テラーノベル
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社長、彼女と別れてくださいと言われて、実はちょっと嬉しかった。
あかりと付き合っている気分になれたからだ。
実際に付き合っていたという、昔の自分が無茶苦茶うらやましい。
記憶にない、一週間しか存在しなかった幻の俺。
一体、どんなふうにあかりと過ごしていたんだろう。
フィンランドか。
きっとランプをつけて、二人で向かい合い、ヒュッゲなときを過ごしていたのだろうな。
暖かいランプの光に照らし出された小さなあかりの顔。
あかりが俺を見て微笑む。
俺も微笑む。
あかりは照れたように俯き……
手元にあるスマホで、ハゲたおっさんの一生を眺めはじめた。
しまった。
ヒュッゲとか思ったから、ハゲたおっさんのゲームを連想してしまったっ。
でも、あいつが楽しいなら、それでいい、と青葉は思う。
あかり。
俺はお前と向かい合って座り、お前の顔を眺めているだけで嬉しいんだ。
例え、お前のその視線が、ほぼ、ゲームの中のおっさんを眺めているとしても――
と、あかりが聞いたら、
「いやいや、私はスマホ依存症の子どもですかっ」
と叫び出しそうなことを青葉は、しみじみ考えていた。
……思い出したいな、あいつとの記憶。
そんなことを考えながら仕事をしていた青葉は、書類を持って入ってきた来斗に言った。
「来斗、俺を殴ってみてくれ」
「えっ」
「頭打って、記憶を失って。
また、頭打って、記憶を取り戻し、一週間分の記憶だけ忘れたんだ。
もう一回打ったら、消えた記憶が蘇るかもしれん」
「いやそれ、全部忘れる可能性もありますよね?」
「いやまあ、そうだが。
上手く、そこだけ思い出せるかもしれないじゃないか」
そのとき、遅れて入ってきた竜崎がドアの向こうで聞いていたのか、身を乗り出して言ってきた。
「でも、上手くあかりさんのことを思い出せても、それ以外の記憶をすべて失ってしまうかもしれませんよ」
あかりとの一週間の記憶と引き換えに、今までの人生、すべての記憶を失う。
……それもいいかもしれない、と青葉は思っていた。
「それでも構わん。
今の俺にはあかりがすべてだ」
「社長」
来斗は、じんと来たような顔をしていたが。
すぐに、
「でも、仕事に支障のないようにしてください」
と言ってくる。
「……ああ、まあ、そうだな。
うん」
なかなか現実は、恋だけには生きられない。
確かに。
みんなに迷惑かけてしまうな……、
と思ったそこに更に、竜崎が追い討ちをかけるように言ってくる。
「そもそも、社長。
あかりさんと再会してからの時間は一週間以上。
失った時間より、今、あかりさんと会ってる時間の方が長いです」
しまった……。
そういえば、そうだ。
あかりと愛をはぐくんだ時間を思い出したくはあるが。
それは一週間だけの出来事。
今の方があかりと会っていた期間が長い。
今のあかりは、俺のことを愛していないあかりだとしても、あんなあかりも、こんなあかりも覚えていたい。
そう思ったとき、来斗が言った。
「社長がそれでも、とおっしゃるのなら殴りますが……」
竜崎も言った。
「社長がそれでも、とおっしゃるのなら、私も殴ります」
「いや、お前は殴るな……」
……なんとなく、と身を引いて逃げながら、青葉は言った。
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