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久しぶり作品待ってます 俺も書けたら作品書くね
オレンジ…ハエトリグモの虫人。エバンのペット。 カンパネラ…シャチの海獣人。エバンの親友。
「大人しくしろ。お前と話していたら気分が悪くなる」 突然、そういった言葉が家中に響いた。何のことだろうかとオレンジが駆けつけると、エバンとクルルが向き合ったまま喧嘩している姿が窺えた。互いに仕事帰りだったのか、白いシャツ姿のままである。
「私は貴方のことを思って言ってるんですよ! 最近、やけに距離があると思ってたんです。そしたら貴方、白豹に拳銃を向けられて、暴力を振るわれていたから!」
バンと机を大きく叩く。オレンジはビクリと体を震わせて、物陰に身を隠す。そしてヒョコリと顔を出してみせた。床に落ちた鞄といい、無様に置かれた外套といい置かれている状況は最悪らしい。一層、その場の空気は凍りついた。
「何故、助手ごときに心配されなければならない。そんなに言うことが聞けないのなら出て行く」
途端に、外套を片腕に抱いたままクルルを避けて部屋を出た。止めようと脚に縋りつくが、蹴られ離された。その様子を全て眺めていたオレンジが焦った表情のまま歩き出て、窓から外の様子を窺う。そこで見えたのは月へと向かう寂しい彼の影であった。
「……私のせいだ。先生は誰かに支配されて、その誰かに常に見られている。それで自由になれない。全て知っているのに、私は力にさえなれないんだ」
膝を床につけて、目許から星屑のような涙を流した。そして小麦色の髪をぐしゃぐしゃにして、暫くは俯いていたらしい。そこで、オレンジはあることを閃いた。
途端に窓から飛び出すと、電柱へ糸を張り、そこを渡る。こうしてエバンを見つけ出そうとしたのだ。淡い月明かりに照らされながら逆さになっていると、ふと紅鶸の影が視界に入った。背丈を見てもエバンに違いない、と思い路地へと下る。すると、胸を押さえて唸り声を上げながら倒れ込んだ。オレンジがすぐに駆けつけ背を撫でると、エバンは牙を剥いたまま、薄青い火を口から吐き出して意識を手放した。
*
「……ここは……?」
エバンが目覚めると、そこは見慣れない部屋。部屋の端に置かれた壊れかけの棚と、机に向かい合うように置かれた革の椅子。部屋中に飾られた銃器と見たこともない動物の剥製。そして、鼻が折れるほどに臭う甘い香り。既に、オレンジの姿は無かった。代わりに、カンパネラが四メートル超えの剣を磨いてニタニタ笑っていることだけはハッキリと理解できた。
「ここはアジト。オレンジ君がアンタのこと抱いて来たから驚いてさ。胸に輝く焰の刺青が入ってたから驚いた。しかも広がってる」
エバンは冷や汗を拭いながら自分の左胸を見る。そこには、あの青い焰の模様が右肩まで広がっていた。それも、耐えきれない程の激痛だ。
「刺青じゃない。これはクルルとの印で、嘘をついたら広がるって説明されてる」
「マエストロが嘘? あは、その冗談は最高に面白い」
尻尾で椅子を殴りながら笑い崩れる。そして尖った歯を見せて狂ったように床上で踊り始めた。それを眺めてエバンは無愉快そうに口角を下げて、大きな溜息をつく。
「聞け。俺は手術室を含めた院内で大量の盗聴器と監視カメラを見つけた。しかも、リスティヒが居るヒラール・ポッセナの部下が何人か居る。何なら俺と親しくしてた同僚と従兄弟はそいつらにぶっ殺された。こうなるとクルルが危ない。だから『お前と話してたら気分が悪くなる』って嘘をつかなければいけなかった」
膝にかけられた綿の毛布に包まって見られないように涙をこぼした。その顔を毛布越しに眺めてはカンパネラが笑いを堪えて震える。
「バーカ! リスティヒを殺せば解決だろ。それにヒラールに媚び売ってるアンタの弟くんは何してるんだ。薬漬けで白目で小便でも垂れ流してんの?」
「想像もしたくない。そう言ってるお前だって、今やってんだろ?」
「ヘロインを約七五〇ミリグラムだ、あっははは」
豪快に笑うと、またその場で藻掻きながら舌を出した。エバンは正気の沙汰じゃないと思い、その場から逃げようとした。しかし、窓は封鎖され扉には鍵がある。何より、カンパネラは大量の銃器を隠し持っているのだ。このとき、初めてオレンジを恨んだ。
*
太陽が南の空で燦々と輝く中、クルルは雲の上でじっと下を見ていた。その視線の先にはスラム化したマンションがある。屋上に干された布や服、そして垂れ流しの処理水が広がっている。その中でも清潔感の保たれているカンパネラのアジトには、デカデカと旗が掲げられていた。そこに、布で全身を覆い隠した最高権力神がヒョッコリと姿を現す。
「あらあら、機嫌が悪そうだ。あのアハサダに嫌われたとか?」
八の眼で睨んだ。それにクルルも鋭く睨み返す。
「違います。彼が苦しんでいるので私も苦しいんだ」
胸に手を重ね、顎を引く。鈴が清い音を立てながら二度、三度揺れた。すると権力神は首をぐんと伸ばしてニッコリと笑みを浮かべる。
「そういえば、彼はリスティヒという欲望の塊に殺される運命だったろう。憐れだな」
「何を仰るんですか。その運命は貴方様がお決めになられたのでしょう?」
「何を」
権力神は両手を前に突き出す。
「アハサダは弟が苦しむことを考えて、それに耐えられず地獄へ勝手に落ちたようなものだ。私は予想すらしていなかったがね」
まるで冗談のように笑うと、フラリフラリその場から消え去った。天には相変わらず、迦陵頻伽の音色が響き渡っている。その音色を例えるなら、蓮の花や極楽浄土の池の水に近い。クルルは大きく息を吐くと、ひょいとその雲から飛び降りて、地上まで華麗に走った。
一方で、カンパネラは冷静になったらしい。翡翠のような瞳を一直線に向けて、時には悩んだようにアイパッチを撫でていた。エバンは出されたエスプレッソを飲みつつ、その様子を凝視していた。
「声に出してバレるのなら、紙に書いて渡すってのはどうなん? ノートの端とかに書いて、はいって渡す感じの」
そう言うと、メモ帳を取り出して見せつけた。そこには、小さくイタリア語で『ごめんね』と書き殴られている。雑さが滲み出た方法だ。
「監視カメラに映るんじゃないか?」
「そんなこと言ったら何しても見られてるし、この会話すらも聞かれてるに違いないぜ。もう吹っ切れてキスすれば?」
「は?」
エバンは眼を丸くした。刹那の困惑にポカンとしたのである。後、ふっと意識が戻ったように首を振った。
「そこまで親密な仲ではない」
「またまた、前にクルルと白酒を飲んだ。そんときにキスして欲しいし心臓を食べられたいくらい愛してる、って泣きながら言ってたぞ」
「俺の何がそんなに良いんだ」
心の底から呆れたような声に反応したのか、クルルが突然に姿を現した。思わず二人は声を上げそうになって口を手で塞ぐ。
「優しいところがいいんですよ。愛があるから好きなんです」
「散々突き放されてまだ来るか。執念深い奴だ」
冷や汗を流しながら、何とか情緒を保つ。しかし、表情には焦りの色が見えた。それでもクルルは近づいて、顔を覗き込む。
「今、焦ってますよね。会話全て聞いてましたよ。逃げも隠れもできません。さあ、何か口答えしてみては?」
強い口調で圧倒し、大きく胸を張る。エバンはぐっと涙を堪えて口を開いた。
「……───申し訳ない」
「私からも申し訳ございません。貴方の苦しみを私も味わうべきなのに」
床に膝をつけて謝る。これは土下座に近いものであった。エバンはそれを大袈裟だと苦笑して、クルルの肩を何度か撫でた。その途端に表情が生き生きとして、明らかに嬉しそうな顔をした。それを眺めていたカンパネラと、物陰の後ろにいるオレンジは微笑んでクスクスと笑い声を立てた。