テラーノベル
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俺の好きな人は、弱い人だ。
同じ部活の先輩で、最初は正直、苦手だった。
言葉少なで、表情も乏しくて、何を考えているのか分からない人。 近寄りがたくて、どこか壊れ物みたいで。だから、嫌いだった。
それなのに。
いくつもの出来事を重ねるうちに、気づけば俺は、その人のことばかり見ていた。
使い古された人形みたいな俺。
誰にも期待されず、雑に扱われるのが当たり前だと思っていた俺を、先輩は否定しなかった。
何も言わず、ただ隣にいて、静かに受け入れてくれた。
それだけで、救われた。
そして俺の先輩は、俺に弱い。
肩に触れただけで、少し距離を詰めただけで、驚いたみたいに目を逸らして、逃げてしまう。
そのくせ、離れようとすると、ちゃんと追いかけてくる。 不器用で、臆病で、どうしようもなく優しい。 そういうところが、俺は好きだ。
俺の彼氏は弱い人。
でもその弱さごと、俺は全部、愛している。
「さっむ〜……」
吐いた息が白くなる。この時期の夕方は、特に冷える。
部活帰りの校舎裏、日が落ちかけて、風だけがやたらと元気だ。
「あ……先輩だ」
少し離れたところに立つ、見慣れた背中。
相変わらず綺麗な顔で、誰かと話している――先生、かな。
……あ、行った。
先輩ひとり。
「……驚かせようかな」
悪戯心が、身体を動かした。
たったったった、
「いるませーんぱいっ!」
背後から、一気に距離を詰める。 コート越しでも分かる、体温の高い背中に腕を回した。
「っ!?」
一瞬、身体が強張るのが伝わってくる。
「び、びっくりしたぁ!?」
悲鳴に近い声。
予想通りすぎて、思わず笑ってしまう。
「なにすんだよ……心臓止まるかと思った…」
振り返った先輩は、耳まで真っ赤で、目も泳いでいる。 そのくせ、俺の腕を振りほどこうとはしない。
「いるま、一緒に帰ろ?」
「……うん」
二人きりのときは、タメ語でいい。
それは、いるまが決めた約束。
だから俺は呼び捨てで、タメ語で話す。
そうすると、いるまは少しだけ嬉しそうな顔をするから。
地面には雪が残っていて、踏みしめるたびにぎゅっと音がする。 道路はところどころ凍っていて、街灯の光を反射していた。
(…事故、起きないといいけど。)
自然と歩幅を合わせて、ゆっくり進む。
手は繋いでないのに、距離は近い。
「なつ」
突然、名前を呼ばれて、足を止めた。
「俺、寄りたいところあるんだけど…なつも来る?」
「どこ?」
「公園」
一瞬だけ、いるまの声が揺れた気がした。
「……うん、ついてく」
理由は聞かない。 どんな理由であれ、俺はついていく。 寒くても、暗くても、少し不安そうな背中でも。 だって 弱いところを見せてくれるのは、俺だけなんだから。
俺は何も言わず、いるまの隣に並んで歩き出した。
「ベンチでも、座ってて」
「……」
言われるまま、冷たいベンチに腰を下ろす。
この公園。
(見た事、あるような…)
いつだっけ。
いつ、俺はここに来たんだろう。
この街で生まれて育ったわけじゃない。
それなのに、風景の輪郭だけが、やけに鮮明に思い出せる。
「……あ」
胸の奥が、きゅっと縮んだ。
俺が、初めて撮影した場所。
初めて、役を与えられて、初めて誰かに「見られた」場所。
あのセリフ。
あのシーンが、俺の人生を変えた。
「大好きだよっ!」
頭の中で、やけに明るい声が響く。
無邪気で、作られた感情。
「っ……」
思わず、視線を逸らした。
正直言って、あんまり好きじゃない。 この場所も、この記憶も。
でも。
いるまが行きたがった場所なんだ。 それだけで、俺はここにいられる。 嫌な気持ちは、飲み込む。 寒さのせいにして、息を白くして。
俺はベンチに座ったまま、黙って待つ。
どんな思い出でも、いるまの隣にいられるなら、それでいい。
いるまはしばらく何も言わず、景色を眺めていた。 それから、鞄の中に手を伸ばして、カメラを取り出す。
結構高いやつらしい。
この前、すち先輩がそんなことを言ってた。
「……」
レンズ越しに、静かに公園を切り取っていく。
シャッター音は控えめで、夜の空気を邪魔しない。
いるまは、写真を撮るのが好きだ。 特に、景色を撮るのが好きだって、この前教えてくれた。
プロフィール帳にも、そう書いてくれた。
『俺のことは撮らないの?』
そう聞いたとき。
顔を真っ赤にして、視線を泳がせて。
『 ……いいカメラ買ったら』
なんて、意味の分からない言い訳をしてた。
思い出して、少し笑う。
「なつ、あのな……」
不意に名前を呼ばれて、俺は顔を上げた。
「ん?」
いるまはカメラを下ろしたまま、少しだけ視線を伏せている。 寒さのせいじゃない赤みが、頬に浮かんでいた。
「俺、このセリフ……すごい大好きだった」
「……え?」
一瞬、何のことか分からなくて、言葉が遅れる。
「俺が、お前を好きになったセリフだった」
胸の奥が、強く跳ねた。
「……『大好きだよっ、』ってやつ?」
恐る恐る確認すると、いるまは小さく頷く。
「そう」
たった一言。 俺にとっては、仕事で、演技で、何度も使い回した言葉。
なのに。
「あのとき、演技だって分かってたのに」
いるまはゆっくり息を吐く。
「それでも、どうしても忘れられなかった」
カメラを握る指が、少しだけ強くなる。
「あの声も、表情も……全部」
俺は、何も言えなくなった。 嫌いだと思っていた記憶が、音を立てて形を変えていく。
あのセリフで、 俺の人生は変わった。
そして今、その同じセリフで、 誰かの人生に触れていたんだと、初めて知った。
「……そっか」
それだけ言うのが、精一杯だった。 いるまは、俺の方を見ないまま、静かに続ける。
「だからさ……この公園も、あのセリフも、 俺にとっては、全部、大切なんだ」
夜の公園に、風が吹き抜ける。
白い息が混じって、すぐに消えた。
俺はベンチの上で、そっと拳を握る。
(あんまり好きじゃないはずだったのに…)
「演劇に興味を持ち始めたのも、お前のおかげ。 カメラで何かを撮るようになったのも…全部、お前のおかげなんだよ。なつ」
「……俺は、何もしてないよ」
やっと絞り出した声は、自分でも驚くほど弱かった。
「したよ」
いるまは即答した。
「お前の、あの演技が。 あの笑顔が、あの声が。 楽しそうで、無邪気で…眩しくて」
一つひとつ、確かめるみたいに言葉を重ねてくる。
「やめて」
心の中で叫ぶ。 それ以上言われたら、俺はもう、俺でいられなくなる。
俺は、そんな立派な存在じゃない。 誰かの人生を変えるほど、価値のある人間じゃない。
なのに。
「俺の人生を、変えてくれたんだ」
「っ……!」
胸の奥が、壊れるみたいに熱くなった。
いるまは、そこで微笑んだ。 俺にしか見せない、あったかくて、優しくて、見ているだけで安心してしまう笑顔。
その表情が どうしようもなく
「っ大好き、…だよっっ!!!!⸝⸝
……………あっ、!⸝⸝」
気づいたら、声が零れていた。 演技じゃない。台本もない。 今までで一番、本音の言葉。
「……!」
いるまは一瞬、目を見開いて、それから 照れたみたいに、でも嬉しそうに、少しだけ目を細めた。
あの嫌いだったセリフは、もう、嫌いじゃない。だって今は ちゃんと、俺の言葉になったから。
「なつ、撮ってもいい?」
少し控えめな声。 さっきまでとは違って、どこか遠慮がちで。
「……やだ」
即答すると、いるまは小さく笑った。
「笑…それ、今の流れで言う? まあ、なつらしいけどさ」
「一緒に撮らないと、やだ」
そう言うと、いるまは一瞬だけ言葉に詰まって
「……欲張り」
そう呟きながらも、結局は鞄に手を伸ばす。
取り出したのは、折りたたみ式のスタンド。
慣れた手つきで広げていく。
「本格的…」
思わず声が漏れる。
「これは、爺ちゃんからもらったやつ。 誕生日プレゼントに、カメラと一緒にくれたんよ」
「へー……」
俺はしゃがみ込んで、興味本位にカメラを触った。
「……あんまカメラいじくんなよ」
少し焦った声が可笑しい。
「はーい」
素直に返事をしながら、俺は立ち上がる。
「ん、撮るよ」
そう言って、俺はいるまにぴったりくっついて並ぶ。
「っ……!」
肩が小さく跳ねた。
(あ、今びくってした。照れてる?)
そういうところも、やっぱり好き。
「…………」
静寂。
シャッター音が、なかなか鳴らない。
「あれ、シャッター……」
遅いな、と思ってカメラの方へ近づこうとした、その瞬間。
後ろから、ぐいっと引き寄せられた。
「わっ!?」
驚いた声が漏れるのと同時に、
唇に、柔らかい感触。
パシャッ!
(ぁ…シャッター)
ゆっくり離れたあと、
一番最初に照れたのは、やっぱりいるまの方だった。
キスしてきたのは、そっちなのに。
「ははっ、積極的だね」
「…………!⸝⸝」
そう言って笑うと、案の定、顔を真っ赤にする。 もう、本当に可愛い。
大好き。
「あっははは、wあははっ笑 」
「わーらーうーな。」
「いふぁいふぁい、ほっぺ引っ張んないでくださいよ〜笑」
いるま。
俺の人生を変えてくれて、ありがとう。
誰にも期待されていなかった俺を、
ちゃんと見つけて、ちゃんと愛してくれて、ありがとう。
弱くて、優しくて。 照れ屋で、不器用で。 それでもここぞというときは、誰よりもかっこいい。
そんな先輩が俺は、好きだ。
これから先、どんな景色を撮るとしても。
どんな舞台に立つとしても。
俺の隣には、きっと、いるまがいる。
あの夜の公園で撮った一枚は、 世界に一つだけの、 俺たちの「大好き」だった。
おわり
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