「わたしは――コウカです」
ああ、やっぱりそうだったのだ。
視界が霞んでいく。目から涙が零れそうになる。
コウカが生きていたのだ。そして人の姿になって、私を助けに来てくれた。
どうして生きていたのか、など今はどうでもいい。ただ消えていなかったことが本当にうれしかった。
「なんだ……それは……」
「マスターを傷付けたお前を……わたしは絶対に許さない!」
少し茫然としているように見える少年に少女――もといコウカが切り掛かる。
力強く振り下ろされた一撃を少年は苦しそうに受け止めていた。
「くっ、何故だ……どうしてまだ地上界に精霊が……。お前はいったい……!?」
「はあぁッ!」
そして遂にコウカの剣が少年の短剣を押し切ることに成功する。
少年が大きく吹き飛ばされて、柱にぶつかると同時に砂埃が宙に舞った。
静寂の中、次第に砂埃が晴れて視界が鮮明になっていく。さらに空間を照らしていた光も弱まっていった。
だが程なくして再び光が昇り、空間は照らされる。
やがて完全に煙が晴れると剣を構えたまま佇むコウカと無残な姿となった石柱だけが残されていた。
そこで私は慌てて隣を確認し、懸念を解消したことでそっと胸を撫でおろした。
あの壁は既に崩れて落ちており、ヒバナとシズクは何事もなかったかのように寄り添い合っていたのだ。
少年は逃げて、みんなも無事だった。それに加えて――。
「マスター」
人の姿になったコウカが振り返る。
そして振り返ったコウカの顔を見て私の口からつい息が漏れた。
コウカは目鼻立ちの整った美しい少女だった。輝くブロンドヘアに淡い黄色の目をした――いわば美少女だったのだ。
……そして全裸だった。後ろからだと長い髪の毛で隠れていた体が、今は守る物がないため全て見えてしまっている。ということはだ。あの少年には全て見えてしまっていたのではないだろうか。
コウカが全裸のまま私に駆け寄ってきた。それと同時に美しい顔が台無しになる。
「マスターぁ! 無事でよかったですっ!」
「うわっ」
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった全裸の女の子が抱き着いてくる。さっきまで泣きそうになっていたのに、涙が引っ込んでしまった。
あと私のことを守るように立ってくれていたからか、さっきは大きく見えていたコウカだがこうして抱き着かれると結構小さい。多分、私よりも10センチほどは身長が低いことだろう。
「こ、コウカ、落ち着いて。というかまずは服を着よう?」
流石に目のやりどころに困る。
「……必要ですか?」
鼻を啜りながら、何とも不思議そうな顔で首を傾げるコウカ。
――まさか本気で言っているのだろうか。
「えっと……本気?」
「服の必要性が分かりません」
本気だった。
もしかしてスライムだから寒さとかも感じはしないのだろうか。
「へっくち!」
可愛らしいくしゃみが空間に響き渡る。前言撤回、寒さは感じるようだ。
仕方ないので《ストレージ》から下着も含めた私の替えの衣服を取り出す。
「サイズは合わないと思うけどちゃんとした服は街で買うから、我慢してね。ほら、足を上げて」
「ま、マスターに着替えさせてもらう必要はありません! 寒さなら我慢してみせますっ……へくちっ」
「ああ、ほら! コウカが裸のままだと私まで恥ずかしくなるからっ、早く着るの!」
少しずるい言い方だが、こう言うとコウカは服を着ざるを得ないだろう。
やはりといったところか、私の予想した通りにコウカは頷いてくれた。
「た、たしかにその通りです。でも……」
納得してくれたというのに、この子はまだ拒むつもりなのだろうか。
「服なら自分で着られますよ?」
「え、本当に?」
「はい、いつも見ていましたから」
そういうことは早く言ってほしい。……というか、いつも見ていたなどといざ口に出して言われるのはなんだか恥ずかしい。
取り敢えずコウカの着替えは終わったので、服を着たこの子と一緒に遺跡の出口を目指して歩いていく。
さっきコウカが服を着ているうちに、ふと今のこの子は人なのかスライムなのか気になった私は《鑑定》のスキルを使ってみた。
するとコウカの種族が“スライムフェンサー”へと変わっていた。どう見ても見た目は人間の少女だが、どうやら種族としてはスライムのままらしい。
あと、さっきから頻繁に服の匂いを嗅いでいたのでそれはやめさせた。ちゃんと洗ってあるはずなのに「これがマスターの匂いなんですね」なんて言われるのは非常に恥ずかしかった。
――犬じゃないんだから。
そんなコウカが手の上の光球で周囲を照らしながら、私を先導してくれる。
「マスターの温もりが染み渡ります。これが暖かいという感覚ですね。あと、さっきまでのわたしが寒いと感じていたと知りました。1つ、いえ2つ勉強です!」
何とも暢気なものである。少し気恥ずかしいが、さっきの発言に比べると今の発言はまだまだマシな方だ。
……それにしても温かさと寒さを知ったと言っていたか。
「スライムの時……っていっても今もスライムだけど……人の姿になる前は寒さとか感じなかったんだ?」
「はい、寒いとか暑いという感覚はありませんでした。スライムというのは人間よりも感覚が鈍い生き物なのかもしれません」
ですが、と振り返ったコウカは満面の笑みを顔に浮かべていた。
「この姿になるときに人間と同じようにあらゆる物を感じられるようにしましたから! わたしもマスターと同じ、人間になりました!」
「あ……」
きっとそれは心のどこかで望んでいたけど、決して叶わないと思っていたことだ。
コウカが人間で私と同じように話せて、感じて、笑い合う。それをコウカは叶えてくれたのだ。
もしかしたらヒバナとシズクとも、この子と同じように話せる日が来るのかもしれない。
――こんなにも嬉しいことはなかった。
◇
無事にノノーリエルの街へと戻ってこられた時にはもうすっかりと夕暮れ時だった。
今日は色々なことがありすぎて一杯一杯だったので、冒険者ギルドには寄らずに宿屋へ戻ろうとしたところでベルとロージーに捕まってしまった。
なんでも私が見知らぬ少女と歩いていたので気になったらしい。別に誘拐してきたわけでもないのだが。
「は……スライムぅ?」
「かわいそうに。ユウヒ、あなたってば疲れているのね……」
ベルとロージーにコウカを改めて紹介すると2人に胡乱な目で見られた。
どうすれば分かってもらえるかと思案していると、テイマーカードで証明することを思いついた。
これは街に入るときなどスライムが自分の従魔であることを証明するためにいつもやっていることなのだが、テイマーカードに登録している魔物の体にカードを触れさせるとカードに書かれている従魔の名前が光るのだ。
私が言っていることが真実だと分かったときの2人の顔はまさに開いた口が塞がらないといった様子だった。
コウカも何故か胸を張って自慢げにしている。
そして今度はベルとロージーに質問攻めを受けることになった。といっても私もまだ分かっていないことばかりなのでほとんど答えられなくて、ただの雑談みたいな感じに変わっていったのだが。
話の中で驚いたこととして、コウカの戦い方がベルに影響を受けていたということがあった。
あの遺跡での戦いで私の手から弾き飛ばされたロングソードを拾って戦ってみせたコウカだが、初めて扱ったという割にはそこそこ様にはなっていた。その理由がベルの鍛錬や私の特訓をずっと見ていたかららしい。
それを聞いた時のベルがなんとも嬉しそうだったのは印象深い。
「それにしても、ユウヒってばコウカからとても愛されているわね」
「え?」
話すことも無くなったためにそれぞれの宿屋へと帰る道の途中まで一緒に歩いている時、不意にロージーが私とコウカの顔を交互に見ながら口を開いた。
「あ? 急にどうしたんだよ、ロージー……ってあぁ、そういうことか」
「え……ちょっと2人だけで納得してないで私にも教えてよ」
ベルも納得したようだった。二人して何を言っているのか非常に気になる。
たしかに先程から話している中でもコウカが私を好いてくれているのは何となくわかるが、2人の様子は何かが引っかかるのだ。
「ふふ、駄目よ。自分で気付いてね」
「そーだな、わざわざアタシらが言うことでもねぇ」
いかにも納得したといったように頷いているが、私の疑問は深まるばかりだった。
困ってしまったので隣を歩いているコウカに顔を向けると、それに気付いたコウカが私の顔を見てニコッと笑った。
――うん、全然分からない。
宿屋に戻った私とコウカだがここでもまた一悶着あった。危うくコウカの分の料金が上乗せされることになりそうだったのだ。
宿の主人にはベルとロージーに使った証明方法でなんとか分かってもらえたのだが、今度からは素直に2人分の料金で泊まるようにしたほうがいいかもしれない。
ベルたちに聞いたことだが、完全な人の姿を取れる魔物は余程高位の魔物以外には前例がないらしく、一般的ではないらしい。
物珍しさから面倒事が増える予感がしたので、コウカの身分証明として冒険者カードを新しく作るのもいいかもしれない。
それはまた追々考えることとしよう。
そうして部屋に戻る前に夕食を摂ることにする。コウカはご飯を食べるのが人の姿になってから初めてのことだったので、すごく楽しみにしていた。
そしていざスープを口にすると、目を輝かせる。
「温かい……それに味と匂い……食べるだけでこんなにも……」
「やっぱり、前までは味覚も嗅覚もなかったんだね」
今ヒバナとシズクにも分けているように、食事の度にスライムたちにも食事を用意してもらっていた。だがそれは必要のないことで、迷惑なのかもしれないともずっと考えていたのだ。
――果たして味も匂いも感じない食事は楽しいのだろうか。
さっきは直接言っていなかったが、もしかすると食感も分からないのかもしれない。
食事をあげる私はコウカたちの目にはどう映っていたのだろうか
「あの……わたしはマスターと一緒に食べることができて嬉しかったです。わたしはスライムですが、同じように食べ物を食べることで人と――マスターと同じように過ごしても良いんだと……認めてもらえたような気がしました」
神妙な顔でぽつぽつと話していたコウカが一転して、不安そうに私の顔を上目で覗き込んでくる。
慣れないながらに、自分の言葉で気持ちを表現しようと頑張るコウカに思わず頬が緩む。
「あと人の姿になったことで食べることも必要みたいです。動くために必要なのは魔力ですが暑いと汗をかいたり、口の中にもほら……」
そうか。こうして食事を摂れているということは唾液も分泌されている。これもこの子が今の姿になって変わったことか。
――本当に人間と同じなんだ。
これからもこの子にはおいしいものを食べさせてあげたいなという気持ちが沸々と湧き上がってきた。どうせ食べるなら、美味しい物を食べたほうがいい。
楽しい食事を終わらせた後は自室へと戻る。
「コウカ、大丈夫~?」
「はーい、なんとか」
今日の戦闘で砂まみれになったコウカが部屋で水浴びをしているのを私は部屋の外で待っていた。
髪の洗い方などは入る前にしっかりと教えたのだが、コウカにとって初めてのことだと思うので心配になり、時々声を掛けている。
「やっぱり私がやろうか?」
「い、いえっ……マスターに――わっ!?」
扉越しに激しい物音が聞こえてくる。私は慌てて扉に手を掛けた。
「ちょっと大丈夫!? 入るからね!」
「わっ、大丈夫ですから――ぶへっ!」
意外と大丈夫そうだが水浴びは初めてであるはずなので、やっぱり最初は私が洗ってあげることにした。
そして一悶着の後、コウカは私にされるがままとなるのであった。
◇◇◇
草花が枯れ、川も干上がり、風さえ吹かない荒れ果てた大地。空は灰色の雲に覆われ、太陽も月も顔を覗かせることはない。
そんな場所に黒色と白色が混ざり合った奇抜な髪をした男が、光すらも打ち消してしまうような真っ黒なオブジェの前で佇んでいる。
「はい、調査は続けていますが未だ発見には至っておりません。ご期待に沿えず、大変心苦しい次第です。ですがハズレであった遺跡において、『僕』が少し面白いモノを見つけてきました」
男の手に少しくすんだ黄色い球のようなものが現れる。
男の他には何者の姿も見えず声も聞こえなかったが、その口ぶりはまるで誰かと会話をしているようであった。
「これだけでお察しになるとは、貴方様の鋭い御慧眼には……ああ、失礼いたしました」
恭しい態度で男が深く頭を下げる。
「少し前に女神が大きな力を行使したようです。おそらくは何かを企てているものかと……。しかし、『僕』が見つけてきたこれはその女神の計画を壊す糸口になるかもしれない」
目を細めた男がニヤリと笑う。その笑みは男の心の内側が透けて見えるように邪悪なものだった。
「御心配には及びません、私に考えがございます。つきましては貴方様の御力を少しお借りしたく……ええ、ありがとうございます」
男が再び頭を深く下げる。
そして何かを思い出したかのように再び口を開いた。
「ああ、それと……ついに彼らも目を覚ましそうです。彼らが揃えば、少し強引に事を進めることも可能かと……」
男が胡散臭くも見える笑みを深くして、傅く。
「はい、全てはあなたの御心のままに……。我らが御神メフィストフェレス様」