む。狼達の影を縫い、暗紫色の槍影閃々《そうえいせんせん》一斉に突き上がり敵を穿《うが》つ‼



《鞍馬流 妖刀術 影堕《かげお》とし――― 》



ザンッと地表から現れた槍影に貫かれ、屍骸《しがい》を白夜に浮かばせる。悲しみの数だけ死屍累々《ししるいるい》なるが怏怏《おうおう》として悦《よろこ》ばず、涕泣《ていきゅう》止まず刀を携《たずさ》え、残党を慈悲《じひ》なく全て狩り殺す……


斬撃は止むことを知らずただ只管《ひたすら》に延々と血柱を生む。


(あの時、もっと早く異変に気付いていたら)

あの子はまだ俺に笑ってくれていただろうか……


後悔の念は更に苦しみを生み、剣撃はまた過激さを増す。振り上げる度に断末魔の絶叫が響き、断たれた首を探すため四つ脚だけが野を駆ける。


殺戮《さつりく》は狂気となり、返り血で身体が鮮血を浴び、悲しみ色に染まって行く……


やがて全ての事情に片《かた》が付き、月を見上げて思いを馳《は》せる。


随分時が過ぎてしまった……


でももう忘れない。


いつまでもこの胸の中に。


(遅くなってごめんよ…… アリア )





エマの場所に戻り、何事も無かったように火を起こし、川で身を清め、返り血を洗い流す。明《あ》け染《そ》めるうちは未だ寒く、冷えた心を温める。


俺は先程の事を思い出していた。狼達の屍骸は時間と共に霞《かすみ》の様に消え去り、辺りには血痕だけが残った。それがどうゆう事を意味するのか、理由付けるには十分だった。やはり老人の見立て通り、魔狼と呼ばれる存在だったのだろうと……


それともう一つ、刀の件だ。その日の糧《かて》を得る為に、刀は毎日振っていた。今まであんな事は一度も無かった、なのに……


(何故あの時は抜けなかった? そして今は…… )

ヒュンと刀を薙ぎ払う―――


―――――⁉ 何故抜ける⁉


(あの時は確か妖刀術を試そうとして抜けずに…… その後は頭に血が上り何かを口ずさんだ気が…… )


結果的に初めて妖刀術は発動し、事《こと》も無《な》げに敵を一掃出来た訳だが、如何《いかん》せんどうやったのかすら覚えていない。


(良く判らん。狸老師が謂《い》う所のいつか分るだろうとしておくか、そもそも老師の説明が言葉足らずで杜撰《ずさん》過ぎるから問題なのだ…… 狸め‼ )


曰《いわ》く付きって何なんだ……。


俺は冷えた身体を香辛料たっぷりの鹿肉を煮込んだスープで温め、カチカチのパンを葡萄酒《ワイン》で流し込み、僅《わず》かばかりの一時《ひととき》を堪能する。


(今日は疲れた…… )






身体を横たえ暖を取る。残夜《ざんや》は朝露を伴《ともな》い葉を濡らす。短い静けさに心を委ね、夢に誘われ寝息を立てると、事の顛末《てんまつ》を見届けた闇烏《やみがらす》は、不気味な翼を広げ深い森へと飛び去って行った。

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