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「―――生きてる」
『ああ、よかった……。意外に元気そうですね』
ヴィーナスは何日も放っておいたくせに悪びれもせず言った。
「―――もう来てくれないかと思った」
『ははは。いや、それがそうもいかなくなりまして』
乾いた声で笑いながら何やらカサコソと取り出している。
『工場について、調べてきました!』
「工場―――」
『実は私はこの間、心当たりがあると言ったのはある自動車整備工場なんです』
「自動車?」
『パリスさん、覚えてますか?この間うるさいトラックが通りかかって。その時あなた、”マフラーに笛をつけてる”って言ったの』
―――そんなこと言ったかもしれない。
『マフラー改造くらいだったら聞いたことありますけど、マフラー用の笛って、一般人だとなかなか知らないと思います。だからピンと来たんです』
「それと俺にどんな関係が……?」
そこでヴィーナスは一瞬間を開けた後、静かに言い放った。
『父の死因は、交通事故だったんです』
「交通事故……?キミのお父さんは殺されたって言わなかったか?」
『最後まで聞いてください』
「―――――」
『父はその日、近くの低い山を越えて買い物に出かける途中でした。そこで山道のカーブを曲がり切れず、ガードレール突き破って落下したんです』
「――――」
『車は爆発炎上。父は帰らぬ人となりました』
「―――それで?」
『警察の調べで、現場にはブレーキ痕がなかったと』
「それは下り?」
『はい』
「……ペーパーロック現象か」
『……さすがですね』
ヴィーナスは言葉とは裏腹に、バカにしたように鼻で笑った。
ペーパーロック現象。
ブレーキ時の摩擦熱により、ブレーキフルード内に気泡が生じ、それが原因でブレーキが利きにくくなる現象だ。
下り坂の際の過度なブレーキ操作が引き金になるが、大きな原因としてあげられるのは、ブレーキフルード内に誤って水分が混入してしまった場合や、ブレーキフルードを交換する際に空気が入り込んでしまうことにある。
「簡単そうに見えて、ブレーキフルードの交換は難しいんだ。とくに素人はーーー」
『それが……』
ヴィーナスは唸りながら言った。
『その日の前日、父の車は自動車屋で車検を終えたばかりでした』
「―――もしかしてそれが……」
『そうです。私が調べてきた”小口自動車”です』
「―――――」
ーーー小口自動車。
聞いたことあるような、無いような。
しかし―――。
油の匂い。
それを洗い流そうとする石鹸の匂い。
柔軟剤のきつい作業着の匂い。
むせ返るような排気ガスの匂い。
鼻が覚えている。
工場の匂いを―――。
「つまり君のお父さんは小口自動車の整備ミスで死んだと―――?」
『……あの女や、父が会長を務める秋元グループでは、そう考えたらしくて。そのことで、秋元グループと、小口自動車は近々、裁判で争う予定になっています』
「裁判……?」
ーーー整備ミスを争う裁判か。
しかし肝心の車が爆発炎上してるんじゃーーー。
「ヘラが小口自動車を訴えたということか……」
俺の言葉を、
『逆です』
彼女は即座に否定した。
「―――逆?」
『はい。訴えたのは、小口自動車側です』
「なんで整備工場が、被害者を訴えるんだ……?」
俺は暗闇の中で眉間に皺を寄せた。
「工場側は、そんなミスをするはずがないと。逆に秋元家が『車検に出したばかりだったのに』と発言したことがマスコミに大きく取り上げられてしまって。
その噂のせいで、誹謗中傷が相次ぎ車検や修理のキャンセルが続き、あっと言う間に経営が傾いたということです」
「―――そんな簡単に……」
「従業員十数名ほどの小さな町工場です。しかもその会社はもともと良いイメージがなく停滞ぎみだったそうで」
「もともとって?」
「……暴走族上がりの人間を雇ってるとか、刺青を入れた人間が出入りしているとか―――」
*********
『―――そりゃあ、悪い人たちばかりじゃないっていうのはわかるけど』
夢の中の彼女の声を思い出す。
『びっくりするわよ。だって肩に龍のタトゥーが入ってるんだもん』
*********
『小口自動車は経営自体が難しくなり、社長は従業員を泣く泣く解雇した末に―――』
少女はそこで一息ついてから続けた。
『自分は工場で首を吊って、自殺しました』
「自殺……」
真っ暗であるはずの目の前がグワンと揺れた。
『―――あなたの記憶の中で、工場で倒れていた人物は、小口社長だと思われます』
「――――」
『そして社長を抱きしめていたポニーテールの女性は、小口美央。社長の一人娘です』
みお。
ミオ。
そうだ。
美央だ。
彼女の名前は、美央。
俺は毎日馬鹿みたいに、その名前を呼んでいた。
『肝心のあなたの名前ですが―――』
少女は咳払いをした。
『辞めた四人の従業員の中にいるとは思っていたんですけど、何せ教えてくれたのが、つい最近雇われた派遣の女の子で、よくわからないと言っていて。
だからといって今、この時点での小口美央や、その近くの人間に接触するにはリスクがありすぎるし。
特徴を言おうとしても、私はあなたの元の顔を知らないし、どう伝えればいいか迷った末……』
「ーーーー?」
『その四人の中で右足が不自由な人はいたか、聞いてみました』
俺は暗闇の中で見えるわけもない右足を僅かに動かしてみた。
「それで……?」
「――――」
彼女は息を吸い込んだ。
『確かに昔起こしたバイク事故で、右足に麻痺が残っている男性がいたと』
―――早く言え……。
『さらに彼は解雇後、行方不明になっていると』
―――早く言えよ!!
「……その人の名前は、吉良瑛士(きら えいじ)さんだそうです」
◆◆◆◆◆◆
『こら瑛士!遅刻するってば!あさイチ引き渡しでしょう!』
◆◆◆◆◆◆
『瑛士。お客様の車検証ここに置いておくね!』
◆◆◆◆◆◆
『またカレーがいいの?一昨日もだったのに。本当に瑛士はカレーが好きなんだから』
◆◆◆◆◆◆
『瑛士ったら!早く早く!年越しちゃうよー?』
◆◆◆◆◆◆
『―――今年もよろしくね、瑛士』
◆◆◆◆◆◆
美央の笑顔と共に、身体中に電撃が走った。
思い出した。
何もかも―――。
自分が誰なのか。
社長がどうなったのか。
秋元の葬儀。
俺を睨み上げた秋元の妻。
弁護士と握手を交わし、
似合わないスーツを着て裁判所へ行った。
俺は―――
俺は――――。
「……あの女……!!」
怒りで引きつる身体のせいで、足枷のチェーンと両手の手錠がガチャガチャと激しい音を立てる。
「殺してやる……!!」
『パリスさん?落ち着いてください』
冷静な声が降ってくる。
「俺はパリスなんて名前じゃねえ!わかったんなら、ちゃんと名前で呼べ!!」
『――ふふ』
排気口の向こうから彼女は笑った。
「何がおかしい!?」
『確かに状況と特徴は合致します。でもそれだけであなたが吉良瑛士さんだという証拠はありません』
「―――待てよ!俺は全部思い出した。小口自動車のことも、従業員の名前全ていえるし、なんなら小口美央のホクロの数だって言える。警察に俺をつき出してくれさえすれば……!」
『それではお聞きします。あなたがこの家にいる経緯は説明できますか?』
「この家に?」
『あなたの方から訪ねてきたのですか?道端で誘拐されたのですか?それともこの家に何かの目的で忍び込んだ?』
「ーーーーー」
思い出せない。
そうだ。
なぜ俺は秋元の家にいる?
なぜ、監禁されているんだ。
『もしあなたがーーー』
彼女の言葉が思考を遮る。
『もしあなたが本当に吉良さんだとしたら。あの女があなたを監禁する理由は、ただ一つ。裁判で負けるのが怖いからです』
「!!」
『あなたはきっと、あの女が不利になるような何かを握っている。だからあの女はあなたを閉じ込め、監禁している。ーーーそう考えると辻褄があうような気がしませんか?』
「―――あの女が不利になること……?」
『そんなの一つしかないでしょう?』
彼女は再び笑った。
『小口自動車ではなく、あの女が父親を殺した証拠ですよ』