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由樹は厳しい残暑が続く9月の青空と、その色に溶けるような藍色の懸垂幕を見上げた。
『断熱性能、ナンバーワン!』
「…………」
思わず目が細くなる。
「……睨むな、睨むな」
隣に立つ篠崎が苦笑しながら見下ろす。
「そんな顔で展示場に来る客なんていねぇだろ?まあ、悔しいのはわかるけどよ」
言いながらその肩をポンと叩く。
「たて続けに3件も負けたんじゃ、なあ?」
クククと笑っている。
「……笑わないでくださいよ」
由樹は珍しくふいと篠崎に後頭部を向けた。
「まあお前も負けて悔しがるようになったってのは、成長した証だ。胸を張れよ」
今度はその頭を強めに叩くと、篠崎は由樹の細い二の腕をむんずと掴んだ。
「せっかく県外の展示場までわざわざ来たんだ。大いに学んで帰ろうぜ?」
「うう。はい……」
由樹は契約を断られた失望感を咀嚼しつつ、篠崎の後に続いた。
「いらっしゃいませ」
応対したのは篠崎よりも年上に見える、わずかに白髪が混じる営業マンだった。
「お客様、”Family Shelter”は初めてですか?」
由樹はその社名に思わずフンと鼻を鳴らした。
横で篠崎がその腕を軽く肘でつつく。
「はい。見せてもらっても?」
「ええ、どうぞ」
男は視線を二人の間に走らせた。
FamilyShelter(ファミリーシェルター)誰が呼び始めたのか通称ミシェル。
ここ数年で急激に伸びてきた住宅メーカーで、軽量鉄骨造りを売りにしている。
木造住宅のパイオニアであるセゾンエスペースとは、自然と比較対象になりやすく、界隈では“木造ならセゾン、鉄骨ならミシェル”とまで言われるようになってきた。
「ミシェルの家は初めてですか?」
営業は二人に笑顔を対等に配りつつ尋ねた。
「ミシェルさんは、初めてですね」
含みを持たせて篠崎が答える。
「というと、他のメーカーさんはもうご覧になられたことがある?」
「ええ。ちょっと。親戚がセゾンさんで家を建てたので、その付き合いで」
篠崎は出来るだけ自然に答える。
由樹はここぞとばかりにミシェルの家を見つめた。
さすがメーターモジュールだけあって、間口が広い。
鉄骨の頑丈さから、窓も大きく、柱から柱までの間隔が長い。
そして軸組は鉄骨であるものの、パネルも廻り縁も木でできているため、冷たさは思ったほど感じない。
それどころか言われなければ鉄骨だとわからないレベルだ。
「セゾンさんですか。そうですよね、昔からありますからね、セゾンさんは」
男の物の言い方にカチンとくる。
「でも最近ではミシェルがセゾンさんの新築棟数に迫ってきているんですよ。ご存じですか?昨年度はほぼ同数だったんです」
これは言葉のからくりだ。
セゾンエスペースは、本社直営の店舗とフランチャイズの店舗の2つに分かれる。確かに本社直営店舗だけの数字で見れば、今、追い上げてきているミシェルと互角だが、フランチャイズの店舗を含めるとその差は2倍近くにまで及ぶ。
だが、
「へえ、そうなんですか。すごいですね」
県内ナンバーワンの成績を叩きだしているマネージャーは、気にした様子もなく頷いている。
「時代は少しずつ軽量鉄骨に移ろうとしてるんですよね。だって、最近、災害が多いじゃないですか」
男はここぞとばかりに、この2人から見れば、決定権がありそうな篠崎にすり寄る。
「確かに」
「ご主人様が頑張って家族のために仕事をしているときに、奥様や子どもさんを守るのは、結局は家、ですからね」
年間何百回と繰り返しているのだろう言葉が唇から出てから、彼は「あ」と呟いた。
「ところで、お二人はご兄弟か何かで?」
男がおそるおそると言うように聞くと、大きな窓の下に位置する換気口を見ていた篠崎が振り返った。
「恋人です」
◇◇◇◇◇
「何もあんなところで、初対面の人に、あんなに堂々と言わなくてもいいじゃないですか!」
ホテルに戻り、荷物を置くと、由樹は立ったままため息をついた。
「いいだろ、もう二度と会わないんだし」
「そうですけど。あの後あの営業、しどろもどろになって可哀そうでしたよ」
「ほっとけよ。ライバルメーカーの営業なんて。契約とられた悔しさを忘れたのか」
「それとこれとは話が……あッ……」
篠崎が大きな手で新谷の顎を掴み、自分に引き寄せる。
唇が重なる。
「――本当のことを言って何が悪いんだよ」
鋭い視線。
低い声。
体中の神経がそこに集まったかのように、由樹は篠崎の熱い唇のことしか考えられなくなる。
「……ん……んんッ」
当然の如く舌が入ってくる。
さきほどホテルの前で吸っていた煙草が仄かに香る。それでも嫌な気はしない。これも立派な篠崎の匂いだ。
うなじの辺りを抑えられ、より深く舌が挿入されてくる。
由樹はそれに応えるように篠崎のたくましい背中に手を回し、腰をしならせた。
十分に互いの熱を味わった後、どちらからともなく唇が離れた。
「今日は勉強になったか?」
篠崎が優しく聞く。
「はい、奴らがどんなふうにセゾンを悪く言うのかがわかりました」
「そうだな。でも真似しちゃだめだぞ」
「…………」
「俺たちは真実を嘘偽りなく伝えるだけでいい」
「……もし、それでお客様が信じなかったら?」
篠崎は不安と不満が入り混じったよううな由樹を愛おしそうに見つめた。
「信じてくれるまで話をするだけだ」
再び唇が合わさろうとしたところで、篠崎がふっと笑った。
「いつか二人でミシェルの家を建てようぜ?」
由樹はキスにとろけていた顔を慌てて真顔に戻す。
「笑えないです……」
二人は吹き出しながら再度唇を合わせた。
そのまま、綺麗にメイキングされているダブルベッドになだれ込む。
「……ベッド小さいすね」
「キングサイズと比べてくれるなよ」
二人はまた笑いながら、上になり下になり、唇を合わせ続けた。